タイトル---拙著『礼節のすすめ』の紹介---5.第571号 22.08.28(土)
ブログ第570号に続きます。
原敬はこのなかで、勝てば官軍、負ければ賊軍と名言したのです。そして、ただ政見が異なっただけであると喝破したのでした。政見が異なるというのは、新生日本国の維れを新たにする勢力の対立であり、朝敵でも賊軍でもないと名言したのでした。
一年後の大正七年、原敬は東北出身では初の総理大臣に就任しました。その前は大阪毎日新聞に席を置き、健筆を揮った時代もありました。新聞社から政界に転じたのが四十四歳の時でした。政治家としての業績のひとつに、対米外交を重視し、軍部へのシビリアンコントロール構想を打ち出したことがあげられます。
原敬はグローバルな感覚を持った政治家であると同時に、今日見られない清貧をよしとする生活態度に甘んじました。多くの政治家が爵位をほしがるなか、「私は平民でいい」と一生を貫いたほどです。原敬のそういった姿勢は武士道の精神そのものでありました。
政治家の鑑であった原敬が政友会近畿大会に出席するため東京駅で神戸行きの列車に乗車しようとしたとき、暴漢に襲われ凶刀に斃れました。享年六十五歳、惜しみても余りある劇的な人生の終焉でありました。
日本国の列島を改造しようとした拝金思想を持った政治家に比べ、先見性、国際性等々多くの事業は忘却することの出来ない人々の喝采を博した偉業であると評価されました。そして清貧な生活態度と、倫理観あふるる政治家の人間像は、人々が永遠に語り継ぐにたる政治家の理想像でもありました。
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こうして拙著を紹介しながら、今日このような政治家がいないことに大変な寂寥感を抱いているのは私だけではないと思います。総裁予備選挙とも言われる民主党代表選挙に向け、双方ガップリ右四つに組んだ感がありますが、国民のために誰が身体擲って奔走してくれるのか、それぞれ功罪ありといえども、これから先のことなのです。総理大臣の椅子に長く座りたいという権力志向の人間は、今の日本の国にはいらないと思います。