タイトル----物を以て喜ばず。第1587号 25.04.30(火)
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物を以て喜ばず、己れを以て悲しまず。廟堂の高きに居らば、則ち其の民を憂へ、江湖の遠きに處らば、則ち其の君を憂ふ。是れ進むも亦憂へ、退くも亦憂ふ。(范文正公「岳陽楼記『文章規範』巻之六〔種字集〕小心文)
仁者というものは、富貴権勢あるいは美しい風物、いわゆる外物に接しても、別に喜ぶことはしない。また、どんな逆境におかれても、それがためにべつに悲しむこともない。(ただ自ら信ずることを日々堅実に実践するのである。)朝廷の高官の地位にある時は、自分の治めている民衆のことを心配し、都を遠く離れた野にあるときは、自分の主君のことを心配する。朝廷に入っても心配し、身を退いてもやはり心配するものである。
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前半の「物を以て喜ばず」の言葉を、日本空手道少林流円心会道場に額縁にいれてあります。それには南洲書としてあります。実は、荘内・致道館に伺った時、私がカメラに収めて来たものです。
西郷隆盛の英明な精神溢るる臓の腑から迸る心情でもあるのでしょう。そういう人物像を拝見した臥牛翁が、西郷隆盛は一世の泰斗、堯舜の世を目標にしておられたと詠んだのでしょう。人物は人物を識るということでもあります。
そういう高邁な人物から学んだ処世の要諦としての言葉を、菅臥牛翁が中心になり、『南洲翁遺訓』として刊行したものなのです。それをそこいらの新聞記者あがりが少しばかり文章を書けるからと言って改竄しようなどとは持っての外、歴史を冒涜するものだ、と論難してもいいでしょうし、南洲・臥牛両翁が悪ふざけはいけません、とお叱りになっているでしょう。そこまでして功を焦りたいのか、小人を自ら露呈していることなのです。
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今朝の学問館で381回になりました。今朝は一人で『臥牛 菅実秀』を一時間筆写してからお墓詣りに行ってきました。南洲翁にしても臥牛翁にしても、大人物となる過程には、普通の人が経験しない大事件に遭遇しているのだと、今更ながら驚き入り感銘の度愈々深しという処です。
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南洲が書き残しおり言の葉は
堯舜の世を今この世にと 3987 『文章規範』
天の理は仁義徳道姿変ゆ
その本質は正しき道理 翫習 『不動智神妙録』
深き思索そのよりどころ定規なり
それが義であり正しき道理 翫習 前掲書
東洋は実践本意の学問で
西洋すなわち全体観 華麗 不尽片言
東洋と西洋的な学問を
把握し統一「全一学」に 華麗 前掲書
士君子は愚かで迷う子羊を
言の葉持ちて救う技あり 3988 『菜根譚』142
難に遇い苦しむ人に出会いせば
ただの一言救うてやれる 3989 前掲書
飢えている時はまつわりついて来て
満腹なれば逃げる小人 3990 前掲書
小人は裕福なとこへは群がるが
落ち目になれば寄りつかぬなり3991『菜根譚』143
君子氏よ眼拭いて直視せよ
信念軽がる代えてはならぬ 3992 菜根譚 143
新徴組幕府直属応募すも
荘内藩に附属に反発 3993 『臥牛 菅実秀』
新徴組反発誤解は月山の
山麓開墾事業影響 3994 前掲書
幕府では新徴組を委任すと
同時に加封荘内に決む 3995 『臥牛 菅実秀』
実秀は勘定奉行小栗あて
申し入れたが小栗断る 3996 前掲書
実秀は既に加封の決定を
勝手に変更藩欺くことに 3997 前掲書
実秀は幕府の不信を晒すもの
不本意ながら藩これ限り 3998 『臥牛 菅実秀』