味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

習慣は自然のごとし。

2013-05-13 09:38:51 | インポート

タイトル---習慣は自然のごとし。第1600号 25.05.13(月)

 習慣は自然の若し。『孔子家語』

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 この言葉は孔子が孟武伯に応えた言葉とされています。習慣はついに生まれつき有する天性のようになる、ということですが、まさしくそのとおりだと実感しています。

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 今朝の学問館で394回となりました。『史記』『中庸』『臥牛 菅実秀』を学修しました。

 先のブログにも書いたとおり自閉症の子どもたちが、円心会道場に次々入門してくださいます。そういう症状をお持ちの子どもさんの保護者の方々、決して落ち込まないようにしてください。こういうと叱られるかも知れませんが、円心会道場に来る以上、寧ろ喜んでください。それは明るい展望にむけて努力し、普通の事が味わえない、人生の妙味を享受・味読されるであろうからです。

 どうもない健常者の方に自閉症の人みたいになってください、と言っても絶対なれないのです。ところが自閉症の方は努力次第によっては健常者以上になれるかも知れない、いや、なれると私は信じているのです。ただし、あきらめなければ、という条件がつきます。

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リズムとは生命のうねりを表現し 

                          歌や俳句などで磨かれる也 華麗 『あいうえお語録』う

縁のなき人の書物を数ページ 

                           読むか否かで人間決まる 華麗 前掲書 え

夏山に変わらぬ松の緑色に 

           冬の厳しさ打ち克つを見る 翫習 不動智神妙録

学問にこれを理解し思索して

           慎み行い心に自得す 4143 『中庸』

学ばざることはありても学ぶなら 

           成就するまで止めてはならぬ 4145 『中庸』

他の人が一たび書物読むならば 

           己は必ず百遍は読め 4150 『中庸』

幕府では薩摩の挑発避けつつも 

           浪士匿う薩摩を非難 4152 『臥牛 菅実秀』

 


あいうえお語録「い」

2012-12-25 19:40:21 | インポート

タイトル----あいうえお語録「い」。第1461号 24.12.25(火)

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 いにしえの卓(すぐ)れし人ら今の世に 

               命ありせば如何に生くらむ

 とりわけ中江藤樹先生のご心懐をお察しし、その情、切なるを感じます。

★いかなる人に対しても少なくとも一点は自分の及びがたき長所を見出すべし。

★一切の悩みは比較より生じる。人は比較を、絶した世界へ躍入するとき初めて「安心立命」の境に立つ。

福惜しむことの出来るは器量大 

           意(こころ)寛きの人であるなり 2646


得意時の注意『言志録』

2011-11-28 11:32:25 | インポート

タイトル---得意時の注意『言志録』。第1065号 23.11.28(月)

『言志録』 44 得意時の注意

〈得意の時候は、最も当に退歩の工夫を著(つ)くべし。一時一事も亦皆亢龍(こうりょう)有り。〉

〔訳文〕 思いがかなった時こそ、一歩さがる工夫をすべきである。時間的にも、事柄的にも、昇りつめた龍、つまり、尊貴を極めたものは、退歩を考えておかないと必ず敗滅の悔があるものである。

〔付記〕 酔古堂剣掃、霊の巻に、

「名を成すは毎(つね)に窮苦の日にあり、事を敗るは多くは、志を得るの時に因る」とある。

 味わうべき言葉だと思う。

 もう一つ。聚楽第が出来上がった時、誰かがその壁に次のような落書きをした。

「おごるものは久しからず」

 これを見た秀吉は、その隣に、

「おごらざる者も久しからず」

 と書かせたという。

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〔コメント〕 原文、訳文とも善い教えだと思います。だが、「思いがかなった時」だけでなく、たえず控えめで謙虚であった方が、精神的にはゆとりがあるのです。私はいつもそのようにしています。どんな子供にも手をついて挨拶するし、丁寧な言葉をつかっています。ただ、躾は厳しいです。

 躾の厳しさについて、空手道指導の際、4、5才の幼児たちは正座はせず、足を投げ出して座っています。そこで、本人を睨み付け、大きな声で「正座ッ」というのです。そうしたら、びっくりして正座をするのです。躾は幼児であっても妥協してはならないのです。

 ある母親様に次のようにメールしました。やがてお宅の子供さんに「あの人大した指導者ではなかったたな」と思われないように気を引き締めているのです、と。

 そして聚楽第の落書きの件ですが、知恵の限りを尽くし、天下を取ったとはいえ、そこは学問のない天下人の浅慮、そのまま負けずに君臨していたら、世界中から怨まれていただろうと思います。それに比べ徳川が残した学問新興の文化は見事であったと言えましょう。

 京都大学名誉教授であった会田雄次氏は徳川を毛嫌いしていましたが。