第3727号 31.04.01(月)
詩に曰く、惟れ天の命は、於穆(ああぼく)として已まず、と。蓋し天の天たる所以を曰ふなり。於乎不顕なるかな、文王の徳の純、と。蓋し文王の文たる所以を曰ふなり。純も亦已まず。『中庸』295
されば『詩』には「天の文王に下したまへる命令は、ああ、みちみちて永遠に絶えることがない」と歌っている。思うに、この永遠に絶えることがないとは、天がありとあらゆるものがよりすがる、その生存の大本である理由を明らかにしているのである。続いて『詩』には「ああ、輝かしいかな、天命を受けて国開きなされた文王の徳の心こもりて厚いことよ」と歌っている。思うに、この心をもっぱらこめた厚さこそは文王が人の世に生きるものが、ひとしく最もよいこととして仰いでいる文という名を得ている理由を明らかにしているのである。このように、人間のもっぱらにこめる誠は、天とともに永遠に止まずつとめて、永遠に栄えるのである。
【コメント】ここでも誠の大切さを教えています。私共も誠の精神を込めた人間へと成長すべく日々に研鑚したいものです。
この冒頭にある「於」は、感嘆のことば、「穆」は、『詩経』清廟篇の毛伝に「穆は美なり」とあり、これが通義になっているが、朱子は、「穆は深遠なり」と解している。穆の字は、もと禾(か)の穂がこぼれるばかりに実っているさまにかたどるのであるから、充実が本義であるとしなければならぬ、とあります。
私は漢籍の言葉等々を連日ご紹介していますが、こういう言葉の持つ意味を各自が学び身に修め人生に活かして行きたいものです。
今朝のテレビでは日本人15人位が台湾に行き、そこから日本の高齢者の人々に振り込め詐欺同様の電話をしているのだと報道されています。お年寄りの人々を騙し金を収奪するなんてどういう神経を持った人々なのでしょう。こういう日々に手を染めたらやがて大変なことになるのです。
とにかく悪に手を染めたらいけないという教育を徹底して貰いたいものです。そのためには、先ず政治家各人がお手本を示して欲しいものです。
只今10時半です、間もなくすると新元号が決定し菅官房長官が発表することになります。新元号で平和で豊かな社会への道しるべとなって欲しいものです。多くの人は、「安全」「平和」であって欲しいと言っています。私はそこに「躾教育」も追加して欲しいものだと思っています。今日非違行為が罷り通っているのも、躾教育がなされていないからだと思っています。
昨日は健康スポーツランドに行きましたら、その昔電電公社で一緒に仕事をしていた東 蔦男様と30年ぶりくらいにお会いしました。プールが終って着替えをしようと着替え室に行きましたら、高齢の方のお尻の右側に切り傷がありましたので、この傷はどうされたんですか、とお尋ねをしたら私の方を向いた時、あ・東さんだと思ってお声をかけたのでした。今88歳になったとのことでした。毎日のように健康ランドに来ているとのことでしたが、初めてお会いしたのでした。私は昨日で1435回目でした。
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『善の研究』第181回
斯くの如き実在発展の過程は我々の意識現象について明かにこれを見ることができる。たとえば意志について見ると、意志とは或理想を現実にせんとするので、現在と理想との対立である。しかしこの意志が実行せられ理想と一致した時、この現在は更に他の理想と対立して新なる意志が出でくる。かくして我々の生きている間は、どこまでも自己を発展し実現しゆくのである。次に生物の生活および発達について見ても、此の如き実在の方式を認むることができる。生物の生活は実に斯の如き不息の活動である。ただ無生物の存在はちょっとこの方式にあてはめて考えるが困難で゜あるように見えるが、このことについては後に自然を論ずる時に話すこととしよう。
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『菜根譚』190
利を好む者は、道義の外に逸出し、其の害顕れて浅し。名を好む者は、道義の中に竄入し、其の害隠れて深し。
〔訳〕利欲を好む者は、初めから道義の外にはしり出て不義理を働くので、それは明白でだれの目にもつき、その害はむしろ浅い。これに反して、名声を好む者は、初めから道義の中にもぐりこみ仮面をかぶっているので、それはちょっと見るとわからず、それだけにその害はかえって深い。
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詩に曰く、惟れ天の命は、於穆(ああぼく)として已まず、と。蓋し天の天たる所以を曰ふなり。於乎不顕なるかな、文王の徳の純、と。蓋し文王の文たる所以を曰ふなり。純も亦已まず。『中庸』295
されば『詩』には「天の文王に下したまへる命令は、ああ、みちみちて永遠に絶えることがない」と歌っている。思うに、この永遠に絶えることがないとは、天がありとあらゆるものがよりすがる、その生存の大本である理由を明らかにしているのである。続いて『詩』には「ああ、輝かしいかな、天命を受けて国開きなされた文王の徳の心こもりて厚いことよ」と歌っている。思うに、この心をもっぱらこめた厚さこそは文王が人の世に生きるものが、ひとしく最もよいこととして仰いでいる文という名を得ている理由を明らかにしているのである。このように、人間のもっぱらにこめる誠は、天とともに永遠に止まずつとめて、永遠に栄えるのである。
【コメント】ここでも誠の大切さを教えています。私共も誠の精神を込めた人間へと成長すべく日々に研鑚したいものです。
この冒頭にある「於」は、感嘆のことば、「穆」は、『詩経』清廟篇の毛伝に「穆は美なり」とあり、これが通義になっているが、朱子は、「穆は深遠なり」と解している。穆の字は、もと禾(か)の穂がこぼれるばかりに実っているさまにかたどるのであるから、充実が本義であるとしなければならぬ、とあります。
私は漢籍の言葉等々を連日ご紹介していますが、こういう言葉の持つ意味を各自が学び身に修め人生に活かして行きたいものです。
今朝のテレビでは日本人15人位が台湾に行き、そこから日本の高齢者の人々に振り込め詐欺同様の電話をしているのだと報道されています。お年寄りの人々を騙し金を収奪するなんてどういう神経を持った人々なのでしょう。こういう日々に手を染めたらやがて大変なことになるのです。
とにかく悪に手を染めたらいけないという教育を徹底して貰いたいものです。そのためには、先ず政治家各人がお手本を示して欲しいものです。
只今10時半です、間もなくすると新元号が決定し菅官房長官が発表することになります。新元号で平和で豊かな社会への道しるべとなって欲しいものです。多くの人は、「安全」「平和」であって欲しいと言っています。私はそこに「躾教育」も追加して欲しいものだと思っています。今日非違行為が罷り通っているのも、躾教育がなされていないからだと思っています。
昨日は健康スポーツランドに行きましたら、その昔電電公社で一緒に仕事をしていた東 蔦男様と30年ぶりくらいにお会いしました。プールが終って着替えをしようと着替え室に行きましたら、高齢の方のお尻の右側に切り傷がありましたので、この傷はどうされたんですか、とお尋ねをしたら私の方を向いた時、あ・東さんだと思ってお声をかけたのでした。今88歳になったとのことでした。毎日のように健康ランドに来ているとのことでしたが、初めてお会いしたのでした。私は昨日で1435回目でした。
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『善の研究』第181回
斯くの如き実在発展の過程は我々の意識現象について明かにこれを見ることができる。たとえば意志について見ると、意志とは或理想を現実にせんとするので、現在と理想との対立である。しかしこの意志が実行せられ理想と一致した時、この現在は更に他の理想と対立して新なる意志が出でくる。かくして我々の生きている間は、どこまでも自己を発展し実現しゆくのである。次に生物の生活および発達について見ても、此の如き実在の方式を認むることができる。生物の生活は実に斯の如き不息の活動である。ただ無生物の存在はちょっとこの方式にあてはめて考えるが困難で゜あるように見えるが、このことについては後に自然を論ずる時に話すこととしよう。
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『菜根譚』190
利を好む者は、道義の外に逸出し、其の害顕れて浅し。名を好む者は、道義の中に竄入し、其の害隠れて深し。
〔訳〕利欲を好む者は、初めから道義の外にはしり出て不義理を働くので、それは明白でだれの目にもつき、その害はむしろ浅い。これに反して、名声を好む者は、初めから道義の中にもぐりこみ仮面をかぶっているので、それはちょっと見るとわからず、それだけにその害はかえって深い。
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