タイトル----天下を理むるにも亦柔道を以て之れを行わんと欲す。第1887号 26.02.24(月)
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天下を理(おさ)むるにも亦柔道を以て之れを行わんと欲す。『十八史略』
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わたしは天下を治めるにも、おとなしいやり方、徳の道をもって治めようと考えている。(光武帝のことば)
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吾天下を理むるに、亦柔道を以て之れを行わんと欲す、と。上、兵閒に在ること久しくして武事を厭ふ。-----剣を鳴らし掌を抵ち、志を伊吾の北に馳す。上、書を報じて、告ぐるに黄石公の包桑記を以てす。曰く、柔能く剛に勝ち、弱能く強に勝つ、と。是れより諸将敢て兵を言ふもの莫し。 (明治書院『十八史略』)頁362参照。
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「私は天下を治めるにも、やはりおとなしいやり方で行こうと思う。帝は長年戦場に在ったので、軍事を厭い、蜀が平定した後は、危急の出来事でない限り、軍事のことは決して口にされなかった。------二人の武将が剣を鳴らし、掌を拍って勇み立ち、心はすでに北地に飛んでいた。
だが帝は、その上書の返事に、黄石公の「包桑記」を引用して、告げ諭していわれるには、「柔能く剛に勝ち、弱能く強に勝つ-------その意味は、柔らかなものがかえって剛い者に勝ち、弱い者がかえって強いものに勝つことができるというにある-----」と。
それ以後、諸将は誰も戦のことを口にする者がなくなった。
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【コメント】
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大変参考になる訓戒であります。これは戦闘のことを説いているわけですが、私どもの日常生活にも参考になる教えであると言えるでしょう。
そこで、人様との対応は礼を尽くして対応することが肝要だと思います。敢えて他人に勝ちたいと願うなら、『南洲翁遺訓』第24章、第25章の教えのとおりにやればいいと思います。
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このところ空手道指導の際、この条文を力説することにしています。あと一週間で荘内南洲会の先生方が鹿児島に来る訳ですが、鹿児島南洲神社での『南洲翁遺訓』拝誦はこの二章を拝誦することにしているのです。
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西郷南洲翁の訓戒でもある処世の要諦を、寒風の吹きすさぶ風雪に耐えた荘内の菅臥牛翁を中心として練り上げたこの教えこそ、王道への訓戒であると存じます。
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このことは中村天風先生、森信三先生、安岡正篤先生、山本七平先生、幸田露伴先生という歴史に名を轟ろかせている先人たちも同様に論じておられます。まさしく天の理に基づく思想・思考だと思う次第です。
私が存じあげてきた荘内南洲会の先生方は、『南洲翁遺訓』の訓戒どおり、見事な人生道を闊歩されていると何時も拝見しています。荘内南洲会理事長・水野先生からご恵贈賜りました『名君忠徳公』ほかの文献を拝読した保護者の皆様が、当該ご著書に魅了され唸っています。日本空手道少林流円心会一門、これからも愈々学修を重ねて参りたいと存じています。
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人生を全きに行きたいと願うなら、一人静かに南洲翁遺訓の教をこそ踏襲すべきだと考えています。人様に勝たなくてもいいのです。天が観ているのです。
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短歌の紹介
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他人様におだやか対応して行けば
難解事案もうまく行くなり 6605 『十八史略』
人の行天が裁定してくれる
今は負けても天の理が勝つ 6606 博庵語録
南洲の遺訓繙け漢籍も
そこに王道楽土生き方 6607 博庵語録
明治八実秀一行見送りを
受けて新橋駅を出発 6608 『臥牛 菅実秀』
一同の服装木綿の着物着て
股引き草履一刀腰に 6609 『臥牛 菅実秀』
鹿児島へ土産反物道中の
薬両口斜めに背負い 6610 『臥牛 菅実秀』
一行は春日神社を参拝す
石川境内立小便す 6611 『臥牛 菅実秀』
二平はんお前霊地に不敬(立小便)した
何のことやら石川キョトン 6612 『臥牛 菅実秀』
境内はおそれ多くも天皇様
お歩き尊いトコに小便 6613 『臥牛 菅実秀』
何たるかお前はそこにいばりした
チンを見てみろ曲がってくるぞ 6614 『臥牛 菅実秀』