味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

生きていることに感謝。

2010-12-31 10:51:38 | ブログ

タイトル----生きていることに感謝。第704号 22.12.31(金)

 2010年、平成22年も今日で終わることになります。この一年、多忙な日々でございました。今年だけでなく、私の人生は多忙極まる日々の連続であったようです。でも、当の本人は有難いと思っています。多忙ということは、前に進む、挑戦するということです。挑戦するということは、元気が出てくるということです。

 今朝、6時半に起き、新聞受けのところに行ったら、外は銀世界でした。ウワァと思わず叫びました。とっても美しい白銀の世界でした。多分10センチくらいは雪が積んでいるのだろうと思いました。

 荘内の方々は見慣れた風景でしょうが、南方の私どもには大変珍しい風景なのです。朝の味噌汁を作ってから外を歩いてみました。この処一年以上前から、朝の味噌汁は私が作ることにしているのです。お陰で一人になっても飢えないためのご飯づくりは出来るようになりました。お味噌を溶かしながら、たった二人分だけど、毎日の味噌汁作りがすぐきてしまうようでキリキリマイしています。その時思い出すのは、10人の子供を産んで育てた母のことです。ブツブツも言わず、せっせと終日働く母の尊い姿でした。当時は、どこの母親も同じであったのです。

 雪が降り積もった道を歩きました。早朝から、子供が雪合戦をしていました。そして近所のご夫妻が雪ダルマを造っていました。

 最近から、多忙な合間を縫ってパール・バック著『大地』を50年ぶりに読んでいます。厳しい環境の中で生き抜く王龍(ワンルン)と阿藍(オーラン)夫婦が織りなす人間ドラマに感動しています。「真に生きるということの意義」を著者のパール・バックは人々に問いかけているようにも思われるのです。平和と繁栄にどっぷりと浸りきった今の日本人には理解出来ない、日々の生き様だと思います。一部、ご紹介します。

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 やがて、災禍はこれでもまだ十分でないかのように、阿藍はまた身ごもって、乳がとまってしまった。家じゅうが、食べものを求めて絶えず泣き続ける赤ん坊の声に戦慄した。----

----王龍は、できるかぎり牛のめんどうをみていた。牛には少量の藁や蔓をあたえていたが、それがなくなると、林から木の葉を集めてきてあたえた。しかし冬がくると木の葉も手に入らなかった。耕すべき土地もなく、たとえ種子をまいたところで全部干あがってしまった。その種子もいまは全部食べてしまったので、牛を放して勝手に自分で食物をあさらせることにした。盗まれないように牛の鼻に通した綱をもたせて、長男を一日じゅう牛の背にのせておいた。しかし、とうとうそれすらできなくなった。

 村の人たちが、隣家の人たちでさえ、子供をおっぽり出して牛を奪い、殺して食べてしまうかもしれないからだ。そこで戸口のところへつないでおいたが、牛は骸骨のようにやせ細ってきた。

 そのうち米も麦もなくなり、ほんのすこしばかりの大豆と、わずかばかりのトウモロコシしか残っていない日がきた。牛は飢えのために低くうなっていた。老人が言った。

「このつぎは牛を食うだ」

 王龍は声を出して泣いた。彼にしてみれば、「このつぎは人間を食うだ」と言われたようなものであった。彼がまだ若いころ、仔牛のときに買って以来、この牛は彼の仲よしだった。野良では彼の相棒であり、その日のきげんしだいで、ほめたりののしったりしながら、いっしょに畑を耕してきたのである。

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 人間が生きるために、極限の状況下の中で精神的に葛藤をしている様をあますところなく描写している著者の観察眼に、その洞察力の鋭さをみました。

 平和と繁栄は素晴らしいものです。が、その平和も繁栄も、人々の努力なしでは享受できないのです。でも、今の日本人は生活が苦しいといいつつも、どこが贅沢をしているところがありはしないでしょうか。

 先般、NHK放送の中でのヒトコマに首を傾げざるを得ないシーンがありました。曰く大学生が、「会社に入社する条件の一つとして、時間外勤務の賃金を貰えるか」ということも選択肢の中に入っていると発言しました。

 なんと贅沢な、と思いました。時間外勤務の賃金は当然支払うべきが法律でも定められてはいるのです。でも、この若い青年は、それが当然の権利だといわんばかりなのです。

 ここで経営者に忠告しておきます。こういう類の人間は採用すべからず、と。こういう種類の人間は、会社の経営状況・効率など関係なく、金を手にしさえすればいいのです。そして仕事は大概にして、上役の眼を盗み仕事の手を抜くのです。私は過去、そういう労働組合幹部のずるさを、そしてそれらに扇動された怠け者たちをいやというほど見てきました。

 人間は、汗水たらして働き、どんなにきつくてもへこたれず、仕事に取り組む姿が一番尊いのです。そして働いた後のダレヤメの一滴に、栄養効果と人生の美味があるのです。

 昨昨日、アマゾン秘境のジャングルで生きる人々の生活風景が紹介されました。曰く「ずるいことをした者どもは、あの世で大変な目にあうのだ」と。天風師も同様のことを言っていると私は思っています。

 適うものなら、老い先短い先代の宗家に、次の宗家を受け継いで欲しい、と懇願される明鏡止水の精神と、清廉さと、度胸とを持ちたいものですが、普通の我々には詮無いことではありますが、そういう士(もののふ)が存在するという指標を心の糧として邁進したいものです。

 今年最後のブログに『大地』を紹介しながらいろいろ綴りました。この一年、皆さま大変ご苦労さまでした。そして拙い私のブログを見てくださった方に満腔の謝意を表します。 
 

 来る年も、力づよく、前向きに生き抜き、真の幸せを味わいたいものだと存じます。この一年有難うございました。


『國の個性』の紹介。

2010-12-30 14:34:08 | ブログ

タイトル----『國の個性』の紹介。 第703号 22.12.30(木)

 國の個性

 アメリカも日本も、「國の個性」に生きよう。世界の國々もみな。 木内信胤

 この書籍を購入したのが平成7年(1995)10月でした。15年以上の長きに亘りNHKのテレビコラムを拝聴してきました。そして録画もしてきました。この書籍の紹介をしてくださったのが東京工業大学・芳賀綏教授(当時)でした。芳賀綏教授の講話は実に明快でした。懇切丁寧に講話してくださるのを、高鳴る動悸を押さえながら聞き入ったものです。そして芳賀綏教授の講話は今でも歩きながら聞いています。芳賀教授の講話のお蔭で20冊以上の書籍を購入しました。NHKの多くの番組を録画し、かつ拝聴して来ましたが、芳賀教授の講話が私には一番よかったような気が致します。芳賀綏先生、本当に有難うございました。序文をご紹介致します。(原文のままご紹介します。)

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 序文

 戦後の我々日本人は、その圧倒的多数が、アメリカを大変えらい國と思ひ、アメリカの跡を追ふ暮らし方、引いては國造りまで、その考え方で行って来ました。

 その考え方に動揺が起ったのは七〇年代に入ってからですが、最近のアメリカの転落振りは、まったく甚だしい。しかし私の場合、”かうしていたらアメリカは危ない“と気が付くやうになったのは比較的新しく、昭和五十八年(1938年)も暮に近い頃でせうか。まだまる三年とは経っていないのです。

 そのあと、いろいろの偶然に恵まれて、我々「世界経済調査会」の仲間は、1984年9月から、特殊なスタイルのアメリカ研究を始めた

 一ケ年と少したつた時、すなはち昨年の十一月には、この研究は『アメリカ経済=危機の本質』と題する一冊の本になるといふ経過をたどったのですが、この研究によって我々は、“アメリカ経済は確かに危い”  “そのわけはわかった” と思ふやうになったのです。そこで、「わけ」がわかった以上、“ではどうすればいいのか”といふ「対策」の研究に入れる。事実、私はその研究を、「世界経済調査会」の機関誌『世界経済』に、毎月の巻頭論文を自分で書く、といふ形で、昨年の十二月から始めたのでした。

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 いまにして気の付くことは、戦後の私は一貫して、「國の個性」に極めて高い価値をおき、國の在り方、國民の心の持ち方の基本を、そこに求めるという考え方であったといふことです。しかし昭和三十年の私は、まだ“その発見のために”といふ言ひ方しか出来なかった人間、それから三十年たつたいまの私は、日本のみならず、アメリカも世界の國々も、すべて「國の個性」に生きてこそ、よき世界が実現する、と確信する人間となったのでした。

 このことに気が付いて私はいま、唯独り、涙のこぼれるやうな感激にひたっているところです。

 昭和六十一年十月三十日            木内信胤

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 かねがね読まないジャンルの本でしたが、当時は鮮明に理解出来なくても後で、こういうことであったか、という理解が出来てくるものです。漢籍をはじめ訳が分からないまま読み漁って来ました。今思うに、これがよかったのだ、ということです。

 円心会空手道の若手師範たちも、読みたい、書きたい、書けるようになりたいという気持ちはあるようだけど、どうも欲がないというのか、乗ってこないようです。でも私は、一人でやり続けるつもりです。

 これほど楽しいものはありません。そして、これほど元気が出てくる道楽もないと自信を持っていえるようになりました。二度とない折角の人生、やってみようではありませんか。体当たりしてみようではありませんか。

 荘内の後藤先生、この度は誠に有難うございました。今日、中村天風師の『運命を拓く』をお送り致しました。必ず元気になります。共に意義ある新年を迎えたいものだと存じます。


巧言令色鮮シ仁。『論語』の紹介。

2010-12-29 17:35:57 | ブログ

タイトル----巧言令色鮮し仁。『論語』の紹介。第702号 22.12.29(水)

 子曰く、巧言令色鮮(すくな)し仁。(学而第一・第三章)

 言葉を巧みに使い分け、外貌を飾り人を悦ばせようとすると、己自身の本心の徳がなくなってしまい信用もなくなってしまうものである。

 また、口前が上手で顔付をかざる人には、信実心がすくないものである。

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 『論語』と出合って三十年、各章句の教えが見事に的中するのであります。

 ここで、はばかりながら、この言葉に追加したい言葉があります。孔子様はじめ世の多くの方々から叱責を買うことを承知で『論語』の言葉に追加してみました。

 子曰く、巧言令色、小声独言(こごえひとりごと)、鮮し仁。

 「小声独言」を追加しました。確かに原文のとおりではありますが、他人が聞き取れないくらいの小声で、ボソボソ言う人がおります。世の人々が吃驚するようなことを平気でするくせに、言葉は人が聞き取れないほどの小声なのです。

 上の解釈に、次のように追加したいのです。

「------他人が聞き取れないくらいの小声で、ボソボソ言ってひとり自分だけ悦に入っているのは、心底心が腐っているようなものだ」と。

 ……

 原文の訓えは、七十年生きて来た老人の私から見ると、誠にそのとおりなのです。ところが、その原文にどうしても追加したい言葉が「小声独言」という言葉です。自分だけが正しい、俺の論理に間違いはないのだ、という独りよがりがいるものです。これが歳若い人間ならいいとして、七十を超えて、棺桶を前にした老人がこのように思い込んでいたら、直す術はないでしょう。どのようにしたらいいのでしょうか。またそれに迎合する人間がいるのも実に困ったものです。


『菜根譚』前第116章の紹介。

2010-12-27 19:29:18 | ブログ

タイトル----『菜根譚』前第116章の紹介。第700号 22.12.27(月)

 『菜根譚』前第116章

 巧を拙(せつ)に蔵し、晦を用(もっ)てして而(しか)も明にし、屈を以て伸となす。真に世を渉(わた)るの一壺(こ)にして、身を蔵するの三屈なり。

 非凡な才能を内にかくして拙いようにふるまい、すぐれた知恵をくらましながらも明察することを失わない。清節を守りながらも俗流に身をまかせ、身をかがめるのはやがて身を伸ばさんがためである。このような態度が、真に世間の海を渡る上での貴い浮き袋であり、わが身を安全に保つ隠し場所である。

…………

 要は、どんなに学問しようが謙虚でありなさい、至誠の精神を持ち続けなさい、ということであります。このことは、西郷南洲翁の遺訓とされる『南洲翁遺訓』全般に亘って説かれているものです。西郷南洲翁が語り、それを荘内の酒井忠篤公率いる七十名の藩士たちが、薩摩の武にある西郷屋敷で、それぞれが記録し荘内に持ち帰り、文章化し刊行したのが『南洲翁遺訓』なのであります。

 西郷南洲翁は明治の時の人であり、その他の重鎮と言われた人々との書簡も数多残されています。そういうものは西郷南洲翁を知る上では迚も意義あるものではありますが、通常言う『南洲翁遺訓』の範疇には入らないのであります。


『活眼 活学』のご紹介。

2010-12-26 15:42:03 | ブログ

タイトル---『活眼 活学』のご紹介。第699号 22.12.26(日)

 昨日に引き続きご紹介します。この本をお求めになりたい方は、アマゾンで探ればあると思います。

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 最近、西欧諸国の識者の間に、東洋の学問、思想を研究する気運が高まっております。西欧の合理の精神が、試練の時代を迎えているときだけに、当然の帰結だと思っております。

 かつて、先生から「見えないものを観る」という訓えを頂きました。心の眼を養えということでございます。とかく、物事ははっきり変化して、初めてその異常に気がつくものですが、指導的な立場にある者は、変化の兆を早く見つけ、事前に必要な手を打たなければいけない、という訓えでございました。そして、これには、西欧の合理も東洋の合理も身につけることが大切で、さらに、異聞化を理解する寛容の精神を欠いたら、この心の眼は開かないと教えられました。

 先生は、生涯にわたり後進の指導育成に心を砕かれ、多くの著作とともに全国各地を行脚して、警世の訓えを残してこられました。これらの訓えは会誌「師と友」に転載されましたが、私は、かねてからこれらの訓えが整理され、公刊されるよう願っておりました。この度、林繁之氏のご尽力により、これが「活眼 活学」と題し、PHP研究所から発刊されることになり、こんな慶ばしいことはございません。

 安岡先生への追慕の思いを新たにするとともに、本書が後々まで読み継がれるものと願っております。

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 何回も書きましたが、私は安岡正篤先生の著書は片っ端から購入して参りました。そしてテープも購入して参りました。用語が難解ですが、読み進む内に慣れてくると思います。安岡教学を学び、元気で長生きするよう期待したいと思います。

 私が尊敬してやまない荘内南洲会・小野寺理事長、遠田士郎理事の先生方も、頭脳と精神には安岡正篤先生、西郷南洲先生のお姿、お心が何時も宿っているのです。