味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

怨み豈明らかなるに在らんや。見えざるを是れ図れ。

2016-12-31 09:43:10 | ブログ
第2923号 28.12.31(土)
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怨み豈明らかなるに在らんや。見えざるを是れ図れ。『左伝』
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 他人の怨みは、決してあらわに出てくるものだけではない。むしろ目に見えないところにも積み重ねられている。だから、その見えない怨みをよく注意していかなければならない。(『書経』五子之歌)256
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 【コメント】日々多忙な中で、人は一寸した間違いを起しやすいものです。でも基本的には、西郷南洲翁の漢詩「子弟に示す」にあるように、「過ちは自分に」、そして「利は他人様へ」という気持ちでいれば間違いは少しでも減少すると思います。 
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 早いもので今年も今日が最後となりました。
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 昨日は、鹿児島史談会会長・伊牟田先生が私に会いたいとのことをご夫人より承り、入院している病院へ行ってきました。高齢でもあり、1月22日の講演は出来ないと申していました。大変悪いなと観察した次第でした。
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 伊牟田先生は鹿児島県教育長を歴任した有名な方で、西郷南洲顕彰館の専門委員をしていることもあり、ご高名は存じ上げていました。所が数年前、南洲翁遺訓改竄事件が発生し、このままでは、西郷先生、菅先生に申し訳ないと思って、その阻止運動を企画したのでした。
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 そこで荘内の先生方と交流している私に一肌抜いてくれと説得したのでした。「西郷南洲顕彰館の伝統及び、西郷南洲翁と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」の会長をして欲しいと懇願され、その仕事をしたのでした。
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 結果的に鹿児島市議会で議員が質問し、鹿児島市長、教育長の答弁を引き出し、今の所、『南洲翁遺訓』改竄はないことになっています。『南洲翁遺訓』は西郷隆盛と直接会っていろいろ訓戒を賜わった荘内藩の藩士たちの記録の結晶であり、何人といえども、その原文に手を加えてはならないとされているのです。
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 それをあろうことか、ある男の職業的に汚染された人間の独断で事を勧めようとしたものなのです。『教養のすすめ』では、<マスコミの一時の毀誉褒貶がいかに無意味なものか>(頁88)と論じていますが、そういう仕事に携わる人の思い上がりを戒めています。同感です。

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『臥牛菅実秀』(第457回)
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 この人には、つぎのような逸話がのこっている。
 いつかの選挙のとき、松ヶ岡開墾場の若い人たちが、隊を組んで戸別訪問をして歩いた。このころは、戸別訪問は法的に認められていたが、大勢が隊を組み、肩をいからして依頼して歩いたことが脅迫とみられ、選挙法にひっかかってしまった。
 このとき、責任者として出頭したのが地主常松である。地主は冒頭から取調べの検事に向って
「依頼と脅迫の境界を示してくれ。」
と迫った。

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高木先生、中澤先生はじめ、このブログを御覧戴いた皆様、この一年、本当に有り難う存じました。私が主宰する日本空手道少林流円心会は初期の目的のとおり、今後も真摯に『南洲翁遺訓』と荘内精神を学んで行くことをお誓い申上げます。
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 それは南洲神社で勉強していた南洲会の先生方の総意として、私に遺言的に頼まれた為でもあります。ですから、邪な団体の誘いには絶対与しない決意です。
 『孟子』に云う「千万人と雖も」私は正義を貫きます。この一年、本当に有り難う存じました。

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寵辱にも驚かず、閑かに庭前の花開き花落つるを看る。

2016-12-30 10:04:55 | ブログ
第2922号 28.12.30(金)
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寵辱(ちょうじょく)にも驚かず、閑(しず)かに庭前の花開き花落つるを看る。『菜根譚』
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 寵栄にも汚辱にもいささかも心動かさず、庭前の花花が自然に開き自然に散っていく姿を心静かに見守っている。これぞ達人の心境というものだ。580
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 【コメント】物事にこだわらず、超然として生きることに徹したいものです。その為には『南洲翁遺訓』を学ぶに如かずということだと思います。
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 昨夜は今年最後の第二道場・空手道教室でした。1月22日、黎明館での『南洲翁遺訓』発表並びに空手道実技、2月19日、荘内南洲会の先生方を迎えての同様の発表がありますので、真剣におけいこ致しました。
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 『南洲翁遺訓』発表チームリーダの五歳児・正田佳奈子さまがはりきっています。
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 緊急事態のお知らせ
 伊牟田先生が入院したため、私にすぐきてくれということであります。ブログは後で書きます。12時20分です。帰宅3時40分です。
 伊牟田先生は大変お悪い様子でした。

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『臥牛菅実秀』(第456回)
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 実秀のこうした気風につつまれて、青年たちは腹一杯に行動し、思う存分に議論を闘わし、ねぢり合い組み合いの、ぶつかり稽古をつづけていた。
 実秀の家の広い座敷は、いつもこうした青年たちで、にぎにぎしい活気に溢れていた。
 この座敷で、ある日、大山の貯水池の鴨を撃とうという話が持ちあがった。ここはすでに禁漁区になっていたが、それを犯して鴨を撃とうというのである。
 この話は、どうも実秀が持ちだしたものらしくこのときの人の配置は、すこぶる妙をきわめたものであった。射手は当時、鉄砲の名人といわれた中村寿作と、もう一、二名であった。打った鴨を持って飛んで帰ってくるのは、脚が強くて早い実秀の三男滝三と伊藤貞一、もう一つの役目を持ったのが地主常松(正次、のちの酒田米穀取引所副頭取)であった。

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白頭縦え花園の主と作るも、

2016-12-29 10:08:54 | ブログ
第2921号 28.12.29(木)
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白頭縦(たと)え花園の主と作(な)るも、酔うて花枝(かし)を折るは是れ別人。(雍陶 勤行楽詩)
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 老いてのちは、たとえ花園の主となることはできても、年は帰らず、青春時代酔って花の枝を折った人とは、まったく別人である。
 青春をなつかしむ老人の懐い出。725
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 <老い去れば風光は身に蜀せず、黄金は惜しむ莫く青春を買う>

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 【コメント】私は白頭ではなく禿頭ですが、若い頃から一杯一杯楽しんできました。働くことも楽しみの一つでした。最初柔道をし、そして空手道をし、剣道をし、合気道をし、日本舞踊をし、社交ダンスをし、他にまだまだ御稽古ごとなどもしてきました。
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 一杯働き、一杯遊び、一杯運動をし、一杯勉強もしてきました。ひと月に月刊誌15冊購読を25年間続けました。その中の作品を一杯書き写してきました。そして木下藤吉郎の真似をして三日不眠のことを二回やりました。
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 電通の社長が社員の過重労働とかの責任をとり、辞任するとのことです。でも私に言わせると、上に立つ人は、サービス残業もすべきだと思います。ただ部下に対しては、優しく厳しくを調和よくする必要があります。ただでさえ、仕事をサボロウというのがいるのですから。
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 31歳の時、大根占電話局の係長で赴任した時は、自宅で徹夜まがいの仕事をしてきました。そして深夜に一人で、単車に乗り佐多岬まで測量に行ったものです。
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 自分の精神力を計るためにも、寝ないで仕事と格闘する、そして読書も一冊一晩で読み上げる、そして書写も5時間位続けるという自分との格闘を演じて貰いたいものです。
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 そういう経験が生命力を旺盛にするのだと思います。長生き論については80歳を超えるまで口に出すなとは、天風師の言葉です。健康論は口に出してもいいとのことです。
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 今日は第二道場の最後のおけいこ日です。果して何人来るでしょうか。一人もこなくても私は行くのです。その時は静かに読書をすることにしています。
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 博打打の父は、生まれる時には裸で生まれて来るのだから、裸で生きていけ、ということをいいましたが、自分はそれほどの哲学は持ち合わせてはいなかったと私は分析しています。
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 ただ人の物を盗むとか、ずるいことはしない父でした。親から譲り受けた自分の田畑を売却して人に金を貸すなど、お人よしでした。お人よしも相手によりけりなのです。
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 指宿の大師範は風邪が重症化し点滴を受けたとのことですが、回復したでしょうか。ゆっくり床の中でお休みくださいませ。

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『臥牛菅実秀』(第455回)
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 これを読んだ実秀は、よほど不快に思ったのであろう。夢の中で実秀は、その張耳を烈しく叱り飛ばしたというのである。それがひどい大声だったらしく、夫人が驚いてゆり起したほどであった。
 実秀は、この話をしながら、
「夢で逢った張耳というやつは、小さく青ざめた、あやしげな男で、いま憶い出しても気持ちが悪い。」
と大笑いしたというのであるが、実秀は、じめじめとした陰気なことが、ひどくきらいで、からっとした陽性で行動的なことを好んだ。
 うつむいて、くよくよ思い煩うひまがあるなら、なぜ胸を張って前進しないのだといった。
「自分のようなものは----」
と、しりごみする人があれば、
「自分のようなものと思うからこそ勉強するのだ。」
と励ました。

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高木先生、コメント有り難うございました。26日は、にぎやかであったことと存じます。田賀先生がいらしたらもまだまだ華やぎ賑わったでしょうにと思うことでした。
 どうか来る年もよろしく御願い致します。荘内南洲会の先生がたとやりとりしている気分です。
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 菅先生、菅原先生、長谷川先生、小野寺先生がたも皆様の座に加わり、楽しんだことでしょう。

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初生に在らざるは罔し。

2016-12-28 10:40:59 | ブログ
第2920号 28.12.28(水)
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初生に在らざるは罔(な)し。『書経』
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 若いころのはじめての経験が、本人の運命を定めるものであるから、よい習慣は子どものときにしっかりとつけなければいけない。214(召公のことば)
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 【コメント】<若いころのはじめての経験が、本人の運命を定める>とありますが、傾向としてはあるでしょうが、幼少時代学ばなかったとしても、大人になってからでも遅くはないと思います。
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 要は知り得てから、如何に真剣に学び身につけるかということでしょう。
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 私の母は躾は厳しくしてくれましたが、学問的なことは本人の知的未熟さもあり、少なかったように思います。しかし、躾けられたことは『南洲翁遺訓』の教えと整合している部分が数多あります。
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 ですから、躾と学問的なこととが一致整合するよう、空手道教室では指導することにしています。願うものならば、『南洲翁遺訓』の教えを子どもレベルで理解できるようにしたら如何でしょう。
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 因みに、来年一月講演会での文言として、次のようにお話したいと思います。テーマが「南洲翁遺訓と青少年健全育成について」となっています。
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<特に現今、児童生徒の「いじめ・自殺」問題が喧しくなり、学校運営をされておいでになる校長先生がたは、気の休まる時はないのではないでしょうか。
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 このような時、青少年健全育成について『南洲翁遺訓』を存分に活用し、品行・品格を含めた人格の形成に尽くすことこそが、一番求められているのではないかと思うのです。
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 例えば、

 第四章に言う、「己れを慎み、品行を正しくし」----しっかりした自分を創り、よい行いをする。

 「驕奢を戒め、節倹を勉め」-----おごりたかぶることをせず、さらに節約につとめる。

 「職事に勤労して人民の標準となり」----仕事に専念し、人々のお手本となる。

 また第七章に言う、

 「事大小と無く、正道を踏み至誠を推し」----どんな大きな事も小さな事も、正しい道を行きそして真心をつくすこと。

 さらに第十六章に言う、

 「節義廉恥を失いて、国を維持するの道決してあらず」----固い道義を構築し、潔白で恥を知る心をなくせば自分も維持していくことはできない。

 また第二十三章に言う、

 「学に志す者、規模を宏大にせずばあるべからず」-----学問を志す人は、その理想を大きくしなければならない。

 そして世の人々に知られている第二十五章に言う、

 「己れをつくし人を咎めず」-----自分の誠を尽くし、決して人の非を咎めるようなことはしない、

 等々、このように、永い人生における処世の要諦がちりばめられているのであります。>
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 私の挨拶の時間が10分ですので、はしおってお話したいと思います。
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 今朝ほど荘内南洲会事務長・阿曾先生から、当日の祝辞をFAX送信して戴きました。一読して5分かかりました。ところが私の話と重複している所があるものですから、伊牟田先生から、簡略して欲しいとの要請があるかもしれません。
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 ブログを御覧戴いている中澤先生、高木先生、子どもたちへの呼びかけと解説はこれでよろしいでしょうか。修正した方がいい時には、メールでお知らせくださいませ。

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『臥牛菅実秀』(第454回)
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 ある日の朝、犬塚一貞が実秀を訪ねたら、実秀は、昨夜見たという夢の話をした。それは『史記・列伝』に出てくる張耳のことであった。
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 張耳は秦の始皇帝、それに高祖、項羽が覇を争った時代の人で、同郷の陳余とは刎頸の交りを結んでいた。張耳がある戦場で窮地に陥ったときに、将軍になっていた陳余は救援にこなかった。これを根にもった張耳は、執拗に陳余を責めた。その疑い深さを怒った陳余は、将軍の印綬を張耳に押しつけて立ち去ろうとした。そのときの張耳の、印綬を受け取るとか、一旦、譲ろうとしたものを譲らなかったことを怨むとか、なんともいいようのない陰湿な態度が、司馬遷によって活写されているのである。

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時に乗ずるは方に徳に在り。

2016-12-27 08:57:24 | ブログ
第2919号 28.12.27(火)
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時に乗ずるは方(まさ)に徳に在り。『唐詩選』
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 統治者が時に乗ずるとは、時の勢いによることではない。まさしく、徳の力によるものである。(玄宗皇帝「蜀に幸して西、剣門に至る」
 徳を修めていくことが、即ち時運に乗ずるゆえんである。)447

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 【コメント】「徳を修める」ことは成功につながるということは、全てに該当するといってよろしいかと思います。ここだけ読む分については、玄宗皇帝という人は、人格を修めた西郷南洲翁みたいな人だったようです。
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 長い人生ではいろいろなことが発生します。今朝のテレビ報道で佐川急便の配達員がいらいらくしゃくしゃして、お客様からお預かりしている品物を地面に投げつける場面がありました。
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 これはあってはならないことです。労働問題で気に食わなければ、辞表を出して退職すればいいと思います。どんなことがあったにせよ、感情をむき出しにして、人様からお預かりした品物に当ってはいけません。
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 私は高校時代年末に郵便局の配達のバイトをしたことがありました。それはそれは沢山の量でした。それでも、使命感・責任感を持ってやり抜きました。貧乏ぐらしで働かなければならなかったからです。
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 高齢化した今でも、空手道教室で子供たちに『南洲翁遺訓』と空手道を教えていますが、特に発達障害の子供はみるみるよくなって行きます。
 そういう子供さんは、会話が通じませんので、身体で覚えさせないと駄目なのです。仕事をさせていただいてお金を戴く、なんて有難いことなのでしょう。お金を貰うという事は、大変な事なのです。
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 現今では労働者側が強い感じがありますが、労働力を提供するという使命感にたって欲しいものです。私と一緒に電電で働いていた労働組合の幹部で、人格的に尊敬できるという人を見たことはありませんでした。
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 ある労組幹部は、指宿局の若い組合員たちに暴動まがいの指示を出したのです。職員が急にあばれだしたのは、これは策略だなと読んだ当時の愛甲局長はいろいろ考えたのでした。
 その時、電気通信部の会計係長で、通信部の労組委員長から電話があったのです。局長、何か、ゴタゴタがあるそうですね、と。
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 そこで局長は黒幕がわかったのでした。30年間、いろいろ見て来て、そのように画策をする人でしたが、今は生きているでしょうか。死後のアリの世界で大変な思いをしているかも知れません。とにかく、荘内の先生方みたいに、正直に生きたいと思っている次第です。

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『臥牛菅実秀』(第453回) 
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 また実秀は、ある日、二三の青年を前にして、
「どうも君たちは、おとなびているようだが、自分は一生、餓鬼で終わりたいと思う。それに自分は何ごともやりだした以上は、やりとげなくてはすまされぬ気質がある。一つ、巫女にでも口寄せさせて聞いてみたら、君たちは、きっと、びっくり仰天することだろう。」
と笑いながらいったことがあつた。

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  ※餓鬼で終わりたいと思う。餓鬼とは子供の賤称であるが、ここでは小さく固ってしまつたあとなにはなりたくないということであろう。
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 この旺勃たる元気、気魄は、単なる血気や一時の客気から発するものではなく、その人の抱く志、その人の持つ高い目標から発するものであること、そしてその目標に向っての不屈な努力が何よりも貴いものであることを、実秀は身を以て教えるのであった。
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