味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

之れを知ることの難きには非ず、之れを行なうこと惟れ難し。

2015-07-02 10:18:23 | ブログ
第2377号 27.07.02(木)
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之れを知ることの難きには非ず、之れを行なうこと惟れ難し。『書経』 
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 知ることがむつかしいのではない。知ったことを実行することがむつかしいのだ。208
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 【コメント】連日、漢籍の言葉を題にしてブログを綴っていますが、だらしのない私にしっかりせーやと厳しく教えて下さっています。有難いことです。人間社会はいろいろありますが、漢籍のこういった言葉を噛みしめて、人様との協調を計り日々を過ごしたいものです。
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 昨日は、ご高齢の鍼灸師の先生のご講話を聴く光栄に浴しました。プロレスラーを髣髴とされる53歳の方が20年前腰を痛め手術をしたそうですが、最近動けなくなり、鍼灸院で治療しているそうです。先生曰はく、そもそも手術が間違いだったのですよ、と言っていました。
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 そしてテレビ等で紹介するサプリメントとか栄養食品についても、厳しい批評をしていました。私がかねがね考えていることを話してくださり、その通りと私は頷づいた次第でした。
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 多くの人々がそれぞれの智慧を提供してくださいますが、漢籍に勝るものはないと思っています。

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 酒好きの旦那様、飲んでから奥様にグチャグチャいうと、その性癖が子に移り大変なことになります。酒癖の悪い人はお酒を飲まないことです。
 荘内の小野寺先生とも何回もお酒を汲みかわしました。幾ら飲んでも、決して崩れない素晴らしい存在でした。貴重な訓戒を一杯承りました。

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『大学味講』(第214回)
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   第二節   楽しき君子は民の父母
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 前節においては、治国平天下の原理として「矩の道」を説いたのであるが、それを一片の理論として終わらしめることのないように、次に史上の事実を挙げて、これを実証するわけでありますが、その第一に次の詩を引用しているのであります。
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 詩に云く、楽只(たのし)き君子は民の父母なりと。民の好む所は之れを好み、民の悪む所は之れを悪む。此れを之れ民の父母と謂ふ。
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 註 釈
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 楽しき君子=国治まり民安らかなるを見ての知者(君子)のすがたである。
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『論語』(第314)
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 子曰はく、「善人も邦を為むること百年ならば、亦以て残に勝ち殺を去るべし。」と。誠なるかな是の言や。
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 孔子が言うには、「古語に『善人が相次いで国を治めること百年ならば、人間の残忍性に打ち勝って、死刑などを必要とするような大罪をなくし得る。』とあるが、本当である。此の言葉は。」
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『農士道』(第2193回)
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 荘子に次の一章がある。
 紀渻子という闘鶏を飼う名人が周の宣王から頼まれて闘鶏を訓練しました。十日目に王が紀渻子に向って問ひました。
 「どうじゃ、もうそろそろ蹴合ひしても負けぬだろう。」
 「いいえ、まだまだいけません。まだ客気にはやってから威張りして得々として居りますので---」
十日経って又聞きますと、
 「いやまだいけません。から威張りは余程しづまりましたが、どうもまだ外の鶏の姿を見たり、鳴声を聞いたりすると、すぐ興奮致しまして----」
十日経って又聞きますと、
 いや、まだいけません。どうもまだ相手の姿を見ると、眼に角を立てて、汝等何かあらんという威圧的態度がとれませんでね。」
又十日経って聞くと、今度は始めて
 「はい、今度はどうやらよいでしょう。他の鶏が来ても少しも態度を変せず、一寸見ると、まるで木鶏のようです。それで少しも隙がないので、他の鶏は手向かひかねて逃げて行ってしまいます。」
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 この「木鶏」が老農の姿であろう。一寸見ると客気にはやる若者、目に角立てて論戦する闘士は如何にもえらそうに見える。けれども私共は、「木鶏」のような円熟し、老成した人格が更に尊いものであることを忘れてはならぬ。

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