味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

得るを貪る者は、金を分かつも玉を得ざるを恨み、

2015-07-20 08:02:42 | ブログ
第2395号 27.07.20(月)
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得るを貪る者は、金を分かつも玉を得ざるを恨み、公に封ぜらるるも侯を受けざるを怨みて、権豪も自ら乞丐(きっかい)に甘んず。『菜根譚』
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 貪欲な人間は、たとえば金を分けてやると、さらに玉がもらえなかったことを恨み、公爵の位をさずけられると、領地をもっている諸侯に任ぜられなかったことをうらむ。
 だから、いかに権力があり、豪奢な生活をしていても、その根性はまるで乞食にひとしい。576
   
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 【コメント】人間の性を図星いいあてている言葉だといえましょう。だが、学問を重ねた菅臥牛翁、西郷南洲翁、菅原兵治先生らは学問によって美しい人間像を創り上げてきたといってもいいでしょう。
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 昨夜はある宰相のことをテレビで取上げましたが、それなりの仕事はしたとは申せ、上に書いた英邁な先生方のご人格に比べ、人格としての高邁さがみられないと思いました。また、その御仁が中国で創作した漢詩をお渡ししたそうですが、平仄はでたらめだったと聞き及んでいます。
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 安岡正篤師は、如何に仕事はしても、財を子孫に残すのは善くないと厳しく論難しています。私の詩吟道師匠であった竹下先生も同様のことを何時も口にしていました。

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『大学味講』(第232回)
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   第六節  財聚まれば民散ず

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 是の故に財聚まれば則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。是の故に言悖って出づる者は、亦悖って入る。貨悖って入る者は、亦悖って出づ。 
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   註 釈
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 悖る(もとる)=「さからう」の意。ここでは道理にさからうの意で、「矩の道」に反するの意に取ってよいであろう。
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『論語』(第332)
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 子曰はく、善人民を教ふること七年、亦以て戎(じゅう)に即(つ)くべし。
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 孔子がいうには、有徳の君子が人民を七年も教化訓練したならば、はじめて戦争に使い得るだろう。 
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『農士道』(第211回)
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 一体古来志の解義に、之心説と士心説との二つがある。之心説に従へば心の之く處、----即ち心の動く處、心の欲する處の意で、現代の語を以て謂へば心理的欲求の意に解され得る。之に対して士心説に従えば、士たるの道にかなへる心意の謂であって、倫理的欲求の意を有してゐる。右の二者の中、私は後者の士心説を採る。(然し之心説が全然間違ってゐるといふものではない。之心の内容が道義的ならば、それは士心である。)かくて私共は三輪執斎が「學問の道如何」との問に対して「士心を立つるに在り」と答へたる、簡なれども要を得て餘す處無き言の真意も解し得られるであろう。
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