味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

児童君実を誦し、走卒も司馬を知る。

2017-04-30 09:58:18 | ブログ
第3043号 29.04.30(日)
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児童君実を誦し、走卒も司馬を知る。『古文真宝』

 司馬温公は字を君実といい、人望厚く、そのためにどんな子どもでも君実という名を口ずさみ、世の下僕たちさえも司馬といえば必ずその名を知っていた。(蘇子膽「司馬温公独楽園」)538

 【コメント】今の日本に、人望があり、真面目で明晰で、人々から慕われているという人がいるでしょうか。多くは、ただ、意味もなく、ギャグを飛ばしている芸能人的な人ばかりのような気が致します。

 NHKでさえも言葉をはしおって言っているので、世の中おかしくなるばかりだとかねがね感じています。

 昨夜も空手道教室は賑わいました。稽古中に拳を握らず、ボオット立っているお兄ちゃんがいるので、その人にやる気を起こさせるのに大変でした。

 どんな子どもさんでも、愛情を注ぎ尽して行けば、何時かは取り組んでくれると信じています。17年目に入って見事に実践している人もいるので決してあきらめないことにしています。

 終盤に交通事故に注意するようお話しました。特に若い青年たちの暴走運転が目立つことをお話しました。運転免許を取得し、事故の経験のない人は未知の世界でのことですので、安易に考えているようです。

 一旦事故を起こしたとなると地獄に突き落とされた感じになるのですが、運転免許試験場ではどうにかならないものでしょうか。

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古典の教え 十五、『唐詩選』『老子』

『唐詩選』は、<人生意気に感ず。功名誰れか復(ま)た論ぜん>と教えています。「人生は心意気である。お互いが意気に感ずるところがあれば、もはや誰が成功したか失敗したかなどの功名を論ずるということは、論外である。気を同じくし、意義あるべく前身することが大切でありましょう。

『老子』は、<上善(じょうぜん)は水の若(ごと)し>と教えています。「水が上善である理由は三つある。第一に、水は万物に利沢を与えている。第二に、人間は一歩でも高い位置を望むが、水は低いところへ流れていく。第三に、低いところにいるから大川となり、さらに流れて海となる」。でしゃばると嫌われるし、出る杭は打たれるという言葉もあります。> 

 ※どんな難題がふりかかろうとも、試練と捉え、果敢に取り組みたいものです。

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短歌の紹介

 口入れる物有り難し西郷は それで満足何の不足ぞ

 雨が漏る愚痴言う妻に西郷は 日の本すべて雨漏りぞす、と

 真摯さを持ちて人世に名を遺し 伊牟田茂夫氏永久に眠れり

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『臥牛先生行状』(第4回)
 
 武藝ならはと思ひ定め槍術は無邊流土屋庄蔵の門弟となり、剣道は影流を學はれしも殊に槍術をすき給ひて勉強せらるるにそ土屋も其の気象の凡ならすして學ひの心篤きをめて奨励いと深かりしとそ(夫子後に語り給ふは槍術修業中元気の屈せるやありけん持ちたる槍の邪魔になり突き出されぬ様になり遺憾に堪えず其の時奮励して槍をひしひしと折り挫き後ろに抛棄て素手にて駆け込む気象にならんと思ひし事数々ありしとそ)

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国道あれば、其の言以て興るに足り、

2017-04-29 09:39:25 | ブログ
第3942号 29.04.29(土)
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国道あれば、其の言以て興るに足り、国道なければ、其の黙以て容れらるるに足る。『中庸』 
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 君子は、治にあるときと、乱にあるときはその処世法が全くちがう。すなわち、国家に道があるばあいには、自由に発言して国家を勃興するに足るような行動をする。国家が無道のばあいには、積極的な言行は避け、いわゆる明哲保身をはかる。162
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 【コメント】連日北朝鮮の事が話題になっていますが、軍の上層部の人々は、<国が無道>に思えるので、余計なことは言わず、定年まで勤め、退職金を貰う事を考えているのだと解説した人がいました。

 いいと思って発言してもお殿様と考えが食い違ったら、すぐ粛清されるから、戦々恐々としているとのことでした。それは当然予想されます。それに比べ、我が国では言いたい放題、マスコミを筆頭にしてその感がぬぐえません。

 発言した人の一寸した言葉しりを捉えて記事にするのですから、民主主義社会とはいい社会だなぁと思います。その言葉じりを捉えて書く人は、人格者的存在かと言えば、そうではなく真逆な人が多いようです。

 先ほど南九州市頴娃町別府小学校・教頭に就任した中島先生から電話がありました。保護者の方々に空手道の指導をすることについて、味園道場の中味をお話したら、みなさん大変お慶びになられたとのことでした。

 以前、鹿児島県民交流センターで空手道と『南洲翁遺訓』の発表をした際、別府小学校校長先生もご覧になられていたとのことで、大変喜ばれ、学校として協力をすると言われたとのことでした。

 空手道とは格闘技ではありますが、私に言わせると「学問」なのです。ところが普通、空手道をする人々は、どちらかというと喧嘩の対象にするのです。私がつきあってきた男たちも、学問には全く興味がなかったのでした。ただ強ければいいという程度でした。大学の空手道部を指導している男たちも同様でした。

 私は有難いことに『南洲翁遺訓』との出会いが奏功してくれたのでした。私自身が身体も小さいし、普通高校・大学へ行っていないので、そこを出た人に負けてなるものかという事を基本に勉強をしてきたのです。

 多量の月刊誌を20年以上購読し、片っ端から、書き写してきたのです。そしてNHK番組も教養番組は録画して学んで来たのでした。それはそれは素晴らしいものでした。

 そして漢籍をはじめ教養書を多量に購入し、それらを書き写した後で、カセットテープに自分で録音し、今でも聴いているのです。これほどいい勉強法はないと信じています。

 中島先生の別府小学校では、子供たちの将来に寄与する文武両道・空手道を指導したいと考えています。平和と繁栄を存分に味わっている日本国民は、私に言わせると平和ボケの状態にあります。

 戦争は絶対してはならないけれども、戦時体制に臨むような日々の生き方をしなければならないと考えます。礼節と謙虚の精神を培養することこそが喫緊の課題だと思うのです。

 人様には優しくし自らには厳しい人生でありたいものです。そのお手本が西郷南洲翁なのです。その人格と思想を日本中に轟けかしとして菅臥牛翁を中心として『南洲翁遺訓』を刊行したのでした。

 やがて味園道場の子供たちを引きつれて中島先生の学校へ応援に行きたいと考えています。

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古典の教え 十四、『文章軌範』『詩経』

『文章軌範』は、<功の成るは、成るの日に成るに非ず>と教えています。「物事の成功は、成功したその日に突然出来たわけではない」。かねてから少しずつの努力の積み重ねが成功という果実を生み出すのだと思います。成功する日を夢見て、楽しみながら邁進したいものです。

『詩経』は、<切るが如く磋くが如く、琢つが如く磨くが如し>と教えていす。勉強に勉強を重ね、修養に修養を重ねることでいずれも玉や石をみがくことにたとえたのである。切磋琢磨(せっさたくま)はこれから出た言葉です。成功者はこのように努力をするのだそうです。あきらめずに頑張ろう。
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短歌の紹介

 読書とは毎日読むと養分に 読書なければ衰えるなり 海江田愛実

 一歩ずつ小さな一歩を土台とし 立派な人間その土固め 中島瑠果
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『臥牛先生行状』(第3回)

 されは親父は幼年よりけなげなるさがなりけんと宣へり。其の二予幼少の頃だめと言へはだめとは町人の言葉なり。士はかりにも言はぬものそと戒められき是れ予か修身の大益となりしと宣ひぬ。其の三、予若き時より刀を好めりひさく刀を見る毎に良しと思ひ父に向ひほしといえはかひてよと申さる金はなしといへはさらは仕方なしといふのみにて一度もかふなといはれし事なし。然るに伊賀守道作の寸恰好気に叶いし刀賣りに出買ってくれられし時のうれしさ包むに物無く小躍りして喜び抱きて寝むけるといにし昔の舊事をまのあたりの様に懇々語り給ふそゆかしける往時源也故老の語るを傳へ聞くに父君は清廉寡欲にして武士道を嗜まれし人なりと)夫子つらつら思ひ給ふに性質文才に乏しくして博く経史に通し大儒とならんは覚束なし。

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昭昭の為めに節を伸べず。冥冥の為めに行に惰らず。

2017-04-28 09:41:43 | ブログ
第3941号 29.04.28(金)
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昭昭の為めに節を伸べず。冥々の為めに行に惰(おこた)らず。(『列女傳』仁智)
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 忠臣や孝子は、人が見ているかいないかによってその行いを変えることはない。689

 【コメント】上の解説にある<忠臣や孝子>だけでなく、しっかりした思想を哲学として保持していれば、行いは変えないであろうと思います。

 昨夜の空手道教室も元気のよい子供さんがたが、おいでくださいました。新しく入った超優秀な子供さんは、拳を握るのも大変な様子でした。でも、精神に邪念がないので、ワルはしないであろうと思います。

 でも、頭脳は明晰ですが、手足が思う様に動かないので、相当訓練をする必要があります。そうしないと社会人になってから人身事故を含めた諸々の問題が、続発する危険性があるやに思われます。

 電電の外線工事の安全指導を含めた監督を長年経験してきた私から見ると、極めて注意を要する人にあてはまると思えてならないのです。どんなに知的に優秀であっても、事故を起こして身体に損傷を受けると社会生活が上手く行きません。

 そういうことも含めて子供たちにお話したことは、やがて単車とか自動車の免許を取得するであろうから、無謀運転をして人生を誤まらないようにしてくださいとお話しました。

 26日、テレビで運転中の車間距離について、いろいろ話した内容を伝えました。テレビで解説した人は、3秒とか4秒を頭にいれて運転をすべきだというようなことをお話されました。

 それを見ていた時、それでは事故は減少しないですよ、と私は思いました。出来る者なら、万一車両事故を起こした場合、人身事故もあれば、治療費等賠償責任が伴うということ、そして双方の車両の修理費等々、莫大な金額になるということを教え喩すべきだと思うのです。
 
 特に免許取り立ての若い人々は、暴走をする傾向にあります。私は一日おきに健康スポーツランドに行くのですが、若い人が運転する車両の暴走行為が目立ちます。

 事故の経験のない若者たちはスピードを出して楽しむ傾向にあるのかも知れません。でも、万一事故を起こしたら莫大な金がいるのです。その上自分の身体も損傷することもあるのです。

 78歳を迎えた私が若い頃は、自動車は極めて少なかったのでした。自分で単車を運転して自損事故に終ったものですが、現在では必ず人身事故が伴うといっていいかと思います。
 
 そういうことをかいつまんで、子供たちに安全にして健康で長生きをする方法をお話した次第でした。空手道で身体を鍛えて、そして知的に優れていても身体を損傷しては何にもならないのです。

 兎に角お互い車両事故を起こさないようにしたいものです。

 そして大事なことはギャンブルをしないことです。パチンコ、競輪・競馬等々絶対に手を出してはいけないのです。

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古典の教え 十三、『墨子』『管子』

 『墨子』は、<天に法(のっと)るに若(し)くはなし>と教えています。「政治を行なう道は天にのっとるのがいちばんである。天は公平であり、万物を愛育する」この天の行いのように政治を治めれば、間違いはなく、人々からも幾久しく敬慕の念をほしいままにするでありましょう。これは、ひとり政治だけでなく、人生もそのように歩けば大きな間違いはないと思います。
  ※(敬慕とは、尊敬してひとがらをしたうこと。)

 『管子』は、<有道者は、能(よ)く患(うれ)いを未だ形(あら)われざるに備(そな)う>と教えています。「道をおさめた人は、世の憂患がいまだ形に現われない先に防止の準備をする」というのです。備えあれば患えなしという言葉もあります。事前の準備をするということが大切というのです。勉強もそうだと思います。  ※(憂患とは、うれい。きがかり。)
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『臥牛先生行状』(第2回)

 夫子わらはにておはせし頃近隣の児童と遊戯し給ふに木に登る毎に必ず上にありて人におくるるを嫌はれけるを母君の見給ひておこと今の様にておひ立んには畳の上にて死せん事心元なく覚ゆるそと戒め給ひけ十四五際に至り給ふ時父君宣ふは文なり武なり。汝か好む所にまかすへしいつれなりとも必ず人に越えたる者にならんと心懸けよとなり(夫子折にふれ閑話なされし三條を茲に誌るす其の一父か十三歳の時磯釣りに行かんと夜中すぎ門を出つれは隣にて盗人盗人と呼ふ聲聞えけれは立止りしに走り来るものありやにはに組付き足絡みをかけ共にどうとたふれし處へ人々寄集り押へけるも後に父上より粗忽のふるまひなりと戒められしと雨夜の話を時々聞けり----)
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人を挙ぐるには、須らく退を好む者を挙ぐべし。

2017-04-26 17:44:37 | ブログ
第3940号 29.04.27(木)
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人を挙ぐるには、須らく退を好む者を挙ぐべし。『宋名臣言行録』
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 人を登用しようとするときは、なるべく退いて仕えを求めないというような人間を採り用いるがよい。自分から採用してほしいと熱望するような人を挙げ用いると、必ず失敗するものである。625
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 【コメント】人間が真面目に働くかどうかを調べる時は、傾向としては解説にあるとおりの場合が多いように思われますが、それが総てではないのではないでしょうか。

 人間の奥底に秘められた、真摯さ、根気、やる気、粘り強い継続心があるかどうかを観察する必要があるように思われます。

 昨夜は、数年前円心会空手道教室に入会しようとして果たさなかった子供のことで、電話がありました。その子供がいろいろイタズラをしているみたいで学校の先生も手を焼いているとのことでした。

 私の空手道教室は全国にある空手道教室の指導内容とは、中身が異なると思います。それは家庭の都合で上級学校へ進学出来なかったこともあるため、電電に入社後、独自で勉強してきたのも理由のひとつにあります。

 それは鹿児島の現在の自宅に道場着き家屋を新築することにした際、岳父から、君は学問がないからいい人を紹介するから師事して学びなさいと言って、谷山市教育長であった平井政明先生を紹介されたのでした。

 平井先生は、南洲神社で勉強をしている南洲会の責任者的存在でした。それをきっかけにして『南洲翁遺訓』を学ぶことになった次第でした。

 それ以来、空手道教室で空手道と『南洲翁遺訓』を教えることになりました。それは42年の歳月に及んでいます。ですから空手道教室に通う子供たちは、しらずしらずの内に『南洲翁遺訓』を覚えてしまうのです。

 道場の「五条訓」の一番最初は、

 1.私は空手道を修めるに当たり、その精神に則って、健全なる心身の養成に努めます、と高らかに宣言しています。

 この五条訓に違わぬように、半世紀にわたり、南洲翁遺訓他漢籍を繙いているのです。

 ところでどんな優秀な子供であっても、長い人生を生きていくためには、未知の世界で知らないことばかりですので、道を誤らないように指導をしなければなりません。

 そういった意味では、高校時代、深夜の電報配達をしている頃、少年警察共助員を拝命したお蔭で、子供たちの非行防止のお手伝いが出来るようになりました。

 男の子は女子と違い能動的であるため、すぐイタズラをしがちです。そういう時期に非行に走らないようにするためには、大変大事な時期だと思います。

 子供は自分ではお金はもっていても、スリルを求めて物を盗んだりするものです。同窓生であった税理士の息子は何時も物を盗んでいたものでした。十數年前お亡くなりになりましたが。
 
 そういう幼少期に道を踏み外し、非行少年のレッテルが貼られたら取り返しがつかなくなります。そこで私の空手道教室では学問のすすめと礼儀正しい青少年育成に励んできたのでした。

 これからも初期に掲げたテーマをわすれることなく、門下生ともども斯道に取組んで参りたいと念じています。
 とにかく刑事事件の被疑者になることのないよう、厳しい躾も大事なのです。

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古典の教え 十二、『貞観政要』『孫子』

 『貞観政要』は、<人久しく相与(とも)に処れば、自然に染習す>と教えています。「人は長い間いっしょにいると周囲に感化されそれが身につくものである」というのです。例えば勤勉な人とか、至誠の心がある人と交わり、よい感化を受けたいものです。
 (感化とは、人に影響を与えて、心・行いを変えさせること。)

 『孫子』は、<戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり>と教えています。「戦わないで敵を屈服させることこそ最善である」というのです。かねがね相手の長所・短所を観察し、いざという時に備えたいものです。勉強にしても、予習復習が大事だということでしょう。  ※(最善とは、いちばんよいこと。できるがきりのてだて。全力。)
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『臥牛先生行状』(第1回) 「臥牛先生行状」(大正十三年赤沢源也著)をできるだけ忠実に写したものです。
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 夫子は天保元庚寅の年正月八日鶴ケ岡元曲師町に於て生れ給ふ、幼名は秀太郎避ける所ありて秀三郎と改め後ち善太右衛門と称す。諱は實秀字は子發祖菅善左衛門。君は肥後の人天草の兇徒起りし時寺澤侯に従ひ奮戦す。寺澤氏亡びて大久保侯に仕ふ我か長壽公其の驍勇なるを聞こし召し招きて禄百五十石を賜ふ。夫子に至りて八世御父は久十郎母君は菅野某の女なり資質尋常ならず。
 (文章に「、と。」がないことと漢字が昔風であるので、難行苦行をしています。)

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己れに如かざる者を友とする無れ。

2017-04-26 10:13:53 | ブログ
第3039号 29.04.26(水)
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己れに如かざる者を友とする無れ。『論語』(学而)
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 人はしばしば、自分以下の人で自分に迎合する者を友人としがちである。しかし、それでは自分の向上にはプラスとはならない。自分よりも学問・経験にすぐれた者を友人にもつよう心がけるべきだ。22
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 【コメント】上の解説にあるように、人間伸びるためには、<学問・経験にすぐれた者を友人>にもつようにした方がいいという事は誰でも理解できる論理だと思います。

 でもそういうことだけを思って人を選択することはいいことでしょうか。どういう人であっても、その時が天が与えてくれた時だと心得て、どんな人とも喜んで交流すべきだと私は思うし、そのようにしてきました。

 仮に学問・経験がすぐれていなくても、共に研鑚するところに意義があるように思います。でも、生まれながらにして、文字を読む、書くということに嫌いな人もいるものです。でもそういった人でも温かく見守ってあげたいものです。

 こちらが親切にしてもその意味がわからず、未熟な世界・人生を突っ走る人であっても、より豊かになる様アドバイスをしてあげたいものです。

 今日は頴娃町別府の中島邸に行く予定でしたが、諸藩の都合により中止することにしました。昨夜、中島先生とお話しました。中島先生も管理職となり、大変多忙とのことですし、先様の都合がよい時に伺うことにしたいと思います。

 中島先生によると、本人が真面目であるし、おだやかでもあるので、仲間の先生方から大変厚い信頼を得ているのだそうです。

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古典の教え 十一、『孝経』『史記』

 『孝経』は、<孝は徳の本なり。教えの由って生ずる所なり>と教えています。「親孝行は人情の自然に発するものであるから、すべての道徳の根本であり、同時にまた、教育の根元となるものである」というのです。親孝行をするということは、自分を大事にすることだと思います。
  ※(人情とは、人に自然に備わっている、なさけ、おもいやり。)

史記』は、<交わり絶ちても悪声を出ださず>と教えています。「立派な君子と言われる人は、絶交したからといって、相手の悪口をいわない」というのです。どんな人にも人権はありますので、別れた人に対して名誉を与え、褒めることが出来る度量の大きな人間になりたいものです。 ※(度量とは、他人の言行を受け入れる、心の広さ。)
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『臥牛菅実秀』(第571回)
        跋

 語に曰く、命を知らざれば、以て君子たること無きなり、と。今この命を、使命と見るならば、自ら省みて愧恥するのみである。
 赤沢経言が、侍鳴鶴堂寿筵禱祈文に、臥牛先生の精神を陳べて、
 噫先生自南洲先生之没。夙察歴運之数。退而輔翼二公。以教学自任。諄々不倦。二十余年。猶一日也。老而益壮。居恒称曰。縦当吾世。不 能觀天子之耿光。揚南洲之大烈。有後進之士善弘斯道者。吾骨不朽矣。
そして
 鳴呼今先生所創基既立矣。所垂緒己就矣。
と結言された。
 今茲此の「臥牛菅実秀」の刊行は、赤沢経言、加藤景重両翁を始め、荘内先賢の志を、暉光更に新ならしめるものがあると思う。そして又、此の書を心読する時、わが郷土荘内の山河の、永遠にうるわしい所以のものを、わが胸奥に感得されてならないのである。
 古訓に、夫れ孝は、善く人の志を継ぎ、善く人の事を述ぶる者なり、とあるが、此の一書は、酒井忠明氏を中心とする同人の、繼述の厚い心に発し、加藤氏の精誠に依って成されたもの、後進使命を担う者にとって、誠に得難い大幸というべきである。
 願くはわれ人共に、座右の書として心読味誦し、臥牛先生の大精神に触れて、善繼善述の志を厚くし、更に進んで、臥牛先生遺教を学び、依って以てわが使命に振起したい。それは又、わが郷土を愛し、わが祖国を憂うる者の「真の道」にたがわぬことであろう。
  昭和四十一年初夏
                     財団法人 致道博物館
                     館 長  犬 塚 又 太 郎
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 以上で、著書『臥牛菅実秀』を572回に亘って、ブログにてご紹介させて戴きました。愛蔵書として書棚に保管して10年以上となり、数回拝読してきましたが、今回少しずつご紹介しながら、私自身大変勉強になりました。
 私の空手道教室には小学生で菅先生に憧れている子供もいますので、子供たちの人生の財産となるべく、指導して参りたいと存じています。
 拙いブログではございますが、これからも続けて参りたいと存じていますので、今後ともご叱正を賜りたくお願い申しあげます。
 誠にありがとうございました。
 
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