味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

戈を止むるを武と為す。

2015-07-17 10:13:33 | ブログ
第2392号 27.7.17(金)
.
戈を止むるを武と為す。『左伝』
.
 「武」という文字は、「戈」と「止」の合した字である。もともと干戈、すなわち戦争を止めさせようということが「武」の原義である。(楚子のことば)253
.
 【コメント】武道を選択して60年。柔道・剣道・空手道・合気道他武道以外のものもお稽古してきました。これらは家の借金返済をしなければならないため、手当り次第に行ってきました。それはそれは壮絶の一言でした。
.
 もともと争いごとが大嫌いであるため、「武」という言葉は殊の外大好きです。でも生き抜くためには厳しさもなければならないと思います。
.
 昨夜も子どもたちと『南洲翁遺訓』、『論語』を熱唱しました。二部ではお兄ちゃんが言うことを聴かず、少しく厳しいおしおきをしました。このお兄ちゃんは空手道の基本は私より上達していると思います。しかし特殊の病を持っているので、できればご両親が健在の裡に
立ち直って欲しいと願っているのです。16年間の長きに渡って指導をしていまが、どんなに厳しくしても辞めないという所は見上げたものです。
.
 子供たちに自ら命を棄てることのなきよう、頭を叩かれても、悪口を言われても、死ねと謂われても、絶対死んでは駄目です、お話しました。そして私の頭を2人の子供に叩かせました。この位で死ぬなよと言って-----。
.
 ブログを書こうと思って立ち上げたら、今年四月、小学校の母親たち、ママトモの二人がラインとかいうので仲間外れにされて自殺したと報じています。子供を持つ親は、何がなんでも生き抜かなければならないと私は思うのですが。
.
 今朝は朗報もありました。ふた月くらい音信不通だった方が電話連絡がありました。月曜日、二人の子供たちをつれて道場に来るということでした。頼りにされているので有難いと考えています。
.
 私の仕事は、空手道と『南洲翁遺訓』を教え乍ら、人生に立ち向かう、挑み続ける人間を創造したいと念じています。それは西郷南洲翁と胸襟を開いて信頼関係を構築した菅臥牛先生、そして『大学味講』の著者・菅原兵治先生方の生き様を学ぶことによって修得できると信じています。
.
 人生で、何事もなく、順風満帆に人生を終えるということは、先ずあり得ないと思います。友人関係、恋人関係、夫婦問題、仕事上の問題それぞれに悩みもあると思います。そういう事象を乗り越えて、意義ある人生を模索し構築出来ると私は信じています。それは「物事を悪い方へ考えない」ということなのです。
.
 人間の歴史には、こういう人々が、どうして和解できたのか、という摩訶不思議なことが数多あります、それは歴史を学び、人間の心を学び、自らの器量・度量・能力等々を鍛えに鍛えぬいて、人世に処する大いなる決断によって成し遂げられると思うのです。共に共に学びたいものです。

------------
『大学味講』(第229回)
.
 (六) しかし、先後からいえば、本が先で、末が後になるのでありまして、その故に大学では「君子は先づ徳を慎む」といっているのであります。そして、その本から茎を生じ、枝葉を生じ、花を開き、実を結ぶように、「徳あればここに人あり。人あればここに土あり。土あればここに財あり。財あればここに用あり」と、自然に財用が生じてくるものだとするのであります。
 一例を挙げてみましょう。
 この農家は終戦後に分家して、自立したのであるから、耕地面積は一町五反余、家も移民に出た人の空家を買って入ったのであるが、その夫婦が力を合わせて養鶏も取り入れてやっているうちに、次第に内容も充実して財も生じて、廃屋のような古い家を新しい家に建てかえた。ところが、その夫婦の人がらもよく、稲作の成績も一番だというので、次第に信用も得て、の役にもつけられるようになり、そうしているうちに、水田の委託経営が行われるようになると、どうせ頼むなら信用出来る人にというので、この人に頼む委託経営が出てきて、それが一町歩以上になり、やがて三町歩近くの田を耕すようになったのである。かくてこの財用が次第に拡大されるようになってきつつあるのでありますが、こういうことは、農業以外の工商業においても同じことであると思います。

-----------
『論語』(第329)
.
 子曰はく、君子は泰にして驕らず。小人は驕りて泰なにず。
.
 孔子が言うには、君子は常に正しい道理に循うから、心が落ち付いてゆったりして自ら高ぶってほしいままな様子はない。小人は常に欲を逞しくするからこれに反するのである。

-----------
『農士道』(第208回)
.
 かういう見地よりすれば、外篇も何れかといへば農村研究の精神的資料であると謂はるべきものであろうが、此の内篇に述ぶる處は更にその内容的方面のものである。軌道と車両のみを備えても、其の機関車に豊富な水と石炭とを備ふるに非ざれば、長い旅路の終点までの運転が出来ぬと同様、徒に世間の所謂「農村問題」の研究のみに止まらず、かかる方面の人生の内容的方面に、深い造詣を積むことは、実は最も力強い農道生活永安の原動力となり、其の位育と参賛との使命を果し得る所以なのである。
-----------