タイトル----学は以て已むべからず。『荀子』。第1739号 25.09.30(月)
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学は以て已むべからず。『荀子』
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学問というものは、永久に継続して修めなければならないものである。(諸382)
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【コメント】
今朝の学問館で534回になりました。今朝は『南洲翁遺訓』第三十章を学修しました。小野寺先生の解説を拝読していると、私どもの傍でご講話してくださっているようでございまいす。昨年4月9日に学問館を創めまして、毎日記録をすることに致しました。記録は短歌形式にしようということで、稚拙ながら短歌形式で記している次第でございます。
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ご覧になった方は、方式がちがうではないかとお思いになるかもしれませんが、ご海容賜りたく存じます。だが、当人たちからすれば、学修した処が鮮明に記憶されるという利点がありますので、およろしかったら、そういう方法も検討・選択されては如何かとご提案致します。
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標題の「学は以て已むべからず」は全く同感でございます。空手道場を建設したいという願望は中学校卒業の頃から夢として抱いていました。そして、『修身教授録・短歌集』に掲載しているとおり29歳のとき、道場・五条訓を作成し、私なりに、書籍を買い求め、分けが分からないまま、読み、筆写を半世紀以上続けて参りました。
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そして十数年前、学問の都・荘内南洲会の先生方を存じ上げ、荘内の皆様の学問に裏打ちされた人格美に魅せられ、愈々実践しなければと思料し今日に至っている次第です。
連日、学問館として学修していますが、倒れるまでやり続けたいと存じています。そして、小野寺先生が、『南洲翁遺訓』を政治家も、一般の人も読んで欲しいと切望されていましたので、その精神を踏襲して参りたいと考えています。
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思うに、『南洲翁遺訓』の精神を理解していれば改竄なんて出来ないし、その事が過ちだとしたら潔く誤らなければならないのです。その誠実さがない人間にどうして『南洲翁遺訓』を教える人間としての資格があるのでしょう。
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そういった意味では我が日本空手道少林流円心会一門は、小野寺先生はしめ荘内南洲会の先生方と同じ視点に立って邁進して行く所存です。
『南洲翁遺訓』を青少年におしえている私には、いろいろな誘いがございます。「道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也」と訓戒しているように、私は、いままでどおり、青少年に『南洲翁遺訓』を教えることに専念して参りたいと存じています。(今、小野寺先生が、それが正解ですよといってくれました。)
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短歌の紹介
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自愛心の愛とは自分を甘やかす
人間本性愛と異なる 5640 『南洲翁遺訓』110
克己とは身勝手な我欲負けぬこと
自愛心にも克つことをいう 5641 『南洲翁遺訓』110
自己愛に負けず己れを慎みて
己を愛せず実行が「克己」 5642 『南洲翁遺訓』111
大任を是の人降すと心志をば
苦しめる天に挑む翫習 5643 『南洲翁遺訓』118
その心が強固であればあるほどに
人の言には穏やかであれ 5644 翫習語録
困厄を天が与ゆも逃ぐるなく
真っ向勝負誠心誠意 5645 『南洲翁遺訓』119
南洲の短き生涯困厄の
連続なるも見ごと乗り越ゆ 5646 『南洲翁遺訓』119
安政の五年月照相抱き
錦江湾に身を投ずなり 5647 『南洲翁遺訓』119
二回目の流島文久二年なり
徳之島送り罪人として 5648 『南洲翁遺訓』119
三回の困厄流島は沖永良部
伊延港にて舟牢二泊 5649 『南洲翁遺訓』119
人の道行う事は困厄を
乗り切らずして成功はなし 5650 『南洲翁遺訓』119
己れをば治むあるいは命を知る
これが自得で修己なるなり 5651 『知名と立命』130