味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

安岡正篤著『王道の研究』、自序の紹介---4.

2011-05-29 12:36:33 | ブログ

タイトル---安岡正篤著『王道の研究』、自序の紹介----4.第858号 23.05.29(日)

 第857号に続きます。

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 前述の様な所懐から、種々に苦心の結果、余は先ず本書の結構を五篇に分ち、最初に政治汎論を置いて、冒頭、政治そのものの反省を提唱した。従来只管、政治を外よりのみ見て、政治をその内より観ようとしなかったからである。政治をその内より観る時、始めて古人礼楽の論に触れることが出来る。

 かくして政治を内面的、動的に把握して、第四章及び第五章の政治本質論と消長因革論とを「述」べた。決して「作」ったのではない。次に「政治と人物」(哲人的政治と民衆政治)、「政治と法令」を論じたのは、近代政治の機械化に対して、生命の回復を企図したのである。そして治乱興亡の理法を明らかにして、最後に、「文化と素朴」との関係を考察し、軽薄な末梢的浮文を警戒した。

 第二編に本論とも謂うべき王道論を置いたが、特に其の第二項に説いた「大臣の任用」と「勧学尊師」(太子の教養)と「祭祀の尊重」との三日は王道の肝腎と信ずる。

 その第二章に王覇の別を論じ、世に喧しい孟子の放伐論を批判して、別に日本天皇の一章を設け、支那と日本との国体別を明らかにしたのは余の最も深意の存する所である。

 第三編には国士道を置き、第四編には処士道を置いた。此れは前著『東洋倫理概論』に「独の生活」の一章を立てた様に、東洋哲学の秘奥を窺うに大切なことと思う。

 第五編には、王道を体現して、或は国士道に徹し、或は処士道に帰した二人の典型的人物を挙げた。読者若し此書を『東洋倫理概論』と併せ読まれるならば本懐の至りである。

 但、前述の様に執筆の始終を通じて、静閑と典籍とに恵まれぬこと多く、不備不満の点の少ないことは残念であるが、それ等は漸次に補ってゆきたいと思う、敬んで大方の示教を乞う。

 昭和七年十月十五日丑の刻             於金雞精舎 著 者 識

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 安岡正篤著『王道の研究』の自序を四回に亘って紹介しました。普通、読みなれていない用語がありますが、そこを耐え忍び、是非、お読み戴きたく思います。先生のご著書に触れてから二十年になります。

 その都度、暗夜をトボトボ行くがごとく、手前も先も見えない、暗夜行路のごとき日々もありましたが、それでも読み続け、筆写し続けてきたお陰で、今日いい知れぬ豊饒な精神に浸っています。冒頭にも書きましたが私は、安岡先生のご著者は読み続けるし、また関係者にも紹介すると同時に贈呈もして参りたいと思っています。

 先般、関西師友協会、郷学の冊子の年間購読を辞退したのは、読まずに屑過去に捨てるのが忍びなく、取りあえず辞退した次第です。ご海容賜りたく存じます。


安岡正篤著『王道の研究』、自序の紹介---3.

2011-05-28 14:54:34 | ブログ

タイトル----安岡正篤著『王道の研究』自序の紹介---3. 第857号 23.05.28(土)

 第856号に続きます。

 我が国即今の内憂外患は、最も国土の払底にその深き禍根を有する。国土の払底は、要するに明治以来世を挙って、教育が単なる知識と技術との習得に偏し、世渡りの方便と堕してしまった悪果である。

 その為に世の良心の権化として、己を忘れ、己を虚しうして、民衆の為に謀り、国家の為に策すべき国士がなくなって、官吏も議員も畢竟一身の計に汲々たる求田問舎の民と化し、治法はあっても、治人は無く、民衆をこの擾乱に陥れたというの外はない。之を救う捷径は何よりも為政者の覚醒、真の国士の出現にある。

 それには為政者及び為政者たらんとす志す者、為政者を出だす民衆の有志に、東洋古典の名君賢相の政教に対する信念、崇高雄渾なる王道の原理を明確に識認させることが根本問題である。

 国家や政治に関する冷ややかな科学的議論、紛々たる政策の是非の如きは、之に比すれば枝葉花実の問題と云うべきであろう。殊に王道政治を標榜して起った満州国家の前途とわが国の責務とを思う時、一層之を痛感せざるを得ない。此の小著が多少とも其の点に寄与し得るらば何の喜びか之に過ぎよう。

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 安岡正篤先生の文章は、格調高く難解であるだけに、普通の人は読みたがらないかも知れませんが、是非読んで欲しいし、後日、当該書籍をご購入してくださるようお勧め致します。私は安岡正篤先生のご著書は広告宣伝する度、買い求めて参りました。そして筆写して参りました。大変有難く存じています。


安岡正篤著『王道の研究』、自序の紹介---2。

2011-05-27 12:24:18 | ブログ

タイトル---安岡正篤著『王道の研究』、自序の紹介---2.第856号 23.05.27(金)

 第855号に続きます。是非、購入してお読みください。

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 ところが創業に伴う煩務に加えて、この開校は農村の同志に対して正しく暗夜の光明の感があったものと見えて、有志の学人頻りに四報より集まり、議論・接客・来翰等忽ち激増し、此の著述の進行に終始多大の障礙を招いた。

 それにもまして、昨年来の社会的政治的動揺は所謂志士仁人の徒を日に月に激越狂奔せしめ、秋に入っては、満州問題の勃発となり、不慮の事件頻発し、各地有志の会合、几上の堆翰、叩門の訪客等で真に寸暇も無い有様に立ち至った。

 其の間に在って余は文字通り寝食を減じて読書執筆し、窃に坐定して静心黙思し、或は国維会に依って、国策の研究と同時に、政教読書会を催して、志士に学問を勧め、此風を各地の同志に移して東講西論の余暇、旅館の燈下に一章を草し、仮病の牀上に一篇を作って、漸く開校に遅れること一年、此の春三月、将に脱稿の運びに至ろうとしたが、測らず母の重患の為に生駒山下に電馳し、万縁を抛って枕頭湯薬に侍すること一ケ月、昼寝て夜起き、其の間少年の頃父母より与えられた古典を無量の感慨で耽読する裡に、屢々驚悟する所あり、此の著述の為にも少なからず反省啓発されるところがあったので、処々改訂に着手し、遂に母の永眠に遅れて、今夜脱稿した。起草して満二年目である。泉下の母に、不肖の子ながら絶えず怠らぬ努力だけは賞めてもらえるであろうか。

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 このようにご紹介しながら、平成十七年頃読んで感激した記憶が彷彿と蘇って参ります。安岡先生の文書は難解な用語が出て参りますが、やがてその教えが体内に脈々と息づいてくると思います。----------続きます。


安岡正篤著『王道の研究』、自序の紹介。

2011-05-26 15:10:36 | ブログ

タイトル----安岡正篤著『王道の研究』、自序の紹介。第855号 23.05.26(木)

 本書は、平成15年12月25日第一刷発行の書であります。安岡正篤先生の著書は出版の都度、購入し拝読してきました。用語は極めて難解ですが、読み進めて行く内、何とも言えない満足感で満たされて参ります。

 関西師友協会、郷学は残念ながら購読を一時辞退させて戴きました。関係者の方には申し訳なく存じます。単行本は過去300冊程、私が主宰する空手道関係者に贈呈して参りました。辞退の理由は読む時間がないこともあります。安岡正篤先生の書は生涯読み続けるつもりです。そして多くの人々に紹介もして参りたいと考えています。

 一般の人への宣伝は、師友協会及び郷学の方に比べ、私の方が有利だと思います。師友協会だと普通の人は先ず読まないだろうと思います。それは先生方の思考が高度であり、著書そのものが難解だからです。ところが普通の私が紹介すると、門人たちは聞いてくれて、そして読んでくれるのです。

 自序

 昭和七年秋十月十四日夕、此の日我が母逝いて六七日の忌に中(あた)る。そして今夜は丁度、仲秋名月である。十一時、此の小著の最後の章を書き終って、そのまま余は凝然として虫の音に聴き入りつつ、いつしか果てもない沈思に耽って動けなかった。

 此の小著を起草したのは一昨年の秋九月であった。其の前、四方の道友の為に大いに東洋先哲の学を興そうとして、金雞会館を造り始めた時、一面『東洋倫理概論』を草し且つ講じたが、それは会館の竣成に遅れること半歳にして脱稿した。其の後、国家の為に、風教の為に、愈々年来肚裏に抱いていた農士教育を一日も速やかに実現しなければならぬことを痛感して、地を武蔵武士の旧跡に探ね、菅谷の荘に畠山重忠の館趾を得て、日本農士学校の創立に取りかかると共に、余は又此処に集まるべき学徒の為、真に国土の風を養う一助に、東洋政治哲学を究明し、王道の原理を確認させたいと思って、早速此の書を起草したのであった。

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 日本農士学校と言えば私には、特別の感慨がございます。それは私の詩吟道の師匠・竹下一雄先生が、台湾の学校の先生を辞め、農士学校に入学したくてわざわざ当地まで赴いたのです。ところが年齢が三歳オーバーしていたとかで入学できなかったのです。菅原先生に相談しても入学は許可されませんでしたが、しかし菅原先生とはその後長年にわたり親交を深めたのでした。

 そのことを私に何回も話して聞かせたものです。竹下先生を取り巻く、いわゆる弟子は数多くいたが、そういう話にはみんな全く興味を示さなかったのです。だから竹下先生は、特に私に話されたのでした。

 

 


賢を尊び能を使い、俊傑位に在れば、『孟子』。

2011-05-25 19:18:25 | ブログ

タイトル----賢を尊び能を使い、俊傑位に在れば、『孟子』。第854号 23.05.25(水)

 賢を尊び能を使い、俊傑(しゅんけつ)位に在れば、則ち天下の士、皆悦(よろ)びて其の朝(ちょう)に立たんことを願わん。(『孟子』公孫丑章句上)

 人を任用する立場にある者が、洞察力を有した賢者を推挙し、学問と実践で練りつめた有能の人を用いるという態度であれば、天下に在住する才徳の優れた英邁な士は皆悦んで役職を求め、不平なく安心して、調和し協力をしようと願うであろう。

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 『孟子』にある有名な言葉でありますが、明治が革命にならず、維れを新たにするという維新で立派にやれたということは、当時の人々の人物と教養の問題でありましょう。

 これは東洋の政治学で言うと、能率の究極は、「賢を尊び」、「能を用い」、「俊傑位にあり」というこの三つに帰すると、碩学として名声を博している安岡正篤先生も述べておられます。

 これは時代的に育まれた人々に、学問という栄養素で能力が培われ、それが教養として培養され、人物として称賛される人物像の輩出という結果がもたらしたものであると言えるでしょう。

 そういう意味で、明治の歴史は大成功をおさめたと言えると思います。これについて西洋の冷静な観察者が、世界史的な奇跡とまで称賛したというのです。

 ところが、この成功の陰に大きな錯誤があったと安岡先生は指摘しています。それは、西洋近代文明の模倣・再現に役立つ知識・技術の早期修得---という近代化へ向けての美名とされたことです。

 こういうことが骨格とされて、人間を養う、徳性を磨くという、いわゆる人間学が疎かになったと言うのです。

 実は、私共空手道場で求め学んでいるのが、「人間学」であるということなのです。人間学とは、これがなければ、人間の恰好をしていても人間でない、これあるによって人であるという、いわば本質的要素を構築することです。

 人が生活するためには、お金がいることは当然です。ところが、これが蔓延して政治家も官僚も、自分たちだけは特別な存在であると思い上がっていないでしょうか。

 贅沢をしなくても、ギャンブルをしなくても、人として楽しめる意義のある日々の生活は出来ると私は思います。

 人が生きる人生の値打は、煌びやかで華やかさばかりではないでしょう。有名人とされる人々の葬儀は、メディアが視聴率稼ぎに挙って報道するが、その最期が人々に知られなくても、生き方である日々の暮らしぶりが、人との対応が、仕事に対する情熱が、有名人以上に値打のある人は数多いるでしょう。

 風評に翻弄されず、ただ一途に生を全うすることが出来る人間こそが尊いのだと思うが、如何でしょう。

 幕末に活躍した山岡鉄舟も、そういう人物であったのだろうと想像しています。