第3257号 29.11.30(木)
仁者は難きを先にして獲るを後にす。為にする有りて作すは、皆獲るを先にするなり。古の人は惟仁を為すを知るのみ。今の人は皆獲るを先にす。『近思録』117
仁者はむずかしいことを先にして、効果はあとまわしにする。何か目的があって事を行うのは、すべて効果を先に考えているのである。昔の人は仁の実践して知らなかったが、今の人はすべて効果を先に考えている。
【コメント】世に生きる人すべてが、出来れば仁者といわれるようになりたいものだと思いますが、それは詮無きこと、でも公的な組織の理事と云われる人はかくありたいものです。
昨日、横綱・日馬富士が弟弟子に暴力を振ったとかで、引退しました。日馬富士の弁によると、過去、酒癖が悪いとか暴力を振うとか非違行為をしたことはないと弁明しました。
私はそういう人物だ、と見ていたただけに少しは安堵しました。それにしても、貴乃花の対応は全く理解できません。自分の行動は間違いないと思っても、それは共に生きる人々が判定・評価するのです。
昨日ある薬局の社長が、あの男は発達障害の人間だ、と断定しました。世の人々はそれなりに厳しく見ているのだ、と思いました。そういう発達障害の人間が、協会のありようを大きく改革したいと思っているらしいが、天は、世間はそれを了としないでしょう。
こういう人間は厳しい天の制裁がないと自分の非がわからないのです。眼が覚めないのです。本人か家族に大被害が見舞うかもしれません。相撲協会が被害者に聞き取りをしたいと申しても、それを拒否するということは、事態の善処策を考慮に入れていないということだ、と発達障害と断定した人は厳しく論難しました。
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『不動心』(第121回)
野心家と賢人の「幸福の質」の違い
野心家は他人の活動の中に自分の幸福を、快楽を求める者は自分の感覚の中にそれを見出そうとする。しかし、思慮深い人間は、自分の行動の中に幸福を見出そうとする。
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『臥牛先生遺教抄』(第79回)
学校生徒を教導するに、極めて親切に一人にても悪しき者を出してはすまぬと心掛けよ。若しも悪しき者出でたる時は、己の誠足らぬと思い先ず己を責むべし。勉めて気長くして或いは諭し或いは叱り、色々にして教うべし。又勉強なるものと否らざる者とを混同して取扱わざるものなり。
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鳥羽・伏見の戦い--(第4回)
一本道を縦隊列で進むという、戦に臨むには拙劣な隊形だった幕軍は、いきなりの開戦で大混乱に陥った。見回組や会津・桑名兵の勇猛果敢な白兵戦も奮わず、容赦なく降り注ぐ薩摩軍の砲弾に死傷者が続出する。民家から火の手も上がり、炎の中の乱戦となった。
また伏見方面でも鳥羽の砲声が合図になって戦端が開かれた。奉行所からは会津兵や土方歳三率いる新撰組が突撃、討幕軍を圧する気迫を見せる。だが、新兵器を使いこなした討幕軍の銃、砲火に後退を余儀なくされた。
下鳥羽での夜襲も甲斐なく、結局幕軍は戦況不利のまま共に淀方面へ退却したのである。
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仁者は難きを先にして獲るを後にす。為にする有りて作すは、皆獲るを先にするなり。古の人は惟仁を為すを知るのみ。今の人は皆獲るを先にす。『近思録』117
仁者はむずかしいことを先にして、効果はあとまわしにする。何か目的があって事を行うのは、すべて効果を先に考えているのである。昔の人は仁の実践して知らなかったが、今の人はすべて効果を先に考えている。
【コメント】世に生きる人すべてが、出来れば仁者といわれるようになりたいものだと思いますが、それは詮無きこと、でも公的な組織の理事と云われる人はかくありたいものです。
昨日、横綱・日馬富士が弟弟子に暴力を振ったとかで、引退しました。日馬富士の弁によると、過去、酒癖が悪いとか暴力を振うとか非違行為をしたことはないと弁明しました。
私はそういう人物だ、と見ていたただけに少しは安堵しました。それにしても、貴乃花の対応は全く理解できません。自分の行動は間違いないと思っても、それは共に生きる人々が判定・評価するのです。
昨日ある薬局の社長が、あの男は発達障害の人間だ、と断定しました。世の人々はそれなりに厳しく見ているのだ、と思いました。そういう発達障害の人間が、協会のありようを大きく改革したいと思っているらしいが、天は、世間はそれを了としないでしょう。
こういう人間は厳しい天の制裁がないと自分の非がわからないのです。眼が覚めないのです。本人か家族に大被害が見舞うかもしれません。相撲協会が被害者に聞き取りをしたいと申しても、それを拒否するということは、事態の善処策を考慮に入れていないということだ、と発達障害と断定した人は厳しく論難しました。
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『不動心』(第121回)
野心家と賢人の「幸福の質」の違い
野心家は他人の活動の中に自分の幸福を、快楽を求める者は自分の感覚の中にそれを見出そうとする。しかし、思慮深い人間は、自分の行動の中に幸福を見出そうとする。
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『臥牛先生遺教抄』(第79回)
学校生徒を教導するに、極めて親切に一人にても悪しき者を出してはすまぬと心掛けよ。若しも悪しき者出でたる時は、己の誠足らぬと思い先ず己を責むべし。勉めて気長くして或いは諭し或いは叱り、色々にして教うべし。又勉強なるものと否らざる者とを混同して取扱わざるものなり。
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鳥羽・伏見の戦い--(第4回)
一本道を縦隊列で進むという、戦に臨むには拙劣な隊形だった幕軍は、いきなりの開戦で大混乱に陥った。見回組や会津・桑名兵の勇猛果敢な白兵戦も奮わず、容赦なく降り注ぐ薩摩軍の砲弾に死傷者が続出する。民家から火の手も上がり、炎の中の乱戦となった。
また伏見方面でも鳥羽の砲声が合図になって戦端が開かれた。奉行所からは会津兵や土方歳三率いる新撰組が突撃、討幕軍を圧する気迫を見せる。だが、新兵器を使いこなした討幕軍の銃、砲火に後退を余儀なくされた。
下鳥羽での夜襲も甲斐なく、結局幕軍は戦況不利のまま共に淀方面へ退却したのである。
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