味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

人生は妙味津々。

2012-04-30 12:24:09 | ブログ

タイトル---人生は妙味津々。第1230号 24.04.30(月) 

 寺田一清著『森信三のことば』よりご紹介致します。

 

 21 人生は妙味津々

 もし諸君らにして、真に意義ある人生を送ろうとするなら、人並みの生き方をしているだけではいけないでしょう。それには、少なくとも人の一倍半は働いて、しかも報酬は、普通の人の二割減くらいでも満足しようという基準を打ち立てることです。そして行くゆくは、その働きを二人前、三人前と伸ばしていって、報酬の方は、いよいよ少なくても我慢できるような人間に自分を鍛え上げていくのです。(「修身教授録)

. 実際、人間というものは「小労多益」をもとめるのですが、平常から「多労小益」を心がける位の人間でなくては、真の意味の成功者になれないということです。こうした点について、森先生は、「人生は妙味津々」と仰言っておられるのですね。

. 〔コメント〕 今朝、学問館で学んだところです。私も大体似たようなことをしてきましたが、論理の指摘と隔絶しているところです。成功者でない、ということです。

 先般、子どもたちの歩いている処に車が突っ込み子どもたちが重軽傷などの怪我をされました。三回目の二日前、二、三日中にまた同様の事故があるかも知れないな、と話した直後に同様の事故が起きました。

 昨日は大型バスが過去に類例を見ない事故を起し、多数の死傷者が出た模様です。同様の事故が三回起きると言われますが、そういう事故の起こらないようにと願うばかりです。

 週刊現代5.12号を買いました。分厚い冊子で、女の子のヌードが一杯ありました。それらをすぐ破り捨て、10枚だけになりました。〈堺屋太一「橋下徹という男について、「覚悟と品性」いま日本人に問われていること、全国民必読・曽野綾子*クライン孝子〉の記事を読みました。曽野氏ら曰く、「日本人はあの大震災から何を学んだのだろう。安心して暮らせる世の中など、どこにもないのよ---まずはその覚悟を持つべきだと、お二人は話す」、とあります。

 全く同感です。そういう感覚を学修する意味において『修身教授録』は厳粛にして明解なお教えをしてくれています。それらを学び活用した人は救われるでしょう。そんなのが何があるものかと天理を一笑に付す人々へは、またまた警告があるのだろうか、と考える今日この頃です。今、わが国で最大権力を有している政治家の先生方のやり方は真逆を突き進んでいるような気がしてならないのです。

 国民の幸せとは、どういうことなのかと、ご熟考あらんことを!


賢い子どもの養育。

2012-04-29 14:29:18 | ブログ

タイトル---賢い子どもの養育。第1228号 24.04.29(日)

 

 子どもが健康で、優秀で、善い仕事につき、そして長生きしてほしいと多くのご両親は願っていると思います。そのためには、現代のIT文化と調和のとれた育て方がよろしいのではないでしょうか。

 街角でみかける子どもの多くが、ゲーム機を持ち、それで楽しんでいる風景がみられます。それも大変いいことだろうと思います。でも、たまには、裸足でドロンコになったりする遊びもいいように思うのです。私どもの頃は、素足で野山をかけめぐったものです。

 そして朝読み夕読みもさせられたものです。私の道場に来る子どもたちは、難解な漢字が出てくればそれを書き写すのに大変嬉々としています。そして字がうまいのです。師匠の私が子どもたちに教えられています。

 大いに遊んで、学んでと調和のとれた日々であるようにと、大人は気配りをしたいものです。

 昨夜の空手道稽古は、4歳児たちが大はしゃぎでした。73歳の私も幼児になりました。これも教育スタイルの一環なのです。

 今朝の学問館には新人師範が参加してくださいました。社会で発生する出来事は我がことと捉え、自らを律する糧にしたいものです。そういう意図で学問館に参加してくれたのです。幾ら俺は大事だ、と思っていても、つい気が緩むことだってあるからです。


「困」の字義。

2012-04-28 12:33:23 | ブログ

タイトル---「困」の字義。第1227号 24.04.28(土)

 「困」の字義

 「困」という字は面白い。囲いの中に木を入れてある。木という物はぐんぐん伸びなければならない。それをこういう所へ入れてしまったら、これくらい木の困ることはない。つまり伸びられないというのが「困」という字である。閉じこめられてどうにも伸びようがない。頭を押さえられて伸びを止められてしまう。その苦しさを「困苦」というわけである。しかしこれはなかなか打開できない、難しい、これが「困難」。そうして縮こまってしまうというのは、これは「困窮」。(安岡正篤著『知命と立命』)

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 今朝の学問館も大分意義がありました。暁に森信三先生の『修身教授録』を読むと、現代贅沢社会にどっぷり浸かっているわが身を洗ってくださるのです。時事問題等々に言及したものですから、何時ものカリキュラムが消化できませんでした。が、寧ろ、有意義であったと思います。

 ある商売をしている人が、取引上大損失を被ったそうです。最初は大したことはないと思っていましたが、日々の小さな損失が重なると、年数に比例し多額になります。損失を被ったその方は、肌の優しい実直にして誠実・勤勉な人でした。宝くじでも当たれば、心根のやさしい人に持って行ってあげるのだがなぁと若手師範に話しました。

 そこで老い先短い先輩として、次の話を致しました。

 1.贅沢をするなかれ。(テレビで大学教授らが栄養学と称して、いろいろ話しているが、それらは生命にどういうことはないのです。)2.金銭に恬淡とあれ。3.なんでもおいしく戴くこと。4.ゴミ箱のものでも食べられるものは穢くない、それを否とする人間の心こそ腐っている。5.いい加減で死するが是か、学問道に徹するが是か。6.一円の不正もすることなかれ。7.精一杯仕事をし、学問をし、悔いなき人生送るべし。8.小さな不正も積もれば大罪也。子供に訓戒すべし。

 私は町内会長就任にあたって、一円の不正もすることなかれ。仕事は命がけでやると誓い、毎日10時間の仕事をしました。一年に3600時間です。ゴミ収集車が来た時は、その先頭を走り、次のゴミステーションまで走ったもまです。

 これが健康増進につながるのです。

 

 ある子供が学校でいじめを受けたと、両親が紅潮した顔つきで話しました。どうしたものかと。

 そこで私は、刃物で傷つけられたのなら、先生に話し、処置して貰いなさい。木などで打たれそうな場合も同様です。でも、ホッペタ一つくらいなら死ぬわけではないから、忘れなさい。殴った相手を憎まないことが大事でしょう、と話しました。そのためには腕力も精神も強くなるために、空手の稽古を休まないようにしなさい、と言いました。

 道場では、それはそれは凄い取っ組み合いをしているのです。私は横で見てへらへら笑っています。そういうプロセスを経て人間は強くなって行くのです。


南洲会学修会が昨夜ありました。

2012-04-25 17:15:11 | ブログ

タイトル---南洲会学修会が昨夜ありました。第1223号 24.04.25(水)

 昨日は大忙しでした。午前九時に所用で鹿児島空港へ行きました。帰りは国道十号線を走りました。そして知人の自動車販売会社社長宅の前を通過するため、立ちより近況の報告を致しました。自宅へ帰り着いてからブログ書き等の日課の学修をしました。

 午後四時に自宅を出て健康ランドに行きました。五時出発で南洲神社の学修会に参加しました。昨夜は十人集まりました。学修会は第一章から五章までを学びました。過去三十年間の間に何回繰り返し読んだものでしょう。『南洲翁遺訓』の味わいが得も言えぬ響きを持って胸に迫りくるのを感じ、学修会に通い続けて良かったとしみじみ思います。

 参加した方々にお叱りを受けることを覚悟で学修会の感想を書いてみます。全員で読む時の速さがまちまちである。これはよくないことであります。そして読む速度が速すぎる。

 『南洲翁遺訓』の家元・荘内南洲会の先生方の読み方は誠に風情があります。そして重厚さがあります。奥行きがあります。腹がどっしり座っています。風格があります。そこに『南洲翁遺訓』の精神が彷彿としています。大人の風格があります。荘内南洲会の学修会は大人の雰囲気であり、当事者の境地です。

 一方、昨夜の読み方は、荘内南洲会に比較し青年の域です。だから私共薩摩南洲会では荘内南洲会風学修をしているのです。

 それにしても頭山立雲先生の解説は、今の国政を論じているようです。曰く(第二章)、

「政治家というものは、善いことをして飯を食っとるものじゃ。ことろが近頃ザラにある政治家という手合は、善いことどころか、悪いことをして飯を食う者のようになってしもうた。大変な料簡違いじゃ。自分らが悪いことをするくらいなら、まだいいとしても、先に人がしておいた善いことまでも、叩き壊してしまうようなことをしょるて。」

 新鮮さを装ってマニュフェストを提示したはいいが、全くのデタラメということは悪いことをして飯を食っとると同次元なのです。それでいて「不退転の決意」と平気で言う無神経さは教育上も良くないのではないではしょうか。

 皆さん、『南洲翁遺訓』を読んでください。学んでください。最初は難解ですが、了とする時がくるのです。何事も一朝一石には行かないのです。


徳は本、財は末。

2012-04-22 15:50:24 | ブログ

タイトル---徳は本、財は末。第1220号 24.04.22(日)

 寺田一清編『二宮尊徳一日一言』、4月22日をご紹介致します。

 

 4月22日 徳は本、財は末。

 

 徳は本なり、財は末なり。本を外にし末を内にすれば、民を争はしめ奪ふことを施す。(金言集)

【註】 徳とは人格・品性をいう。この徳を養うことが、何より根本の第一義であり、財の蓄積は第二・第三の問題で本末を誤ってはならない。

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〔コメント〕 講談社学術文庫『大学』を購入した本に昭和29年1月29日の日付印が押印されています。28年前のことです。爾来『禅とは何か』、『古典の叡智』等々持ち歩いてきました。こういった数々が私を救ってくれ今日に至っているのです。

 世相はめまぐるしく変化していますが、人間は、幸せな人生、楽しい人生を期待し日々を営んでいると思います。特に時代が進むにつれて漢字文化は遠のいているような感が致しますが、人々に生きがい、幸せ感をもたらすのは、今回ご紹介した「徳は本、財は末」というこういった言葉ではないかと思うのです。

 ですから、最初は取り組みがたいとお思いになるでしょうが、年輪を重ねるごとに理解度が増し、繙いてよかったと思える日々がくると思います。こういった一見関係ないと思われる言葉を座右に置き日々の糧とすれば、より意義ある成果が期待できると信じます。

 話代わって、

 次期衆議院選挙の予想がインターネットに踊っています。民主党には大変な逆風が吹き、壊滅的とも言える結果をもたらすであろうと書かれています。そして重鎮と言われた人々が落選を恐れて出馬を見合わすとも。曰く、

「政権交代後、国民を裏切り続けているのだから、自業自得だろう。民主党はオシマイだ。」 政治ジャーナリスト・小谷洋之氏、とあります。

 裏切り続けてと書いていますが、初めて政権を担当し、これでよかろうという施策が国民が期待することとは裏腹であったということなのでしょう。善意のつもりが善意でなかったという処に社会経験の浅さがあったのかも知れません。国民は当面の経済的豊かさを期待し、日々の安寧を願ってはいるものの、長期的安定を口にする若い人々が存在するということは力強く、有難いことだと思います。