味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

住友生命・新井元名誉会長の紹介---4.

2010-07-31 11:40:45 | ブログ

タイトル----住友生命・新井元名誉会長の紹介--4。第541号 22.07.31(土)

 拙著『礼節のすすめ』より紹介しています。4回目です。

 新井元名誉会長の出身は群馬県吾妻町(旧名原町)で、町一番の旧家。一族は早くからキリスト教を信仰し、父親は同志社大学へ入ったのだが、家庭の事情で学業半ばで帰郷しました。そして信仰の借金の保証人になったため、父祖伝来の資産を手放し、貧しい生活を余儀なくされました。そのような生活環境の中で、幼少の新井少年に母親が教えてくれた歌の一つに、

「今に見ていろ僕だって、見上げるほどの大木に、なって見せずにおくものか」というのがあり、この一節が新井少年の後々心の糧となったとか。男兄弟が五人という家族構成もあり、六年生の時、画家の新井洞厳の養子になり、その後、東京の巣鴨の仰高小学校へ通うようになりました。この小学校で後藤新平伯爵が生徒たちに講話され、ボーイスカウトの心得である

一、人の世話にならないように  二、人の世話をするように 三、その報いを受けないようにという三ケ条が紹介されました。それが新井少年の心に強く響いて、後々までこの精神でやりぬいたということです。

 その後、高校時代の恩師から「男に惚れられる男になれ」という頭山満翁の言葉を紹介され、それを聞いた時も、そういう男を目指そうという気持ちになったということです。

 城山三郎の『男子の本懐』は、浜口雄幸首相の人物像を描いた書だが、新井元名誉会長は、浜口雄幸首相は尊敬する政治家の一人であったと言ってします。

 浜ロ雄幸首相は、ロンドン海軍軍縮条約締結に関してとった措置に反感を抱いた右翼に狙撃されるという事件に遭遇しました。その療養中に書かれた『随感録』に非常な感銘を受けた新井元名誉会長は、浜口雄幸首相の写真を部屋に掲げていたといいます。その著は修学中の学生の精神修養上の参考の一端として書かれたものです。


住友生命・新井元名誉会長の紹介---3

2010-07-30 20:20:34 | ブログ

タイトル----住友生命・新井元名誉会長の紹介---3。第540号 22.07.30(金)

 拙著『礼節のすすめ』より紹介しています。3回目です。

 そのような事が『古教、心を照らす』に紹介されていたこともあり、何回も読んだのです。感動のあまり、新井元名誉会長にお手紙を出してみようと思い立ち、初めてお便りを認めた次第でした。

 大した学歴とてない浅学菲才な私であったが、天と地ほどの差のある新井元名誉会長に勇気を出して手紙を投函したのです。超多忙であろうから返事は来ないだろう、もし来るとしてもニ、三ケ月経ってからであろうと思っていたところ、投函してから四日目に返事が来ました。返信を戴いたことと、余りの早さに吃驚すると同時に嬉しくて嬉しくて堪りませんでした。返信は、巻紙に毛筆で認めてありました。住友生命という大会社の責任者である新井元名誉会長が超多忙にも拘わらず、手紙を受け取ってすぐ返信を書いて下さったのです。何回も拝読し、手紙を戴いた余りの嬉しさに著書の中身に具体的に言及して一週間後、二通目を投函しました。

 ところが一回目同様、またまた巻紙に認めた二回目のお便りを四日後戴いたのです。この時もとても嬉しかったが、考え込んでしまいました。超多忙であろう方にこれは迷惑かも知れない、いや迷惑になる。そこで私は一月くらい期間をおいてから三回目の手紙を出しました。三回目のこの時も前回と同じく、巻紙に認めた心温まる返信がありました。流石は昭和の教祖としてご高名を馳せている安岡正篤師の高弟として、人々に人間学を提唱する大教育者の実践ぶりだと肝に銘じた次第でした。

 私は二回目に手紙を出す時、『南洲翁遺訓』に関する稚拙な書籍もお送りしたが、その書籍にも過大なる評価を下さったのです。

 私自身、自著がどの程度のものであるかは承知していました。ことろが新井元名誉会長は貶すどころか、大仰に褒めて下さり、大会社の社長、会長を歴任し、会社を経営する、あるいは安岡正篤師の高弟として人々の蒙を拓き世の為人の為人間学を通じて人々を導く、これが上に立つ人のあるべき姿である、ということを学ばせて戴いたのでした。

 人間、ややもすると自分より劣る人を見下したりしがちだが、安岡人間学を説く人々には、それがありません。相手に名誉を与え、少しずつ導いていくのです。

…………

 私のブログ第513号で「トルストイ」の紹介をしました。その中でフランスの文豪ロマン・ローランがトルストイに手紙を出し、そして心温まる返信を受けた、ということを書きました。その対応にも似た新井元名誉会長の私への心づくしであったと感謝している次第です。

 政治の世界では肩書き欲しさに意固地丸出しで我の突っ張りあいをしていますが、新井元名誉会長みたいに清い心になれないものでしょうか。

 私は新井元名誉会長の人間としての美しさを、空手道修行にくる子供たちに伝え、国家社会の有為な人材となるよう、導いて行きたいと心に誓い、連日学問との闘いを演じている次第であります。


住友生命・新井正明元名誉会長の紹介---2

2010-07-29 11:36:41 | ブログ

タイトル----住友生命・新井正明元名誉会長の紹介----2。 第539号 22.07.29(木)

 拙著『礼節のすすめ』より紹介しています。2回目です。お読み戴ければ幸甚です。

 『講孟箚記』(こうもうさつき)とは、吉田松陰が野山獄に囚われの身になっているとき、同じ獄の囚人と『孟子』を輪読し、松陰が『孟子』各章に対する批判、感想を自ら筆録したものを『講孟余話』としたのであるが、全集刊行の際、この名称にしたものです。

 遂に孟子の書を抱きて講究聾磨(ろうま)し、以て其の所謂(いわゆる)道なるものを求めんと欲す。司獄福川氏も亦来(きた)り会して「善し」と称す。是に於て悠然として楽しみ、莞然として笑ひ、復(また)圜牆(かんしょう)の苦たることを知らざるなり。遂に其の得る所を録し、号して『講孟箚記』と為す。

 遂に孟子の書を手にして、ともに研究し激励しあって、孟子のいうところの道というものを求めようとした。司獄の福川氏も、この集まりに参加されて「これはよいことだ」といってくれた。そこで私は、悠然として楽しみ、莞然として笑い、もはや、わが身が獄中にあるという苦しみをも覚えなくなったのである。かくして遂に『孟子』研究によって得たところを記録し、それを『講孟箚記』と名づけた。

 私が、新井正明・元住友生命保険会社名誉会長(以下、「新井元名誉会長」と記す)へ手紙を出したのは、平成六年八月十六日でした。

 永年、購読していた月刊誌『致知』で紹介された新井元名誉会長が執筆された『古教、心を照らす』を購入し、拝読した後、感想文を送付したのがきっかけでした。

 それまで新井元名誉会長のことは『致知』で時折紹介されていたので、若干のことは承知していたが、著書を拝見し、その人物に魅了されたのでした。新井元名誉会長は世にノモンハン事件として知られる日本軍とソ連軍との衝突で、砲弾破片を全身に受け、右足を切断しました。事件の勃発は昭和十四年五月十一日のことでした。

 生命保険会社と言えば、お客さん獲得のため、見ず知らずの家を一軒一軒訪ね、業界用語でいう「飛び込み」という保険セールスをしなければならない商売です。

 新井元名誉会長は不自由な片足にも拘わらず、同僚の自転車の荷台に乗り、飛び込みをしたとのこと。役職についてからも飛び込みを続けたという事を知り、職務に忠実な人間の心意気に感動の念を禁じ得ませんでした。そして『孟子』を年に五回読み通したという事を知った時も、蒙を啓かれた思いでした。

 『孟子』を年に五回読むほど没頭したわけは冒頭に紹介した『講孟箚記』の一節「富貴安楽は順境なり。貧賤艱難は逆境なり。境の順なる者は怠り易く、境の逆なる者は励み易し。怠れば則ち失ひ、励めば則ち得るは、是人の常なり」という松陰の解説に魅せられたためを知ったからです。

…………

 永年、古典の世界を逍遥してきた私ですが、全くもって初心者と変わりません。私がお勧めしたい古典の良さは「人格陶冶」のための最高の良薬であるということです。多くの人々と共に棲む世界では、人様の幸せも考慮してあげていいのではないかと思います。

 今朝のテレビ朝日に現役官僚の方が出演し、民主党の政策が官僚らの策謀によって骨抜きにされているということを証言しました。ということは前政権の自民党と変わりないということです。

 国家の威信は、国民が真面目に働いてGDPを挙げることにもつながるのではないでしょうか。官僚の方々は自分らの保身のことしか考えていないと思われました。もう少し、弱者を労わることも考慮して欲しいものだと思うことでした。今のままだと『亡国前夜』のような局面が出て来ると私は思われてならないのです。


拙著『礼節のすすめ』より住友生命・新井正明元名誉会長の紹介。

2010-07-27 16:40:14 | ブログ

タイトル----拙著『礼節のすすめ』より「一流人の芳翰 住友生命保険会社・新井正明元名誉会長」の紹介。第537号 22.07.27(火)

 道は則(すなわち)高し、美し、約なり、近なり。人徒(ただ)其の高く且つ美しきを見て以て及ぶ可からずと為し、而(しか)も其の約にして且つ近、甚だ親しむ可きことを知らざるなり。富貴貧賤、安楽艱難、千百、前に変ずるも、而も我は之を待つこと一(いつ)の如く、之に居ること忘れたるが如きは、豈約にして且近なるに非ずや然れども天下の人、方且(まさ)に富貴に淫せられ貧賤に移され、安楽に耽り艱難に苦しみ、以て其の素を失ひて自ら抜く能(あた)はざらんとす。(『講孟箚記』)

 人の人たる道は、高く美しく、また簡約で身近なものである。しかるに人々は、ただ道の高く美しい面だけを見て、初めから自分にはとても及びがたいものであると思い、一面において道が簡約でかつ身近な、はなはだ親しみやすいものであるということを知らないのである。

 富貴貧賤、安楽艱難など、身の回りがさまざまに変化しても、ただ一つの態度でこれに対しており、いかなる境遇に居てもこれを意識せず忘れたようである。

 これは、道というものが、簡約でありかつ身近なものであるからに外ならない。ところが、天下の人々は、その心が富貴によって堕落し、貧賤によって変えられ、安楽にふけり、艱難に苦しんで、平素の心がけを失い、そのような混乱から脱け出ることが出来ないでいる。

 然れども富貴安楽は順境なり。貧賤艱難は逆境なり。境の順なる者は怠り易く、境の逆なる者は励み易し。怠れば則ち失ひ、励めば則ち売るは、是れ人の常なり。吾、罪を得て獄に下り、吉村五明、河野子忠、富永有燐の三子を得、相共に書を読み道を講じ、往復益々喜ぶ。曰く「吾と諸君と其の境は逆なり。以て励みて得ること有る可きなり」と。(前掲書)

 この環境について考えるに、富貴とか安楽とかいうものは順境であり、貧賤とか艱難とかいうものは逆境である。人は、順境にある時は怠けやすく、逆境にある時は励みやすいものである。怠けると道を失い、励めば道を得るということ、これが人生の常の姿である。私は、このたび米艦によって渡航しようとして失敗し、その罪によってこの野山獄に投ぜられたが、吉村五明、河野子忠、富永有燐という三人の友人を得て、共に書を読み、人たるの道を窮め、互いに意見を交換してますます喜ぶに至った。   

……

 『南洲翁遺訓』にしても四書五経等々にしても、意味が分からず、ただ読む、書き写すだけの日々を送ってから三十年近くの歳月が流れました。貧しく苦しかった私は、多くの古典によって支えられました。このブログをご覧になる方は私ほど「貧しく苦ししい」ことはないと思いますが、でも、大変参考になると思うのです。大した勉強をしたことのない私が言うのも変だが、学問ほど大事なものはない、という思いに至りました。


偉人の紹介「ムッソリニ」

2010-07-24 11:46:50 | ブログ

タイトル----偉人の紹介「ムッソリニ」。第534号 22.07.24(土)

 ムッソリニはイタリア元首相で、1883年ブレダビオのドヴィア生れ、父は鍛冶屋であった。幾多の波乱の多い生涯を経て、世界大戦後ファシズムを起こし、独裁政治を行った。

 出来るからではない、為(し)なければならぬから為(す)るのだ。

 ひしひしとロ-マの城門に迫った九萬の黒シャツの健児たち、『われらが立たなければ、イタリ-の滅びるのをどうすることも出来ない!』。

 かくて腐敗した政治家たちは息をひそめ、イタリ-の国は甦った。有名なムッソリニのロ-マ進撃----。

 さて大命を拝受して、内閣組織を終えたムッソリニは、休憩する暇もなく、すぐに仕事にとりかかった。まず第一は、ロ-マに入っている黒シャツ隊をそれぞれ故郷に送り返すことである。あまり長く首都に滞在させることは、却って混乱の元である。

 ただちに鉄道長官が呼び出された。『今夜八時から、二十四時間以内に、四万の黒シャツ隊を、郷里に送還するよう、手配をして貰いたい』。長官は驚いた。

『えッ、二十四時間以内に----? それは駄目です。戦時でも、とても出来ないことです。少なくとも三日なくては----』

 しかしムッソリニは厳として言った。『可能か不可能か――わしは君の意見を聞いているのではない。わしは二十四時間と言った。それを命ずるのじゃ。わしの命令を、貴官は実行しさえすればいいのだ』

『しかし、実行不可能なことを----』と、長官はなお、申しのべようとしたが、ハッと口を噤んだ。その目、その態度----何人もムッソリニの命令に抗することはできない。

 こうして鉄道長官は、直ぐに非常時の処置を断行した。鉄道は全能力をあげ、一分、一秒----セコンドの刻むごとに、黒シャツを満載した列車は、ロ-マの停車場から、四方へと運ばれて行く。

 見る見る、黒シャツの波に浸されたように見えていたロ-マの都は、大水の引いたあとのように、もとの平静にかえった。

 鉄腕首相ムッソリニの厳命は実行されたのだ。不可能は可能となった。翌日、ムッソリニはまた鉄道長官を呼んだ。

『君、とうとうやったね』 『はア、やっと』

『どうもご苦労だった。あの時、君は驚いたらしかったが、我々は何時でも、出来るからこれをするのではない。しなければならないから、それをするのだ。我々のロ-マ進撃でも、最後の瞬間まで、それが可能かどうか、わしも知らなかった。ただ、国家のためどうしてもしなければならぬからしたのだ。そして、すれば出来るのだ。君の鉄道事務でもその通り。――いいかね、判ったかね』

………

 「成せばなる 成さねばならぬ 何事も ならぬは人の 成さぬなりけり」と言う言葉もあります。先ずは実践することが大事だと思うのです。

 我が国では、一応は平穏を装っていますが、年間三万人の自殺者がいるという現実を直視し、善処策を講じる必要があると思います。そうでないと江上剛著『亡国前夜』の如き事態が必ず起きるでしょう。それは我々老人が旅立ってからかもしれません。

 先般の参議院選挙で自民党は躍進したものの、これは民主党に投票した人々が、自民党と同じではないか、寧ろ悪いではないか、という人々の票だと思う。民主党は労組とのつながりがあるから、それを斬ることが出来ないのです。そして「外国人参政権」「夫婦別姓」の問題等々国民が納得しかねる政策を法制化しようと狙っているわけですから、国民からの同意を得られないのは当然でもありましょう。

 政権党は穏やかに、明確に国民に説明することが求められていると思います。そして甦りを期待している自民党も、天下りと特別会計に対して、検討するということを表明すれば国民は自民党を支持するようになると思います。

 ここで、ある野人の方の著書より紹介します。

《ただ仮に(今回の参院選で)民主党が負けるとしても、自民党の復活はない。それは間違いないわ。だからこそ選挙前になって自民党が割れて、「たちあがれ日本」だの、「新党改革」だの、雨後の筍みたいに新党ができているんだろうけど、俺自身は民主党でもない、自民党でもない、「第三極」とかでもない、“本物の保守政党”が出てくるのを待ってるんだ。この根腐れした日本を立て直してくれる、日本の伝統文化や社会、自然を大切にしてくれる本物の保守政党が出てくるのをな。(後藤忠政著『憚りながら』p230) 

 私は、選挙後、多くの方々に意見を聞いてみました。集約して『憚りながら』の意見と同様の人々が95%でした。メディアが言う消費税も幾らかはあるものの、多数は異なっていました。老人でタッグを組んだ平沼氏らも「無駄遣い」に何故、言及しないのでしょう。

 『憚りながら』を購入して読んでください。そこいらのテレビに出て来る評論家の論説よりも遥かに読み応えがあると思います。肩書きのある人々は、口を濁しますが、これはまさしく正論・真実だと思います。