タイトル----偉人の紹介「ムッソリニ」。第534号 22.07.24(土)
ムッソリニはイタリア元首相で、1883年ブレダビオのドヴィア生れ、父は鍛冶屋であった。幾多の波乱の多い生涯を経て、世界大戦後ファシズムを起こし、独裁政治を行った。
出来るからではない、為(し)なければならぬから為(す)るのだ。
ひしひしとロ-マの城門に迫った九萬の黒シャツの健児たち、『われらが立たなければ、イタリ-の滅びるのをどうすることも出来ない!』。
かくて腐敗した政治家たちは息をひそめ、イタリ-の国は甦った。有名なムッソリニのロ-マ進撃----。
さて大命を拝受して、内閣組織を終えたムッソリニは、休憩する暇もなく、すぐに仕事にとりかかった。まず第一は、ロ-マに入っている黒シャツ隊をそれぞれ故郷に送り返すことである。あまり長く首都に滞在させることは、却って混乱の元である。
ただちに鉄道長官が呼び出された。『今夜八時から、二十四時間以内に、四万の黒シャツ隊を、郷里に送還するよう、手配をして貰いたい』。長官は驚いた。
『えッ、二十四時間以内に----? それは駄目です。戦時でも、とても出来ないことです。少なくとも三日なくては----』
しかしムッソリニは厳として言った。『可能か不可能か――わしは君の意見を聞いているのではない。わしは二十四時間と言った。それを命ずるのじゃ。わしの命令を、貴官は実行しさえすればいいのだ』
『しかし、実行不可能なことを----』と、長官はなお、申しのべようとしたが、ハッと口を噤んだ。その目、その態度----何人もムッソリニの命令に抗することはできない。
こうして鉄道長官は、直ぐに非常時の処置を断行した。鉄道は全能力をあげ、一分、一秒----セコンドの刻むごとに、黒シャツを満載した列車は、ロ-マの停車場から、四方へと運ばれて行く。
見る見る、黒シャツの波に浸されたように見えていたロ-マの都は、大水の引いたあとのように、もとの平静にかえった。
鉄腕首相ムッソリニの厳命は実行されたのだ。不可能は可能となった。翌日、ムッソリニはまた鉄道長官を呼んだ。
『君、とうとうやったね』 『はア、やっと』
『どうもご苦労だった。あの時、君は驚いたらしかったが、我々は何時でも、出来るからこれをするのではない。しなければならないから、それをするのだ。我々のロ-マ進撃でも、最後の瞬間まで、それが可能かどうか、わしも知らなかった。ただ、国家のためどうしてもしなければならぬからしたのだ。そして、すれば出来るのだ。君の鉄道事務でもその通り。――いいかね、判ったかね』
………
「成せばなる 成さねばならぬ 何事も ならぬは人の 成さぬなりけり」と言う言葉もあります。先ずは実践することが大事だと思うのです。
我が国では、一応は平穏を装っていますが、年間三万人の自殺者がいるという現実を直視し、善処策を講じる必要があると思います。そうでないと江上剛著『亡国前夜』の如き事態が必ず起きるでしょう。それは我々老人が旅立ってからかもしれません。
先般の参議院選挙で自民党は躍進したものの、これは民主党に投票した人々が、自民党と同じではないか、寧ろ悪いではないか、という人々の票だと思う。民主党は労組とのつながりがあるから、それを斬ることが出来ないのです。そして「外国人参政権」「夫婦別姓」の問題等々国民が納得しかねる政策を法制化しようと狙っているわけですから、国民からの同意を得られないのは当然でもありましょう。
政権党は穏やかに、明確に国民に説明することが求められていると思います。そして甦りを期待している自民党も、天下りと特別会計に対して、検討するということを表明すれば国民は自民党を支持するようになると思います。
ここで、ある野人の方の著書より紹介します。
《ただ仮に(今回の参院選で)民主党が負けるとしても、自民党の復活はない。それは間違いないわ。だからこそ選挙前になって自民党が割れて、「たちあがれ日本」だの、「新党改革」だの、雨後の筍みたいに新党ができているんだろうけど、俺自身は民主党でもない、自民党でもない、「第三極」とかでもない、“本物の保守政党”が出てくるのを待ってるんだ。この根腐れした日本を立て直してくれる、日本の伝統文化や社会、自然を大切にしてくれる本物の保守政党が出てくるのをな。(後藤忠政著『憚りながら』p230)
私は、選挙後、多くの方々に意見を聞いてみました。集約して『憚りながら』の意見と同様の人々が95%でした。メディアが言う消費税も幾らかはあるものの、多数は異なっていました。老人でタッグを組んだ平沼氏らも「無駄遣い」に何故、言及しないのでしょう。
『憚りながら』を購入して読んでください。そこいらのテレビに出て来る評論家の論説よりも遥かに読み応えがあると思います。肩書きのある人々は、口を濁しますが、これはまさしく正論・真実だと思います。