味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

富は足ることを知るに在り。

2014-03-31 19:08:03 | ブログ

タイトル----富は足ることを知るに在り。第1922号 26.03.31(月)

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 富は足ることを知るにあり。『説苑』

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 満足をすることを知れば心は富む。それが真の富というものだ。

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 【コメント】

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 老い先短い後期高齢者の私の満足は、子どもたちを含めた門下生に、『南洲翁遺訓』を伝える、教えることが最高の満足であります。

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 『南洲翁遺訓』は西郷隆盛の言葉とされていますが、それは荘内の英邁な先生方の血と汗の結晶なのです。

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 先ほど荘内の久松先生にDVDを送りました。一人で密かにご覧になってください。荘内南洲会の先生方がご覧になりましたら、鹿児島の後期高齢者の武道家は、気が狂っているのではないかと、言われそうだからです。

一年後を目途に出版する『「誠心誠意」生き抜く』を読んで貰えればご理解戴けるのですが。

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『名君忠徳公』 (第24回)

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 公はこの三千五百兩を、軍用金として御自身で嚴封して、御蔵に秘蔵せられた。

 莊内に初御入部よりここに至るまで、僅かに十年餘りである。此の十年間に如何に切りつめた後倹約の上に、民福を計るについて、何程の御苦心遊ばされたか。又農民がかずかずの御恩恵と御仁政に感激して、身命を捨てるまでに農事に奮励したかがよく窺われる。

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 君民共に窮乏の境は去った。しかしこんな事で安心せらるる公ではない。御入部の當時の御決心は年と共に固く、人民百世の後までの幸福の為に、層一層の勤勉と、精神の修養を御精励され、農事の功績者に御賞與を賜はると共に、孝行と貞節の深き者を御聞きになれば、重く御褒賜あらせられたのだ。

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 斯の如くにして年を重ねる中に、前後九年間の永きに亘っての大飢饉が襲來した。

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短歌の紹介

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日本一小さき道場に学ぶ子ら

               天に届けと声高らかに 進藤郁子様提供

『西郷がいよいよ起つ』と?流言が

               各地広まり士族薩摩へ 6706 『臥牛 菅実秀』


善を以て人を服する者は。

2014-03-30 17:03:57 | ブログ

タイトル----善を以て人を服する者は。第1921号 26.03.30(日)

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 善を以て人を服する者は、未だ能く人を服する者あらざるなり。善を以て人を養い、然る後能く天下を服す。『孟子』

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 ことばや議論で「かくかくのものは善だから行え」といったところで、それで人を心服させることはできるものではない。

 実際に善行を積み、善政を行い、十分に人を教養してこそ、はじめて人は心服するものである。

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 【コメント】

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 上の解説と全く同様ではないのですが、『南洲翁遺訓』刊行の地荘内を訪問し、そして荘内南洲会の先生方と面識を持ち、荘内の皆様の人格美・精神文化に触れました。十年以上も前のことてす。

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 流石、『南洲翁遺訓』刊行の地の先生方は、ここ薩摩とは違うと思ったものでした。これは私の詩吟道師匠であった竹下一雄先生も、かねがね申していました。

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 卑近な例が、『南洲翁遺訓』改竄事件勃発に際して、理事長は身体を張ってでも、何故止めなかったのか、ということです。ということは理事長も同罪なのです。

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 『名君忠徳公』 (第23回)

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 一〇、  財 攻 の 順 況

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 天明の大飢饉を書く前に、忠徳公が襲封後十五年間の財政の状況を、ふり返って見よう。

 公の御身變より潘政、及び四十萬の、住民が、すべて借金と飢饉に苦しみつつあったのが、公の一大決心の下に上下心を合せての節約と、懸命の努力と、働きに依って年々に借金を返し、新田を起し、耕作に改良を加へ、星を頂いて出で、月に耕す、この君民一途の奮闘によって天明二年(公二十八歳)に至り、潘としての借入金貮拾萬兩は、すっかり返却ずみになり、今年天明二年の末には、御領地荘内の藩邸に二千兩、合せて三千五百余兩の剰余金があった。

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短歌の紹介

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士族らを弾圧するため鎮台兵

               動員首謀者極刑に処す 6704 『臥牛 菅実秀』      

私学校徒相次ぐ反乱呼応して

               西郷蹶起促すも不動 6705 『臥牛 菅実秀』

 

 


巧言令色鮮し仁。

2014-03-29 13:31:12 | ブログ

タイトル----巧言令色鮮し仁。第1920号 26.0329(土)

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 巧言令色鮮し仁。『論語』

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 口にきれいごとを並べ、容貌、態度をものやわらかく美しく見せる事が主になると、とかく人間の根本の道である仁の心がうすくなりがちである。

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 口前が上手で顔付を飾る人には、真実心がすくないものぞ。(穂積重遠著『論語』昭和22年1月10日)

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【コメント】.

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 40年前に平井先生から『論語』を戴いて、上の言葉を以て観察してきました。95%人物観があたりました。

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 今朝の学問館は713回になりました。吉野分校からも馳せ参じて戴きました。荘内南洲会前理事長・小野寺時雄先生の『南洲翁遺訓に学ぶ』にて学修しました。

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 ①薩摩と荘内、運命的出会い。、②菅実秀翁始めて南洲翁を知る。③南洲翁と荘内の交り。④南洲翁没後と荘内。⑤南洲翁遺訓の刊行。⑥『南洲翁遺訓』の全国配布を出席者で交替で拝読しました。

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 『南洲翁遺訓』と出会って40年近くなりますが、最近から『名君忠徳公』『荘内藩の徳業を語る』『臥牛 菅実秀』等々を筆写し、拝読し、さらに全体像が理解でき有難く存じています。

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 『南洲翁遺訓』の御膝元荘内南洲会の重鎮である小野寺先生と、親しく交流出来たことは無上の光栄に存じています。

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『名君忠徳公』(第22回)

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 公は頗る賛成された。そこで光丘は、年々八年に亘って、籾を總計貮萬俵を献納することを御約束申し上げた。八年目には外に四千俵を献納した。合せて籾二萬四千俵は、本間家から納まった。外に、各家中の祿高より「五勺米」と称して祿一石より年々五勺づつ納め、家中以外の物持達も、これにならって、對一石につき五勺米を献じ、凡てを郷倉に納めた。

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   荘内領内の八郷とは

   西田川郡ー山濱組。京田組。

   東田川郡ー櫛引組。中川組。狩川組。

   飽 海  郡ー平田組。遊佐組。荒瀬組。

で、以上八郷の外に

   兩 町ー鶴ケ岡。酒田町がある。

 上下協力の治世によって、無事大平、且つ前途の光明を楽しみつつありしに、天無上にして、安永八年から、天明七年に亘たる、東北地方の大飢饉が襲来した。

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短歌の紹介

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前原は人民心情無視をして

              冷酷政治政府反発 6702 『臥牛 菅実秀』

密偵がなければ前原蜂起せず

              高官猜疑心前原は刺激 6703 『臥牛 菅実秀』


羅紈ある者は必ず麻蒯あり。

2014-03-28 14:59:39 | ブログ

タイトル-----羅紈ある者は必ず麻蒯あり。第1919号 26.03.28(金)

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 羅紈(らがん)ある者は必ず麻蒯(まけい)あり。『淮南子』

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 美服を着る者は、必ず粗服を着るときがある。栄える者は必ず衰えるときがある。

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【コメント】

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 羅紈は雅な服、美服と漢語大辞典に解説してあります。上の解説にあるとおりで粗末な服でも着るものがあればいいのですが、人類が、日本人が今みたいな贅沢を縦にしていれば、東北の津波の3.11みたいな天災が必ずやってくるのです。

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 先ほど『名君忠徳公』が多量宅急便で届きました。理事長・水野先生有り難うございました。電話をしましたが、お出になりませんでした。

 先の交流会で私の隣に座ってくださったブログ王・久松理子先生にも、『名君忠徳公』をご贈呈しますと申し上げましたで、私の方からお送りさせて戴きます。

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 名君・忠徳公までは迚も精神は錬れていませんが、学問をし、偉人・哲人に今こそ学ばなければならないのです。大災害が来てからでは間に遇わないのです。かねがね、そういうことを門下生と保護者に話しているものですから、『名君忠徳公』を拝読したいという人が増えてきているのです。

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 『名君忠徳公』 (第21回)

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 九、 郷  倉

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 さし迫ったお百姓達の窮迫は救ひ得たが、天災地變は豫期せぬ時に起るものである。已に御先代中にも、寳永元年に大火があって城下七百余軒の焼失あり(忠徳公より五十年前)享保五年には大飢饉があって、粥施工を行ひ、八萬余人を救った(忠徳公より三十五年前)等、領民の難儀は何時起るか計られぬものである。

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 高利の金は返へさしめ、滞納の税金は全免せられ、産業の奨励によって民福は十分に講じられた。

 が、天災には常に準備せねばならない。本間光丘から建言があった。何時起るか知られない天災地變に備えて莊内八郷村にわたって郷倉を建て、籾を貯蓄することであった。

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 短歌の紹介

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明治九年政府専制対抗し

              士族農民反乱一揆 6700 『臥牛 菅実秀』

士族らの反乱熊本新風連

              続いて秋月萩の乱 6701 『臥牛 菅実秀』 


郷原は徳の賊なり。

2014-03-27 13:40:06 | ブログ

タイトル----郷原は徳の賊なり。第1918号 26.03.27(木)

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 郷原は徳の賊なり。『孟子』

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 郷原、すなわちうわべだけ君子顔をして、行いはそれに反するえせものは、結局道徳をそこなうものだ。(孔子のことば)

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【コメント】

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 上に書いたような人は世の中にいるものですが、そういう人は、賢明な人なら見抜いているのです。腹芸で自分をよく見せかけるのを見たものですが、結局は見ぬかれるものです。

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 思うに純粋無垢な子どもたちと付き合うのが一番いいように思います。

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 今の私は、総て天が観ているからと、人様の言動、言行にはあまり立ち入らないようにしています。ただ、相談を受けた場合は、その限りではありません。親切に、家庭崩壊を来さないようにアドバイスしています。

 どういう良いことをしたとしても、報酬を求めてはらないと思っています。

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 いい加減なことをしたら、道場に掲げている、安岡先生、長谷川先生、菅原先生、小野寺先生への誓いの言葉が嘘になり、叱られると思っているのです。

 能力的な面では、私ごときが太刀打ちできる先生方ではありませんが、正直・誠心誠意という点では負けないと自負しています。

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 今日は荘内南洲会の先生方がおみえになられた際、紙芝居を演じてくださった安川先生が、ご令嬢様入門の為、道場においでくださるということです。

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 安川先生には再注文した『名君忠徳公』、そして『臥牛 菅実秀』を是非読んで欲しいと思っています。そうすれば、現在の紙芝居に、『名君忠徳公』と菅先生が登場することになるであろうと思います。そこまで来たら日本一の紙芝居になると思っているのです。

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 『名君忠徳公』 (第20回)

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 八、 救 民

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 公十八歳にして、財政の急迫に落ち入ったのを痛恨せられしより、爾来五ケ年に渡って治世救民の根底的なる革新の大方針を建てられた。即ち有為の人物を登用せる事と、民情の實躰を調査せる事である。

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 かくして明達なる公の胸中成算すでに定まって、いよいよ治世救民に乗り出されたのは、二十二歳の、安永五年前後である。

 この間に名家老水野内蔵助、竹内八郎右衛門は老病の為めに歿し、亦た剛直明敏なりし鈴木筑大夫も、八十歳の老齢を以て卒去した。去りながら、公の下には、名臣雲の如く、公を御輔した。

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 先ず着手されたのは、お百姓が十幾年間、暮しに窮迫した上げく、止むなく借り入れた高利の借金から、一日も早く救わなければならないと、御調べの上、藩の御用金を貸しつけて、高利金を返済せしめ、潘よりの貸付金は年賦にて御返済の事にし、利子は年五分の事に定められたことである。

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.短歌の紹介

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明治八伊藤孝繼荘内の

           伴榊原薩摩へ連れて 6698 『臥牛 菅実秀』

鹿児島の私学校入学させようと

           酒井了恒二青年を撰 6699 『臥牛 菅実秀』