味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

時を失うは賢に非ざるなり。

2015-07-08 09:57:35 | ブログ
第2383号 27.07.08(水)
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時を失うは賢に非ざるなり。『荘子』
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 時期を失うは賢者のすることではない。351
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 【コメント】こまめに何かと実践しているのですが、何時も時期を失っています。私のことかなぁと苦笑いしています。でもそれでいいと思っています。走り過ぎると躓いたりしますので、諦めることなく、ひたすらやり続けていると何時か善い結果がくるだろうと思っています。
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 書物などの筆写を始めたのが、35歳の頃でありました。当時はそのよえうな作業が、将来どういう結果になるか未知の世界ですから、皆目解かりませんでした。あれから40年、いろいろろな言語が脳裏に貯蔵されているということが解りました。
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 拙いながらこういう作業を通じて、これからの子供たちにも勧めて行きたいと考えています。ところが多くは答えが直ぐでないものですから、あきらめてしまうようです。大変勿体ないことです。
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 天風師は健康論を説いていますが、活字を読み頭で理解できても、身体に昇華させないと何もなりません。寧ろ逆効果になるのです。ある新婚の夫が新妻に、「俺の言うとおりにせよ」「俺を立てろ」と迫り、人権蹂躙にも似たことを書かせても、何も問題はないのでしょうか。
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 夫の家族はシランプリなのです。たまたま私に「夫を殺します」という悲鳴にも似た助けを求めてきたから、関心を持っているだけです。
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 昨日、大分で海上自衛隊所属の男がガソリンを巻き火をつけました。お互いが冷静に、謙虚に聞き入れ、善処しないと遠からず、こういう事態に発展する危険性大なのです。ところが、当該本人の夫は私たち双方の家族の問題だから介入しないでくれ、と言ってきました。
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 人間に非のない人はいないのです。だから、将来危険が予測される時は、事が大きくならないうちに、危機意識を持ち、善処すべきだと思います。大分の二の舞になる予兆がある時は、直ぐ関係機関に通報したいと考えています。
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 だから『南洲翁遺訓』を学ばなければならないのです。漢籍を繙かなければならないのだと私は思い、終日繙いています。すると漢籍が、お前はしっかりしているかという厳しい指導の言葉が歴史的事象として書かれています。およろしかったら、漢籍を繙いてみませんか。何が楽しいといって、漢籍の世界を従容することほど楽しいことはありません。
 西郷先生も言っています。堯舜を手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ、と。
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 昨日、3S5D政策の「S」について言及しました。3Sとは、1.スクリーン、所謂映画、映像ということでしょうか。2.男女の淫行、セックスでしょうか。3.スポーツ、等々でしょうか。この3Sに狂奔させたら、果敢な民族魂は枯渇するのだという論理です。これらは、Mトケイヤー著『日本人は死んだ』に詳述されています。

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『大学味講』(第220回)
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  味 講 
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 (一) 詩経文王の詩に「前朝の殷がいまだ国民の衆望をうしなわなかった間は、その天子は常に上帝と一体になって、天意に随い、矩の道にかなった政を行っていた。----それが後世になり、紂王のような暴君が出て、天意に反する暴虐の政を行って民を苦しめるようになると、天命はこれから離れて、革命が行われるのであるが---この殷の歴史を鑑として慎まねばならぬ。これを思うと、天命を保つということは、容易のことではない」とあるが、これは、民衆の信望を得れば、国を得るが、民衆の信望を失えば、国を失うものであることをいったものである、というのであります。
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『論語』(第320)
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 子夏莒父(きょほ)の宰となり、政を問ふ。子曰はく、「速やかならんことを欲するなかれ。小利を見るなかれ。速やかならんことを欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず。」
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 子夏が魯の莒父という邑の宰になって、政(まつりごと)を行う道を孔子に問うた。孔子「政を行うには効果の速やかにあらわれることを欲してはならない。又眼前の小さな利益を見てはならない。効果の速やかにあらわれることを欲すれば、急いで順序次第を乱し、返って目的を達することができない。眼前の小利を見てこれを負えば天下後世を利するような大事を成すことはできない。」
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『農士道』(第199回)
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 「心焉に在らざれば視れども見れず。聴けども聞えず、食へども其の味を知らず---大学---」と。すべてのものは、在るから見えるのではない。視るから在るのである。「老農」の「わけのわからぬ」とまで見ゆる姿の尊さがわからぬのは、實はこちらの恥じなのである。かういふ意味で私は柳宗元の種樹郭橐駝傳の植木屋の爺父をいつも懐かしく思ふ。
「郭橐駄は始め何といふ名であったかわからない。せむしを病んで、せぐくまって歩く恰好が駱駝に似ているので駱駝駱駝と呼んだ。之を聞いた彼は、それは面白い。なる程當ってゐると云って、みずからも左様名のったといふことである。(橐は駝背のふくろのこと。)その郷を豊樂郷といひ、長安の西に在る。其処で彼は植木屋を営んで居った。ところが長安の金持や果物商人等で彼を珍重せぬ者はなかった。といふのは彼の植える木は或は移植してもつかぬということはない。且つ非常に茂って、早く又沢山に實るからである。

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