味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

人心常に活きんことを要めば、

2018-01-31 11:55:15 | ブログ
第3320号 30.02.01(木)

人心常に活きんことを要(もと)めば、則ち周流(しゅうりゅう)して窮(きわまり)無く、一隅に滞(とどこお)らじ。『近思録』261

 人の心は生き生きした状態が常に必要で、生き生きしていれば、めぐり流れて、きわまることがなく、片隅に停滞することがない。261

敬は百邪に勝つ。『近思録』

 敬は多くの邪悪に勝つ。

涵養すれば、吾一なり。

 心を十分に養えば、自分を失うことがない。

 【コメント】人間の心は常に敬の心を持ち、正直であることが大事であると教えていると思います。
 テレビ報道によると、世の人々をだまし、法外な値段で物を販売する、若い女の子を使い猥褻なことをするなどが、報道されています。一見考えたらまともな判断ができると思うのですが、何故顰蹙をかうようなことをするのでしょうか。

 昨日はご婦人の方々が自宅に閉じこもっている様子(引きこもり)が紹介されました。すべて一挙に解決するわけではありませんが、『南洲翁遺訓』とか漢籍の書取りをつづけられればいいのにと思うことでした。ただし、辛抱づよく来る年も来る年も続けなければなりません。

 私は一流の人が書いた文章をそっくり書き写し人々へ紹介しているのです。20年以上こようなことを続けています。これと平行して漢籍等の素読も効果的だと思います。
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『不動心』(第181回)

 善い人間になるという義務

 第一に、心を苦しめずにおくことだ。万物は自然力の法則に従うことになっており、そして、自らの義務は善い人間になることだという点を忘れず、ものごとを真正面から見据え、それが何であるかを理解しなさい。人間の本性が要求することは尻込みせずに行なうのだ。自分にとっていちばん正しいと思えることを語るがいい----ただし礼儀正しく謙虚に、しかも誠実に語る事を忘れずに。

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日本精神への復帰----第11回---大川周明

 さて予が後れ場せながら日本精神の千山萬水を跋渉し初めてから、予はゆくりなくも年若き一同行に遭遇した。彼は其の恵まれたる魂を剣禅二道に鍛錬し、加ふるに幼少より良師家の膝下に育ち、予の如きは徒に思想の広野をそこはかとなく彷徨して居た年頃の若き身空を以て、既に昭々なる理想を仰ぎつつ、堅確なる歩武を以て、見る目爽やかに日本精神の高根を登り行く。彼は其の蹬磳(とうそう)の跡を叙する。其筆は清明透徹にして而も濃やかなる情緒を湛(たた)え、如実に心界の風光を彷彿せしめて余薀ない。彼れの著書の如きもの、若し十數年以前に世に出でたりとすれば、予は貧兒に倣ふ醜き姿を曝さずに済んだであらう。
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『言志録一』32

 緊しく此の志を立てて以て之を求めば、薪を運び水を運ぶと雖も、亦是れ学の在る所なり。況や書を讀み理を窮むるをや。志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦唯だ是れ閑事のみ。故に学を為すは志を立つるより尚なるは莫し。

 〔訳文〕聖賢ならんと志を立て、これを求めれば、たとえ、薪を運び、水を運んでも、そこに学問の道はあって、真理を自得することができるものだ。まして、書物を読み、物事の道理を窮めようと専念するからには、目的を達せないはずはない。
 しかし、志が立っていなければ、一日中本を読んでいても、それは無駄ごとに過ぎない。だから、学問をして、聖賢になろうとするには、志を立てるより大切なことはない。

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存養の熟せし後、泰然として行ひ

2018-01-30 17:36:40 | ブログ
第3319号 30.01.31(水)

存養の熟せし後、泰然として行ひ将(も)て去(ゆ)かば、便(すなわ)ち進むこと有らん。『近思禄』260

 心をよくよく養ってから、ゆったり行うようにすれば、進歩があろう。

屋漏に愧ぢざれば、則ち心安らかに體(からだ)(の)ぶ。『近思録』 

 屋漏に対して恥ずかしくなかったら、心が安らかになり、体が伸び伸びするであろう。 

 【コメント】屋漏とは薄暗い所のことですが、どういう環境にあっても、誰が見ても恥ずかしくない生き方をしたいものです。
 自分一人であっても自分以外の人が、いわゆる天が観ているとは多くの文献が教えるところです。天風師の本を読み、そして漢籍を繙けば、歴史的な名句がいろいろ紹介されています。

 あせらずゆったりとしながらも、決して気を休めることなく邁進したいものです。

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 昨日は、鹿児島県警察学校の卒業式が紹介されました。新人警察官58人が更なる努力と精進を誓って、各警察署へ配属されるということです。

 そこでこの初々しい方々への贈る言葉ですが、この素晴らしい警察官の道を誤らないで欲しいと思います。任官して一年以内に免職となった人々をたくさん見てきました。

 交通整理のため、各交差点で警らをするわけですが、可愛い女の子や、チャーミングな女性を見て抱き付かないことです。非違行為と見られたら、容赦なく懲戒免職という厳しい罰が待っています。

 警察学校でならった教えを徹底して遵守してください。ちなみに拙著『礼節のすすめ』も警察学校に3冊寄贈しているのです。そして出来れば『南洲翁遺訓』を繙いて欲しいと念じています。

 本人はしっかりしていても、つい友達に誘われ、道を踏み外すこともあるものです。毎日毎日を強く正しく生き抜いてください。

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『不動心』(第180回)

 魂の豊かさと貧しさ

 大王アレクサンダー、皇帝シーザー、そして将軍ポンペイウス----彼等はディオゲネスやヘレクレイトス、ソクラテスとくらべてどうであったか。後の三人は、ものごととその原因、それを構成する要素を見ていた。彼らを導く精神は同じものであった。ところが前の三人ときたら------。山ほどの気苦労をかかえ、あらゆるものの奴隷だったのだ。

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日本精神への復活----第10回   大川周明

 予は此事によって、真個に日本人として目覚めた。其後予の思索並に行動は、一に此の自覚に其の根柢を有して居る。此時から予の生活は、真に生き甲斐ある生活となって現に今日に及んで居る。予は今や満腔の関心を以て日本精神の研究に従ひ、全幅の力を挙げて其の成満に傾ける。以前に予が学得せる異邦思想の一切は、實に個の日本精神の註脚としてのみ、初めて予に取りて真に意義あるものなりしを明かに知る。
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『言志録一』30

 自ら責むること厳なる者は、人を責むることも亦厳なり。人を恕すること寛なる者は、自ら恕することも亦寛なり。皆一偏たるを免れず。君子は則ち躬自ら厚うして、薄く人を責む。

 〔訳文〕自分を責めることのきびしい人は、人を責めることも厳しい。他人を思いやることの寛容な人は、自分を思いやることも寛容である。これらは皆、厳なれば厳、寛なれば寛と、一方に偏していることは免れない。
 立派な人間である君子は、自ら責めること厳で、他人を責めること寛である。

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聖人は己を修むるに敬を以てし、

2018-01-29 16:27:10 | ブログ
第3318号 30.01.30(火)

聖人は己を修むるに敬を以てし、以て百姓を安んず。篤敬(とくけい)にして天下平らかなり。惟上下恭敬に一ならば、則ち天地自ら位し、萬物自ら育ち、気和せざる無し。四霊何ぞ至らざること有らん。此信を體し順を達する道にして、聡明叡智皆此より出づ。此を以て天に事(つか)へ帝を饗するなり。『近思録』259

 聖人は敬によってわが身を修め、そして民を安らかにする。心がつづまやかであって天下がよく治まるのである。上下のものがすべてつづまやかであれば、天地はちゃんとその位置を保つし、万物は万物でちゃんと育つし、気に不調和な点がなくなる。そうなれば四霊は必ずやってくる。これは信を身につけ調和を伸ばす方法である。すぐれた英知はすべてそこから出てくる。それによって天帝に仕えるのである。259

 【コメント】聖人でなくても我々凡人も、「己を修めるに敬を以てし、世の人々と共通理解をし」、意義ある人生にしたいものです。

 大相撲は栃ノ心が優勝しました。力比べでは、相撲界一番となった訳ですが、日本式で言えば、人格的に一番となって欲しいと思います。それは絶えず謙虚さがなければなりません。

 政治の世界では安倍さんは好きなのですが、謙虚さがありません。それは夫人の夫人たる存在がおかしいからです。私が尊敬する大学のある女性教授は「あの馬鹿アキエがと怒鳴っています。あの叔母さんが真面であれば、幼稚園の校長問題が出た時、有難いことですが、立場上申し受けかねます」と辞退すべきだったのです。安倍さん、今ハッキリしておかないと、この問題は永遠に続くのですよ、と教えておきます。

 多くの人に嫌われている天下の朝日新聞も素人の人に理解しやすいように解説して欲しいものです。
 とにかく真摯にして勤勉であり、謙虚であることが処世上大事であるということです。斃れるまでやり続けたいものです。

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『不動心』(第179回)

 行動をとるにあたっての基本指針
 どんな行動をとるときも、こう自分に問いかけなさい。私にとっていい結果を生むだろうか。悔やんだりしないだろうか。まもなく私は死に、すべて忘れ去られるだろう。しかし今のところ、この仕事が理性と社会性を備え、神と同じ法の下にいる人間にとってふさわしいものなら、どうしてより多くを求めたりするのか。

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日本精神への復活----第9回---大川周明

 松村介石先生から一富家翁が還暦の祝に明治天皇を偲びまつる記念として列聖の御伝記を編纂し、之を知己故舊に配布するに就て、其の仕事を引受けぬかと云ふ相談を持ちかけられ、一つやって見ようと承諾し、初めは半年もかかって出来上がるつもりであったのが、愈々着手して独自に研究を始めて見ると、是迄は全く知らざりし日本精神の種々相が、限りなく予の心を惹付け、爾来二年有余を日本史の研究に没頭した。而して此の研究によって、予の思想に根本的の転向が起ったのである。
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『言志録一』29

 大徳と小徳

 大徳は閑(のり)を踰(こ)えざれ。小徳は出入すとも可なり。此を以て人を待つ。儘好し。

 〔訳文〕徳の大きなもの、忠・信・孝・悌というようなものは、これを守って、礼儀規則を外れてはならない。しかし、小徳、例えば進退応対のようなものは、その仕切りを出入りしても許せる。このような寛大さをもって、他人に対するのは、まあよかろう。

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孔子仁を言ふに、只門を出でては大賓を見るが如く、

2018-01-28 18:00:23 | ブログ
第3317号 30.01.29(月)

孔子仁を言ふに、只門を出でては大賓を見るが如く、民を使ふには大祭を承くるが如しと説くのみ。其の気象を看れば、便(すなわ)ち須らく心廣く體胖に、動容周施禮に中りて自然なるべし。惟真獨のみ便ち是れ之を守る法なり。『近思録』258

 孔子が仁の説明をするとき、外に出たなら、大賓に会ったように慎ましやかにしており、民を使うには、大祭の命令を受けたように慎重にすると説くだけである。そうしたときのようすを思うと、心がひろびろとした体がゆったりとして、立居ふるまいが礼にかない、自然であるに違いない。真独こそその心を守っていく方法である。

 【コメント】人間の長い処世を、志向するとき、孔子の生き方・在り方は大変素晴らしいと思います。人生は人と人とが交流しながら、その処世を全うすべく生きて行く訳ですが、原文にある孔子様みたいに心掛けたら上手く行くであろうと思います。

 どんな人間であれ、その人格を認めて貰ったら、本人が気がつかない人格の美が出てくると思います。私より一歳下で非違行為を重ね、刑務所にでたり入ったりしている人がいました。

 40年前の事、空手道を指導していたら、その御仁がやってきました。その時私が門前払いをしたら、私に反感を抱いたであろうと思います。

 ところが親切に愛情をこめて指導していたら、途中で泣きだし私に抱き付いてきました。その時の言葉が「棄てる神あれば拾う神あり」という言葉でした。爾来私とは懇意におつきあいさせて戴きました。

 翻って知的に恵まれながら、良い仕事につきながらも、非違行為にも似た行為をする人もいるものです。そこで、このブログを御覧の方に御願いしたいと思います。母親は自分の子供が非違行為をしないかどうか、日々に口うるさく諭して欲しいものです。

 かく申す私の母は10人の子供を産みました。そこで男に生まれた私たちには、それはそれは厳しく喧しく怒鳴りながら躾をしてくれたものです。

 「人に挨拶をしなさい、良い言葉を使いなさい、腹が減って物を食べたいなら自らはたらきなさい、仕事をしたくないなら何も食べないで押し入れに寝ていなさい」と毎日厳しく躾けられたものです。

厳しい母親に育てられながら幸運であったのは『南洲翁遺訓』との出会いでした。『南洲翁遺訓』を通じて荘内の先生方を存じあげた訳ですが、その勤勉さと人格の美しさは私を導いてくれました。

 今年は大河ドラマ「セゴドン」が放映されています。『南洲翁遺訓』は西郷さんの人格を象徴したものです。『南洲翁遺訓』の文言は難解ですが、日々に唱えていたら、そういう言葉が日常化して参ります。『南洲翁遺訓』を通じて、この日本社会がより素晴らしくなるよう、活用したいものです。

 『南洲翁遺訓』を学ぶことによって、その教えである「人が見ていないからといって勝手なことをせず、常に慎ましやかな日々でありたい」と思っています。

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『不動心』(第178回)

 充実した「生」の定義

 善き生活は、いったいどこにあるのか----人間の本性が求めていることを実践する中に見つかるのだ。それにはどうすればよいのか-----衝動や行動を律するための厳格な信条をとり入れるのだ。たとえば、人間にとって何が善であり何が悪であるかを考えれば、正義や自己鍛錬、勇気、独立心などを人間に植え付ける手助けにならないものは善ではあり得ず、逆にそれを植え付けるうえで大いに役立つものに悪はない、というような真情を。

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日本精神への復帰----第8回---大川周明

 かく予は専ら西欧並びに印度哲学に魂を奪はれ、また日本思想を顧みようとしなかった。然るに不可思議の因縁から、日本其者の研究に心を潜めるやうになった。それは大学を出て貧乏して居た時のことである。
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『言志録一』28

 誇伐の念

 纔(わずか)に誇伐(こばつ)の念頭有らば、便(すなわ)ち天地と相似ず。


 〔訳文〕少しでも頭の中にほこりたかぶる気持ちがあれば、それは天地の道理と相離れることになる。

 山は高いといって誇らない。花は美しいといって誇らない。鳥は好い声で鳴いても自慢しない。太陽は朝から晩まで照らしてくれるが、べつに恩にきせるわけでない。このように天地自然は誇らない。天地の道理をよく自得せよということであろう。
 歌手である男がハチンコのすすめをするのもよくないことである。

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君實自ら謂ふ、吾術を得たり。

2018-01-27 16:01:22 | ブログ
第3316号 30.01.28(日)

君實自ら謂ふ、吾術を得たり。只管(ひたすら)箇の中の字を念ず、と。此又中の繋縛する所と為りしなり。且つ中は亦何の軽傷らん。人有り胸中に常に両人有るが若し。善を為さんと欲せば、悪有りて以て之が閒を為すが如く、不善を為さんと欲せば、又羞悪の心有る者の若し。本二人無し。此正に交戦の験(しるし)なり。其の志を持し気をして亂す能はざらしむるは、此大いに験ある可し。之を要するに聖賢は必ず心疾に害(そこな)はれず。『近思録』252

 「わたしは心の修め方を会得した。ひたすら中ということを心に念じている。」君実は自分で言っているが、これも中に束縛されたものである。それに、中にはどういった形があるのだろう。
 胸中に常に二人の人間がいるような人がある。善を行おうとすると、悪が出てきてその邪魔をするようだし、不善を行なおうとすると、悪を恥じる心が出てくるように思える。元来、本人は一人である。これはまさに交戦の姿である。心の動きを大切にし、気がそれを乱せないようにすることだ。そうすれば大いに効果が現れよう。要するに聖人賢者は決して心の病にそこなわれることがない。252


 【コメント】孟子公孫丑上篇に「夫れ志は気の帥なり。気は体の充てるなり。夫れ志は至り、気はこれに次ぐ。故に曰く、其の志を持して、其の気を暴(そこな)ふなかれ、と。」とある。これに続いて孟子は「志が専一だと気を動かすし、気が専一だと志を動かす。」といって、気をそこなわないようにすることの理由を述べております。

 聖人・賢者は常に心に主体性を持つので、心の乱れにわずらわされない努力をすることが要諦であるということでしょう。

 昨夜の本部空手道教室も賑わいました。南国鹿児島にしては、寒い寒いといいながらおけいこをしているのですが、荘内の先生方から見たら、何が寒いかいって笑われそうです。

 私も老体に鞭打って気を専一にし、最後は力一杯お腹を打たせました。小学生の子供であっても、それなりに力づよくなってきました。

 兎に角元気で100歳まで生きてください、と檄を飛ばしています。平和・安全・反戦もいいのですが、厳しい規律も加えなければなりません。

 少々の体罰は、人間に気をいれることになるのです。腑抜け人間にならないよう修行を続けたいものです。

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『不動心』(第177回)

 人に利益を与えることが自らを利する

 利益を受けるのに飽き飽きしたという人間はいない。利益というものは自然力にかなった行動をすることによって生まれてくる。それならば、人に利益を与えることによって自らも利するよう倦まずたゆまず努力せよ。

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日本精神への復帰---第7回----大川周明

 そは宇宙と人生とを吾等の理性に翻譯する上に於て、東洋哲学の企及し難き手際を具へて居る。然るに東洋の哲人は、宇宙と人生とを理性に翻譯することなく、端的に自己の生命を以て把握せんと努め、其の體認せる真理を如実に表現せんとする。故に多くの場合、其文を読み、其字を解いただけでは、決して其の真義に觸るべくもない。秀でたる師家を得るの冥加なかりし未熟の予が日本精神の第一義を掴むすべもなく、みだりに独断混沌たる思想なるかの如く考えたことは慚愧限りなしと雖も偽らざる事実である。
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『言志録一』27

 大志と遠慮

 真に大志有る者は、克く小物を勤め、真に遠慮有る者は、細事を忽せにせず。

 〔訳文〕真に大志ある者は、小さな事柄をも粗末にしないで勤めはげみ、真に遠大な考えをもっている者は、些細な事をもゆるがせにしない。

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 大相撲初場所は、栃の心(30歳)が優勝しました。ご苦労様でした。遠く異国の地で12年間の苦節を体験し、見事な成績だったと称賛の辞を送ります。
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昨夜は朝日新聞阪神支局がせきほう隊と名乗る人々に襲撃された映像を拝見しました。30年の間迷宮入りしているそうです。

 40年前、私が食堂で夕食をしている時、朝日と毎日の若い記者二人が、大声で政治を話していたことがありました。これからの日本は、我々が世論をリードして行くのだと人はばかることなく、弁じていました。そういう話を聞いた人は、セキホウタイでなくても反感を抱くだろうと思ったものです。

 どんなに優秀であると自分で思っても、そこに謙虚さがなければならないのです。
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