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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

物を以て喜ばず。

2013-04-30 17:31:29 | ブログ

タイトル----物を以て喜ばず。第1587号 25.04.30(火)

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 物を以て喜ばず、己れを以て悲しまず。廟堂の高きに居らば、則ち其の民を憂へ、江湖の遠きに處らば、則ち其の君を憂ふ。是れ進むも亦憂へ、退くも亦憂ふ。(范文正公「岳陽楼記『文章規範』巻之六〔種字集〕小心文)

 仁者というものは、富貴権勢あるいは美しい風物、いわゆる外物に接しても、別に喜ぶことはしない。また、どんな逆境におかれても、それがためにべつに悲しむこともない。(ただ自ら信ずることを日々堅実に実践するのである。)朝廷の高官の地位にある時は、自分の治めている民衆のことを心配し、都を遠く離れた野にあるときは、自分の主君のことを心配する。朝廷に入っても心配し、身を退いてもやはり心配するものである。

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 前半の「物を以て喜ばず」の言葉を、日本空手道少林流円心会道場に額縁にいれてあります。それには南洲書としてあります。実は、荘内・致道館に伺った時、私がカメラに収めて来たものです。

 西郷隆盛の英明な精神溢るる臓の腑から迸る心情でもあるのでしょう。そういう人物像を拝見した臥牛翁が、西郷隆盛は一世の泰斗、堯舜の世を目標にしておられたと詠んだのでしょう。人物は人物を識るということでもあります。

 そういう高邁な人物から学んだ処世の要諦としての言葉を、菅臥牛翁が中心になり、『南洲翁遺訓』として刊行したものなのです。それをそこいらの新聞記者あがりが少しばかり文章を書けるからと言って改竄しようなどとは持っての外、歴史を冒涜するものだ、と論難してもいいでしょうし、南洲・臥牛両翁が悪ふざけはいけません、とお叱りになっているでしょう。そこまでして功を焦りたいのか、小人を自ら露呈していることなのです。

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 今朝の学問館で381回になりました。今朝は一人で『臥牛 菅実秀』を一時間筆写してからお墓詣りに行ってきました。南洲翁にしても臥牛翁にしても、大人物となる過程には、普通の人が経験しない大事件に遭遇しているのだと、今更ながら驚き入り感銘の度愈々深しという処です。

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南洲が書き残しおり言の葉は 

            堯舜の世を今この世にと 3987 『文章規範』

天の理は仁義徳道姿変ゆ 

           その本質は正しき道理 翫習 『不動智神妙録』

深き思索そのよりどころ定規なり 

           それが義であり正しき道理 翫習 前掲書

東洋は実践本意の学問で 

           西洋すなわち全体観 華麗 不尽片言 

東洋と西洋的な学問を 

           把握し統一「全一学」に 華麗 前掲書

士君子は愚かで迷う子羊を 

           言の葉持ちて救う技あり 3988 『菜根譚』142

難に遇い苦しむ人に出会いせば 

           ただの一言救うてやれる 3989 前掲書

飢えている時はまつわりついて来て 

           満腹なれば逃げる小人 3990 前掲書

小人は裕福なとこへは群がるが 

           落ち目になれば寄りつかぬなり3991『菜根譚』143

君子氏よ眼拭いて直視せよ

           信念軽がる代えてはならぬ 3992 菜根譚 143

新徴組幕府直属応募すも 

            荘内藩に附属に反発 3993 『臥牛 菅実秀』

新徴組反発誤解は月山の 

            山麓開墾事業影響 3994 前掲書

幕府では新徴組を委任すと 

            同時に加封荘内に決む 3995 『臥牛 菅実秀』

実秀は勘定奉行小栗あて 

            申し入れたが小栗断る 3996 前掲書

実秀は既に加封の決定を 

            勝手に変更藩欺くことに 3997 前掲書

実秀は幕府の不信を晒すもの 

            不本意ながら藩これ限り 3998 『臥牛 菅実秀』


文辞のみを以てする者は陋なり。

2013-04-29 12:42:01 | ブログ

タイトル---文辞のみを以てする者は陋なり。第1586号 25.04.29(月)

 学問の本来の目的は聖人の道、すなわち道徳を体得し人生に如何に活用していくかということであります。そして自分の人生をより有意義に展開し、人様とも協調を図り、人生を謳歌するということでしょう。 

 ブログ第1584号(25.04.27)、「徳性を尊び問学による」『中庸』をさらに実践して行くことでもあると思います。『近思禄』は、次のように教えています。

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 聖人の道は、耳に入り、心に存す。之を蘊めば徳行となり、之を行えば事業と為す。

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 聖人の道は、耳から入って心の中に落ち着くものである。それを積み重ねると、徳のある行為となり、実践すると、世のためになる事業が生まれる。(最後は自分自身の幸せにつながるということです。)

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『南洲翁遺訓』の暗記にしてもそうであります。今は子どもたちは分からずとも、長ずるにつれて理解出来てくるのです。そして大事なことは、どんな難解な言葉であっても、書き写すということが大切です。

 この私は、大学も出ていませんが、40年間そのようなことを実践して参りました。今、こうしてパソコンに向かっていると、いろいろな言葉が洪水みたいに出てくるのです。

 学問というものはこういうものなのだ、ということを実感しています。そこで更に大事なことは「傲慢になってはいけない、威張ってはいけない」ということです。それを弁えて、前向きに前向きに進んでいけば長生きに繋がるのです。今時の教育ママが志向する、偏差値向上のみの姿勢では人間は創れないと思います。

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 標題の意味は、学問が文章を創作するとか、ただうまくなって人に誇るものであっては人格的にも卑しくなるということです。

 もっと崇高なものでなければならないのです。

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実秀は長州意向幕府へと  

             請願すると重役たちへ 3977 『臥牛 菅実秀』

実秀は帯刀槍も認めたが 

             甲冑着用これは認めず 3978 『臥牛 菅実秀』

甲冑の要求をした重役は 

             前言取り消し護送され行く 3979 前掲書

長州藩本国帰還請願を 

             幕府許可せず実秀嘆息 3980 『臥牛 菅実秀』

荘内藩江戸取締り功績を 

            郡内領地荘内加封 3981 前掲書

実秀は藩主忠篤側用人 

            命受け任務従前どおり 3982 『臥牛 菅実秀』

中老の権十郎と三郎兵衛 

            実秀布陣いよいよ強固 3983 『臥牛 菅実秀』

現実を真理は変革する威力 

            もっているもの是学問論 華麗  幻の講話

学問の基礎は常に異質的 

            両極切り結ばすことである 華麗 幻の講話

立派なる指導者その位 

            素して行い立つ場も素して 3984 『知命と立命』117

天与う運命からくり人の知恵 

            などで到底はかり知るなし 3985 菜根譚68

逆境を天が与えば順境と

            受け止め君子危急に対処す 3986 菜根譚68


民を愛するは、民を害するの始めなり。『荘子』

2013-04-28 13:24:09 | ブログ

タイトル---民を愛するは、民を害するの始めなり。『荘子』。第1585号 25.04.28(日)

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 民を愛するは、民を害するの始めなり。『荘子』

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 人々を愛することは、却って人々を甘やかせ害するはじめとなるということです。たとえば、法律を制定することは民を愛する、保護するためにするわけですが、その保護の度がすぎると、むしろ民を甘やかせ、害することになります。子どもの躾についても、可愛さあまって甘やかせ過ぎては、やがて不良という形でかえってくるということです。

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 74年間生きてきて、こういう事象を嫌というほど見てきました。一方に偏することがよくないということです。

 昨夜の空手道指導は賑わいました。今年の前半は荘内の先生方をお迎えするため、『南洲翁遺訓』の暗記に力を注いできました。ビデオを見て、『南洲翁遺訓』はお見事ですが、空手道技術の方が疎かになっているきらいがありましたので、上級・下級に分けて指導しました。

 下級の方は基本錬成をしながらの稽古でした。上級は約束組手を指導しました。この方式で行くと早晩素晴らしい技術の習得が期待できます。私の組手指導はそこいらのお兄さんたちとは全く異なるのです。師範連続組手を見れば頷ける筈です。持論を展開すると、組手が型であり、型が組手でなければならないのです。そしてそこに、優雅性もなければならないのです。そしてより肝要なのは、その技術に比例した精神の真摯性、等々がなければならないのです。

 そしてまた、支援学級の子どもたちのハッスルした姿は異様・威容に映りました。優くんは先週に引き続き、厳しさも含め指導しました。子どもの良心に呼び掛ける愛情としての叩くということなのです。今は意味不明の言葉を発していますが、本人は懸命にやっているのです。

 終盤の師範指導の際、木場師範にそれをしなかった場合の今後における問題点は何があると思うか、と問いました。曰く、何もしないということは、人間として導かれないということであり、生涯における無言の体罰だ、と応えてくれました。そうなのです。

 現在、メディアでは専門家と称する人が論評していますが、これは解せないことが多すぎます。分からない子どもを真人間にしてあげることこそがなければならないのです。

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東西の文化融合の具体的 

             縮図作りこそ日本の使命 華麗 幻の講話

心深き人が慎む事柄は 

             性と嫉妬と搾取なりけり 華麗 前掲書

心深き清らかな人こそ心得る 

             ことを心して警戒緩めず 華麗 前掲書

人間は孫の代まで我が一生 

             歩みのたらまし伝える義務が 華麗 前掲書

人間は自伝を書くと己の人生 

             確認すること出来るものなり 華麗 前掲書

落ち着いて忍耐づよく好機待ち 

             事処するなら成果万全 3978人望の研究

東大の教授講師言うのには 

             廊下走るな静かにとある 3979 『人望の研究』114

走りたいさかりの子ども走るなは 

             滑稽極まることと講師が 3980 前掲書

日教組講師団この講師 

             人物こそが滑稽である 3981 前掲書114

実秀言う長州藩士心情を 

             汲んで願いを遂げさせるべき3982『臥牛菅実秀』

実秀と論争をせし人物は 

             喧嘩博打が大好きという 3983 前掲書

犬喧嘩聞けば障子を蹴破りて 

             飛び出し大声けしかける人3984『臥牛 菅実秀』

六十を越してからでも火事聞くと 

             二里の遠きをかけて行くなり3985『臥牛 菅実秀』

実秀と治郎兵エ二人気の強き 

             者が衝突邸外出ても 3986 前掲書

 


徳性を尊び問学に道る。

2013-04-27 15:14:18 | ブログ

タイトル---徳性を尊び問学に道る。第1584号 25.04.27(土)

 「尊徳性道問学(徳性を尊び問学に道る)」という言葉が『中庸』に出てきます。この時の「徳性」というのは、人が生まれながらに持っている尊い性質のことで、誠と同義語と捉えてよいでしょう。天から授かった本性、それを失わないように、出来ればさらに磨いていくことが大事であるということです。

 そして問学によるは、学問、文献などによって学ぶことにより、己の誠を保って行く方法もあるということであります。このように修養には二つの方法があるということです。

 日本空手道少林流円心会で毎朝実践している「暁の学問館」は、後者に入るわけであります。学問館は今朝で378回を迎えました。今朝は、川内、吉野からも参画されまして8名で賑々しく学修しました。教材は、『幻の講話』『論語』『南洲翁遺訓』『菜根譚』等々でした。朝の新鮮な空気を吸い問学による実践をしているわけです。そして空手の舞、空手道型修行と極めて内容が豊富なのです。

 夕方の稽古には特別支援学級で学んでいる子どもたちもやってきます。この子どもたちの中で日本語が通じない子どももいます。この場合、今学校教育現場で忌み嫌われている体罰、いわゆる「叩く」ということを親の了解のもとでやっているのです。そうでないと、不幸な生まれかたをした子どもは、生涯治癒することなく人生を送ることになるのです。こんな可哀想な「人権無視」はないと私は思います。

 私が言う「叩く」というのは本人に「気」を入れてあげるのです。その瞬間は若干の痛みがあるでしょう。でもそのお蔭で健常者に近い子ども、人間に成長して行くわけです。

 山本七平著『人望の研究』には、「鞭でうたれても死なないのだ」「叩いて分からせてあげないと本人も親も駄目になる」という部分があります。ただ勝敗のみではなく、真っ当な一生を送って意義ある人生を味わわせたいという指導者の人類愛に燃えた思想が根底にあるのです。人がしない多くのお稽古事をしてきた私の勘から導き出される愛情のヒトコマなのです。

 だから、大学で勉強しただけでなく、社会の実践の場から生み出された処方と位置付けたいと思っているのです。半年で大変貌を遂げた中学一年生の男子の20年後に私はかけているのです。ただ勉強を教えるだけでは人間は正常性は培えないし、厳しい愛の鞭も必要なのです。

 学校の先生方でノイローゼで入院している人が多いやに聞きます。これは過去に教育の異常性から派生した今日的現象なのです。

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天の季は春夏秋冬乱る無く 

           鳥獣草木人活かしおりなり 3964 『論語』450

長州藩家臣心情憐れんで 

           一同本国帰国嘆願 3965 『臥牛 菅実秀』 

実秀は心情汲んで閣老に 

           請願言うも治郎兵エは否 3966 前掲書

実秀と治郎兵エ論争相反し 

           長州重役前でも未決 3977 『臥牛 菅実秀』


意を誠にす。

2013-04-26 13:10:44 | ブログ

タイトル----意を誠にす。第1583号 25.04.26(金)

所謂その意を誠にすとは、自ら欺く毋きなり。---故に君子は必ず独りを慎むなり。

                                           『大学』

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 私の『大学』の文庫本は、昭和59年1月27日に購入して以来、『南洲翁遺訓』と同様肌身離さず持ち歩いてボロボロになっています。青年時代はあまり勉強せず遊び呆けていましたが、会社に入ってから、猛然と古典を学びはじめました。

 今朝の学問館で377回になりました。今朝は『中庸』『言志録』『大学』等々を学修しました。74歳を迎えて思う事は、『南洲翁遺訓』他古典を学修して自分の人生を意義あるべく構築することの大切さであります。

 こういう素晴らしい学問を葬り去った教育関係者は、やがて天罰が来るでしょう。故にいびつな教育を受けた人々が現在子の親となり、反動教育のお返しとして先生方にクレームをつけ、真面目な先生方の多くが精神科にお世話になっているやに伺います。

 昨晩は第二道場で『人望の研究』に著述している悪ふざけの所を保護者に少し見てもらいました。学問の成果は永遠性がなければならないのです。今日、多くの保護者が偏差値向上に血眼になっていますが、今、学ぶべきは生涯への道であります。

 人様も自分も、素晴らしい人生であったと回顧して旅立ちたいものです。30数年間古典と格闘してきた私は果報者だと捉え、この喜びを門下生に伝授したい、ただそれだけです。

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一時の己の怒り義死美名 

             これは誤り不義の故なり 翫習 不動智神妙録

生命と欲と忠義を秤かけ 

             欲に死す者なんと多きや 翫習 前掲書

子を愛す者はつとめて懲らしめよ 

           ムチで打っても死ぬことはなし 3951 『人望の研究』150

己(国)修む所以は一つ誠なり 

            大和の國の国体準じ 3952 『中庸』135

聖人は力強きて健康で 

            英邁真摯模範たる人 3955 『言志録』

幕命を受けた荘内藩士らは 

            砲数門で長州包囲 3961 『臥牛 菅実秀』