味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

昨夜の空手道指導風景---2.

2011-06-24 12:18:07 | ブログ

タイトル----昨夜の空手道指導風景---2. 第885号 23.06.24(金)

 「昨夜の空手道指導風景」をココログに書きました。内容から言うと、ココログとOCNと入れ替えた方がいいのかも知れませんが、個人のブログですからご海容賜りたく存じます。

 昨夜の二部の稽古は、各師範が用事があり早く帰りましたので、田上青年と二人して稽古をしました。いつもの通りの基本等々稽古をした後、田上青年に贈呈している「田上青年、人生に挑む誦句」を読んでみました。

 この方は、とっても心の優しい・美しい方なのです。私から幾ら厳しい指導を受けても根を上げるということはありません。特徴的に漢字に興味があり、私に次々と質問するのです。

 ただ、自分勝手に早口で読む傾向があるため、ゆっくりと、はっきりと読みましょうと、何回も何回もお話・お願いしました。

 ところがこの方は漢字には強いが、数字に弱いのです。手は何本ありますか、と聞いたら考えもしないですぐ答えるのです。片手の指は何本ですか、という質問にも、一回一回答えがちがうのです。手の指と足の指を合計したら何本ですか、という問いにも答えがまちまちなのです。

 昨夜は、私と二人きりでしたので、本腰をいれて覚えてもらうことにしました。間違った時は、ピシャリと打つのです。答えがデタラメの時、「貴方がでたらめを言うと、僕は自殺したくなる」と嘆いて言ったら、本当に心配した様子でした。

 過去にも断片的に数字について教えたりしましたが、これからは本腰を据えて取り組もうと思っています。

 田上青年が入会して十年が過ぎました。最初は突きが全くできず、私と青年との闘いでした。その青年の突きが有段者と同じくらい、決まるのです。彼は私の厳しい指導について来てくれました。

 田上青年に対する私の命題は、人との対応技術です。これを何とかしなければという思いです。仲間の師範は医者がどうにも出来ないのだから、(越権行為)ではないか、というようなことを言いました。でも私は、人様の子どもをお預かりしている以上、どうにか出来ないものか、十年間かかって突きができるようになったのだ、どうにかなる筈だ、という自分との闘いに燃えています。私は必ず出来ると確信しています。

 昨夜、考えもしないで、すぐ言うからでたらめになるのだ、と言ったら、正解が出るようになったのです。道のりは遥か遠いでしょう。でも、本人の、素直さ、良心、真摯さ、前向きさに愛情と厳しさを注いだら必ず出来ると信じています。

 私は連日・終日猛勉強をしています。昔遊びほうけていたからてす。最近、筑波大学村上和雄名誉教授著『生命の暗号』を読みました。同書を数人の方に贈呈もしました。贈呈した方々からは迚も喜ばれています。

 その著では、人間の遺伝子について説かれています。曰く、遺伝子が眠っている状態をオフと言い、それをオンにすることによって目覚め、事業成績の向上、能力の向上等々期待できるというのです。

 やらなければ前進はありません。駄目で元々、やってみようではないか、というのが私の持論です。72歳の私は、自分の今後と、田上青年に賭けてみたいと念じています。

 田上さん、素晴らしい人格にさらに磨きをかけるべく、厳しいかもしれないが頑張りましょう。人生、決してあきらめてはならないと思います。僕は、貴方が大好きです。大人の世界で言う穢れがないからです。


『陰騭録』の紹介---12.

2011-06-23 11:17:28 | ブログ

タイトル----『陰騭録』の紹介---12. 第883号 23.06.23(木)

 第882号に続きます。ブログで連続ご紹介しましたが、「陰騭録」を読む意義は連続してご紹介した方がいいと思い、そのようにした次第です。これを機会に安岡教学のドビラを開いてくださる方がおりましたら、有難く存じます。

 心学とは人間の根本を培養すること

 こういう風に世界を通じて、昨年あたりから人心の動向が変ってきている。ところが今の日本はどうか。イデオロギー万能というか、流行ですね。浅薄な進歩的文化人とか、暴力学生の振り回すイデオロギーの何たるかを問わず、ああいうもので人間のことが解決されるなどと考えるものがあったら、これぐらい浅薄で愚劣なものはない。

 少し常識のある人ならわかる筈であります。やはり人間に大事なことは、真人間になるということです。真人間になるためには学ばなければならない。人間の人間たる値打は、古今の歴史を通じて、幾多の聖賢が伝えてくれておる道を学ぶところにある、教えを聞くところにある。これを措いて頼り得るものはない。

 イデオロギーも法律も、科学も技術も、長い目で見ると、何が何だかわかるものではない。これが今日、世界の識者の結論であります。それがわからぬ人間ほど騒ぎ廻っておるわけです。

 先哲講座の意義・使命もまたそういうことを学ぶところにある。現象の世界のいろいろの問題に時々論及致しますけれども、この様なことは浮雲の変化のようなものであって、講座の目的ではない。真の目的はその現象の根柢であり、本質であるところの道・教えを学ぶことである。心学というものである。言い換えれば人間の根本を培養することである。

 だから専門の漢文でもやるのでない限り、訓古の学問など問題はない。どこまでも修己治人の学問であります。そうすればやがて時がくれば、自然、花も開く、実も成る、いかなる問題でも判断がつき、解決ができるようになる。これが活学というものです。したがってわれわれは絶えず自らの信ずるところ、また志すところを新たにするためにも、こういう文献を渉猟することが大事であります。p27

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 この書が出版されてから二十年が経過していますが、その間、世の中は急激な変わりようです。でも、人間が生きて行く上においての骨格・真髄は変わっていないと思います。人が生きている限り安岡教学は不変でありましょう。

 少しく難解なところはありますが、ギャンブルで時間を潰すより、精神的にもより意義あるものであるし、学んだ後も充足感・満足感は得も言えぬものがあると思います。

 『陰騭録』のご紹介はここでおわりますが、この種の本は致知出版社も発行していますし、アマゾンでも購入することが出来ます。二度とない人生、学んでみませんか。


『陰騭録』の紹介---11.

2011-06-22 09:41:07 | ブログ

タイトル----『陰騭録』の紹介---11. 第882号 23.06.22(水)

 第881号に続きます。

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 さらにおもしろいのはジエームス・バーナムという人であります。これはアメリカの大学で、空前の秀才と言われた人でありますが、若いときは型のごとく秀才にありがちの、マルクス主義に興味を持って、それに没頭した。しかし間もなくこれに矛盾や不満を感じて、マルクス主義でない共産主義はないものか、としきりに考えた。

 そうして亡命しておるトロッキーなどと徹底的に論戦した。しかし結局いかなる共産主義を考えても、人類の救いにはならぬということがわかった。そしてとうとう共産主義を批判する書物をたくさん書いておりますが、その一つに『西洋の自殺』という書物がある。これは共産主義と同時に自由主義、アメリカや自分の故郷であるヨーロッパ等のいわゆる西洋文明、またその社会に、徹底的にメスを加え、広汎なデータに基づいて、結局このままではだめだという結論を下しておるのでありますが、彼はこれに「自由主義の終焉」という副題をつけておる。

 要するにイデオロギーなどというもので、人間及びその社会を片付けようと考えるのは、とんでもない間違いだということを論じておるわけです。わが国でも確かダイヤモンド社であったか、「自由主義の終焉」という名で出版しております。p26

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 読書が好きな私は取りあえず読もうということで対処しているが、多くはシチメンドクサイということで入り口で、拒絶してしまうようです。読書にしても政治にしても、関心を持たないとやがてとんでもないことになるのです。

 現政権の中枢にいる偉い方は元カクマルというではありませんか。こういう人にしたい放題させていたら、国家存亡の危機になると私は思うし、『彼らが日本を滅ぼす』を書いた著者も同様に考えているのではないでしょうか。

 要は、日本という国の文明文化を変えることなく、体制を変えることなく、この国に住む人々に幸せになっていただく施策を、平和裏に行って欲しいものだということです。ただ、自分の名誉欲、地位、金に汲々としている政治家の何とおおいことでしょうと思っているのは、私一人ではないと思います。


『陰騭録』の紹介---10.

2011-06-21 11:32:13 | ブログ

タイトル---『陰騭録』の紹介---10. 第881号 23.06.21(火)

 第880号に続きます。再再度読み直し、こうして紹介しているわけですが、是非、関心をお持ちください。これは国民の、民族の幸福論に直結すると思うからです。

 前回、バラマキは良くないと書きました。これをマニュフェストに書いた諸君は、西欧ではやっていることだ、といいました。でも私共が住んでいる国は「日本」という国家なのです。

 国家には「国の個性」があります。民族の個性、いわゆるアイデンティティがあります。日本を西欧と同一視するのは納得できません。だから、安岡正篤先生の書物を読んで欲しいのです。それは、国民がどうしたら幸せになるか、国の安全と国民の幸せ論を書いているのです。

 人は何を学び、何をしなければならないのか

 そこで究極的にどうすればよいか。科学だ、技術だ、繁栄だというても、さらには政治や経済、あるいは学問だというても、長い目で見ると、実に頼りないものである。はかないものである。それはその中に存在する大事な根底を忘れておるからである。根底を把握しない技術や学問は人間を不幸にするだけである、それに翻弄されて、いわゆる運命に弄ばされて終わるだけである。

 しかし少しく冷静に観察すれば、その奥にもっともっと大事な、厳粛な理法というものが、道といものがある筈なのである。この理法を学び、道を行じなければ、われわれは何物をも頼むことはできない。二十世紀の後半にはいって、ようやくそういう結論に到達したわけであります。そしてそういう点から、今日の文明を批判するものがたくさん出て参りました。

 例えば共産主義陣営においても、ユーゴスラビアのミロバン・ジラスというような人がそうであります。彼はあのスターリンの権威を以てしてもあえて屈しなかったチトーを助けて有名でありますが、共産主義政治に疑惑を持つに至り、とうとうチトーと相容れなくなって投獄された。彼はその獄中の共産主義に対する忌憚のない回想と批判を書き、これを外国に持ち出させて、外国で出版しております。

 日本でも「新しい階級」という題で翻訳されておりますが、これを読むと、共産主義はどういうものか、ということがよくわかる。しかしそれよりも、まずマルクスの伝記を読めば、こういう人間の学問や目的が、いかに人間として相容れぬものであるか、ということが容易にわかるのであります。p25

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 健康で長生きしたい方は、こういう本を筆写したりして楽しんでください。私は多くの本を読んできましたが、最近またまた筆写して楽しんでいます。2日前、処分したノートには昭和60年頃一杯一杯書いてありました。当の本人はすっかり忘れていました。

 昨日、健康ランドへ行く途中、すぐ近くに在るパチンコ店から出てきた軽車両が外へ出ようとしたとき、上から走ってきた車両と衝突し、ドアはペシャンコ、タイヤは傾いていました。

 パチンコで負けてカッカッと来ている処へ今度は車がぶつかり、またまたカッカッしているだろうと思いました。あの事故なら人身へも影響があったでしょう。

 申し上げたいことは、どうせ負ける勝負ならパチンコをするよりか、読書をしたり筆写をした方が精神衛生上も如何にいいか、ということです。私は金を持っていないので、パチンコはしないことにしています。

 兎に角学ぶべきは『南洲翁遺訓』です。毎日読んでください。古川様も。

 


『陰騭録』の紹介---9.

2011-06-20 12:32:50 | ブログ

タイトル---『陰騭録』の紹介---9. 第880号 23.06.20(月)

 第879号に続きます。

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 また一方自由主義の諸国はどうであるか。人類の発展と幸福のためにつくった文明は、確かに大衆を向上させ、大衆社会は大へんな繁栄を致しました。しかし今日になってみると、大衆はただ自己のその日その日の平和・安逸・享楽を貪って、人間の大事な道徳だの、使命だのというものについては、全く堕落するばかりである。

 それにつれて世界の指導的権威として、その繁栄を誇ってきたヨーロッパの諸国は、今や著しく凋落してきた。イギリスもまた然りであります。七つの海を支配して、太陽の没するを知らぬ、とまで言われたぐらい繁栄を誇ったイギリスが、あの通りの始末である。いずれを見ても、そこに欲しいものは真に偉大な民族の、否、人類の指導者である。かつてはそういう指導者がおった。が、今日はそれが乏しくなった。これがイギリスの前首相の慨嘆であり、苦悩であるが、日本も同様であります。

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 安岡正篤先生の論考に触発されたわけではないが、長年古典を愛読してきた私としては、古典の意義、古典の有用性等々認識しているつりです。特に、『南洲翁遺訓』刊行の地、荘内南洲会の先生方の古典の叡智で構築した人格美に魅せられている昨今です。

 ために道場では、幼児を含めた門下生たちに、漢籍の一部を書きとりさせるようにしたのです。前回で第31号になりました。

 因みに①十八史略、②大学、③淮南子、④易経、⑤論語、⑥春秋左氏伝、⑦詩経、⑧小学、⑨書経、⑩近思録、⑪戦国策、⑫中庸、⑬孟子、⑭礼記、⑮伝習録、⑯伝習録、⑰荀子、⑱荘子、⑲韓非子、⑳荀子、(21)孝経。(22)史記、(23)貞観政要、(24)孫子、(25)墨子、(26)菅氏、(27)詩経、(28)文章規範、(29)唐詩選、(30)老子、(31)古文真宝とこういうわけであります。

 有り難いことに子どもたちは、書きとりをするために5時から始まる稽古を4時半にくるのです。やがて高校、大学、社会人と成長するにつれて、あの言葉は昔書きとりをした言葉だ、と思い自ら古典の書を買い求める時期が来ると信じています。そしてそれが安岡正篤先生が説く、徳性の涵養となり、それぞれの立場で必ず役立つと信じています。

 私は指導的立場の人は、志さえあれば誰でもいいと考えています。そして指導者が退いた後々、歴史的に国家の損害、個人の損害にならず、人々の精神を、生きていく環境を、そして子どもたちの健全なる将来に役立つものでなくてはならないと思います。

 そういった視点から推測するに、バラマキという行為は、絶対によくないと思うのです。仕事はせず、天から降ってくる金を当てにする人間を増産することになるからです。

 そういうことも洞察眼の中にいれて為政者は取り組んで欲しいものです。