味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

治国の要件は、上に立つ人々の徳と礼のお手本次第だと思います。『論語』

2009-09-30 19:39:20 | 論語

タイトル----治国の要件は、上に立つ人々の徳と礼のお手本次第だと思います。『論語』 第181号 21.09.30(水)

〈之を道びくに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥なし。之を道びくに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且格るあり。〉(穂積重遠著『論語』社会教育協会)

 通訳「政と刑と徳と礼は、国家安寧の要件である。だから、上に立つ人々が先ず法令遵守のお手本を示し、民を導くようにすることが大事である。もし従わない者がある時は、法律づくめの政治で人々を指導し、刑罰を以て統制を強行しようとすると、人々は、刑罰を免れさえすればよいというので、廉恥心がなくなってしまう。仁義道徳を以て人々を指導し、礼儀作法で足並みを揃えるようにすれば、人々は恥を知って自ずから善に至るものである。(前掲書)参照。

 この章は人々もさることながら、先ずは政治家・官僚たちへの提言として、厳しく受け止めて欲しい金科玉条である。明治以来の法治主義の弊害が増長して、戦争中の諸統制甚だしく、結果道義の頽廃目に余るものがあると同様の廉恥心が罷り通ってきた感が否めない。今日の官僚たちの天下り、無駄遣い等々は、免れて恥無しを地でいった敗戦後の闇取引や脱税行為の巧妙さに引けをとらない浅ましき行為として受け取った国民が、先の選挙で野党・民主党に助けを求めて投票した結果であった。集団によるデモを起こす代わりに、憤懣やる方ない義憤を、静かなる行動として清き一票を託した所以でもあったのである。

 国民一丸となって、「罰有りて格る」のではなく「恥有りて格る」の理想境を創るため、先ずは政治家・官僚諸氏が先頭に立ち、お手本を示さなければならないと思料するのである。我が国には、世界に冠たる武士道精神を基調とした「恥の文化」が華開いた歴史的事実がある。形骸化されているとは申せ、平成の今こういう精神的文化を甦らせ、さらに踏襲することこそが、国を安寧ならしむる最良の方策であると思い、『論語』の教えを噛み締めている次第である。


人格の優れた人は道義を守り、小人は欲にしたがう。『論語』

2009-09-29 12:31:25 | 論語

タイトル----人格の優れた人は道義を守り、小人は欲にしたがう。『論語』 第179号 21.09.29(火)

〈子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。〉(穂積重遠著『論語』社会教育協会)

 通訳「人格の優れた人は正しい道理に基づいて行動するが、小人は欲の任せるままに従うから、心の喩るところは利にある。だから、君子は事に処するに義を行おうとし、小人は事を処するに利を謀ろうとする。」(前掲書)参照。

 聞きならされた『論語』里人第四に出てくる言葉である。通常は「君子」か「小人」かとして簡単に見分けられる場合が多いように思われる。

 だが、「論語」が訓える君子と小人の真の正体をどうやって見抜けばいいのだろう。例えば、頭がいいとされる君子風の男がいた。話は穏やかで、話の筋も一応は通っているし、表面上は人を大事に扱うふりをする。一見道理に基づいて行動しているやに見受けられる。それを見て、人々は立派な人だ、君子だという。

 ところが弱者救済用として政府が貸し出す金を借りても返さない、ありとあらゆる手を使い、自分だけが甘い汁を吸い、都合の悪い問題点は従業員のせいにする、君子と言われる人がいた。そして、人の良さそうな人間を生贄同然にし、自殺まで追いやる、これも君子なのだろうか。

 ある町内会所有の蔵に積み上げられている米俵を見て、多くの役員は飢饉の年でも餓死をする人は出ないだろうと思い、その時に備えようと思っている。一方、君子風の男は、飢饉の年に金儲けが出来ると思い、あれこれ策をめぐらしている。

 世の中には正しい事をしても不遇な人もいるが、不正なことをして金儲けをし長生きする人間もいる。さて、どちらを選択するのが賢明と言えるのであろうか。君子と小人という言葉は永遠に残るのであろうが、要は世の中は、人と人とが助けあって生きて行かなければならない訳であるから、相手の存在を認めつつ、世の人々の意見を尊重し、共に生きるという姿勢を貫き通すことが大事だと思う。利に走りすぎるため小人の範疇に入るとしても、我田引水に陥り道義的な面を無視しては、折角の人生に精神的潤いはないであろう。

 西郷隆盛の訓えとされる『南洲翁遺訓』も訓戒している。「事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用う可からず。」(事の大小にかかわらず、正しい道を真心をもって貫き通す。一事の策略を用いてはいけない。)と。(『南洲翁遺訓』第七章)


古典学を師と位置づけ、心性の根本を養成しよう。『小学』

2009-09-28 17:10:19 | 論語

タイトル----古典学を師と位置づけ、心性の根本を養成しよう。『小学』 第178号 21.9.28(月)

〈惟(こ)れ聖は性のままなる者、浩浩(こうこう)たる其の天、毫末(ごうまつ)をも加えずして、萬善(ばんぜん)足る。衆人は蚩蚩(しし)、物欲交々(こもごも)、乃(すなわ)ち其の綱を頽(くづ)して、此の暴棄に安んず。〉(新釈漢文大系・宇野精一著『小学』明治書院)

通訳「聖人の心は、その性の本来を保っているから、かの浩浩たる天そのまま、人為を何も加えず、ただそれだけで、行為は十分に善である。衆人の心は無知であるために、物質的欲望にさえぎられ、本来の作用が備わらず、尊く貴重な仁義礼智という人性の大綱をくずれさせてしまう。そのため精神は弛緩し分裂し、遂に自己を棄てる行為を繰り返すことになる。」(前掲書)参照。

〈惟れ聖斯に惻れみ、學を建て師を立て、以て其の根に培い、以て其の支を達す。〉(前掲書)

通訳「こういうことは放っておく訳にいかず、学校を建て、教師を置いて、これを導き、衆人の精神と根本の理を養い、その枝葉も同時に伸ばしてやることになったのである。」(前掲書)

〈小學の方は、灑掃応対、入りては孝、出でては恭、動くには悖ること或る罔(な)し。〉(前掲書)

通訳「この小学の教育方法は、まず掃除対応など子弟としての作法を教え、家では親に孝をつくし、外では礼に従って行動して、子弟たる態度にそむかないようにさせる。」(前掲書)

〈理を窮め、身を修むるは、斯れ學の大、明命赫然として、内外有ること罔し。徳高く業廣くして、乃(すなわ)ち其の初めに復る。昔足らざるに非ず、今豈余り有らんや。〉(前掲書)

通訳「この基礎に立って道理を窮め身を修めるが、それは『大学』の範疇に属する。物事の道理を窮めることも、身を修めることも、みな『小学』による性質と心情が自然にしみこむようにしなくしてはならないが、窮理修身によって本来の性が自覚を盛んにし、明らかに領分を発揮する心の中と行動とは、少しも矛盾しない。ここに徳の高い業績豊かな人が出現するのだが、それは心の作用がただ天賦の能力を十分に発揮するということである。これはもともと不足していることでもなく、余っている訳でもない。性そのものに変化はなく、この上もない善であることに相違はない。」(前掲書)

 これを通読して、人間社会に必要な基礎的部分を養成する要諦と捉えたい。どんなに高度な能力があっても、人間としての最低限度の人との対応技術、処世術等は当然身に付けなければならないと思うからである。その基礎的部分の構築なくして世に出た場合、人との摩擦を起こしたり、計画していた事項の進捗が狂ったりしたら元も子もない、ということになりかねない。

 全く次元は異なるが、先の総選挙で政権が交代した。前政権を担っていた自民党諸氏は、今後の復帰に向け、光明を見出せずに模索しているように見られる。何のことはない。『大学』の範疇に属する部分は、高邁な手練手管を有しているのだから、その下部の部分である『小学』の教えを準用すればいいだけのことである。その為には過去の栄光を一切脱ぎ捨てゼロからのスタ-トをすることである。なぜなら民主党政権の場合は、国民としての内在の哲学が相容れない、いわゆる体質的に符合しない部分があるからである。この挽回作戦も時間的余裕はない。それは来年行われる参議院選挙で、民主党小沢作戦により壊滅的打撃を蒙れば、二度と日の目を見ることはないであろう。要は、国民大衆が何を意図に、政権交代という選択をしたかということである。

 さて、ど素人の勘が的中するか否か、静観することとしたい。


孔子様のこと。----その2

2009-09-23 17:46:18 | 論語

タイトル----孔子様のこと。---その2 第171号 21.09.23(水)

 孔子様のこと。---その1に続きます。

〈魯、大夫より以下、皆僭してセイドウり離る。故に孔子仕えず、退(しりぞ)きて詩書禮楽を脩む。〉----〔魯の国は大夫以下次々とみな身分を逸脱して正道を離れた。そのため孔子は仕官せず、退いて詩・書・礼・楽を学び修めた。〕

〈弟子(ていし)愈愈衆(おお)く、遠方より至り、業を受けざるもの莫し。〉----〔門人がだんだん多くなり、遠方からもやって来て、孔子に学業を受けない者はないほどであった。〕

〈君子は過有れば、則ち謝するに質を以てし、小人は過有れば、謝するに文を以てす。〉----〔立派な人といわれる君子は過失があった場合は、実際に物を差し出すなどして謝罪します。小人は過失が有ると、ただ言葉や態度をかざり過失を逃れようとします。〕

〈君若(も)し之を悼(いた)まば、則ち謝するに實を以てせよと。是に於て齊候、及(すなわ)ち侵(おかし)し所の魯の郡・汶陽・亀陰の田(でん)を帰し、以て過を謝す。〉----〔わが君がもし、そのことをご心痛なさいますなら、どうぞ本心でもって実際に謝意を表したらよろしいかと思います」と。そこで、斉候は前に侵略していた魯の汶水の北方の郡・亀陰の田地を返して、過失の罪を詫びた。〕

〈葉公、政(まつりごと)を問う。孔子曰く、「政は遠きを来(きた)し近きを附くるに在り」と。〉----〔葉の長官葉公が、政治について尋ねた。孔子は言った。「政治というものは、遠方の者が慕って来るようにし、近くの者が懐き親しむようにすることであります」と。〕

〈他日、葉公、孔子を問ふ。子路応えず。〉----〔その後ある日、葉公は孔子の人物について子路に尋ねたが、子路は答えなかった。〕

〈孔子之を聞き曰く、「由(ゆう)、爾(なんじ)何ぞ応えて曰わざる、『其の人と形、道を學びて倦まず、人を誨えて厭はず、憤(いきどおり)を発して食を忘れ、楽しみて以て憂ひを忘れ、老の将に至らんとするを知らず、云爾(しかいう)』」と。〉----〔孔子がこのことを聞いて言った。「由よ、お前はどうしてこう言わなかったのか、『その人は、道を学んで倦むことなく、人を教えて厭くことがなく、発憤しては飲食を忘れ、人を誨(おし)えては、楽しんで世の憂いを忘れ、老いの来るのを知らないのだ----』とこのように」。〕 P849