味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

令和3年5月31日(月) 貞観政要・頁648 是れ藩邸の

2021-05-31 09:43:08 | ブログ
是れ藩邸のきゅう勞、誠に忘る可からずと雖も、然れども國を理め法を守るには、事須く画一にすべし。頁648

(訳)この男は秦王府の旧臣で、その功労は忘れることはできないけれども、然しながら国を治め法を守るには、事はぜひとも画一にすべきで、不同があってはならない。頁648
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  『いかに生くべきか』東洋倫理概論 安岡正篤著

 造化と人

 人は常に己を虚しゅうして造化に参わらねばならぬ。試みに進化論によって生物発展の跡を訪ねても、哲学によって認識の理法を考えても、宇宙人生は自己を実現せんとする絶対者の努力であり、神羅万象斉しくその顕現に他ならぬことは明らかである。故に個の絶対者の努力を「造化」と言う。神羅万象の中に個の造化を最も端的霊妙に現す者は人である。
 造化は人を通じて心を発いた。心は人の心であると同時に、造化の心であって、造化は心によって自ら「玄」より「明」に化し、人は造化の一物に過ぎずして、しかも個の心によってまたそのままに造化なのである。人がもの思うのは、すなわち造化がもの思うにならない。

 さて、造化は前述のように自己を実現せんとする絶対者の努力である。そこで造化のいずれの点(機境)を取るも、これであきたったということはない。そこには必ず無限の生成化育が含蓄的状態においてあると言わねばならぬ。換言すれば、造化は絶対自けんなるものであって、かつ永久ふけんなものである。人もまた異なるところはない。
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 この本を購入して20年近くなりますが、読むことに没頭した日々を思い出しています。
 

令和3年5月30日(日) 貞観政要・頁648 太宗曰く、甑生

2021-05-30 09:58:12 | ブログ
太宗曰く、甑生、李靖の節度に違ひ、又、靖、逆を謀ると誣告す。頁648

(訳)太宗が言われた、「甑生は李靖の軍法にそむき、また、李靖が反逆を謀っていると虚偽の申し出をした。頁648
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 『人間学のすすめ』安岡正篤著

  郷学と現代------荻生徂徠と庄内学

 案ぜられる日本

 私は、今回は実を申しますと、みなさんに庄内のお話を主としていたしたいと思って参ったのであります。庄内のお話と申しましても目先の、あるいは現実の雑駁なことではなく、この庄内地方に徳川時代、藩政時代から明治にかけて、人々の政治に経済に、思想に風俗に、深甚なる影響を与えた、庄内の偉大な先輩の学問や感化を主としてお話を申し上げて、さぞかしその子孫の方や、ゆかりの方もたくさんおいでのことでありましょうから、これが今後の庄内地方の発展の根本的培養になれば、非常に幸いである。かような、道元禅師いわゆる「老婆心」を抱いて、やって参ったのであります。

 今、当地においてもさようと思いますが、日本の国をあげて、内外の情勢は確かに異常な昏迷を続けております。国内におりますとあまりわかりませんが、傍目八目と申しまして、国外や外国人などから見ますと、それがかえって明らかに見えるものと見えまして、私の接しましただけでも、昨年あたりからたとえばフランスのマルセルとか、有名なケストラーであのますとか、名高いカトリックの世界的人物でありますクーヒン、また、東京の新聞にも大分騒がれておりますが、中国を脱出しました、中国民主同盟、すなわち国民党や共産のほかの第三政党の領袖でありました周鯨文氏というような人々が相次いで日本に参りまして、日本の我らに有益な、そして実に深刻な感想、忠告を発表しております。それらほとんど、軌を一にして深くわれわれを反省せしめるものか゜あるのであります。本当に今の日本は明日を案ぜられるのであります。

 昨晩は本部の空手道教室でした。終盤に円陣を組み、中に一人入り攻防を展開する組手を行いました。礼弥君、外山諒哉君二人の裁きは最高でした。

 南洲翁遺訓を人生の糧にしてくださいとお願い致しました。



令和3年5月29日(土) 貞観政要・頁647 時に上言する者有り

2021-05-29 10:08:26 | ブログ
時に上言する者有り、曰く、甑生はもと秦府の功臣なり。請ふ其の過を寛くせん、と。頁647

(訳)その時、言上する者があって言うには、「甑島はもと秦王府の功臣でございます。どうかその罪過をお許し願いたい」と。頁647
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 『安岡正篤先生人間像』林 繁之著

 東武浅草駅の駅長室に、時間待ちをされていた安岡先生が、駅長の先導で日光行の直行電車に乗り込まれた。直行とはいっても、手前の今市から鬼怒川温泉行に分かれるので、ここで一度は停車して、それから日光駅ということになる。
 ひた走る特急電車の窓に写る景色は、昭和四十年頃のこととあって東京を離れるにつれ、やがて田園の風景と変わり、それから山野の世界に入り森と移って行く。なんとなく雑踏の巷から離れてきたという実感が湧いてくるのであった。先生は、と前の席を見れば、煙草の煙りをくゆらしながら、身動きもせずに窓外の景色に見入っておられる。
 先生は「洗心」という言葉がお好きで、何かの折りに時々おっしゃられることがあった。お好きというより、自ら心を洗うということを常に心掛けておられたのである。先生は昭和の初めに金鶏学院を創設され、続いて埼玉県、現在の武蔵嵐山町に日本農士学校(現在は財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館)を建設された。ここはその昔、先生が鎌倉武士の亀鑑と称えてやまなかった畠山重忠の居館跡であった。七万余坪もある広大な敷地である。



令和3年5月28日(金) 貞観政要・頁647 貞観中

2021-05-28 14:58:03 | ブログ
貞観中えん澤ろ道の行軍總管、びん州の都督高そう生、李靖の節度に違ふに坐し、死を減じて邊にうつさる。頁647

(訳)貞観年中に、塩沢ろ道の行軍総管、みん州の都督の高そう生が将軍李靖の軍法に違った罪に当たり、死罪を減刑されて辺境に移された。647
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 『この師この友』

 徳川時代・明治時代に知識人といいますか、教養ある人びとが必読の書として挙げていたものに『酔古堂剣掃』と『世説新語』があります。『酔古堂剣掃』とは、明末の隠れたる碩学・陸紹こうが編集した清言集。

令和3年5月27日(木) 貞観政要・頁646 今より後

2021-05-27 10:42:02 | ブログ
今より後、京に在る諸司、奏して死囚を決するに、宜しく二日の中に五たび覆奏すべし。下の諸州は三たび覆奏すべし、と。頁646

(訳)今から後は、京に在る諸司が、奏聞して死罪を決定するのに、二日中に五たび覆奏すべきである。他の諸州では三たび覆奏すべきである」と。頁646
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  『人生の五計』安岡正篤著

 情理・真理・道理

 南宋の有名な哲学者・朱子とほぼ同じ時代に生きた、見識ある官吏に朱新仲という人がおりました。時の宰相・秦かいは大変な秀才でしたが、国政を誤り、名将・岳飛を死に至らしめ、遂には国をほろぼすに至った。朱新仲もまた秦かいに憎まれ辺地に流されたが、悠々と自然を愛し、その地の人々に深く慕われたのであります。その彼が説いたものの一つに「人生の五計」という教訓があります。すなわち、

 一 「生計」-------われ、いかに生きるべきか。人々は一般に生計と言うと  
  生活、暮らしの意味にとっておるようだが、彼はもっと大きないわば「天  
  地の大徳」を受けて生きる人間の本質的な生き方に迫っているわけであり 
  ます。
 二 「身計」--------いかにわが身を人間として社会に対処させていくか、何 
  をもって世に立つか、いかなる職業、価値観をもって生きていくかという  
  こと。
 三 「家計」--------これも、単に経済的な意味ばかりでなく、家庭というも 
  のをいかに営んでいくか、夫婦関係、親子関係はどうあるべきか、一家を 
  どう維持していくかということであります。
 四 「老計」---------いかに年をとるか、人間は誰も生きているからには老い
  る。ことに日本は今や世界一の高齢化社会になり、老いることの難しさを   
  ひしひしと感じる昨今である。老後の生活とか健康ぐらいしか考えない 
  が、「老」たるものの価値を生かしていかなければ、ただ寂しく年をとる 
  というに過ぎないのであります。
 五 「死計」---------われ、いかに死すべきや。これについて思案の最も発達
  しているのは、言うまでもなく仏教ですが、儒教においても興味ある思案  
  と実践がある。