タイトル----世渡りのコツは、人に一歩譲りましょう。第441号 22.04.26(月)
長い人生を生きて行く場合に大事なことは、出来れば他人と争そいごとを起こさない方がいいと思います。そしてまた訳のわからない人間と、トラブルを起こすことほど愚かなことはないでしょう。
私が電電公社を退職したのが、55歳の時でした。5年早く辞めたのです。電気通信工事真っ盛りの頃でした。請負工事の監督として総監督をしていたのです。次から次に工事が発生すめため、10人の監督に公平になるよう工事の進捗・安全・品質等々について当該工事を担当して貰わねばならないのです。
新しく工事が発生したとき、今度はこの工事を担当してくださいと言うと、受ける前から文句を言うのです。こんなに忙しいのにこれ以上面倒を見れない、と。私から見たら、そんなに負担には見えないのですが、出来れば仕事が少ない方がいいとずるい気持ちになり、最初から拒絶するわけです。そういうことで後輩の監督と喧嘩まがいの論争をしたものです。貴方は何処から給料を貰っているのか、と机を叩いたこともありました。それは、労働組合がよけいな仕事をしない、運動をしたのが影響もしているのでした。
このままだと本当に喧嘩をしなければならなくなる、と思い退職したのでした。その頃既に紹介する『菜根譚』は読んでいました。
〈世に処するに一歩を譲るを高しとなす。歩を退くるは即ち歩を進むるの張本なり。人を待つに一分を寛くするはこれ福(さいわい)なり。人を利するは実に己を利するの根基なり。〉(岩波文庫・今井宇三郎訳注『菜根譚』・菜根譚、前17)
通訳「世渡りをするには、先を争うとき人と競争をせず一歩を譲る心がけを持つことが尊い。自分から一歩を退くことが、とりもなおさず後に一歩を進める伏線になる。人を遇するには、厳しすきないように、一分は寛大にする心がけを持つことがよい。でも、甘やかしてはならない。この人のためにすることが、実は自分のための土台となる。」(前掲書)参照。
会社を退職したのは、分けのわからない人間と言い争いをするよりか、一歩も二歩も譲ろうと決心したからでした。いきなり退職したものですから、家内は私に泣いて抗議をしたものです。能力は大してなくても、かねがね真面目にしていたものですから、請負会社から働いて欲しいとの要請を受け、エコモという会社に再就職したのでした。結果的には、世の中を広く知ることが出来てよかったと思っています。それと前後して漢籍を購入し猛勉強を始めたのでした。大した成果はないのですが、早期の退職、漢籍との出会いは私の人生を大きく大きく広げてくれたのです。
71歳の誕生日を迎えて、若い師範たちと競争しながら、空手道と学問の競争をしている昨今です。私は織田信長の「死のうは一定」という考え方が好きなものですから、何事も体当たりで行くのです。つい先日、山本兼一著『命もいらず名もいらず』を読み、山岡鉄舟の生き方の凄さに圧倒されました。人間やれば出来るのです。でも、鉄舟と私とは天と地ほどの差はありますが。
時代も異なり、現代の人間は口は達者になりましたが、体力はひ弱になっています。精神もひ弱になり、楽をする方に流れています。西郷南洲翁の漢詩に「貧居傑士を生じ----」というのがあります。私は空手道場に来る青年たちにも、恵まれた貴方がただから、精神的に「貧居」のつもりで物事にとりくみなさい、と檄を飛ばしているのです。
生れた人間は必ず生を閉じるのです。生を閉じるその前までは生きている訳だから、トコトン生きてパタッと死にたいものだと思っています。思いっきり仕事をして、世の為人の為尽くしながら少し相手に譲り、そして自分の思いを遂げたいものだと思うのです。
相手に名誉を与え、かつ譲歩させると同時に一歩譲り、自分の世界を闊歩する、こういう生き方がいいと思いませんか。人生は二度ないのです。頑張りましょう。