タイトル----『禅とは何か』の書籍の言葉--2 第475号 22.05.30(日)
前回、第472号の続きです。この本は蔵書の中で一番愛読した本です。P42-10行から。
〈この一回ぽっきりの人生を束縛するものはあまりにも多い。この人生から手かせ足かせを除くにはどうしたらよいか。その具体的な方法について『菜根譚』はつぎのように説く。
人生は少しだけ減らすことを考えれば、その分だけ世俗から抜け出すことができる。たとえば、もし友人との付き合いを少しだけ減らせば、その分だけ煩わしいいざこざから逃れられるし、発言するのを少しだけ減らせば、その分だけ過失がなくなる。また、思案するのを少しだけ減らせば、その分だけ精神は消耗しないし、利口ぶるのを少しだけ減らせばその分だけ本性を全うすることができるのである。それなのに、日毎に少し減らすことを努めないで、かえって日毎に少し増すことを努めている者は、全くその一生を、自分から手かせ足かせで束縛しているようなものである。(今井宇三郎注、岩波文庫本による)〉
この書を何回読んだことであろうか。しらずしらずの内にこの教えが身についたのであろうか。会社勤めをしていた頃の仲間との交際、会社の記念日の懇親会等々、私は一切出なくなりました。その時間に、勉強をした方が遥かに有益で意義があると思い、習性となったようです。特に逢いたいという友人には電話をし、意思の疎通をしているのです。
〈人生において何事も少しだけ減らす、少しだけ退くということが如何に大切であるかがわかる。少しでも金をもうけたい、少しでも他人よりえらくなりたい、少しでも美人を妻としたいなど、われわれの物欲は少しでも増すこと、殖えることにむかうため、その一生をがんじがらめに縛ってしまうのだ。
臨済宗中興の祖といわれる白隠慧鶴(はくいんえかく)の著である『遠羅天釜』(おらてがま)も『菜根譚』と同じように説く。
けだし五無漏の法り、眼妄りに見ず、耳妄りに聞かず、舌妄りに言はず、身妄りに触れず、意妄りに思慮せざる時は、混然たる本元の一気、湛然として目前に充つ。
五無漏の「無漏」とは「漏」のないこと。「漏」とは人間の身体から漏れるものはすべてきたないので、仏教で煩悩のことを漏というのである。無漏とはすなわち煩悩のないこと、悟りのことをいう。見たり、聞いたり、しゃべったり、触ったり、無駄なことを考えたりするなということである。われわれはあまりにもこれと反対の生活をしすぎている。この白隠の五無漏の法を守るならば本元の一気が満ち満ちてくるのだ。これは白隠の内観のやり方なのである。白隠にしろ、『菜根譚』にしろ、自分を束縛するものは、すべて少しでも欲しい、という物欲にねざしていることを説くのだ。自分を束縛するものは何か。それは自分の心である。自分の心が手かせ足かせとなって、自分自身を苦しめてゆくのだ。
それでは自分を束縛しているものを解放するにはどうしたらよいか。それは自分の心をからっぽにするのだ。自分の心を仏にするのだ。解脱というのは束縛から解き放されることである。好きだ嫌いだ、幸福だ不幸だ、美味しい不味い、などという一切の妄想をたたき破って天空に輝く日月のようになることだ。われわれ凡人はそんなことはできない、というかもしれないが、たえず不断に精神を鍛錬工夫すればかならずできることである。現代の世の中では自己を鍛えるとか、精神を朝鍛夕錬するということはほとんどなく、自分に甘え、親に甘え、学閥に甘え、社会に甘えるもやしのような人間があまりにも多い。無心になるとか、無念無想になるとはどういうことか。『菜根譚』はそれに明快な答えをだしていう。
近頃の人は、専心、無念無想になることを求めるが(かえってそのために雑念を生じて、)結局、無念無想になれないでいる。ただ、前念をとどめてくよくよすることもなく、後念を迎えてびくびくすることもなく、ただ目の前に起こっている物事を、次々に片付けて行くことが出来れば、自然にだんだんと無念無想の境にはいっていくことができよう。
無念無想になることを求めようとすればするほど妄想はおこるものである。一度坐禅をしてみればよい。妄想がつぎからつぎへとおこってきてどうしょうもない。過去にした失敗をくよくよするのは無駄なこと、また未来のことをあれこれ心配するのは無用なこと、やることはただ今のことだけだ。一回ぽっきりの人生のただ今のことをつぎつぎに処理してゆくこと、これが無念無想にほかならない。〉P45
ここで私の体験を付け加えてみます。この書を読んで以降、数多の書籍と邂逅しました。そこで中村天風師の言葉を覚え、諳んじることにしたのです。ところが、精神の澱みがなくなり、得も言えぬ涼風が全てを洗い流し、清清しい気分となり、気魄が充満してくるようになりました。あなたも、やってみませんか。私は続けます。
今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず、正直、親切、愉快に、 力と勇気と信念とをもって、自己の人生に対する責務を果たし、 恒に平和と愛とを失わざる立派な人間として生きることを、 厳かに誓います。『成功の実現』