味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

1000号達成しました。

2011-09-29 10:16:21 | ブログ

タイトル---1000号、達成しました。第1000号 23.09.29 

 ブロクを書き始めたのが平成20年9月11日(第1号)でした。テーマは「相撲協会の大麻不祥事の件」となっています。娘に薦められて、恥を承知の上で書いて参りました。その間、暖かい激励の言葉や、大変な讃辞を頂戴し、光栄で有難い反面、忸怩たる思いも致しました。

 そしてまた、今時はやりの変なコメントもありました。そして中年と思われる男の、思い上がった意見・コメントもございました。誰が見てもおかしい、一見社会悪たど決めつれられるものは別として、「中年と思われる男の、思い上がった意見」については、当該本人の悲しい性を見た思いがしました。とにかく、はねあがって、舞い上がっているのです。多分、この男、長生きしないだろうという感想を持ちました。私の目の前にくれば、腹に一発、突きをくらわして目をさましてあげるのにと思ったこともありました。

 最近、批評家としてテレビ出演し、機関銃から玉が勢いよく発射されるような勢いで喋る男がいますが、これも「中年と思われる男の---」と同類項だと思います。

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 私のブログ書きについての基本的姿勢は、『南洲翁遺訓』の精神に沿った筆致を心がけました。空手道を初めて半世紀が経ちました。そして青少年指導をしてから、40年が経過しました。空手道場建設についての基本的姿勢を五条訓として制定し、その目標どおりに実践をしてきたし、ブログにもその精神を踏襲して綴って参りました。これは『南洲翁遺訓』と出会う以前に作成したものです。ご紹介します。

 日本空手道少林流円心会五条訓

一、私は、空手道を修めるに当たり、その精神に則って健全なる心身の養成に努めます。

一、私は、学問の尊さと、教育の重要性を学び、社会により貢献し得る人となるよう努力します。

一、私は、空手道の不屈の信念を訓戒とし、耐え忍びながら更に練り鍛え、己れ自身の向上を図ります。

一、私は、真の空手道精神を尊重し、悖理的行為をつつしみます。

一、私は、礼節と謙虚の精神を培い、衆人の範となるよう努力します。

 これを作成したのが凡そ50年前のことです。私自身、この五条訓の精神に則って今日まで実践してきたと思いますが、関係者の方々、違うよ、という処がございましたら教えて戴きたいと思います。

 その後、『南洲翁遺訓』と出会ったわけですが、『南洲翁遺訓』には国家観念という意味もあります。そして節義、真摯、廉恥、清貧、謙虚、至誠、勤勉、正道、徳、品行、忠孝、仁愛、円滑等々の文言がちりばめられています。

 人の一生は不可思議なものです。人は、誰と出会い、どういう本と出合うか、ということです。それによって人の一生は大きく展開されます。ただし、勤勉性、継続性、至誠の情、仁愛の精神が根底になければならないと思います。それらが当該人間と同居し、日々を歩いて行けば、本人が想像だにしなかった世界が展開されるのです。

 学歴も能力もなかった少年が、一途な思いでここまで参りました。生を閉じる迄、空手道精神を基調として精進して参りたいと念じています。そして恵まれたことには、共に空手道修行に勤しんできた大坪師範を中心とする各師範の存在です。他の団体の人はどのように観察するか分かりませんが、素晴らしい仲間たちだと自負できます。

 そして最近、若手師範たちの学問に勤しむ心意気、態度は全国何処の道場にも引けをとるものではないと思います。たまたま古書を販売しているアマゾンを知り、117冊購入しました。

 お子様をお持ちの保護者の皆様、日本空手道少林流円心会に愛する子供を託してください。日本一になるようお育てしたいと存じます。ただし、退会しなければのことです。幾ら善い教えをしても分からない、理解されない方もおられます。それらは別として、日本空手道少林流円心会の師範と共に、人生道を邁進しましょう。

 政治の世界でバラマキという言葉があります。戴くことは有難いのですが、人から貰うよりか自らが発憤して働き、食をすることこそが一番尊いし、天の道、人の道に叶っていると思います。

 これからのブログをどうしたものか、直ちに中止するわけには行かないと思うし、検討したいと考えています。

 みどり様、しおり様、ゆか様、しのぶ様、りち様、ご声援有り難う存じました。

 健康で長生きしたい方は、そして子供を立派に育てたいと願う方は、天風師が言う、

  絶対積極  を心がけてください。このことは安岡先生も、幸田露伴も、成功した多くの識者たちも、異口同音に言っています。

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「人に推すに公平至誠を以てせよ」

2011-09-28 11:23:11 | ブログ

タイトル---「人に推すに公平至誠を以てせよ」。第999号 23.09.28(水)

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 多くの人が、人に認められ、自分が為したい事業が円滑に推進されると同時に、経済的に潤うことが出来ればと念じていると思います。それは短期的でなく、長期的にと願うでしょう。

 ならば、上に紹介したように処世のすべてにおいて、一切の邪念を持たず「公平至誠を以て」臨めば、知らず知らずのうちに、思いが実現できると思います。

 人間だれしも、先ずは我がことが優先であるとして、事を計画し、実践します。その場合、人様の事を考慮・配慮せず、我田引水的に突っ走ったら、他人の反発を買い、計画推進しようとすることが頓挫しかねないことになります。

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 江戸前期の仏教思想家・鈴木正三は、〈仏道修行の趣、理を知り、義を行いて、正直の旨を得る事〉が肝心であると教えました。

 それに対して一人の武士が問うたのです。〈仰せは至極もっともで、よくわかり申す、そこで問いたいのは正直の道を修行するには、どういう心づもりがあればよいのか、詳細にお示し戴きたいのでござる〉と。

 そこで、正三は、

〈修行の道は千差万別なりといえども、肝要なことは、ただ身を何よりも大事だと、思う念を退治する外はなし〉と云うことじゃと教えたのです。物事がうまく運ばないなど苦労・苦悩するのは、〈己、己を思う一念があるからじゃ。自己のみ大事にする私利私欲が苦の根源じゃ〉と、説いたのです。

 

 標題の言葉は『南洲翁遺訓』にあります。

〈人を籠絡して陰に事を謀る者は、好し其の事を成し得るとも、慧眼より之れを見れば醜状著しきぞ。人に推すに公平至誠を以てせよ。公平ならざれば、英雄の心は決して攬られぬもの也〉(第三十五章)

 鈴木正三が教えるとおり、『南洲翁遺訓』が訓戒するとおり、人様のことはさておき俺が俺がと、出しゃばっては、ひとり慧眼ならずとも世の多くの人々の賛同・協力は得られないであろうし、事が計画どおり推進しないのは必定でしょう。

 先ずは人様の意見も押し戴き、共に名誉ある処方箋を見出し実践することこそ、偉大なる解決策であると信じます。

 今、出来なくても、ゆっくりと事に臨む、こういった心の広さを培うことも涵養だと思います。

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 さて、昨晩は小雨が降っていたので、健康ランドは山間部・階段を歩かず、道路を大回りしました。何も雨が降るのにとおもいましたが、雑用で時間がとれず行軍をしていなかったものですから、体に20キロ装着し、絶対積極であるいた次第でした。

 後藤先生、薩摩の珍品届いたでしょうか。今時のサプリメント以上の効果があると信じて、毎晩戴いています。

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目に見えぬものの尊さ---2。

2011-09-27 10:08:13 | ブログ

タイトル---目に見えぬものの尊さ。第997号 23.09.27(火)

 第995号に続きます。

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 有色人種の中で唯一近代国家の造成に成功し、その結果、白人が世界のすべてを植民支配しようという歴史的願望を挫折させた日本人は彼らにとってはまさしくエイリアンであり、そんな怪物を徹底して解体しつくすことを目的に始められた戦後の日本統治は、教育の解体に始まって、とうとう危険なエイリアンの日本人を、これまたかつて人間の歴史に存在しなかった、見事なまでに自立性を欠いた異形な民族に変貌させてしまいました。

 世界の先進国の中で中流の家庭の子女が贅沢品が欲しいだけのために売春してはばからぬ国は日本以外にありはしない。そんな子供たちの風俗を東京の盛り場で取材したた外国人のカメラマン写真のキャプションに、「世界で最も豊かな、世界で最も不幸な子供たち」と記されていました。

 私たちは「菊」を萎れさせ「刀」を錆びつかせてしまったことで、価値の機軸そのものを見失ってしまったとしか言いようない。

 ジャイロスコープが狂い、地上での存在の機軸たる重心への鉛直という拠り所を失った飛行機がダッチロールの末に墜落してしまうように、自立性を欠いた日本という国家社会の蛇行はこのままいけば、日本に関わるすべてのアイデンティティを喪失し、民族の削減に繋がっていくに違いない。

 いま私たちに何よりも必要なことは、大人も子供もともに、物などに関わりない、物をはるかに超えた他の価値があるのだということを知りなおすことだと思います。

 私はかつて『スパルタ教育』と『魂を植える教育』なる本を出したことがありますが、それから幾星霜を経たこのいまになっても、かつて私が記したことは決して間違ってはいなかったし、むしろ当時よりもいっそうその真実性を確かなものにしてきたと確信しています。事象風俗としてずれてしまった項目は削り、この現代、新規に登場してきた問題について思うところを書き加え、さらに瀬戸内寂聴師のヒントでタイトルを変更しての出版を決心した次第です。

 日本におやけるキリスト教の伝道者の一人、賀川豊彦の書いたものの中に、「子供には叱られる権利がある」とあります。いい換えれば私たち大人には、たとえ他人の子供だろうと、社会人としては未熟な彼らを社会の先輩として時には叱る責任があるに違いない。

 くりかえして申しますが、物を超えてもっと尊い、人生そのものをもっと豊かにはぐくむ、意味と価値あるものがあるのだということを子供に伝える役割は、学校の教師たちではなしに、あくまで親であり周囲の一般の大人たちなのだということをも、このいま、私たちはもう一度自覚しなおさなくてはなりますまい。

 二〇〇一年二月                             石原慎太郎

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 まさしく同感の感を拭えませんが、それは日常的な問題意識なくしては社会の木鐸として人様に指導できるものではないと思います。私に言わせれば、むしろ大人をこそ導かなければならない事が数多山積しているのでした、私が勤務してきた会社では。

 他人様のことは仕方ないとして、心ある大人が、自らが学び「修己治人」たるべく、共に研鑽したいものです。そのためには『南洲翁遺訓』を学ぶことをお薦め致します。

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目に見えぬものの尊さ

2011-09-26 15:33:06 | ブログ

タイトル----目に見えぬものの尊さ。第995号 23.09.26(月)

 石原慎太郎著『いま魂の教育』、前書きに代えて「目に見えぬものの尊さ」をご紹介します。

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「このままで行ったらこの国は物で栄えて、心で滅びまっせ」

 いまは亡き薬師寺の管長高田好胤さんが生前よく言っていた言葉ですが、当節の日本は本当にそんな体たらくになってしまいました。 

 援助交際などという得手勝手な言い分で都会の巷にくり出し、売春をしてはばからない女子中学生高校生たちに、彼女たちを補導した誰かが、「そんなことして体を汚していると魂までが汚れてしまうんだよ」と説いたら、「魂って何なのよ、どこにあるのよ」と問い返され、返す言葉もなかったという痛ましくも滑稽な挿話はもう茶飯のことです。

 そんな実態を前にして、怒って咎めなくてはならないのは、そんな風俗を繰り広げている若者たちではなく、彼等を眺めて眉をひそめるだけの私たち大人自身に違いありません。

 かつて日本を研究して正鵠を射た日本人論『菊と刀』を書いたルース・ベネジェクトは日本人の精神性の核に何よりも恥を忌み嫌う崇高さがあると記しています。

 古にも、自らの恥をすすぐためには死を賭して切り死にする武士、凌辱を忌避するために懐剣で喉を裂いて死ぬ婦人の姿勢は彼女は「刀」に象徴させ、「武士は食わねど高楊枝」といった誇りへの固執の崇高さを、秋に香り高く咲く「菊」の花の清楚なたたずまいに譬えています。

 かつての日本人を描く限りで彼女の挙げたそれらのメタファーはいずれも正しいが、この現代、果たしてそれは現今の日本人たちに当てはまるでしょうか。

 眺める限り菊は萎れきってしまい、刀は折れるに近く錆びつきてしまったとしか言いようない。

 人間の物の所有への欲望は決して否定はしませんが、それはあくまで物を所有し、物を支配する人間の物神性を上回る精神性あってのことであって、物が精神をゆがめ、精神が物質に追従してしまうのは本末転倒以外の何ものでもありはしない。

 国家という存在の最大の眼目である国民の生命と財産を国家こそが守るという国家の原理を否定して押し付けられた憲法に発した、アメリカの徹底した日本解体は見事に成功したとしか言いようありません。

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 私と同年代であっても、世の乱れになんの抵抗もない、そして全くその変化に気づかない人もいるでしょう。それよりか、それらを助長するような人々がいるということも、多くはご存じないでありましょう。

 私は結婚と同時に、岳父から蔵書全てを戴いたのでした。その中に、アメリカの作家・Mトケイヤー著『日本人は死んだ』シリーズがあり、それらを貪り読んだ記憶があります。四十年前のことです。現在も私の本棚で静かに世の動きを観察していると、何時も思っているのです、この私は。

 世の乱れは、我欲・私欲が原点なのです。そしてそれらを持っている人々に、世界的な動きなのですよと、言ってバラマキをする政治家集団が存在するのです。何時も言うように、身体が悪かったり、働くことが出来なかったりとして、気の毒な人を面倒みるのは当然であります。だが、我欲・私欲の延長線上であれば、いつしかそれらは天の成敗を受けること必定であります。

 とにかく、自らの力で働いて、物をおいしく戴く、これが自然法則にそった生き方なのです。

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『日本中枢の崩壊』前書きの紹介---4.

2011-09-25 11:00:38 | ブログ

タイトル---『日本中枢の崩壊』前書きの紹介---4。第993号 23.09.25(日)

 前号第992号に引き続きます。

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 この本の最終原稿チェック中の2011年3月11日、マグニチュード9.0の巨大地震で東日本大震災が起こり、二万数千人もの死者・行方不明者を出した。この震災で、福島第一原子力発電所には津波が押し寄せ、施設を破壊。IAEA(国際原子力機構)の基準では最悪のものとなるレベル7(セブン)の原発事故が発生した。目に見えない放射能を恐れ、読者の方々も、テレビの前で事態の推移を固唾を呑んでご覧になっていたのではなかろうか。

 この事故で一つの事実が思い起こされる。

 先述の通り、原子力安全・保安院は経済産業省の傘下にある。そして、原子力行政を進める側の資源エネルギー庁も同じ。つまり、監視する側と進める側が、実は同じ屋根の下に同居しているのだ。2011月1月には、前資源エネルギー庁長官の東京電力への天下りが認められた。代々続く癒着構造----。

 しかもここにきて、原子力安全・保安院は、原子力の専門家集団でもなんでもないことが明らかになってきた。

「日本中枢」で国を支えているはずの官僚は、実はかくも信頼できないものでありながら、しかし自己保身と利権維持のための強固な連携力だけは備えている。ここに、国民によって、強固な制御棒を打ち込まなければならない。さもなくば、老朽化した原子炉を持つ「日本中枢」の崩壊とともに、日本国全体がメルトダウンしてしまうであろう-----。

 改革が遅れ、経済成長を促す施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、1995年から翌年まで続いた、アリカのクリントン政権下における「政府閉鎖」すら起こりかねないのだ。

 いや、正確にいえば、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経済は奈落の底へと落ちていくだろう。そのための「救国大連立」の動きさえ表面化した。しかしこれは、「亡国大連立」にほかならないのだ。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。

 未曾有の危機に見舞われた日本---われわれは、いまこそ、最後の決断をしなければならない。

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 『日本中枢の崩壊』前書きを四回にわたってご紹介しました。是非、書店で求められ、お読み戴くようお薦め致します。一通り読みましたが、紹介するために書いていると、切迫感が漂って参ります。過激な行動を絶対にすべきではありませんが、我々国民自らが学び、そういった切迫感を共有しながら、選挙の時清き一票を熟考の末、投じる以外にないであろうと思います。

 歳を重ねると、読んだものすべてをすぐ忘れます。私みたいに、読んで書いて、録音して聞いてを繰り返すと記憶が蘇り、新鮮な日々を送ることができると思って、これからも続けたいと思います。古賀さんの考え方全てに賛成ということではないが、勉強という捉え方で対応しています。

 ただ、記憶力、能力がある方からは笑いの対象となるでしょうが、絶対積極を求めて生きて行けば、そういうことは気にならなくなると信じます。

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