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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

事に臨んで懼る。

2014-02-28 13:11:23 | ブログ

タイトル----事に臨んで懼る。第1891号 26.02.28(金)

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 事に臨んで懼る『論語』

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 大事に直面しては、むしろ、戦々恐々として、身を慎むべきだ。これは決して臆病からではない。

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【コメント】

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 大事に臨んでは、気を張り詰めて、精魂込めて臨まなければならないと思います。昨夜の空手道終了後、荘内南洲会の先生方がおいでになった際、小学四年生が棒術をするので特訓をしました。二週間前指導したのですが、子どものこと、厳粛さがなかったので、厳しく教えました。

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 たとえ子どもであっても、人様の前で演武をする時は、真剣にやらなければならないのです。

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 その昔、鹿児島県空手道連盟主催で、各流派ごと30分の型演武をしたことがありました。鹿児島県で一番偉いとされる大師範が棒術をしましたが、3回やり直しました。大衆の前で3回もやりなおすなんて、何と厳しさのないことだろう、と思ったものです。

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 その御仁は大金持ちらしく、私は県議よりか偉いし信用があるのですよと話してくれました。私が銀行に行けば三千万円くらいはすぐ貸してくれるのですよとも教えてくれました。

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 金を持たない私どもには分からない世界の話でした。

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 今朝は8時から、明日荘内の先生方がお見えになるので、子どもの座席つくりをしました。たまには大工をしたり、いろいろとやる事は刺激になっていいことです。

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短歌の紹介

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ノコ引けば大工技術がすぐわかる

               素人ノコ引きノコ可哀想 6632 博庵語録

荘内の人士研修旅行日は

               天も喜び超快晴に 6633 博庵語録


徳惟れ一なるときは、動いて吉ならざる罔し。

2014-02-27 10:20:19 | ブログ

タイトル----徳惟れ一なるときは、動いて吉ならざる罔し。第1890号 26.02.27(木)

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 徳惟れ一なるときは、動いて吉ならざる罔し。『書経』

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 純一無垢の徳を保っていれば、その人はなにを行っても吉、すなわちよい運命に恵まれるものだ。

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【コメント】

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 徳、忠恕、真摯、継続、至誠等の概念をたえず心に持ち続けることが出来て、そして実践できれば幸せな人生が送れると思います。

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 昨日は、3月1日、荘内南洲会の先生方がお見えになりますので、小雨の中、子どもたちが座れる場所づくりをしました。シートをかぶせるのは明日金曜日早朝にすることにしました。気の合った仲間とこうして仕事が出来るということは大変有難いことです。

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 今朝の学問館は683回になりました。『言志後録』、『名君忠徳公』、『南洲翁遺訓』を拝読しました。

 『南洲翁遺訓』を拝読すれば、目の前で小野寺先生がご講話をしてくださっているようです。

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 『南洲翁遺訓』、「まえがき」に、

〈我々が念願して止まないものは、第一は、西郷南洲翁遺訓を学ぶことで正しく南洲翁を理解すること、第二は南洲翁遺訓によって真の人間性を確かなものにすること、第三は世の方々に一人でも多く南洲翁遺訓を読んでいただくことである。

 このことを通して多くの方々が、西郷先生の真精神により己れの偉大なる持てる力に気付いていただき、共々に世の為に人の為に盡くすことを誇りとすることが出来れば何よりも有難いと思うのである。〉

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 短歌の紹介

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乾杯の音頭を発す勝氣翁

            荘内人士英邁士来ると 6629 博庵語録

荘内の土壌が人々産み育て 

            南洲臥牛翁歴史動かす 6630 博庵語録 

南洲と臥牛の両翁出会うのは 

            世紀の出会い天の命なり 6631 博庵語録


良人は、仰ぎ望みて身を終うる所なり。

2014-02-26 16:53:19 | ブログ

タイトル----良人は、仰ぎ望みて身を終うる所なり。第1889号 26.02.26(水)

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 良人は、仰ぎ望みて身を終うる所なり。『孟子』

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 其の妻帰りて其の妾に告げて曰く、良人は仰ぎ望みて身を終うる所〔の者〕なるに、今此の若しと。----其の妻妾の羞じず、相泣かざる者は、幾(殆)ど希なり。(『孟子』離婁章句下)

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 夫というものは妻からすれば天として仰ぎ望んで、その終生を托すべき大切なものである。それゆえ、夫たる者は、人間として尊敬に価する存在でなければならない。-----〔その浅ましく汚いことを〕もし妻や妾が知ったなら、恥じて泣かないものは殆どないであろう。

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 【コメント】

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 『孟子』は20年前二回通読したのですが、ここのところはすっかり忘れていました。今時解説に書いたとおりのことを言うと、飛んでいるオバサマ方からクレームが来るような気がします。

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 でも、夫たる者はしっかりしなければならないと思います。

 朝は家内より早く起きて味噌汁を作り、学問館での学修をして、終日読み書きをしています。一日置きに15キロを背負い、片足4キロを装着し、天風語録を聞き、まじめにまじめに勉強をしています。荘内南洲会の水野先生から戴いた初孫と三十六人衆の味がとても美味しいです。有り難うございます。

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 明後日は荘内南洲会の先生方がおいでくださるということで、子どもたちの座席つくりをしました。体調のお悪い大坪伸一郎先生もかけつけてくださいました。先ほど荘内南洲会事務長の阿曾先生から電話を戴いた時は、前田先生、森崎先生とご一緒に道場で作業をしていました。

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短歌の紹介

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空手舞締めた黒帯言ってるよ

             なんで黒帯礼弥にないの 6625 博庵語録

舞の時黒帯締めろ渡したら

            昨夜黒帯抱いて寝たとか 6626 博庵語録

ここ直せ言うたら帰り黙々と

            独りで稽古上手くなる筈 6627 博庵語録

(名君)忠徳公』読みし仲間が言うのには

            これ日の本の教科書にせよ 6628 博庵語録


諾を宿むることなし。

2014-02-25 16:09:28 | ブログ

タイトル---諾を宿むることなし。第1888号 26.02.25(火)

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 諾を宿むることなし。『論語』

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 子曰はく、片言以て獄を折(さだ)むべき者は其れ由(ゆう)なるか。子路諾を宿(とど)むることなし。『論語』290

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 孔子が言うには、争いごとが起きたとき、一言のもとに訴訟を裁決して当事者を納得させることが出来るのは、由であろう。子路は一度引き受けたら即実行して遅滞することのない正義勇断の人なので、人が信服したのはもっともである。

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【コメント】

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 参考になる『論語』の言葉であります。人間社会は複雑極まりないものですが、いろいろ事象発生の時は、事案を真摯に観察し、明鏡止水の精神で判定をすることが望まれると思います。

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 そのためには、日常的に問題をてきぱきと裁き、あまねく公平であるべきでしょう。

 私はそこに社会性があるか、教育性があるか、公平性があるか、私心はないかを判断の基礎におくことにしています。連日書いていますが、そのためには『南洲翁遺訓』を拝読し修養にこれ勤めることが肝要でしょう。

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 今朝の学問館は『名君忠徳公』を学修しました。荘内南洲会の先生方と面識を戴いてから、十年以上が経過します。ブログでは荘内南洲会の先生方の人格美のことを書いてきましたが、実際に荘内の先生方のお姿を拝見して戴こうという配慮から、28日の交流会には後援会のご婦人の方々も参加して戴くことにしたのです。

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 子どもを直に指導するご婦人がたが『名君忠徳公』とか『荘内藩の徳業を語る』などを読み、人間はかくあらねばならないと思い、日々に子どもに接すれば、より教育効果が表れると思うからです。

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 短歌の紹介

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(京都)三条の宿で老婆が定九郎

               何処おでましか大島殿は 6615 『臥牛 菅実秀』

人々にあだ名をつけし範古殿

               婆見破られ捧腹絶倒 6616 『臥牛 菅実秀』

石川ら楠公神社を参拝後

               幾多の森と港川をも 6617 『臥牛菅実秀』

石川は預かりおりし路用金

               紛失気付き青ざめるなり 6618 『臥牛 菅実秀』

その町の心境景色眼に入らず

               冷や汗出でて途方にくれる 6619 『臥牛 菅実秀』

その訳は路用の金子紛失者

              即刻帰国罰則があり 6620 『臥牛 菅実秀』210

大切な肌付け投げ置く誰あらん

              拾いおきしにお前なりしか 6621 『臥牛 菅実秀』

実秀が規則通りに(荘内へ)帰ったら

              よかろう言に詫びて許さる 6622 『臥牛 菅実秀』

先先代積りに積もった借債が

              実に黄金弐拾万両 6623 『名君忠徳公』5

太平が長々続き遊楽に

              なれ産業を怠ったつけ 6624 『名君忠徳公』5


天下を理むるにも亦柔道を以て之れを行わんと欲す。

2014-02-24 10:00:33 | ブログ

タイトル----天下を理むるにも亦柔道を以て之れを行わんと欲す。第1887号 26.02.24(月)

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 天下を理(おさ)むるにも亦柔道を以て之れを行わんと欲す。『十八史略』

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 わたしは天下を治めるにも、おとなしいやり方、徳の道をもって治めようと考えている。(光武帝のことば)

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 吾天下を理むるに、亦柔道を以て之れを行わんと欲す、と。上、兵閒に在ること久しくして武事を厭ふ。-----剣を鳴らし掌を抵ち、志を伊吾の北に馳す。上、書を報じて、告ぐるに黄石公の包桑記を以てす。曰く、柔能く剛に勝ち、弱能く強に勝つ、と。是れより諸将敢て兵を言ふもの莫し。 (明治書院『十八史略』)頁362参照。

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 「私は天下を治めるにも、やはりおとなしいやり方で行こうと思う。帝は長年戦場に在ったので、軍事を厭い、蜀が平定した後は、危急の出来事でない限り、軍事のことは決して口にされなかった。------二人の武将が剣を鳴らし、掌を拍って勇み立ち、心はすでに北地に飛んでいた。

 だが帝は、その上書の返事に、黄石公の「包桑記」を引用して、告げ諭していわれるには、「柔能く剛に勝ち、弱能く強に勝つ-------その意味は、柔らかなものがかえって剛い者に勝ち、弱い者がかえって強いものに勝つことができるというにある-----」と。

 それ以後、諸将は誰も戦のことを口にする者がなくなった。

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 【コメント】

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 大変参考になる訓戒であります。これは戦闘のことを説いているわけですが、私どもの日常生活にも参考になる教えであると言えるでしょう。

 そこで、人様との対応は礼を尽くして対応することが肝要だと思います。敢えて他人に勝ちたいと願うなら、『南洲翁遺訓』第24章、第25章の教えのとおりにやればいいと思います。

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 このところ空手道指導の際、この条文を力説することにしています。あと一週間で荘内南洲会の先生方が鹿児島に来る訳ですが、鹿児島南洲神社での『南洲翁遺訓』拝誦はこの二章を拝誦することにしているのです。

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 西郷南洲翁の訓戒でもある処世の要諦を、寒風の吹きすさぶ風雪に耐えた荘内の菅臥牛翁を中心として練り上げたこの教えこそ、王道への訓戒であると存じます。

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 このことは中村天風先生、森信三先生、安岡正篤先生、山本七平先生、幸田露伴先生という歴史に名を轟ろかせている先人たちも同様に論じておられます。まさしく天の理に基づく思想・思考だと思う次第です。

 私が存じあげてきた荘内南洲会の先生方は、『南洲翁遺訓』の訓戒どおり、見事な人生道を闊歩されていると何時も拝見しています。荘内南洲会理事長・水野先生からご恵贈賜りました『名君忠徳公』ほかの文献を拝読した保護者の皆様が、当該ご著書に魅了され唸っています。日本空手道少林流円心会一門、これからも愈々学修を重ねて参りたいと存じています。

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 人生を全きに行きたいと願うなら、一人静かに南洲翁遺訓の教をこそ踏襲すべきだと考えています。人様に勝たなくてもいいのです。天が観ているのです。

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短歌の紹介

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他人様におだやか対応して行けば

               難解事案もうまく行くなり 6605 『十八史略』

人の行天が裁定してくれる

              今は負けても天の理が勝つ 6606 博庵語録

南洲の遺訓繙け漢籍も

              そこに王道楽土生き方 6607 博庵語録

明治八実秀一行見送りを

              受けて新橋駅を出発 6608 『臥牛 菅実秀』

一同の服装木綿の着物着て

              股引き草履一刀腰に 6609 『臥牛 菅実秀』 

鹿児島へ土産反物道中の 

              薬両口斜めに背負い 6610 『臥牛 菅実秀』

一行は春日神社を参拝す 

              石川境内立小便す 6611 『臥牛 菅実秀』

二平はんお前霊地に不敬(立小便)した  

              何のことやら石川キョトン 6612 『臥牛 菅実秀』 

境内はおそれ多くも天皇様 

              お歩き尊いトコに小便 6613 『臥牛 菅実秀』

何たるかお前はそこにいばりした

              チンを見てみろ曲がってくるぞ 6614 『臥牛 菅実秀』