味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

蓬も麻中に生ずれば、扶けざるも直し。

2016-02-29 11:13:18 | ブログ
第2617号 28.02.29(月)
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(よもぎ)も麻中に生ずれば、扶けざるも直し。『荀子』
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 よもぎは元来は曲がりくねって生育する。しかしそれさえも、まっすぐの麻の中で育つと、自然にまっすぐに伸びる。
 人の育ちも、環境次第である。383

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 【コメント】今日で二月も終わり、日に日に暖かくなってくると思い嬉しくなります。上の解説で〈人の育ちも、環境次第である〉とありますが、まさしくその通りだと思います。
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 だから私がお預かりしている空手道教室の子供たちにも、よい環境でなければならないと思って心を配っています。
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 でも今朝はショッキングなテレビ報道ニュースを見ました。町内会の会費等々を会長が「私的に使い込んだ」というのです。あろうことかこの会長様は、元警察官で現職時代は捜査畑で働いていたとか。空いた口がふさがらないとはこういうことを言うのでしょうか。
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 世の中を知らない未成年の方ならいざ知らず、世の中を知り尽くした人が、善良な町内会の人々の心をふみにじることがあってはならないと思います。
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 私も四年前、町内会の会長に担ぎ出されたことがありました。その時、前人の会長が使い込みをしていたとかで、いろいろありました。変なことをすると、真面目に仕事をしたことまでも、全て台無しになります。人様から信頼をなくすることほど悲しいことはありません。
 中村天風師の著書を拝読すれば、いろいろ解説されています。出来れば参考にして戴きたいと思います。

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『臥牛菅実秀』(第153回)
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 政府軍の着ていた新式の毛織の軍服をフランケ(フランケットの略)といったのをもぢって、藁でつくった蓑をワランケといったのである。いもはさつまいもで薩摩兵、ぼたもちはお萩ともいうことから長州の萩にかけた長州兵のことで、ワランケ部隊は装備はおとっていても、敵を『一と噛んじりダー』という軒昂たる意気を歌ったのであった。荘内の農、商兵はこの歌を唄って『宮さん宮さん、御馬の前にヒラヒラするのは、なんじゃいな----』と唄う薩摩郡と戦ったのである。
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 実秀の一行は、さらに農兵を募るために山浜通りを廻っていたとき、小波渡村で、敵軍が鼠ケ関(山形県と新潟県の境)を急襲したという報告を持った者と行きあった。驚いた一行は、すぐ城中に急報しようとするのを、実秀は抑えた。

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『教の国 荘内』(第44回)
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 次に風味であるが、これは今日の話を以ていへば「教」の実際的考究、実行的吟味である。古聖賢の教を、其の時と處とを異にする現在の、此の處に於て、此の事に従事する自分として、如何に之を眼前の実行に実現して行くかといふのである。中庸に学問の五段階を示して、博学、審問、慎思、明弁、篤行となしているが風味とは、其の慎思、明弁等の段階に當るものと謂ひ得よう。従って同じ講席に列して同じ聴書の講義を聴いても、其の風味の仕方は其人個々によって自ずから異るものがあるわけであって、「教」の実行的価値は此処に到って真に其価値を発揮するものと謂うべきであろう。而して其の風味の結果は自分勝手に一人決めすることなく、慎思の後師の許に至りて之をただし、其の許を得て然る後始めて之を実行に移すといふのである。
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『農士道』(第429回)
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 近時各地に饌田の設置を見るに到った事は誠に慶すべきことであるが、其の思想的根底は、實に此の「大年」の思想信仰にあるべきである。故に饌田を国学的の名称を以て呼べば、當に「大年の御田」と称すべきであろう。而して又吾々日本人が田畑から種々の作物がとれると、先ず其の初物-----初穂を神前に供えて然る後食ふということも、亦この「大年」の思想に根ざした懐かしい慣わしである。
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「昭憲皇太后御歌」
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 二十七日 おほぞらにそびえて見ゆるたかねにも
        登ればのぼる道はありれり

 (精神一到すれば、為し遂げられないことはありません)

日に心を以て闘う。

2016-02-28 12:12:06 | ブログ
第2616号 28.02.28(日)
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日に心を以て闘う。『荘子』
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 人間は毎日、それぞれの心の持ちようによって、あるいは他者と、あるいは自分の欲望と闘っている。人の心のあさましさである。341
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 【コメント】解説では、日々の〈心の持ちよう〉が、人の心のあさましさであるとしていますが、その心の持ちようが情熱を持って模索・実践することにより、より明快な答えを導き出すことにもつながるのだと思います。要は前向きで諦めない日々の実践が要諦でしょう。
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 昨夜の御稽古は、子供たちがにぎにぎしく演じてくださいました。終盤の『南洲翁遺訓』発表で優李さんが、第25章をみんなと一緒に諳んじてくださいました。そしてワンスーの型の時、交叉立ちも致しました。日々の訓練の大切さを痛感いたしました。
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 子供たちの躾には手がかかりますが、それでも私自身は楽しいです。振り返って、昔の大家族と今日の核家族とどちらがいいと言うのでしょう。せいぜい長く生きても100年です。その100年の生き方論として、平和と繁栄をスローガンにして人間の心を空しい性が支配していいのか、昔ながらの方法がいいのか、冷静に議論して欲しいものです。
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 でも今の政治家ではダメです。建設的にして有意義な議論を数年間聞いたことがないからです。

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『臥牛菅実秀』(第152回)
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 「省助殿は、さすが出納を担当する人だけに万一、戦に敗れたときは、金力をもって将来をはかろうという深い考えから、出金を拒んだものと思う。」
 そして、この高橋は、明治二年、荘内藩が起した移封阻止運動の資金面の担当者となって、実秀の縦横の活躍をたすけたのであった。
 荘内藩の農兵隊、商兵隊はこの戦争の全出動者、四千五百六十名の中、農兵は一千六百四十名、商兵は五百七十であって、そのめざましい活躍は『戊辰荘内戦争録』にも随所に掲げられているし、『荘内の農町兵の果敢にして士にも劣らぬ奮闘せるは、他藩に見ることなし。』と村井絃斉は『西郷一代記』の中で感嘆している。
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  このとき農、商兵は、
    荘内男子はノー
    ワランケ着ったトーテモヨ
    軍をさせれば鬼じゃもの
    いもや、ぼたもち
    一と噛んぢりダー
と歌いながら進撃したのである。

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『教の国 荘内』(第43回)
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 讀みが済むと次に講義に入る。此の講義が又流石に百数十年の正しき伝統あり歴史ある蕃学の講義で、一言一句等閑に発せず、恰も経書の古註其のままのやうな厳粛な講義である。何でも聴く處によれば或る講師が講義をする前に、二回乃至三回の講師間の相互研究をなし斯く解釈すると決定して後之を講じ、其の講義の場合にも亦一名の控の講師が付いていて、其の講義を倍廰し、講義を了すれば再び講究の上、若し過誤あれば一言半句と雖も次回に必ず之を訂正するといふ厳正さである。
 苟も講義が「教」として、行為の規範として之を律する力を有つ為には、矢張りかかる慎重にして確的なる講義が必要だと泌泌思はせられる。當に巨像が河を渉るやうな徹底さを覚えしめるものがある。

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『農士道』(第428回)
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 大年は實にかかる神徳を有するで、五穀豊穣の守護神である。現在で大蔵神社といふ社があり、又主として関西農村で祭る「御社日様」に対して、東北地方では「歳徳神様」を祭るが、是れ即ち此の神霊を祭るものであらう。ただ此処に吾々の大いに留意すべきは、高天原の農神たる豊受大神に対して、此の大年は、何れかといへば「臣」の立場に於ける穀であって、其の生産されたる穀物は之を天皇に捧げ奉る-----即ち田寄しするであるといふことである。この精神は須佐之男命が八俣の大蛇を退治して得たる草薙剣を「異しき物ぞと思ほして、天照大神にまをし上げたまひ」たる奉仕献帰の精神の延長とも謂うべく、實に日本臣民の尽忠奉公の精神を顕かにするものである。
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「昭憲皇太后御歌」
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二十六日 しげりたるうばらからたちはらひても
         ふむべき道はゆくべかりけり

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    (あらゆる困難を切り開いてでも正しい道を進むべきです)
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瞻るとして父に匪ずということ靡く、

2016-02-27 11:09:44 | ブログ
第2615号 28.02.27(土)
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(み)るとして父に匪ずということ靡(な)く、依るとして母に匪ずということ靡し。『詩経』
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 われわれが仰ぎ見る人は父、寄りそうて頼りにする人は母。なんといっても父母がいちばん大切だ。176
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 【コメント】大変大事な教えではあると思います。それと同時に、仲間の恩愛、知人・友人の恩愛も大切にしなければならないと思います。
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 そして自らも人格を高め、後輩子弟にかくあらねばならないと思います。昨日は体調不良のため、病院通いでした。老体に向け、車検(者検)充電をしなければならないと考えます。

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『臥牛菅実秀』(第151回)
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 そのとき実秀は満腔の憤慨を、この人にぶちまけたのである。
「戦がここに至るのは最初から覚悟していたことで、いまさら驚いて興奮しているのではない。今年の春に江戸を去るとき、荘内を焦土にしてたおれようといったが、そのときは眼前に迫ってきた。今日の急務は藩内、誰ひとりして目先の安全を願う心を持たず、城を枕にしてたおれることだ。そのためには少しでも多くの銃器を与えて、こころよく戦ってもらいたいと願うだけである。ところが郡代の方々は、この際になっても出金を惜んでおられるが、そんなことをして金銭を積んでみても、いたづらに敵の用に供するだけではないか。------それにしても、目先の安全だけを考える人のいることは痛嘆に耐えない。」
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 それ以来、高橋省助は軍費については一切、異議を唱えなかった。一方、実秀は、その高橋をつぎのように称賛していた。

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『教の国 荘内』(第42回)
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    2 講 学 の 順 序
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 次に荘内では經書の講義をなすに次の三段階を頼むやうである。
  1 讀み
  2 講義
  3 風味
 讀みの調子は如何にも荘内人の人柄を思はしむるやうな、一言一言確実にドッシリドッシリと讀み、句読点の箇所はグッと力を入れて短く切る読み方である。松下村塾や楓林荘のやうな南国らしい優美な調べに缺くるかも知れぬ。又水戸の講道館流の気骨稜々たる巖々の調べも無いかも知れぬ。然し其等の優しさや強さをグッと裏に深く蔵して一言一言の何の飾りもなく讀んで行く中に、聴いていると不尽の妙味が味はれて、老熟した謡曲の調べを思はせるものがある。

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『農士道』(第427回)
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 大年ノ
 このは農業に大いに関係あるである。即ち「其はの霊もて、田に成して、天皇に寄奉り賜ふゆえに云へり」と本居宣長翁も古事記伝に説いているが、、「年」は「田寄し」の意で、穀物(田より生れるもの)を天皇に寄し奉るの意である。由来吾が日本国に於ては、国土山川草木すべて是れ皆祖神より生れましたものであるが故に、これより生ずる穀物は、其の祖神の延長にまします天皇に依さし奉る------「よさす」は、「よす」の敬語、「よす」は寄らする、接近させる、送る、つかはす、ゆだねる、まんせる等の意義を有する語で、即ち生産物を天皇に捧げ奉ることが、肇国の道に即せる日本農道の精神である。かくて穀物を収穫して之をすめらみことに寄さし奉ることを一度すれば之を「一年」といひ、二度すれば之を「二年」といふのである。218

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「明治天皇御製」
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 二十五日 あさみどり澄みわたりたる大空の
        廣きをおのが心ともがな

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    (心は広く大きく持ちたいものです)
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無逸を所とす。

2016-02-26 11:26:34 | ブログ
第2614号 28.02.26(金)
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無逸を所とす。『書経』
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 君子は、逸楽にふけらぬということを自分の心身のおきどころとする。215
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 【コメント】君子ならずとも、逸楽にふけらぬようにしたいものです。昨夜の空手道指導の際も、非違行為をしないことと、命を大切にしてくださいとお話しました。
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 連日と言っていいほど、若い人の車両による死亡事故を含めた事件が発生しています。大学生の我が子が、死亡するとか、重傷を負った時のご両親の悲しみはいかばかりでしょう。
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 幼い時からしたい放題させて甘やかせたツケが来たのでしょうか。平和と繁栄には躾の厳しさもなければならないのです。

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『臥牛菅実秀』(第150回)
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 この春山の怒りを実秀は烈しく切り返した。
「今回、われらの集めたのは金子ではなく、軍用の銃器である。軍事掛として必要あってしたことで、郡代の関与すべきことではない。それにここは軍事の機密を取り扱う場所で、他人のみだりに出入りすべきところではない。しかるに勝手に出入りしている貴殿こそ、どういう考えなのか、それをまず承ろう。」
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 返す言葉に窮した春山は満面に怒気をみなぎらして詰所を出ていった。
 郡代首席の高橋省助は、この一件だけでなく、近頃の実秀の言動がとかく烈し過ぎるのは、何か心の底にあってのことだろうと思い、ひそかに実秀の家にいって、その真意をたづねてみた。

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『教の國 荘内』(第41回)
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 尤も講義は冗漫を嫌ひ、普通一回の講義は論語ならば両三章を取り一時間内外で之を了とするのであるから、慣れて来ればさほど辛い姿勢ではない。そして又机も見臺も要らぬのであるから、人数が五人や十人増えようと減ろうと講堂の設備の上には何等の影響も無く至極便利なものである。聴講に於いて、学問に於いて、私共は其の設備、其の形式に於いて、西洋流のそれと、東洋流、日本流のそれとに就いて改めて再検討を要する時であらうと思う。
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『農士道』第426回
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 須左之男の御子に八島士奴美ノ、大年ノ、宇迦之御魂ノが生れます。今これらの神々の神徳を思うに、
 八島士奴ノ
 八島は彌島の約で、大いに発展する土地の意。士は知で、「知らす」(治らす)の意。奴は主の意。故に八島士奴美は彌彌発展する土地を統治する主のの意。長兄の徳は矢張りかくあるべきものであろう。

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「昭憲皇太后御歌」
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 二十四日 おこたりて磨かざりせば光ある
        玉も瓦にひとしからまし

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     (智能も熱心に磨かなくては光を発しません)
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我が輩豈是れ蓬蒿の人ならんや。

2016-02-25 10:36:25 | ブログ
第2613号 28.02.25(木)
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我が輩豈是れ蓬蒿(ほうこう)の人ならんや。『古文真宝』
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 自分はいまこそこういうふうにしているけれども、いつまでも貧乏をしているわけではない。必ず世に頭角を現わしてみせる。(李太白「南陵に別れを叙す」)542
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 【コメント】大変力強い言葉であります。〈世に頭角を現わ〉すことが出来なくても、生を得てから閉じるまで、人様と仲良くし、共に切磋琢磨していければ、それでいいのではないかと考えます。
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 大統領候補のトランプ氏は大金持ちらしいが、やがて生を閉じた後、オオボラも吹いたが、人々のためによくやったと言えるようにして欲しいものだと思います。
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 言葉で威嚇することは仕方ないでしょうが、戦争をしてはならないと思います。

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『臥牛菅実秀』(第149回)
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 しかし新鋭の銃器の調達には莫大な経費を要することなので、郡代に拒否されて実現できずにいたのであるが、戦局の緊迫につれて、実秀は有志の人々から兵器購入のために献金してもらおうと考えた。そこで家老石原平右エ門、郡代中世古甚四郎らと村々を廻って富農に説き、小銃数千挺に該当する金額を調達することができた。
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 ところが郡代春山半内(安均)は、実秀が独断で資金を集めたことを憤慨して、軍事係の詰所にでかけていった。
「すべて金穀に関することはわれわれの職掌であるが、貴殿はわれらに一言の相談もなく、勝手に金を集めた。これは職掌を犯すというものである。貴殿はこれを何とお考えかは知らないが、当方としては今後、一切の相談に応じないことにする。」

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『教の国 荘内』(第40回)
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 舊藩侯父子が聴講せられる時は、其の着座を待って一同粛然として敬礼する。講堂に漲る気分は実に静粛なるものである。講本は各自御書物風呂敷に包んで携帯し、之を開巻すれば、謹んで敬礼する。猶此の文会堂に於ては机を用いぬので、書物を畳の上に直接に置き、正しく両手をつき上体を前に屈して聴講する。如何にも敬虔そのもののような態度である。一体西洋流の椅子にふんぞり返って聴講する今の学校風の姿勢と、正しく畳の上に坐って聴講する日本古来の学道の姿勢とでは、姿勢其のものから来る気分のみでも大いに異なるものが、それが更に両手をついて聴講するに至っては、敬粛の気自ら堂に満つるをほ覚えて来る。
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『農士道』(第425回)
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 かくて須佐之男命----正しき御名は「建速須佐之男命」と申すのであるが、その猛々しく速り(逸り)荒める男子の大勇猛心が、其の力をかくも農村開拓に用いられてゐるのである。彼の八俣の大蛇退治なども、善良なる農民に危害を加える寇賊(こうぞく)を討伐したものと見るべく、恰度現在満州国に於ける匪賊討伐の如きものであったらう。實に農村援護の聖戦であったのである。
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 嗚呼、建速須佐之男命!
 亦尊き農村開拓の守護神なる哉。
 須佐之男命が出雲経営に当って、農村開拓に御心を注がれ給いしこと實に此の如きである。従って其の御子孫には又農業に関係ある神々が甚だ多い。ここにそれらの神々に就いて深くその徳を偲んで見たいと思う。

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「明治天皇御製」
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二十三日 疾き遅きたがひはあれどつらぬかぬ
         ことなきものはまことなりけり

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     (誠実は成功の基です) 
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