第3320号 30.02.01(木)
人心常に活きんことを要(もと)めば、則ち周流(しゅうりゅう)して窮(きわまり)無く、一隅に滞(とどこお)らじ。『近思録』261
人の心は生き生きした状態が常に必要で、生き生きしていれば、めぐり流れて、きわまることがなく、片隅に停滞することがない。261
敬は百邪に勝つ。『近思録』
敬は多くの邪悪に勝つ。
涵養すれば、吾一なり。
心を十分に養えば、自分を失うことがない。
【コメント】人間の心は常に敬の心を持ち、正直であることが大事であると教えていると思います。
テレビ報道によると、世の人々をだまし、法外な値段で物を販売する、若い女の子を使い猥褻なことをするなどが、報道されています。一見考えたらまともな判断ができると思うのですが、何故顰蹙をかうようなことをするのでしょうか。
昨日はご婦人の方々が自宅に閉じこもっている様子(引きこもり)が紹介されました。すべて一挙に解決するわけではありませんが、『南洲翁遺訓』とか漢籍の書取りをつづけられればいいのにと思うことでした。ただし、辛抱づよく来る年も来る年も続けなければなりません。
私は一流の人が書いた文章をそっくり書き写し人々へ紹介しているのです。20年以上こようなことを続けています。これと平行して漢籍等の素読も効果的だと思います。
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『不動心』(第181回)
善い人間になるという義務
第一に、心を苦しめずにおくことだ。万物は自然力の法則に従うことになっており、そして、自らの義務は善い人間になることだという点を忘れず、ものごとを真正面から見据え、それが何であるかを理解しなさい。人間の本性が要求することは尻込みせずに行なうのだ。自分にとっていちばん正しいと思えることを語るがいい----ただし礼儀正しく謙虚に、しかも誠実に語る事を忘れずに。
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日本精神への復帰----第11回---大川周明
さて予が後れ場せながら日本精神の千山萬水を跋渉し初めてから、予はゆくりなくも年若き一同行に遭遇した。彼は其の恵まれたる魂を剣禅二道に鍛錬し、加ふるに幼少より良師家の膝下に育ち、予の如きは徒に思想の広野をそこはかとなく彷徨して居た年頃の若き身空を以て、既に昭々なる理想を仰ぎつつ、堅確なる歩武を以て、見る目爽やかに日本精神の高根を登り行く。彼は其の蹬磳(とうそう)の跡を叙する。其筆は清明透徹にして而も濃やかなる情緒を湛(たた)え、如実に心界の風光を彷彿せしめて余薀ない。彼れの著書の如きもの、若し十數年以前に世に出でたりとすれば、予は貧兒に倣ふ醜き姿を曝さずに済んだであらう。
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『言志録一』32
緊しく此の志を立てて以て之を求めば、薪を運び水を運ぶと雖も、亦是れ学の在る所なり。況や書を讀み理を窮むるをや。志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦唯だ是れ閑事のみ。故に学を為すは志を立つるより尚なるは莫し。
〔訳文〕聖賢ならんと志を立て、これを求めれば、たとえ、薪を運び、水を運んでも、そこに学問の道はあって、真理を自得することができるものだ。まして、書物を読み、物事の道理を窮めようと専念するからには、目的を達せないはずはない。
しかし、志が立っていなければ、一日中本を読んでいても、それは無駄ごとに過ぎない。だから、学問をして、聖賢になろうとするには、志を立てるより大切なことはない。
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人心常に活きんことを要(もと)めば、則ち周流(しゅうりゅう)して窮(きわまり)無く、一隅に滞(とどこお)らじ。『近思録』261
人の心は生き生きした状態が常に必要で、生き生きしていれば、めぐり流れて、きわまることがなく、片隅に停滞することがない。261
敬は百邪に勝つ。『近思録』
敬は多くの邪悪に勝つ。
涵養すれば、吾一なり。
心を十分に養えば、自分を失うことがない。
【コメント】人間の心は常に敬の心を持ち、正直であることが大事であると教えていると思います。
テレビ報道によると、世の人々をだまし、法外な値段で物を販売する、若い女の子を使い猥褻なことをするなどが、報道されています。一見考えたらまともな判断ができると思うのですが、何故顰蹙をかうようなことをするのでしょうか。
昨日はご婦人の方々が自宅に閉じこもっている様子(引きこもり)が紹介されました。すべて一挙に解決するわけではありませんが、『南洲翁遺訓』とか漢籍の書取りをつづけられればいいのにと思うことでした。ただし、辛抱づよく来る年も来る年も続けなければなりません。
私は一流の人が書いた文章をそっくり書き写し人々へ紹介しているのです。20年以上こようなことを続けています。これと平行して漢籍等の素読も効果的だと思います。
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『不動心』(第181回)
善い人間になるという義務
第一に、心を苦しめずにおくことだ。万物は自然力の法則に従うことになっており、そして、自らの義務は善い人間になることだという点を忘れず、ものごとを真正面から見据え、それが何であるかを理解しなさい。人間の本性が要求することは尻込みせずに行なうのだ。自分にとっていちばん正しいと思えることを語るがいい----ただし礼儀正しく謙虚に、しかも誠実に語る事を忘れずに。
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日本精神への復帰----第11回---大川周明
さて予が後れ場せながら日本精神の千山萬水を跋渉し初めてから、予はゆくりなくも年若き一同行に遭遇した。彼は其の恵まれたる魂を剣禅二道に鍛錬し、加ふるに幼少より良師家の膝下に育ち、予の如きは徒に思想の広野をそこはかとなく彷徨して居た年頃の若き身空を以て、既に昭々なる理想を仰ぎつつ、堅確なる歩武を以て、見る目爽やかに日本精神の高根を登り行く。彼は其の蹬磳(とうそう)の跡を叙する。其筆は清明透徹にして而も濃やかなる情緒を湛(たた)え、如実に心界の風光を彷彿せしめて余薀ない。彼れの著書の如きもの、若し十數年以前に世に出でたりとすれば、予は貧兒に倣ふ醜き姿を曝さずに済んだであらう。
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『言志録一』32
緊しく此の志を立てて以て之を求めば、薪を運び水を運ぶと雖も、亦是れ学の在る所なり。況や書を讀み理を窮むるをや。志の立たざれば、終日読書に従事するとも、亦唯だ是れ閑事のみ。故に学を為すは志を立つるより尚なるは莫し。
〔訳文〕聖賢ならんと志を立て、これを求めれば、たとえ、薪を運び、水を運んでも、そこに学問の道はあって、真理を自得することができるものだ。まして、書物を読み、物事の道理を窮めようと専念するからには、目的を達せないはずはない。
しかし、志が立っていなければ、一日中本を読んでいても、それは無駄ごとに過ぎない。だから、学問をして、聖賢になろうとするには、志を立てるより大切なことはない。
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