第2499号 27.10.31(土)
.
財に臨んでは苟(いやしく)も得んとすること毋(なか)れ。難に臨みては苟も免れんとすること毋れ。
.
お金を目の前にしたばあい、かりそめにもそれを欲しいなどと思うな。また、困難に出会ったばあいには、かりそめにもそれから逃れようなどと考えるな。307
.
【コメント】大変良い訓戒だと思います。お金に対する考え方、困難に出会ったばあいの考え方は自然体で臨めばいいと思います。貧乏と困難は今までの私にはつきものでした。それでもタンタンとして臨んできたつもりです。
.
今朝の暁の学問館には4歳になった『南洲翁遺訓』発表の女王・正田カナコ様もきてくれました。
.
教材は、
1.『君が代』にこめられた日本人の思い
2.思いをこめる
3.自分の時間をどう使うか
4.知識・見識・胆識
5.「カルタゴの平和」と「人間の鎖」
6.発展繁栄の道
7.立志立命の道
8.「家庭教育の心得21」-----等々でした。
.
4.知識・見識・胆識------一部ご紹介します。
.
知識は大事である。人格形成の土台となるからだ。だが、知識はたいてい雑識程度に終わる。雑識は人格を統一する力にはならない。その知識がいろいろな体験を積み、人生的修行を重ねることで、見識になっていく。
見識は物事を判断する基準になる。判断したものを実行する。その勇気、度胸。これが胆識である。いかに知識、見識があっても実行しなければ、実生活も事業も立派にはできない。胆識を養うことは、リーダーの不可欠な要素である。
.
外国(とつくに)の風招きつつ国柱太しくあれと守り給ひき
.
明治天皇を詠まれた美智子皇后の御歌である。明治の草創期、押し寄せる外国の文化に日本の国柄を失いかける危機があった。その時、明治天皇が「教育勅語」を発布、日本人が護持すべき精神的基盤を明示し、危機を救った。その胆識を讃えられたのである。
---------------------
『臥牛菅実秀』(第37回)
.
二人は偶然に時を同じくして江戸に出ていたのであるが、もちろん後年にあのように深い交わりを結ぼうとは、このときは知るよしもなかった。一方は改新的な外様雄藩の一藩士であり、一方は幕府強化の線に立つ譜代親藩の一藩士であって、交わることのない政治路線の上に二人は立っていたのである。ただ隆盛は藩主斉彬の、下級の有為の士を求める方針によって登用された人であり、実秀も松平権右エ門の眼識によって挙げられた人であって、いづれも小禄の藩士として、貧困な家庭に生い育った点では共通するものがあった。
----------------------
『論語』(第432)
.
陳亢伯魚に問うて曰はく、「子も亦異聞あるか。」対えて曰はく、「未だし。嘗て独り立つ。鯉趨って庭を過ぐ。曰はく、『詩を学びたりや。』対えて曰はく、『未だし。』『詩を学ばざれば以て言ふなし。』鯉退いて詩を学べり。他日又独り立つ。鯉趨って庭を過ぐ。曰はく、『礼を学びたりや。』対えて曰はく、『未だし。』『礼を学ばざれば以て立つなし。』鯉退いて礼を学べり。斯の二者を聞けり。」陳亢退いて喜んで曰はく、「一を問ひて三を得たり。詩を聞き礼を聞き又君子の其の子を遠ざくるを聞けり。」
.
陳亢が孔子の子の伯魚に問うて言うには、「あなたは先生とは父子の間柄で外の門人とは違いますから、何か珍しいお話を承わったことがございますか。」伯魚「未だありません。嘗て父が独りで立っておりました時、鯉(伯魚の名)は趨って庭を通り過ぎました。
父が『詩三百を学んだか』と申しましたから、『まだ学びません』と対えますと、父は『詩を学ばなければ、事理に通達せず心気が和平でないから、人に対応して能く言うことができない』と申しましたから、鯉は退いて詩を学びました。
他日又父が独り立っておりました時、鯉は趨って庭を通り過ぎました。父が『礼を学んだか』と申しましたから、『まだ学びません』と対えますと、父は『礼を学ばなければ、事物の程よい所が明らかでなく徳性が固く定まらないから、能く身を立てることができない』と申しましたから、鯉は退いて礼を学びました。
この二つを聞いただけです。」陳亢は伯魚の対えを聞いて退いて喜んで曰うには、「一事を問うて三事を聞くことができた。詩を学ぶべきことを聞き、礼を学ぶべきことを聞き、又君子がその子を特別待遇をしないということを聞いた。」
-----------------
『農士道』(第314回)
.
尤も国家社会は農民のみのものではない。木にも根もあれば枝葉もあって、全き生長が出来るように、農工商、各々其の處を得、其の分を乱らざる限りに於ては、何も農村農民が、自大排他主義者-----独りよがりの御山の大将----になって得々となるといふのではないが、然し自らの本質を自覚し、其の当然の価値と使命とに対する正しき矜持は有たねばならぬと思ふ。
--------------------
10月31日、おわりです。只今1時50分です。
.
財に臨んでは苟(いやしく)も得んとすること毋(なか)れ。難に臨みては苟も免れんとすること毋れ。
.
お金を目の前にしたばあい、かりそめにもそれを欲しいなどと思うな。また、困難に出会ったばあいには、かりそめにもそれから逃れようなどと考えるな。307
.
【コメント】大変良い訓戒だと思います。お金に対する考え方、困難に出会ったばあいの考え方は自然体で臨めばいいと思います。貧乏と困難は今までの私にはつきものでした。それでもタンタンとして臨んできたつもりです。
.
今朝の暁の学問館には4歳になった『南洲翁遺訓』発表の女王・正田カナコ様もきてくれました。
.
教材は、
1.『君が代』にこめられた日本人の思い
2.思いをこめる
3.自分の時間をどう使うか
4.知識・見識・胆識
5.「カルタゴの平和」と「人間の鎖」
6.発展繁栄の道
7.立志立命の道
8.「家庭教育の心得21」-----等々でした。
.
4.知識・見識・胆識------一部ご紹介します。
.
知識は大事である。人格形成の土台となるからだ。だが、知識はたいてい雑識程度に終わる。雑識は人格を統一する力にはならない。その知識がいろいろな体験を積み、人生的修行を重ねることで、見識になっていく。
見識は物事を判断する基準になる。判断したものを実行する。その勇気、度胸。これが胆識である。いかに知識、見識があっても実行しなければ、実生活も事業も立派にはできない。胆識を養うことは、リーダーの不可欠な要素である。
.
外国(とつくに)の風招きつつ国柱太しくあれと守り給ひき
.
明治天皇を詠まれた美智子皇后の御歌である。明治の草創期、押し寄せる外国の文化に日本の国柄を失いかける危機があった。その時、明治天皇が「教育勅語」を発布、日本人が護持すべき精神的基盤を明示し、危機を救った。その胆識を讃えられたのである。
---------------------
『臥牛菅実秀』(第37回)
.
二人は偶然に時を同じくして江戸に出ていたのであるが、もちろん後年にあのように深い交わりを結ぼうとは、このときは知るよしもなかった。一方は改新的な外様雄藩の一藩士であり、一方は幕府強化の線に立つ譜代親藩の一藩士であって、交わることのない政治路線の上に二人は立っていたのである。ただ隆盛は藩主斉彬の、下級の有為の士を求める方針によって登用された人であり、実秀も松平権右エ門の眼識によって挙げられた人であって、いづれも小禄の藩士として、貧困な家庭に生い育った点では共通するものがあった。
----------------------
『論語』(第432)
.
陳亢伯魚に問うて曰はく、「子も亦異聞あるか。」対えて曰はく、「未だし。嘗て独り立つ。鯉趨って庭を過ぐ。曰はく、『詩を学びたりや。』対えて曰はく、『未だし。』『詩を学ばざれば以て言ふなし。』鯉退いて詩を学べり。他日又独り立つ。鯉趨って庭を過ぐ。曰はく、『礼を学びたりや。』対えて曰はく、『未だし。』『礼を学ばざれば以て立つなし。』鯉退いて礼を学べり。斯の二者を聞けり。」陳亢退いて喜んで曰はく、「一を問ひて三を得たり。詩を聞き礼を聞き又君子の其の子を遠ざくるを聞けり。」
.
陳亢が孔子の子の伯魚に問うて言うには、「あなたは先生とは父子の間柄で外の門人とは違いますから、何か珍しいお話を承わったことがございますか。」伯魚「未だありません。嘗て父が独りで立っておりました時、鯉(伯魚の名)は趨って庭を通り過ぎました。
父が『詩三百を学んだか』と申しましたから、『まだ学びません』と対えますと、父は『詩を学ばなければ、事理に通達せず心気が和平でないから、人に対応して能く言うことができない』と申しましたから、鯉は退いて詩を学びました。
他日又父が独り立っておりました時、鯉は趨って庭を通り過ぎました。父が『礼を学んだか』と申しましたから、『まだ学びません』と対えますと、父は『礼を学ばなければ、事物の程よい所が明らかでなく徳性が固く定まらないから、能く身を立てることができない』と申しましたから、鯉は退いて礼を学びました。
この二つを聞いただけです。」陳亢は伯魚の対えを聞いて退いて喜んで曰うには、「一事を問うて三事を聞くことができた。詩を学ぶべきことを聞き、礼を学ぶべきことを聞き、又君子がその子を特別待遇をしないということを聞いた。」
-----------------
『農士道』(第314回)
.
尤も国家社会は農民のみのものではない。木にも根もあれば枝葉もあって、全き生長が出来るように、農工商、各々其の處を得、其の分を乱らざる限りに於ては、何も農村農民が、自大排他主義者-----独りよがりの御山の大将----になって得々となるといふのではないが、然し自らの本質を自覚し、其の当然の価値と使命とに対する正しき矜持は有たねばならぬと思ふ。
--------------------
10月31日、おわりです。只今1時50分です。