味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

心眼乱る。

2016-01-31 11:22:05 | ブログ
第2588号 28.01.31(日)
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心眼乱る。『雑書』
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 目がくらんでくると五色を弁別せず、朱を看て碧と誤解する。いわんや心の眼が乱れてくると、どんな誤りを犯すか、図り知ることができない。720
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 【コメント】心眼が乱れないように、心が錯乱しないように、幼少の時から子供にも正直の尊さを家庭で教えることが大事であると思います。
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 昨夜の空手道指導の際も申しましたが、私の母は、人様に頭をさげなさい、良い言葉を遣いなさいと徹底して教えてくれました。死にもの狂いに勉強もせよと言ってくれたら少しはマシになったのかなと思うことです。
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 只今午前11時半、シリア周辺の人々が、国を棄て寒い中を家族一緒にあるいて新しい国・住処を求めて行く姿が報道されました。どうにかならないものでしょうか。

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『臥牛菅実秀』(第124回)
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 さて問題を戊辰戦争前夜の四月にもどしてみると、このころ荘内に他藩の間諜が潜入しているという風評がしきりに流れていた。これを耳にした藩の重臣たちは、木戸口の開閉を厳重にし、旅籠屋の宿泊人を監視させたり、非情に神経をとがらしていた。それをみた実秀は重臣の評議の席に出向いて直言した。
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「老職がたは、なんでそんなに間諜を恐れられるのか、政治さえ公明であるなら、わざとでも間諜に見せてやりたいものである。もし間諜が老職の評議を聞きたいなら、この席に連れてきて聞かせてやるぐらいの度量がほしいものである。」
 すでに戦時体制に入った荘内藩である。その重職にある人として、もっと大局に目をそそぐべきものを、間諜ぐらいのことに神経をとがらしていることに、実秀は我慢ができなかったであろう。

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『教の国 荘内』(第15回)
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 人間の風もその通りで一年よりは二年、二年よりは三年と、藉すに長き歳月を以てしたものでないと、本当の「風」は有しない。役者が舞台の上に出ると、殿様になったり、武士になったりするが、楽屋裏に帰って髪を取り衣裳を脱いでしまふと、矢張り「役者風」になってしまふ。止むを得ないことである。之と同様、真実に其の「風」を養はんとするならば、矢張り其れに相応しい「教」の中に可也長い「時」に渉って浸り切らねばならぬ。
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『農士道』(第400回)
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 豊宇氣毘賣(とようけびめ)ノ
 豊食毘賣である。食料を豊かに生産する神徳を有する。以上の様な神々の力あれば、当然此処に農作物が豊かに生産されて、豊食が生じて来る筈である。豊宇氣毘賣は、豊受大神とも記し、伊勢の外宮に祀り奉る農業の守護神であることは申すまでもない。
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 猶此処に一つ附言して置きたいことは、埴安、彌都波能賣ノ(水の)和久産巣日ノ、豊宇氣毘賣ノ等の農業に関係深き神々は、何れも伊邪那美ノの屎や尿より生じたといふことである。

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友を以て仁を輔く。

2016-01-30 10:42:27 | ブログ
第2587号 28.01.30(土)
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友を以て仁を輔く。『論語』
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 詩書礼楽の学問をもって集まった友を、自分の仁の道を行う助けとする。これが友を求める君子の心である。
 飲酒・遊芸をもって集まるのは真の道ではない。(曾子のことば)

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 【コメント】この所は平成27年6月21日にご紹介しています。君子の交わりでは、飲酒等はよくないと思いますが、私の詩吟道師匠であった竹下一雄先生は大酒豪でした。
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 詩吟の稽古終了後、毎回といっていいほど酒を酌み交わしたものです。その竹下先生は、幾ら飲んでも話したことは記憶していました。西郷隆盛が250首漢詩を創ったということでご自分も250首詠んで西郷さんの所へ行ったと私は思っています。
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 惜しいことのひとつ。菅原兵治先生が、日本農士学校の検校(校長)となったとき、竹下先生を入学させていれば鹿児島も幾らか学問が盛んになったのではと思うことしきりです。
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 ただしそうであれば、私との師弟関係はなかったと思います。

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『臥牛菅実秀』(第123回)
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 告文の大要は『王政復古には、もとより異存はないが、薩長が幼帝を擁して政権をほしいままにするのは坐視することができず、これを憤りこれを討たざるをえない』といい『今後の修好を望む』というものであった。スネルあての注文書内容は、シャーピス銃六○○挺、ミニゲール銃三七○挺、弾丸六○万、火薬五樽、日本航海図五枚などであった。この注文書は何回目のものであったか明らかでないが、荘内藩はこのような径路で銃器を入手していたことを物語るものである。
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『教の国 荘内』(第14回)
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 かくて荘内の事を知るに於ても吾々は荘内が如何なる「教」によって培はれて来たかということを深く究むるを要する。
 次に「風」を作るものは「時」である。長き時----時間----歳月の力である。其學ぶ處-----之を與ふる方よりいへば「教」ふる處が、善にせよ、悪にせよ、其の教が深く身心に染み込んで「風」をなすに至る為には、之に藉すに「時」を以てするを要する。恰度絲を染るやうなので、一度染料に入れたよりは二度三度と入れた方が、心の心まで其の色に染り切るやうに、所謂千入の色でないと往々にしてあせやすい。  

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『農士道』(第389回)
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 和久産巣日ノ
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 書紀に所謂「稚産霊ノ」であらう。以上によって大地を肥やす埴安のあり、次に之を潤ほす水のがあれば、当然其処に播種された作物は稚々しく生長して行く。「産巣日」は「産霊」であって、ものを産んで行く生命の力である。故に和久産巣日ノ、即ち稚産霊ノは作物を稚々しく生長せしめて行く生産のである。
 
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其の徳を視るに草野に在るが如し。

2016-01-29 12:35:55 | ブログ
第2586号 28.01.29(金)
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其の徳を視るに草野に在るが如し。彼れ豈富貴を以て其の心を移易(いえき)せんや。『文章軌範』(韓文公「争臣論」)
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 その人の態度を見ると、顕官についた今日でも、あたかも在野の時代となんら変わることろがない。なぜなら、かれら世上一般の人のように、富貴になったからといって、にわかにその心を変えるようなつまらぬ人ではないのであるから。504
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 【コメント】顕官になったからといって、いばるような人間であってはならないし、ましてや賄賂を密かに受け取るような人間になってなりません。
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 昨夜の空手道指導の際、『中庸』の言葉を子供たちにも暗記して貰いました。

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 天の命ずるをこれ性と謂い、性に率がうをこれ道と謂い、道を修めるをこれ教えと謂う。(第一章)
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 子供たちには意味は分からずとも、年を重ねるにつれて真の意味が理解できるようになります。よくぞ漢籍を繙いてきたと思うことしきりです。
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 円心会に集う子供たちにAKBに憧れていますか、と聞いたら一人の例外もなく、首を横に振りました。ささやかであっても、「清く尊く強く正しく」生き抜いて欲しいと念じています。
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 私の願いは『南洲翁遺訓』同様、漢籍の言葉を子供たち共々暗記の競争をしたいものだと思っています。
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 昨夜は体調不良が少しく残っていましたが、第二道場に行きました。
 正田宗一郎君に型を四種して貰ったあと、私も演舞しました。宗一郎君の「礼」をする時の姿・背中の張り得も言えぬ美しさをみてとりました。成績向上も当然なのですが、先ずは心からの礼が出来る人間になりたいものです。
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 私が演舞したあと、私の型はどうでしたかと、聴いたら100点ですと評してくれました。大分気を遣っているのだなと思うことでした。

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『臥牛菅実秀』(第122回)
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 月日は先に飛ぶが、六月に新潟で、仙台、米沢、会津、荘内の重臣会議が開かれた。新潟港は、このころ奥羽同盟の共同管理になっていたのである。この重臣会議に出席した荘内藩の主席家老石原倉右衛門が、松ケ崎でたまたまここに上陸した政府軍の一隊と遭遇して斬殺され、石原が懐中にしていた文書を奪われるという事件が起った。その文書は四藩の重臣の連署になるオーストリー領事あての告文と、本間友三郎(本間光美の一族)名儀のスネルあての注文書であった。
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『教の国 荘内』(第13回)
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 然らば如何にして此の「風」を作るか。-----風を作すか。私はこれには少なくも次の二つの要件が必要であると思ふ。
 一、「教」
 二、「時」-----詳しくいえば「時間」(歳月) 
 「教」の何ものであるかということは已に述べた通りである。教が今日の所謂「知識」や「技術」と異る點は何處かというに、前者の人間の根本的なる「徳」其のものを培うのに対して、後者外飾的なる「才」を作るものである。故に知識や技能を移植したのみでは、人間に種々なる才知芸能の附加はするが、其の本質を養って「風」を改むるという處までは容易に之をなし得ない。風を作り為すには何といっても「教」によらねばならぬ。

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『農士道』(第388回)
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 彌都波能賣ノ
 水のである。(古事記傳巻五の解による)即ち大地を潤ほす----水田ならば灌漑する水のである。農作に水が何れ程大切であるかは論ずるまでもないこと。殊に水田農業を主とする日本(瑞穂国=水穂国)に於いては然りとする。(後述の出雲国の水と対比して見れば、一層明らかになるであろう。)

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 中澤先生
 農士道は東北振興研修所にあると思います。しばらくしたら、私が書いたのを大坪先生が、プリントアウトしてくれるそうです。
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火を乞うは、ひうちを取るに若かず。

2016-01-28 10:35:29 | ブログ
第2585号 28.01.28(木)
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火を乞うは、ひうちを取るに若かず。『淮南子』
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 人に火を下さいと乞うよりは、自分でひうちを取って火を出すほうがよい。
 人の力にたよらず、自分の努力に待つがよい。429

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 【ヒメント】やりたいことは自分でコツコツと、只管取り組めばどうにか出来ると思います。そういった積み重ねが、大きな力となっていくでしょう。私は出来ただけでいいではないかとそういう風に思っています。
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『臥牛菅実秀』(第121回)
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 荘内藩が臨戦体制を固めるにあたって、第一に着手したのは兵式の改革であった。従来は刀槍が主たる武器で、軍の編成もそれを基幹とした旧式のものであったが、銃を基幹とする西洋の兵式に一変したのである。短時日に軍備を一変したことは、政府軍もほとんど予想もしなかったことなので、後で戦火を交えて一驚したほどであった。
 この銃はエドワード・スネルから購入したもので、いまでも『スネル銃』という名が残っている。スネルは最初は新潟港から、つぎは酒田港に直航して多量の銃器と火薬を荘内藩に送り込んだ。この荘内藩の銃器の購入については、酒田の本間光美(通称外衛)から巨額の献金があったために、予定以上の数量を購入することができて、他藩にも給与したほどであった。

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 ※エドワード・スネル。国籍はプロシアらしいが、そのときの都合次第で、オランダ人になったり、トルコ人といったりした人物で、横浜で銃器を取扱っていた。
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『教の國 荘内』(第12回)
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 どんなうまい「事」(若しくは「言」)を並べ立てて見た處で、結局其人、其家、其村の「風」に相応したものでなければ、永続し、成就するものではない。之に反して本当に立派な「風」が出来て来れば、必ずそれに相応した事は出来て来るものである。畏るべく、又恐るべきは「風」の力である。かくて吾等は希くは立派な「風」を有ちたいものである。5p
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『農士道』(第387回)
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 次に伊邪那岐、伊装那美両から、波邇夜須毘賣、彌都波能賣、和久産巣日ノが生れ、又和久産巣日ノの子、豊宇氣毘賣ノが生れる。これらの神々も深く其の御名(徳)を考ふれば、何れも農業に関係深き神々で、實に是等の神々の徳あるが故に、我日本国が農葺原瑞穂國たり得ることが解せられて来る。左に此等の神々に就いてまた其の御徳を偲ぶこととしょう。
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 波邇夜須毘古ノ(はにやすひこ)。波邇夜須毘賣(はにやすひめ)ノ。
 
 この両は埴安彦、埴安姫であって、埴(土の意)----詳しくいへば緻密な質の土の意。埴でつくった人形を陵墓の周囲に輪のように埋めたるを埴輪といふが。-----其の埴、即ち土を安らかに肥培して行くである。土が痩薄になって来れば、何を作っても危なくて安らかには生長しなくなって来る。埴(土)を、何を作っても安らかに育つ様に肥培して行く徳を有するを埴安彦、埴安姫といふは、よく肯かれることであると思う。

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中庸・天命性道修教。

2016-01-27 18:12:43 | ブログ
第2584号 28.01.27(水)
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(中庸第一章)天の命ずるこれを性と謂い、性に率(したが)うをこれ道と謂い、道を修むるをこれ教えと謂う。『中庸』
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 天すなわち宇宙の主催者、天地万物創造の神の命令によりて、人は固(もと)より万物の先天的に具有するものを性すなわち生まれつきと謂う。人物各々その天性の自然によりしたがうべき道というもの、これが道である。
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 あるいは宇宙の神羅万象が調和的に行われている点より、これを天道といい、あるいは人倫相互の関係が円満に行われている点より、これを人道といい、その名は異なるといえども、要するに唯一不二、天道即人道である。
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 このように道は天性の自然に備わるというものの、それを行うところは同じでなくても、聖人は人々の行うべき道を治め整理して天下の法則となす。これを教えという。

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 【コメント】35歳の時に購入した四書五経のひとつ、『中庸』を読み続けています。菅原兵治先生の『農士道』等々ご紹介していますが、迚も素晴らしいと思います。
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 昨日も書きましたが、人それぞれ自分が、そして母国が可愛いのは当然であります。だから、人様の事を中傷することなく、それぞれ天が与えたその道を邁進することこそが、最高の幸せにつながるものと思います。
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 今日も点滴をするため病院に行きましたが、ベッドで『中庸』を読んでいました。
 
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『教の國 荘内』(第11回)
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 然し、事は譬へば花とか紅葉といふもので、或は花を開かしめ、或は紅葉せしむる為には、そこに春風、秋風といふ「風」が存して、其の「風」の力によって自然にそうなって来ることに気付かねばならぬ。
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 私共は、如何なる事をなすかと焦慮る前に先ず如何なる「風」を有するかということに関心を有たねばならぬ。
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 風韻とふ言葉がある。同じ韻でも其の聲韻が、どんな「風」を有つ人から出るかで、其の感じが違う。人のみではない。松の韻でもそうだ。ゴーッと響く松籟でも、都会の裏長屋でも出来ぬ。
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 風教といい、風俗というが、教学でも、民族でも、それがほんとうの「風」の中から自然に生れ出て来たものでなければ、未だほんものではない。風儀、風化、風靡、風采、風貌等皆然りである。楽記に「風を移し、俗を易ゆれば、天下皆寧し」というが深く味わうべき言ではないか(味ふといったが、ものの味ひなども、真に其のものの「風」にひたらねば分らぬものである。風味という言葉を風味してみると、又一しほの風味がある。)

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