味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

故に聖哲君臨し、風を移し俗を易ふるは、

2019-11-30 15:46:18 | ブログ
第3971号 01.12.01(日)

故に聖哲君臨し、風を移し俗を易ふるは、嚴刑峻法に資らず、仁義にあるのみ。故に仁に非ざれば、以て身を正しくする無し。下を恵むに仁を以てし、身を正しくするに義を以てすれば、則ち其の政、嚴ならずして理まり、其の教、肅ならずして成る。『貞観政要』424

それゆえに、聖哲の君が世を治めて、風俗を移し変えるには、厳しい刑法を用いないで、ただ仁義を重んじるだけでありました。それゆえに、仁でなければ恩沢が広くゆきわたることなく、義でなければ、身を正しくすることがありません。仁を以て下に恵み、義を以て身を正しくすれば、その政治は厳しくなくとも治まり、その教化は厳粛でなくともよく行われます。424

 【コメント】いい世の中にしたいと思うならば、仁で恩沢を広くゆきわたらせ義を以て身を正しくし、世の人々と交流することが大事だと思います。

 長期政権を誇っている安倍氏は桜を見る会でも説明責任を果していないとして、今朝のテレビでの会議で俎上に上りました。

 後々止めてからでもあの政権は良かったと言えるよう努力して欲しいものです。いい加減にしたら怖い天罰が
来るのですよ。

 中曽根元総理の死去に伴い、米国トランプ大統領も強固な日米関係を築いた人だった深い悲しみを覚え、哀悼の意を表するという談話を発表しました。

---------------
『善の研究』第373回

 しかし我々の意識は元来一の活動である。その根底にはいつでも唯一の力が働いている。知覚とか衝動とかいう瞬間的意識活動にも已にこの力が現われて居る。更に進んで思惟、想像、意志という如き意識的活動に至れば、この力が一層深遠なる形において現われてくる。我々が理性に從うというのも、つまりこの深遠なる統一力に從うの意に外ならない。

------------

臣聞く、道徳の厚きは、軒唐よりも

2019-11-29 16:42:03 | ブログ
第3970号 01.11.30(土)

臣聞く、道徳の厚きは、軒唐よりも尚きは莫く、仁義の隆(さかん)なるは、舜兎よりも彰(あら)はるるは莫し、と。君、軒唐の風を継がんと欲し、將に舜兎の跡を追はんとすれば、必ず之を鎮むるに道徳を以てし、之を弘むるに仁義を以てし、善を挙げて之に任じ、善を擇びて之に從ふ。善を擇び能に任ぜずして、之を俗吏に委するは、既に遠度無く、必ず大體に遠し。唯だ三尺の律を奉じ、以て四海の人を縄(ただ)せば、垂拱無為を求めんと欲するも、得可からざるなり。『貞観政要』423

(訳)私が聞くところによりますれば、『道徳の厚いのは、黄帝・帝堯より尊いものはなく、仁義の盛んなのは、帝舜・禹王より顕著なものはありません』と。わが君がこれらの聖王である黄帝・堯・舜・禹の跡を継ごうとなされるならば、必ず道徳・仁義を積み広げ、賢を挙げて任じ、善を択んで從うべきであります。もし善を択び能に任じなくして、俗吏に任ずるときは、遠いさきざきまで見通した計がない上に、必ず重要な道理からはずれることがございます。ひたすら法律だけを守って天下の人民を取り締まれば、手をこまねいて無為にして天下を治めようとしても、できることではございません。

 【コメント】「道徳・仁義を積み広げ、賢を挙げて任じ、善を択んで」日々に邁進したいものです。この言葉は総理の安倍氏に味わって欲しいと思います。

 連日報道されている「桜を見る会」についても、菅官房長官の釈明には人間味がありませなん。これは安倍氏の一存なのだと思います。

 野党がいうような要求は真面だとは思いませんが、世の人々が納得するやり方が望ましいと思います。自民党のやり方が悪いとしても、野党がしたら尚悪いのです。

 『貞観政要』でも紹介しましたが、安全・繁栄・平和が続くと、世の中おかしくなると訓えています。戦後の日本がその典型的な例なのです。

 それらを指導した先輩はとてもデタラメでした。私は深夜の電報配達をしていたためそれらを凡て現認したものでした。

 ですから、少し足りない位が努力をするので丁度いいのです。生活が苦しい、大変だという今時の若い人々は、朝は車で出勤しますが、速度制限おかまいなしです。

 できれば教養書として漢籍を繙く真摯な人間になって欲しいものです。とにかく真面目・勤勉・正直・勤労に勝るものはないと思います。

--------------
『善の研究』第372回

 プラトーは有名なる『共和国』において人心の組織を国家の組織と同一視し、理性に統御せられた状態が国家においても個人においても最上の善といっている。
 もし我々の意識が種々なる能力の綜合より成っていて、その一が他を支配すべきように構成せられてある者ならば、活動説における善とは右にいった如く理性に從うて他を制御するにあるといわねばならぬ。186

--------------

且つ夫れ善を進めて悪を黜くるは、

2019-11-29 09:26:30 | ブログ
第3969号 01.11.29(金)

且つ夫れ善を進めて悪を黜(しりぞ)くるは、人に施す者なり。古を以て鑒(かがみ)と作(な)すは、己に施す者なり。貌(かたち)を鑒みるは止水に在り、己を鑒みるは哲人に在り。能く古の哲王を以て、己の行事を鑒みれば、則ち貌の妍醜、宛然として目に在り、事の善悪、自ら心に得るなり。司過の史を労する無く、芻堯の議を假らず、巍巍の功日に著れ、赫赫の名彌々遠し。人君たる者、務めざる可けんや。『貞観政要』422

その上に、そもそも、善を進め悪を退けるのは、人に施すものであります。昔の歴史を鏡とするのは、自分に施すのであります。顔かたちを映すのは動かない水により、自分の行いの善悪を照らし見るには、哲人によります。よく古昔の賢王でもって自分の行跡を照らし見れば、鏡に映して顔の美醜がありありと目の前にわかるように、行事の善悪が自分の心にはっきりとわかります。そのようにすれば過失を正すことをつかさどる係りをわずらわすことなく、草刈りや木こりのようないやしい身分の者の意見を聞かなくとも、高大な功績、顕著な名誉は、日々に著れ永遠に伝わることでしょう。人君はこれに努めなければなりません。423

 【コメント】「自分の行跡を照らし見れば、鏡に映して顔の美醜がありありと目の前にわかるように」善悪が自分の心にはっきりとわかるように、冷静に観察したみたいものです。

 そしてそこに不純があったら是正したいものです。そして「尊さ、強さ、正しさ、清らかさ」を指標として臨みたいものです。

 昨夜は第二道場の空手道教室で頑張りました。人数は少ないのですが、正田佳那子嬢が大ハッスルしました。道場に入るなりチントーの形をしたいと言いましたので、何回も行いました。

 佳那子ちゃんは、四方展開1.2.3.4.5番、アーナンクー、ワンスー、セイサン、セーエンチン、チントウの形を休むことなく、精力的におけいこしました。終了したら疲れでバッタリと倒れました。その間にもミット蹴りもしました。

 80歳のジーサンと小学2年生の子供との対決でした。終盤は田上慈昭さんとおけいこしました。田上青年は22年間おけいこしているのです。田上さんのご人格は最高なんです。ただ少し甘えがあるのをどうにかしなければと思って指導しているのです。

 80歳の後期高齢者の私は、運転中、大声を出して運転をしています。ブレーキ、アクセルを間違うことは全くありません。

-----------------
『善の研究』第371回

 理性の法則というのは観念と観念との間の最も一般的なる且つ最も根本的なる関係を言い現わした者で、観念活動を支配する最上の法則である。そこでまた理性という者が我々の精神を支配すべき根本的能力で、理性の満足が我々の最上の善である。何でも理に従うのが人間の善であるということになる。シニックやストイックはこの考を極端に主張した者で、これが為に凡て人心の他の要求を悪として排斥し、理にのみ從うのが一の善であるとまでいった。しかしプラトーの晩年の考やアリストテレースでは理性の活動より起るのが最上の善であるが、またこれより他の活動を支配し統御するのも善であるといった。186

-----------

遠近、風を承け、混然として

2019-11-28 09:39:14 | ブログ
第3968号 01.11.28(木)

遠近、風を承け、混然として俗を成す。国家の福に非ず、理を為すの道に非ず。適(まさ)に以て姦邪を長じ、視聽を亂り、君をして信ずる所を知らず、臣をして相安んずるを得ざらしむるに足る。若し深く其の源を絶たずんば、則ち後患未だ之れ息まざるなり。今の行にして未だ敗弊せざる者は、君が遠く慮ること有り、之を始に失ふと雖も、必ず之を終に得るに由るが故なり。若し時、少しく堕るるに逢はば、往きて反らざらん。之を悔いんと欲すと雖も、必ず及ぶ所無からん。既に以て諸を後嗣に傳ふ可からず、復た何ぞ法を將来に垂れん。『貞観政要』421

遠くも近くも、皆この風を受けて、入り乱れて俗をなしております。これは国家の福ではありませず、政治を行う道ではありません。これこそ、姦邪を増し、耳目を乱し、人君は信ずるところを知らず、臣下でも共に安穏であることができなくしております。もし深くその根源を断絶しなければ、今後の心配がやむことがございません。今のようなことを行いながらまだ敗れてしまわないのは、わが君が遠い先のことをお考えになり、たとい初めに失敗しても終わりにはうまくまとめるからであります。しかし、もし時が少しく衰え、そのまま回復できませんならば、後悔してね間に合わないと思います。これを子孫に伝えることができませんからには、どうして法を将来に残すことができましょうや。422

 【コメント】人生には諸問題が発生しますが、それが不運な事故等であれば、それを契機にして問題点を洗い出し、再発防止に心掛けるべきであります。

 どんな人でも日々に発生する問題点を事後に活かす工夫が要諦だと思います。二度とない人生を更に良くしていくところに、人間の尊厳があるのだと思います。

 テレビ報道を見ていれば、子供を誘拐するなどの非違行為が連日紹介されています。家出願望の子供がSNSに情報を寄せると、そういう子供に誘いをかけ自宅に連れて行き生活するとのことですが、これらが是認される筈がありません。

 捕まったら誘拐犯として逮捕されるのはわかりきっているのですが、それが分からないのか連日そういう情報が飛び交っています。

 尤もこれらは子供を持つ親の保護責任にもあたると思います。自分の子供は責任をもって育て保護する義務がある筈です。

 沢尻エリカの麻薬報道が賑やかですが、こういうアバズレ女は芸能界から辞退して貰った方がいいのではないかと思います。初心者が美しい心を秘めて入って来る芸の世界にいる人がこういう事態を引き起すと、人々は逃げ出すのではないかと考えます。

 多くの人々は芸を真摯な気持ちで勧奨するのです。そこにいる人が非違行為を起すと人々の願いが失せるのではないでしょうか。

 二度とない人生です。楽しく生き甲斐ある人生にしたいものです。美しく生きたら死語の世界がとても幸せになるのです。

----------------
『善の研究』第370回

 ゲーテの菫(すみれ)という詩に、野の菫が少き牧女に踏まれながら愛の満足を得たというようなことがある。これが凡ての人間の真情であると思う。そこで観念活動というのは精神の根本的作用であって、我々の意識はこれに由りて支配せらるべき者である。即ちこれより起る要求を満足するのが我々の真の善であるといわねばならぬ。然らば更に一歩を進んで、観念活動の根本的法則ととは如何なる者であるかといえば、即ち理性の法則ということとなる。

---------------

且つ世俗の常人は、心、遠慮無く

2019-11-26 17:15:28 | ブログ
第3967号 01.11.27(水)

且つ世俗の常人は、心、遠慮無く、情、告訐に在り、好みて朋黨を言ふ。夫れ善を以て相成す、之を同徳と謂ひ、悪を以て相成す、之を朋黨と謂ふ。今は則ち則ち清濁、流を共にし、善悪、別無く、告訐を以て誠直と為し、同徳を以て朋黨と為す。之を以て朋黨と為せば、則ち事、信ず可き無しと謂ふ。之を以て誠直と為せば、則ち言、皆、取る可しと謂ふ。此れ君恩の下に結ばざる所以、臣忠の上に達せざる所以なり。大臣、瓣正する能はず、小臣、之を敢て論ずる莫し。『貞観政要』421

遠くも近くも、皆この風を受けて、入り乱れて俗をなしております。これは国家の福ではありませず、政治を行う道ではありません。これこそ、姦邪を増し、耳目を乱し、人君は信ずるところを知らず、臣下でも共に安穏であることができなくしております。もし深くその根源を断絶しなければ、今後の心配がやむことがございません。今のようなことを行いながらまだ敗れてしまわないのは、わが君が遠い先のことをお考えになり、たとい初めに失敗しても終わりにはうまくまとめるからであります。しかし、もし時が少しく衰え、そのまま回復できませんならば、後悔しても間に合わないと思います。これを子孫に伝えることができませんからには、どうして法を将来に残すことができましょうや。422

 【コメント】長い人生への過程では、実践する方法を間違ったりしても、心を入れ替え奮起すれば、先々うまくまとめることができるものです。

 ですからどういう羽目に陥っても、努力を諦めないことが肝要だと思います。一時的な失敗は将来への成功につながることは多いものです。

 仕事にしてもやり出したら、完遂するまであきらめないことです。父の事業の失敗を後々面倒見て来た私は、その仕事そのものが私への忍耐という土産をくれたものだと思って、諦めず頑張ってきました。

 そして母の厳しい躾けも大助かりでした。96歳で他界した母は、戦陣へ赴く兵士同様だったと思っています。私の母は、働く為に生れて来たような女性でした。そして厳しく厳しく育ててくれました。

 今時の若い母さまは子供を甘やかして育てているので、子供が一寸したことで自殺をしたりするケースもあるみたいです。

 私の母の怒鳴り声は100メートル先まで聞えたと聞くものでした。子供の身体に気合いを入れるためにはそれも一つの方法だと思います。

 仕事をせず囲碁会場ばかり言っていた父に怒って、碁盤をまき割りで割って捨てたこともありました。ですから私も母に負けず劣らず仕事に体当たりしてきたものです。

 母は仕事をしたくなければしなくても良い、だから御飯も食べずに押し入れの寝床に寝ておれ、と言ったものです。

 昨日は指宿の大先生から電話がありました。枕崎出身の鮫島実雄先生の死去の報があったとのことです。鮫島先生は息子さんがいらっしゃる宮崎へ引越しされたのでした。

 その昔、半世紀前、鹿児島南洲神社で開催されていた南洲会に枕崎からおいでくださるのでした。当時
枕崎の宝寿庵に住んでいました。枕崎では「フッパン」と呼んでいたものです。その時は平井政明先生が責任者で勉強会を開催してくれていたのでした。私も30年間は通ったのでした。 

 中国のウイグル族への人権侵害について、米国はじめ各方面から非難が出ているとの由です。中國は反発しているみたいですが。香港の問題にしても世界の国々が、非難声明を出して欲しいものです。

 既にブログにも認めましたが、香港の人々に対して、自由にしなさいと言って助けてあげれば、習金平への支援者が増幅するのにと思っています。ロシアのプーチンにはそれは通用しないですが。

-----------------
『善の研究』第369回
 
 しかし意識現象はいかに単純であっても必ず観念の要求を具えて居る。それで意識活動がいかに本能的といっても、その背後に観念活動が潜んで居らねばならぬ(動物でも高等なる者は必ずそうであろうと思う)。いかなる人間でも白痴の如き者にあらざる以上は、決して純粋に肉体的欲望を以て満足する者ではない、必ずその心の底には観念的欲望が働いている。即ちいかなる人も何らかの理想を抱いて居る。守銭奴の利を貪るのも一種の理想より来るのである。つまり人間は肉体の上において生存しているのではなく、観念の上において生命を有して居るのである。

-------------