第3469号 30.6.30(土)
子曰く、君子は親に事ふるに孝。故に忠をば君に移す可し。兄に事ふるに弟。故に順をば長に移す可し。家に居て理まる。故に治をば官に移す可し。是れを以て行ひは内に成って、名は後世に立つ、と。『孝経』301
孔子が云うには、有徳の君子は父母に事えて能く孝行を尽くす。だから、父母に事える孝行を移して君に事えると、それが取りも直さず君に対する忠となる。また、有徳の君子は能く兄に事えて弟としての道を尽くす。だから、兄に対する弟としての道を移して広く長上に事えると、それが取りも直さず最上に対する順となる。また、有徳の君子は家に居ても家が善く理まる。だからこそ、その家を治める能力を移して、官職にあたれば官職はおのずから善く治まる。以上の三つに共通する道理から、孝・弟・治の行いが家のなかでも善く家庭が成り立って、その名声がのちのちの世までも善い評判となって、広くのちのちまでも人心に善い感化をもたらすことになる。
【コメント】我々凡人は遠く及ばない高潔な人格の様ですが、それでもできる範囲で少しでも近づくべく努力したいものです。
できれば権力を恣にしている日大の理事長とか、安倍総理などがお手本を示してほしいものです。総理は丁寧に対応するなどと口あたりはいいのですが、中身は真逆だと云う人が多いようです。
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『啓発録』橋本佐内+---気を振う----1
気とは、人に負けぬ心立でありて、恥辱のことを無念に思ふ処より起る意気張りの事なり。振ふとは、折角自分と心をとどめて、振ひ立て振ひ起し、心のなまり油断せぬやうに致す義なり。この気は生ある者には、みなある者にて、禽獣にさへこれありて、禽獣にても甚しく気の立ちたる時は、人を害し人を苦しむることあり、まして人に於てをや。人の中にても士は一番この気強くこれ有る故、世俗にこれを士気と唱へ、いかほど年若な者にても、両刀を帯したる者に不礼を致さざるは、この士気に畏れ候事にて、その人の武芸や力量や位職のみに畏れ候にてはこれなし。
〔訳〕気とは、人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と、恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである。それを振うというのは、常にそうした心を持って、その精神を振い立て振い起し、絶えず緊張をゆるめず油断のないように努力することである。
この気というものは、生命のあるものはみな備えているものであって、鳥や獣でさえ持っている。それで鳥や獣でも、ひどく気が立った時は、人に危害を加えたり苦しめたりすることがあるのだから、人間の場合は、なおさらである。その人間の中でも、武士が一番この気を強く身につけているから、一般にこれを士気とよんでいる。どんな年若な武士に対してでも、それが武士であるならば無礼を加えようとしないのは、この士気を恐れてのことであって、別にその人の腕前や身分を恐れるからではないのである。
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子曰く、君子は親に事ふるに孝。故に忠をば君に移す可し。兄に事ふるに弟。故に順をば長に移す可し。家に居て理まる。故に治をば官に移す可し。是れを以て行ひは内に成って、名は後世に立つ、と。『孝経』301
孔子が云うには、有徳の君子は父母に事えて能く孝行を尽くす。だから、父母に事える孝行を移して君に事えると、それが取りも直さず君に対する忠となる。また、有徳の君子は能く兄に事えて弟としての道を尽くす。だから、兄に対する弟としての道を移して広く長上に事えると、それが取りも直さず最上に対する順となる。また、有徳の君子は家に居ても家が善く理まる。だからこそ、その家を治める能力を移して、官職にあたれば官職はおのずから善く治まる。以上の三つに共通する道理から、孝・弟・治の行いが家のなかでも善く家庭が成り立って、その名声がのちのちの世までも善い評判となって、広くのちのちまでも人心に善い感化をもたらすことになる。
【コメント】我々凡人は遠く及ばない高潔な人格の様ですが、それでもできる範囲で少しでも近づくべく努力したいものです。
できれば権力を恣にしている日大の理事長とか、安倍総理などがお手本を示してほしいものです。総理は丁寧に対応するなどと口あたりはいいのですが、中身は真逆だと云う人が多いようです。
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『啓発録』橋本佐内+---気を振う----1
気とは、人に負けぬ心立でありて、恥辱のことを無念に思ふ処より起る意気張りの事なり。振ふとは、折角自分と心をとどめて、振ひ立て振ひ起し、心のなまり油断せぬやうに致す義なり。この気は生ある者には、みなある者にて、禽獣にさへこれありて、禽獣にても甚しく気の立ちたる時は、人を害し人を苦しむることあり、まして人に於てをや。人の中にても士は一番この気強くこれ有る故、世俗にこれを士気と唱へ、いかほど年若な者にても、両刀を帯したる者に不礼を致さざるは、この士気に畏れ候事にて、その人の武芸や力量や位職のみに畏れ候にてはこれなし。
〔訳〕気とは、人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と、恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである。それを振うというのは、常にそうした心を持って、その精神を振い立て振い起し、絶えず緊張をゆるめず油断のないように努力することである。
この気というものは、生命のあるものはみな備えているものであって、鳥や獣でさえ持っている。それで鳥や獣でも、ひどく気が立った時は、人に危害を加えたり苦しめたりすることがあるのだから、人間の場合は、なおさらである。その人間の中でも、武士が一番この気を強く身につけているから、一般にこれを士気とよんでいる。どんな年若な武士に対してでも、それが武士であるならば無礼を加えようとしないのは、この士気を恐れてのことであって、別にその人の腕前や身分を恐れるからではないのである。
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