タイトル---偉人の紹介『ウイルソン』。第734号 23.01.29(土)
米国大統領(1856?1924年)。プリンストン大学総長より、州知事に選ばれて政界に入り、世界大戦中の大統領として、国際連盟の提唱者として有名である。
謙虚な心だけが神の宿所となる。
大統領となったウイルソンは、何よりも政党政治の弊害というものを痛感していた。だから彼は『公正』をモットーとした。どんなに自分が世話になった我が党の有力者でも、どんなに親しい友達、近親のものの言うことでも、『公正』でないと思うことは、ピシピシはねつけた。そのため彼は、『彼ほど冷酷な男はない。まるで人情を知らぬ』と、到るところで非難されたが、彼は決してその主義を枉げようとしなかった。
大統領の任期が、まさに終わろうとする時のこと、一人の老人に対する特赦の請願が来た。それは銀行法違反の廉によって、有罪禁錮の刑を申し渡されていた者であったが、よく調べると、その間、実に気の毒な事情があった。この憐れな老人を助けるには、大統領が特赦に署名するより他にはない!
ウイルソンの周囲の家族の人達も、みんなこの老人に同情して、是非助けてやってくれと頼んだ。秘書のタマルチーも、
『閣下は日頃、不人情だと言って、世間から非難されています。それが間違った非難だということは、私はよく知っています。どうかこの事件で、閣下の深い慈悲心をお示しになって、任期の最後をお飾りりになりますように』と、たって懇請した。が、ウイルソンは頑として聴かなかった。
『私は断じて署名することはできぬ。家族のものは、みんな私にそれを勧めているが、二三の家族のために、大統領が判断を枉げたとあっては、一億二千万の国民の信頼を裏切るものである』
その厳たる言葉には、タマルチーもあきらめるより他はなかった。ところがそれから数日して、彼は秘書に一枚の書面を渡した。見ると、大統領が署名した特赦状だ。タマルチーは吃驚した。
『やぁ、これは----』
『うン、私はあれから、よく考えて見た。そして私の間違ったいたことが判ったのだ。あの時は家族のものが、いろいろ喧しく言うものだから、「公正を失ってはならぬぞ!」と用心しすぎたために、却って公正を失うことになったのだ。それに私は、八年の間、公正を守って来た。ーーそうした自覚が、知らず識らず、私の心が傲慢となっていたのだ。そして私の判断を曇らせていたのだ。私は今に至ってはじめてツクヅク覚ったよ。ねえ、タマルチー君』
『ハア』
『謙虚な心だけが、神の宿所となるということちをーー』