味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

浩浩たる其の天、毫末をも加へずして、萬善足る。

2017-06-30 10:13:05 | ブログ
第3104号 29.06.30(金)

惟れ聖は性のままなる者、浩浩たる其の天、毫末(ごうまつ)をも加へずして、萬善足る。衆人は蚩蚩(しし)、物欲交交蔽ひ、乃ち其の網を頽(くづ)して、此の暴棄に安んず。惟れ聖斯に惻(あは)れみ、學を建て師を立て、以て其の根に培ひ、以て其の支を達す。

 聖人の心は、その性の本来を保つものだから、かの浩浩たる天そのまま、人為も何も加えず、ただそれだけで、行為は十分に善である。衆人の心はそうはゆかない。その無知のために、間断なく生起する物質的欲望にさえぎられて、本来の作用を全うすることができず、最も尊貴な仁義礼智という人性の大綱をくずれさせてしまう。よって、その精神は弛緩し分裂し、遂に自己をそこない、自己を棄てる行為を繰り返す。この状態は、聖人の放任するに忍びない所である。よって、学校を建て、教師を置いて、これを導き、衆人の心性の根本を養い、その枝葉を伸ばしてやることとなった。

 【コメント】解説にある<その無知のために、間断なく生起する物質的欲望にさえぎられて、----尊貴な仁義礼智という人性の大綱をくずれさせ-----精神は弛緩し分裂し、遂に自己をそこない、棄てる行為を繰り返す>とありますが、我々凡人から見ると高貴な世界で仕事をしている国会議員のオバサマの、極めて低次元の秘書いじめが話題になっていますが、感情の起伏を抑え理性ある行動をとってもらたいものであります。
 そのオバサマの行為を庇うかのような細田総務会長の弁護は慎んでもらいたいものです。
 当該本人は、自らの姿勢を正すためにも、『小学』『大学』を真摯に学んで欲しいものです。

 昨夜は第二道場の空手道教室も賑わいました。議員のオバサマの例もあることから、子どもたちに、驕りたかぶることをしてはならないと言い含めました。これからの世に生きる人間には、こういう姿勢こそ大事なのですが、多くは当面の成績が良ければと思っていらっしゃるようです。

 勿論健康な体の維持も大切なことではあります。

 昨夜学んだ「古典の教え 三」の言葉は、

 『論語』は、<礼を学ばざれば、以て立つことなし>と教えています。「礼は世に立つ根本であるから、この礼というものを学ばなければ、人間として世に立つ資格がない」というのです。真心のこもった礼で人との対応をしたいものです。

 『春秋左氏伝』は、<己れを修めて人を責めざれば、難より免がる>と教えています。「自分自身修養をつんで、他人をせめたてなければ、危難からのがれることができる」というのです。人さまの悪口をいわず、読書をしたり、名文の筆写をするなどしたほうが賢明な生き方であると思います。
 
 昨日は中澤先生にお礼のお手紙を投函しました。遅くなりまして申し訳なく思っています。

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『人としての生き方』(第58回)

 ここで、言葉と実行というものについて『論語』の中から幾つか紹介しておきます。
 里仁篇にあります。

   君子は言を訥にして、行に敏ならんと欲す。

 雄弁でなくとも、上手く言葉にあらわせなくとも、それよりも行動においては機敏でありたいということ。敏というのは、フルに活躍すること、最大限に発揮するということです。朴訥で言葉が足らなくとも、その行いを通じて信頼が出来るということです。

   古者言(にしえことば)を之れ出さざるは、躬の逮(およ)ばざるを恥ずればなり。

 昔の人が軽々に言葉というものを口にしなかったのは、実行が言葉に及ばないことを恥じたということです。要するに口ほどに出来ていないではないかとしうことですね。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第50回)

 明治四年十月六日、西郷は鶴岡に帰る菅のために、深川佐賀町の伊東八兵衛宅で餞別会を開きました。このときは、滞京中の酒井忠篤、忠宝も同席したでしょう。黒田清隆もいたはずです。この会で西郷は、
 幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し
 丈夫玉砕するも甎全を愧ず
 一家の遺事 人知るや否や
 児孫の為に美田を買わず
と自作の詩を揮毫しました。二句目の「丈夫玉砕するも甎全を愧ず」というのは、大丈夫、男というものは、価値ある玉となって砕け死んでも、価値のない瓦になって生き長らえることを愧じるものだということで、国事に殉じようとする決意を詩句に託したものです。

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元享利貞は、天道の常、

2017-06-29 09:52:56 | ブログ
第3103号 29.06.29(木)

元享利貞は、天道の常、仁義礼智は、人性の綱。凡そ此れ厥の初、不善有ること無く、藹然たる四端、感に随ひて見はる。親を愛し、兄を敬し、君に忠に長に弟なる、是を秉彜と曰ふ。順ふこと有りて彊ふること無し。『小学』

 天道は常に活発に、とどこおりなく運行し、万物も各々その正しい存在の形式をとりこれを成長させ、完成させて、一切の凝滞を許さず、各人が生まれつき持っている天賦の法則を正しく執り守るものだけを存在させてゆく。人間にもその存在の法則を保つべく性が賦与されたが、仁義礼智、即ち道徳性こそその最大の要素であり、本質である。故に、この性は元来至善である。この至善の性は外物との接触により、惻隠・羞悪・辞譲・是非の心、即ちいわゆる四端として具体的に発現する。
 従って、この心による行動は、自然に、子としては親を愛し、弟としては兄を敬い、臣となっては忠を尽くし、子弟としては長上に子弟としての義務を果たすというように、すべての徳行となる。よってこれを人の常性と名づけ得る。つまりこのような道徳は。人間の本性にしたがって現れるのである。


 【コメント】仁は自己中心の意識がまったくなく人を愛すること、義は利己的感情に打ち克って正しいことをする、礼は秩序ある社会生活が行われるために定められた行動をする、智は是非の判断、道理の認識の作用、並びにその能力のことである。

 今、国の最高機関と言われる国会で仕事をするオバサマが、極めて低次元な言葉で秘書を怒鳴りちらしたという音声がメディアによって紹介されています。

 こういう方々こそ、『小学』、『大学』こそ学ばなければならないのではないかと思うのですが、如何でしょう。森本にしても加計学園にしても権力者は私情をはさんではいけないと思うのですが、国民は冷静に観察しているのです。

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『人としての生き方』(第57回)

 何事も本質を捉えること、そして長い目で見てゆくことの大切さを教えています。

 国づくりの基本は人づくり、人づくりを基本にしなければダメなんです。国の有り方をどうするか。町づくりをどうするか。その基本となるのはやはり人なんです。そして人づくりの前に吾づくり、自己をつくることが何よりも大切です。
 学問をするというのは、単に聖人君子の教えをなぞっているだれの、言うことは立派だがその教えというものが何一つあらわれてこない。実行されていない。これでは価値がない。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第49回)

 権勢の座を利用して私利私欲をはかることを西郷は〔生理的〕に嫌いました。〔徳川幕府もそのために死期を早めたではないか。今にしてこの弊風を打破しなければ、回天の壮挙を、半ばにしてたおれた幾多の同志に、どのツラ下げて相見えることができようか〕(邦光史郎『隆盛・月照錦江湾に消ゆ』)。
 この東京事情報国会の内容は、二か月後、東京で西郷が菅にも熱く語ったことでした。これは菅の胸にも熱く伝わり、深く同感し、第二維新を西郷とともにする決意を固めたものと思われます。それが庄内の〔国辱をそそぐ〕ことでもあったのです。
 以下のことは別稿で記したことですが、浜で釣り人が白髪の大漁を釣る名人に邂逅した話です。釣り人は菅、大漁を釣る名人の白髪の老人は西郷、そして大漁を釣るとは第二維新、その時期は南風が吹いたとき、そう考えるのが穏当ではありませんか。しかしこれは菅ひとりの胸中に秘められていたことでしたが、やがては〔志を確立した〕同志にも、秘事として伝わりました。

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古の小学、人を教ふるに---親を愛し長を敬し

2017-06-28 09:56:18 | ブログ
第3102号 29.06.28(水)

古の小学、人を教ふるに、灑掃・応対・進退の節、親を愛し長を敬し師を隆び友に親しむの道を以てす。皆身を脩め家を齊へ国を治め天下を平らにするの本と為す所以にして、必ず其れをして講じて之を幼穉の時に習わしむ。其の習智と長じ、化心と成り、扞格して勝へざるの患無からんことを欲するなり。

 古(夏・殷・周三代)の小学では、人に子弟としての生活に必要な掃除、人との対応、行動の作法、肉親を愛し、長上を敬い、師をたっとび、友人に親しむ道を教えた。これらはみな一身を修め、家を斉え、国を治め、天下を平らかにする根本をつくるわけで、また必ずこれらの作法なり徳行なりを少年の時に講習させた。それはその習慣と知恵と教化と心情とか相伴って長成し、両方の間に矛盾なく行動の規範が確立されるようにと期待したからである。

 【コメント】この一節を読んだのが40年前のことでした。『南洲翁遺訓』同様、空手道教室にくる子供たちに暗記させていましたが、この処実践してなかったので、これからは真摯に取り組んで行くことと致します。

 こういう言葉を学んだ人と学んでいない人とでは、長い人生で大きな差がついてくると思います。長い人生で折角の幸せが頓挫することのなきよう精神面の練成を謀ることが大事でありましょう。

 『大学』は人を治める学問であり、『小学』は、己を修める学問でありますから、『小学』、『大学』と連続して学ぶことは大変善い事なのです。そして『孝経』も学んだ方がよいでしょう。

 荘内南洲会前理事長・小野寺先生は『孝経』が好きだと何回も承ったものです。小野寺先生のご人格には『孝経』の精神が培養されていたのだと拝見してきました。

 味園道場には荘内南洲会の先生方のお写真を掲げており、毎日朝晩慇懃にご挨拶していますので、すぐ目の前にいらっしゃるような気がしています。

 昨日は円心会範士・指宿の大坪伸一郎先生がおいでくださいました。78歳の味園高齢者が元気でやっているかと首実験に来てくれたのだと思っています。

 大坪先生とは半世紀に亘るおつきあいを致しています。穏やかにして、実直であり、英邁であり、人間の標本的逸材だと観察しています。

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『人としての生き方』(第56回)

 学んで自分のものになったならば、やはりそれは何でもないような平素の言行、或いは雰囲気となって体現されてくる。学びの成果というものは、実にこうあるべきだと思います。章楓山というのは、明代の碩学で、王陽明とほぼ同じ時代を生きた人物です。

   一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、
   十年の計は木を樹うるに如くは莫く、
   修身の計は人を樹うるに如くは莫し。


 一年先のことだけを考えるのであれば、穀物を植えればよい。十年先であれば木を植えればよい。だが、生涯、子子孫孫のことを考えるのであれば、人を育てることほど大切なものはないということです。これは『管子』権修篇に出てまいります。

 昔、中国の衛という国の君主が猟に出掛けた時、たくさんの松の苗木を植える一人の老人に出会う。衛の君主が尋ねます。「年は幾つかね」と。老人は「八十五になります」と答えた。これを聞いた君主は、「この苗木はいずれ立派な材木となるだろうが、その年では自分では使えまい」と言って一笑します。すると老人は「今のお言葉は一国を治める方のものとは思えません。この苗木は植えてから百年の後に役立つものとなるのです。私は老い先短い身、自分の生きているうちに役立てようなどと思ってはおりません。この苗木は子子孫孫の将来の為に植えているのです」と切言します。これには衛の君主も大いに恥じ入り、自らの非を認め、「今後はあなたのその言葉を教訓にします」と言って、老人に酒食を振る舞い勞をねぎらったといいます。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第48回) 

 菅が西郷に共感し、肝銘した素地には、藩侯致道館以来二百年の、聖人の政治を理想として実学し活学してきた、庄内郷学の教養があったことは否定することができないと思います。
 このとき菅は西郷に呼応して第二維新の先兵たらんと決意しても不思議ではありません。それは後で申します。
 この会見よりさき、政府は親平(近衛兵)を徴集することになり、明治四年二月十五日、西郷はそのため鹿児島に帰ります。そのとき、薩摩藩知政所で東京事情報国会が開かれました。西郷はそのとき、三条、岩倉の東京邸宅の豪壮ぶりを、
「わが知事公(藩主)も及ばない奢侈、華美、誰がみても月々の御手当では賄われるはずがない」
といい、
「特に同志大久保が、これらの悪習に馴染んで、往時の志士精神を忘却し尊大にかまえ、家令をおき、四、五十人の召使いまでやとっている」ことを、藩首脳が連なる前で、口をきわめて激しく非難しました。政府の顕官たちのこういう豪奢な生活が賄賂につながていることを、西郷は見とおしていたのです。

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己を修むとは、便ち是れ明徳を明かにするなり。

2017-06-26 16:39:36 | ブログ
第3101号 29.06.27(火)

己を修むとは、便ち是れ明徳を明かにするなり。『伝習録』

 『自己を修養する』とは、明徳(人間が生まれながらに有している曇りのない本性としての徳・徳行)を明らかにすることである。明治伝習30

 【コメント】このような言葉は、普通の人々にはなじみ難く難解に思われるでしょうが、こういう問題もかねがね議論する風潮があってもいいのではないでしょうか。

 多くは日常的に低次元の遊びに翻弄されているように思えてならないのです。特に漢文を放失して以降、漢字離れが多いのではないでしょうか。
  
 漢字文化の離れは、人々の精神面の弱さにもつながるような気がするのですが、私の考えがおかしいでしょうか。中村天風師はカリアッパ氏との出会いのお蔭で、天の理とも言っていい極意を授かったと私は思います。

 現代は美貌を含む体調管理のために、いろいろなサプリメントが開発されています。それらは昔は無かったのです。だから私は、天風師の訓戒と私なりの体力運動と精神の練成で自分を維持しているつもりです。

 次は『伝習録』にある解説です。

 <-----それは幸いなことに、すべての人の心中にある天理は永久になくすることができないし、良知の明るさも万古一日のように変ることがないからであって、私の根本思想であるこの抜本塞源論を聞いたなら、世間には必ずや感激して、深く悲しみ、強く痛み、憤然と起ち上がって、大河の堤防を決って水の奔流するごとく突進し、これを停めることのできないよう人のあることを信じて疑わないのである。しかし、このようなことを期待できるのは、全く他人に頼らずに、自己の独力で自覚し立ち上がり得る、豪傑の士以外にはないが、そうした協力のできる人がこの世に多く見られないことは残念至極である。>269

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『人としての生き方』(第55回)

  九、吾づくりのために
 
 越後長岡藩の英傑といわれた河井継之助は、当時日本に三門しかなかったガトリング砲(回転連射砲)の二門を横浜で買い付け、北越戦争では新政府軍を大いに悩ませたわけです。その継之助が備中松山藩の山田方谷に弟子入りを懇請しますが、方谷は「お前に教える暇等ない」と言って断ります。継之助は「私は先生の生き様、実務の実際を学びたいのであって、経書の講義や文章は必要ありません」と言うんです。方谷はこの一言に感じ入門を許します。そして非常に気に入られて、帰る時には『王陽明全集』を方谷から譲り受けるんです。四書五経のうちの『大学』という書物は人を治めるの書、これに対して『小学』は己を修める修己の書であります。あれほどの豪傑でありながら、継之助の懐には常にこの『小学』を携帯していたといいます。

 中国の逸話で、ある高等官の試験に合格した青年が、章楓山という学者のところへ行って「これからいよいよ中堅の役人になりますが、何を勉強したら良いでしょうか」と尋ねた時に、「まず『小学』を読むべきだ」と言われて甚だ面白くない。これから国を背負って立つ人間に『小学』とは何事かと。そう思って帰ったけれども、心に何となく引っ掛かって『小学』を読み始めたところ、誠にひしひしと胸に迫るものがあり、そこから懸命に勉強をするんです。二、三ケ月経った頃に、今度は素直な気持ちで教えを乞うつもりで再び章楓山先生のところに行くんです。すると、ろくに挨拶も終わらないうちに「だいぶ『小学』を読んだな」と言われるんですね。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第47回)

 明治三年八月、菅・西郷会談にさきだって犬塚勝弥と長沢顕郎(のち酒井忠篤のドイツ留学に同行)が鹿児島に派遣され、二十日間の滞在中、西郷と一日おきに会談しているのですが、そのとき西郷は、
「いまの政府は申さば錆ついた鉄車も同然で、油を引いたくらいでは動くものではない。まず鉄槌で一旦、響きを入れた上で動かすことを考えなければならない」
といっています。西郷はこのころすでに第二維新を念頭に描いていたのです。菅の前で〔落涙〕する西郷の心中はただ事ではなかったのです。
 菅は西郷の義憤が国家に対する並々ならぬ誠心の現れであることに驚き、かつ肝銘し、共感したことでしょう。
 
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勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱なり。

2017-06-26 09:18:58 | ブログ
第3100号 29.06.26(月)

勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱なり。『論語』

 勇気はよいことだが、その人もただ勇ましいだけで、学問によって理知を加えることがないと、ならずものとなり、なにごとにつけても世を乱す結果となる。

 【コメント】私が育ってきた枕崎には、喧嘩好きの、一見勇気あるように見える猛者が多くいました。港町であることと合わせ柔道会館があり、人を投げ飛ばす技術を小さい頃から身に付けられるので、軌道を踏み外すことに快感を覚えるようになったと思っています。

 そのような時は、上に立つ長老の方々が人の道を教えなければならないのです。私は身体が小さいし、弱虫でしたので、横から眺めていたものです。

 しかし今日、天風師理論を学び、かつ漢籍を繙き、性質の悪いことをすれば、天の制裁があるということを知りましたので、空手道教室で学ぶ子どもたちに絶対人をいじめるようなことをしてはいけない、と口すっぱく話しています。

 同じ年の男たちで性質の悪かった人間たちは、ことごとく気の毒な晩年を迎えたとお聞きしました。事実は小説よりも奇なりという言葉以上の容態を現認してきたものです。

 とにかく、何がいいと言って、『南洲翁遺訓』を学ぶことほどいいことはありません。そして学ぶ対象としの鑑は荘内南洲会の先生方だと捉えています。20年の間、人間の美しさを拝見してきたからいえるのです。

 荘内南洲会前理事長・小野寺先生からのお手紙を拝読する度に心を洗われる思いです。

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『人としての生き方』(第54回)

 先程、安積得也さんの「持ち味」という詩を紹介しましたが、次の「一人のために」という詩も実に素晴らしいので紹介しておきます。

       一人のために

   最大多数の最大幸福に
   すべての視線が集中するとき
   迷える羊一頭を索めて
   夜も眠らざる大教師をなつかしむ
   一人を徹底的に愛し得ぬ者が
   なんで万人を愛し得るか
   親に完全に捧げ得ぬ若者が
   なんで社会に捧げ得るか
   老人に席をゆずり得ぬ女学生が
   なんで貧民全体をすくい得るか
   個に徹せざる全は無力なり
   具体に活眼せざる抽象は空虚なり
   我等いま縁の下の一隅に生く
   光栄の縁の下よ
   緑の下の一隅に
   お前はなにを捧ぐるか

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第46回)

  涙を催されける

 『南洲翁遺訓』の四章に、
 「万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒しめ、職事にに勤労して人民の標準となり、下民その勤労を気の毒に思うようならでは、政令は行われ難し。しかるに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を文り、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也。今となりては、戊辰の義戦も偏に私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目なきぞとて、頻りに涙を催されける」
とあります。これは菅が明治四年四月、西郷と始めて会談したときの西郷の言葉であったと思いますが、とすると初対面の菅の面前で〔落涙〕するとは、西郷は同志たちの所行を、どんなに遺憾に思い、恥ずかしく思ったことか、心中推察するに余りあります。

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