味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

一徳を眷求して、神の主作らしむ。

2015-08-31 10:26:34 | ブログ
第2437号 27.08.31(月)
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一徳を眷求(けんきゅう)して、神の主作(た)らしむ。『書経』
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  天は、純一無垢の徳ある人を心に求めて、百神の主とする。
 それ故に人は、純一の徳を求め、神の主たるを志さなければならない。(伊尹のことば)205

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 【コメント】真面目で、心にわだかまりがなく、徳のある人に、人々は協力しついて来るということでしょうか。大変難しいことですが、共に助け合い人生を過ごしたいものです。決して我田引水であってはならないと思います。
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 菅原兵治先生の『大学味講』『農士道』『教えの國・荘内』等々を繙けば参考になると思います。
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 今年の自殺者が860人位と今朝のテレビで紹介されました。それもいじめが原因というのが多いとのことです。「ウザイ、キモイ、バカ、シネ」と云われて何故死ぬのでしょうか。
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 20数年前の週刊誌に「諸悪の根元は日教組」という記事が掲載されたものを持っています。これは学校の先生方は二度と不幸な戦争をしてはならないという思いで平和教育をしてきたことが裏目に出たということでしょう。学校の先生方は、まじめな方が多く、その対処がまずかったと私は見ています。槇枝氏が書いた、私の路線は間違いだったというのを読んだことがあります。
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 子供たちがいう「いじめ」の大半は「いじめ」ではなく「ジャレ」なのです。私は半世紀子供たちに空手を教えて来て、目の前でジャレあう子供たちをみてきたからわかるのです。もう少し、生きる厳しさを教えなければならないのです。
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 安保法案反対で大変な集会が計画され、凄いことになっています。野党の党首たちが扇動し、デモをしているやに思われます。戦争は決してあってはならないと思います。
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 人々の先頭に立って法案反対を叫んでいるある党が、政権を取ったら戦争以上に大変怖いということを皆様は分かっているのでしょうか。
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 私は菅原兵治先生の考え方が、日本人にとって一番よいと思っています。それは『南洲翁遺訓』の精神です。『南洲翁遺訓』をふりがざして、利用している人もいるやに聞かれますが、その内淘汰されるのです。
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 掲げている指標に永遠性があり、人々の共感を呼び、そして日々の行動に真摯さがなければならないのです。何よりも、『南洲翁遺訓』刊行に際して取り組んだ人々の「命に代えて」を知らなければならないのです。約束を守らない人々に、『南洲翁遺訓』を口にする資格はないと思っています。私が間違っている時は高木先生教えてください。
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 毎日、朝晩、道場に掲げている西郷先生、菅先生、菅原先生、長谷川先生、小野寺先生、竹下先生方のお写真に誓いの言葉と感謝の言葉を申しています。
  
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『大学味講』(第274回)
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 (八) すべて物事には、「常道」と「権道」とがあります。「常道」というのは、平常の場合の道であり、「権道」というのは、平常でない変則的状態の時の権(かり)の道であります。
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 実例を以て申しましょう。健康な人の平常の場合ならば、日に三度の食事をとって、一度の便通があるというのが「常道」でありましょう。ところが、中毒したというような場合には、一日や二日位は絶食して何も食わず、その上、下剤を用いて下すこともあるでありましょうが、これが即ち「権道」なのであります。
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 こう考えてくると、現在のような生産を縮少して、消費を拡大するという在り方は、一体「常道」なのか、「権道」なのかとなるのですが、果たしていずれでしょうか。何かしら中毒症患者に対する応急手当的のもののように思えるのですが、どうでしょうか。もし応急手当の「権道」であるならば、私どもはその認識で対処せねばならぬでありましょう。

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『論語』(第374)
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 子磬(しけい)を衛に撃つ。蕢(あじか)を荷うて孔氏の門を過ぐる者あり。曰はく、「心あるかな、磬を欝。」既にして曰はく、「鄙なる哉硜硜たり。己を知るなくば、斯れ已めんのみ。『深ければ則ちし、浅ければ則ち掲す。』」子曰はく、「果なるかな。之を難しとすること末(な)きなり。」
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 孔子が衛の国で、磬という楽器を打って楽しんでいた。すると、もっこをかついで、孔子の泊まっている家の門前を通りかかった者があった。孔子の打つ磬の音に耳を傾けて、「はて、心ありげな磬の打ちようだな」といって聴いていたが、「どうもコチコチした融通性のない、いやしい音色だ。
 世に執着のある者の打つ音だ。世の中に自分を知ってくれる者が無かったらそれまでで、退いて止めてしまったらよいではないか。
 詩にも、『水が深ければ衣を脱ぎ、浅ければ裾をまくればよい』という句があるように、状勢によって適当に変わる融通性を持たねばならんよ」と言いすてて行ってしまった。門人がこのことを告げると、孔子は、「まことに思い切りがいいなあ。そう割り切って平気で居れれば、世の中は何もむずかしいことなかろう」(と歎息して、道が行われず、自分も用いられないが、さりとて世も人も捨て切れない、救世の愛情を吐露した。)

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『農士道』(第253回)
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 而して私は其の士道の實現に最も相応しい存在の最も有力なる一つとして「農」を選ぶのである。そは何故か、其の理由として左の點を挙げ得ると思ふ。
 一、農は天地自然を相手として最も自主自けん性ある職業たること。
 二、農は祖孫相続の世襲的従業の可能性ある職業たること。
 孟子も「富貴も淫する能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず之を是れ大丈夫といふ」といっているが、「人を相手とせず、天地を相手とする」農道生活は、現在制度の下に於ける俸給生活者や、商工生活者に比して、眞に精神的に開眼されてさへ居れば、大いに此の大丈夫道の実践に相応しい生活であると思う。

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仁には衆を為すべからず。

2015-08-30 10:31:25 | ブログ
第2436号 27.08.30(日)
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仁には衆を為すべからず。『孟子』
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 仁道を行う人に対しては、多数をたのんでこれに対抗しようとしても、それは成功するものではない。すなわち、仁者には敵なしということである。114
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 【コメント】人間、私たちの団体・組織はこうしているとして、組織の拡大強化を図っているが、そこに利害を目的とせず、私欲がなく、世のため人々の仕合わせのために事に処して行けば、天も人々も見離すことはないと思います。
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 連日、菅原兵治先生のご著書『大学味講』『農士道』をご紹介しています。今日まで多くの書に接してきましたが、これほど素晴らしい書は他に思い出しません。荘内南洲会前理事長・小野寺先生が、日本一の教育者なんですよ、と言った言葉が耳から離れないでいます。大学味講、農士道は、菅原先生のご人格そのものだと思っています。
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 既に亡くなりましたが、医者で色恋を書いた人もいましたが、こういう人種とは全く異なる次元の聖人の世界だと思っています。菅原先生の著書、そして荘内南洲会にある書籍を日本国中の人々が読み、そして広く宣伝し、活用し、政治の世界にも用いてくれれば日本の国も少しはよくなるのと思う次第です。
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 私がこうしてブログで紹介することにより、周囲の人々も多数学んでいるのです。
 私の名刺の裏には「士魂拳心」と印刷しています。これは日本空手道少林流円心会設立(昭和50年)と同時に採用したものです。私の人生の修行目標としての空手道は、日本武士道と同じであるという考え方に立脚していることによるものです。
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 過去、それぞれの藩としての組織であった武士道文化を大和の文化としなければならないのです。昔ながらの藩を持ってくるとトラブルの基になるからです。
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 これは菅原先生が説く、農士道などと考え方を同じくするものです。私の道場で修行した師範たちはこの精神を踏襲して行くのです。今まで邪な団体や、私心あからしまな団体の呼びかけが数多ありましたが、私はフラフラすることはありません。この精神思想こそが『南洲翁遺訓』の精神なのです。だから私は、三歳児カナコさまを始め、子供たちに『南洲翁遺訓』の暗記をさせているのです。老人は老い先短いからです。

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『大学味講』(第273回)
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 これに対して、その企業として支出する経費はつとめてこれを節約していくことが必要であります。これが則ち「之れを食む者寡く、之れを用ふる者舒」なるゆえんでありまして、不況になれば不況になるほど、このことは大事なことであります。大学の道の示す経済原則は、これを要するに、生産面においてはプラス作用を主とし、消費面においてはマイナス作用を主とすべきであるということになるでありましょうが、事業経営の実際に当っては、このことは、時の古今とか、景気のよしあしとかにかかわらず、常に必要な大道であると思います」
というのでありました。

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『論語』(第373)
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 子路石門に宿す。晨門曰はく、「奚(いづ)れ自(よ)りする。」子路曰はく、「孔氏自りす。」曰はく、「是れ其の不可なるを知りて之を為す者か。」
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 子路が孔子に従って天下を廻り歩いた時に、偶石門(たまたませきもん)という処に宿った。その他の門番が「どこから来られたか」と問うた。子路は「孔氏から参りました」と答えた。門番はこれを聞いて謷(そし)っていうには、「孔氏とは道の行われないのを知りながら方々歩き廻って道を行おうとする男か。あなたもそのお供をして御苦労なことだ。」
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『農士道』(第252回)
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 一部の人々はいふ。国民皆兵の制度と共に今や武士道は国民道として国民全体に普及せられるのであると。然し孔子も既に「君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草、之に風を尚(くわ)ふれば必ず偃(ふ)す。」
「民は由らしむべし。知らしむべからず。」と云ふてゐるが如く、国民の大部分は寧ろ動かされる様に動くもので、之に向って荘厳なる士道の實行を求むるも、それは至難であらう。
 国家に士道を高揚顕章するにはどうしても其の中堅階級が存せねばならぬ。道義的存在が無ければならぬ。殊に従来の如く士道地に堕ちし世相を維新せんとする時、最も深思を強いられるものがある。士道を全国民に一般化するといふことは、勿論望ましいことではあるが、ともすれば富士の高嶺を切崩して全国平均に地均(なら)ししてしまふことになりはしまいか。

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一死一生乃ち交情を知り、一貧一富乃ち交態を知り、一貴一賤交情乃ち見わる。

2015-08-29 11:35:44 | ブログ
第2435号 27.0829(土)
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一死一生乃(すなわ)ち交情を知り、一貧一富乃ち交態を知り、一貴一賤交情乃ち見(あら)わる。『史記』
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 人の交情は、その人の生死、貧富、貴賤などの変化によって、移りかわるものだ。
 漢の翟公(てきこう)が廷尉であったとき、賓客が先を争って御機嫌伺いに来たが、官を罷(や)めるに及んでは、一人も来る者がなかった。その門に大書したのがこの句である。648

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 【コメント】上の言葉は人間社会の常態であると思います。栄えている時には来客は多いが、失敗し貧乏すれば人の影はなくなるものです。出来れば、世の中とはそういうものなのだと心得て生きたいものです。
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 その昔、私が幼少の時、枕崎で一番栄えたヤマタという所の創業者が亡くなった時のことです。葬儀に参列た人々が、3キロ位続きました。自宅から墓場まで人の列が續いたのでした。当時は土葬でした。地元の人は流石と驚嘆したものです。
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 あれから半世紀、昔栄えた大金持ちの館も潰れてなくなりました。息子の葬儀には誰も参列する人はいなくなったのです。
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 人の世とはそういうものだと思い、人様には親切にしながらも、人を当てにせず、自分の生き方をタンタンと進めて生きたいものです。私は、荘内の先生方のご著書を拝読し、筆写し、人々にも勧め、共に学んで行きたいと思い、日々をタンタンとして生きているつもりです。
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 今朝の暁の学問館の教材は次のとおりでした。
 1.吾れ唯 足るを知る
 2.君子に三畏有り
 3.日本復興への道
 4.志に生きる
 5.人を植える道
 6.智謀、湧くが如し
 7.ブログ 2434 27.08.28 等々でした。
 
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 智謀、湧くが如し----より
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 「人間は行きづまるということは絶対ない。行きづまるというのは、自分が、”行きづまった”と思うだけのことである。」
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 君子に三畏有り---
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 『論語』に次の言葉があります。
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 「孔子曰はく、君子に三畏有り。
 天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。
 小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る。」
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『大学味講』(第272回)
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 (七) このことについて、亦楽会において、各人その立場によっての見解を述べあって検討したのであるが、その中に次のようなのがありました。
 「現在の国の政策の線から見れば、大学の道は時代にあわないと見えるかも知れぬが、しかし、これを私どものように、一つの企業経営に当っている者から見れば、大学の道には決して間違いはありません。不況下の現在においてでも、この通りで絶対に間違ってはおりません。」というのであります。彼は、その理由として次のようにいっているのであります。
「現下の不況を乗りきるための国の非常対策としての生産抑制や消費刺激の諸政策は、一応必要ではありましょうが、しかし、一つ一つの企業においては、その時点の状態において、出来るだけ生産性を高めることは、必要な事であります。これは農業たると、工業たると、商業たるとを問わず、絶対に必要な事であります。もし何らかの事情で、事業を縮小するようなことになったならば、その範囲で、出来るだけの生産性をあげることであります。

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『論語』(第372)
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 子曰はく、賢者は世を辟く。其の次は地を辟くっ。其の次は色を辟く。其の次は言を辟く。
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 賢者は世の乱れたのを見れば辟け隠れて仕えない。その次には乱れた国を去って治まった国へ行く。その次には君が礼儀正しい要望態度で己を尊敬しなければ去って仕えない。その次には己の意見が君の言と合わなければ去って仕えない。

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『農士道』(第251回)
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 一体日本民族は最も士道を尊重した国民である。然し長き歴史を有つ吾が国に於ては、時代と與に其の実現に変遷があった。即ち上代に於ける「もののふ」の道、王朝時代に於ける丈夫道(ますらおのみち)、武家時代に於ける武士道等は、内面的に之を視れば日本士道の時代的表現であったのである。試みに、聖武天皇の御歌として萬葉集に傳わる
   丈夫の行くとふ道ぞ凡(おほ)ろかに
           念(おも)ひて行くな丈夫の伴
などを誦するも、当時の上下共に如何にこの「丈夫道」を重んぜしかを窺ふに足るであろう。而して此の道----精神が武家時代に入るや、部門武士の間に大言せられて、茲に「武士道」となったのである。しかも其の内容はひとしく士道である。而して明治維新と共に国民皆兵の名の下に、武士なる階級は撤せられたのである。かくて荘厳比無かりし武士道は、抑も、今後何人によって継承せらるべきか。

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賢にして財多ければ則ち其の志を損し、

2015-08-28 10:10:49 | ブログ
第2434号 27.08.28(金)
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賢にして財多ければ則ち其の志を損し、愚にして財多ければ則ち其の過ちを益(ま)す。『十八史略』
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 子孫が利口であったら、多くの財産があると、折角高い志を抱いた者もかえって駄目になる。また愚かな者だったら、たくさんの財産をもたせると、むしろそれによって過ちをますだけだ。603
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 【コメント】『南洲翁遺訓』に「児孫の為に美田を買わず」といった言葉があります。西郷南洲翁は多くの漢籍を渉猟し、知悉していたからこそこういう言葉を使ったのでしょうか。
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 昨夜の第二道場はとても賑わいました。過去、皆様の前で空手の舞を演じた人にそれぞれ舞ってもらいました。
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 諸般の事情で半年位稽古に来ていなかった愛美嬢に、先発してもらいました。学校のクラブでサッカーをしていて足と腰に痛みがあったのですが、真剣勝負となると痛みもなくなってしまうのです。目付、腰の落し方、立ち方、突き、蹴り、そして振りも久しぶりとは思えない自身に満ちた舞でした。中学生とは思えない芸術作品の舞でした。
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 次に小学2年の礼弥君に演じてもらいました。スターの競技であるために、大変緊張して舞ってくれました。自信過剰が裏目に出た感じでした。小学2年生にしたら上手いのですが、矢張り格闘技である以上、破壊力が要求されます。こればかりは如何ともしがたいことです。突きはいいのですが、腰の落し方、立ち方、蹴り、そして振りがいまひとつという所でした。しかし目付は最高でした。
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 次は高校2年・瑠果嬢でした。中学生・愛美嬢、小学男子・礼弥に負けてなるものかという思いが、精神の中に見てとれました。その緊張のあまり、出だしの右手を挙げる時の緊張が肩に如実に顕れていました。腰の落し方、目付、立ち方、突き、蹴りも格闘技本来の技として表現されており、素晴らしいでした。これも素晴らしい芸術作品でした。肩の力を抜けばまだいいのですが。
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 小学男児に誰が一番良かったと思いますかと聞いたら、僕がよかったと答えました、長ずるにつれてそれがなくなり、謙虚になって行くよう指導したいと思います。
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 そして全員に型の指導をし、それぞれ個人、複数で演じてもらいました。大変上達している処に私自身感動しました。最後に『南洲翁遺訓』も声高らかに拝誦しました。
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 自宅に帰ってからテレビをみていたら、俳優たちの劇団・プロ集団の稽古風景が紹介されました。見ていて、味園道場劇団の稽古風景がいいと思いました。
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 先ず、厳粛さ・真剣さが違います。私はジョークも飛ばすのですが、子供たちはそれぞれ真剣勝負をしています。柔道・剣道・空手道・合気道・日本舞踊・社交ダンス等々多くの芸事を御稽古してきた成果が出ているのです。私のお稽古ごとについて弟がある教員に教えたら、八面六臂だとやや揶揄した言い方をしたと、半世紀前に聞いたことがありました。
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 これは父親の事業倒産により、税務署・漁業組合等への借金を返済するため、命がけで゛取り組んできたのでした。浮ついた、みてくれだけの稽古ではなかったのです。それにしても、指導の仕方によっては見違えるように成長して行くものです。
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 だから、老人会的な方々が西郷隆盛を語り、一時的パフォーマンスに見える会合をしている所へは絶対行かないことにしているのです。とにかく決めたことを守らない集団はヤクザと同じです。三分間の挨拶をと言ったら、一秒の狂いもなく三分間でなければならないのです。私はイヘントを80回してきたと書きましたが、JR、NHK同様、時間厳守でやってきたのです。
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 そういう細かい處、真面目さを小野寺先生は見抜いていたのだろうと思っています。やがては、荘内南洲会会館で『南洲翁遺訓』学習会をしている中澤今日子先生教室の皆さんと一緒に『南洲翁遺訓』発表大会を開催したいものだと夢をみています。

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『大学味講』(第271回)
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 (六) しかるに現在の経済事情からいうと、この「財を生ずる大道」は、一見もう時代遅れで通用しないもののように見えるでありましょう。なぜなら、現下の不況克服の産業経済は、過剰生産を処理するために生産を抑制し、そして需要を増強するために消費を拡大することが、国策として行われているからであります。
 これを大学の用語を以ていえば「之れを生ずる者寡く、之れを食(は)む者多く、之れを為る者舒(ゆるや)かに、之れを用ふる者疾(すみや)かなれば、景気が回復する」ということになるでありましょうが、さていずれが「財を生ずる大道」でありましょうか。

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『論語』(第371)
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 公伯寮子路を季孫に愬(うった)ふ。子服景伯以て告げて曰はく、「夫子固(もと)より公伯寮に惑志あり。吾が力猶能く諸を市朝に肆(し)せん。子曰はく、「道の将に行はれんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何。」
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 公伯寮が子路を季孫に讒言した。子服景伯が憤慨してこれを孔子に告げ、「季孫は元来公伯寮を疑ってゐるのですから、私の力でもかれを誅して、街頭なり、役所なりにさらしものにすることができます。やっつけてしまいましょう。」といきまいた。孔子が言はれるには、「イヤイヤ捨て置かれい。道が行はれるのも天命です。道がすたれるのも天命です。公伯寮ごときが天命をどうし得ようぞ。御心配あるな。子路も安心せい。」
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『農士道』(第250回)
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 (註) 大原幽学は二宮尊徳と同時代の農村指導者。尾張藩の家老の息と傳えらるるが終生出仕せず、後半生を千葉懸香取郡中和村におくり、深く山澤に蔵して地方農民を指導し、門人となって化を蒙れる者三千人といはれる。今日に至るまで其の地方一帯は其の教を傳へ、衣食住風俗施設一切に渉って其風が醇呼として猶存している。
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易は聖人の徳を崇くして業を広むる所以なり。

2015-08-27 10:10:47 | ブログ
第2433号 327.0827(木)
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易は聖人の徳を崇くして業を広むる所以なり。『易経』
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 易の教えは、聖人を助けてその徳性を高め、その事業を広大にするものである。(孔子のことば)236
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 【コメント】上の言葉は、〈聖人を助けてその徳性を高め〉ると同時に自らも大いに学修をするということだろうと思います。易もせっせと読んでいますが、今しばらくという感じです。これからも頑張ります。
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山形出身で、荘内の事に熟知しているご婦人が、ある講演会に出席されませんかと言って、今先パンフレットを持ってきてくれました。その方の高校生の息子の頭を、阿曾先生が頑張れよといって撫でてくれたことがあると話しました。
 道場に上ってもらい、西郷南洲翁と菅臥牛翁の徳の交わり坐像の写真、菅原先生、長谷川先生、小野寺先生方の写真を見せたら感激して帰りました。
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 そのご婦人の講演の案内にしろ、私にある会への出席を求めている方々の会にしろ、内容はいいのでしょうが、それよりか私の企画の方が素晴らしいのです。今夜の第二道場の稽古には、空手の舞を演ずるオールスターが一同に会することになる予定です。
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 その子供たちは『南洲翁遺訓』を覚えるのにも極めて積極的なのです。『南洲翁遺訓』を学ぶ原点は、菅先生をはじめとする荘内藩の藩士たちの真心をふみにじることがあってはならないと考えます。一時的パフォーマンスで開催する会には絶対参加しないことにしているのです。

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『大学味講』(第270回)
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 (五) 以上農工両面から見て、このように生産面においては大いに成果をあげ、これに対して消費面においてはなるべく節約してくというようにすれば、「財恒に足る」といっているのでありますが、これを東洋古来の通念を以て要約すれば、「勤倹産を治め」ということになるのであります。即ち「勤」とは生産面に努力して生産をあげることであります。「倹」とは消費面に意を用いて、無駄な消費を節約----「節約」をまた「倹約」ともいいますが----することであります。ここでいう「財」とは、もちろん単に現金経済のことだけではありません。物の面の経済も含めてのことであります。
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『論語』(第370)
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 子曰はく、「我を知るもの莫(な)きかな。」子貢曰はく、「何為(す)れぞ其れ子を知る莫きや。」子曰はく、「天を怨みず、人を尤(とが)めず。下学して上達す。我を知る者は其れ天か。」 
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 孔子が自ら歎じて曰うには、「今の世の中にはわしを知る人がないことだ。」子貢がその訳を問うていうには「先生のような方をどうして知る人がないのでございましょう。」
 孔子「普通と異なった事をして偉いと思ってる者は人から知られるけれども、わしはそんなことはしない。運不運は天の命によるが、わしは不運であってもこれに安んじて天を怨まない。用いられようと用いられまいといずれも天命だから、わしは天を怨まず人をも咎めず、下は卑近な人事から学び始めて、上は高尚な天理まで一通り極めつくしたこと故、わしはそれで満足で、たとえ人は知らずとも、わしを知ってくれるのは天であると確信して、天命に安んじているつもりだ心配するな。」

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『農士道』(第249回)
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 葉隠れにいふ「武士道とは死ぬことと見付けたり」と。南洲の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は仕末に困るものなり。此の仕末に困る人ならでは患難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」といふ覚悟は、格別武士や國士のみの覚悟ではない。苟も士的生活を行ぜんとする者に取っては、何人にも切要缺くべからざることで、農士の生活も亦然るべきである。自らが性魂を打ち込んでやらうとする農道的志念の為には、一切を捧げ盡して行じ抜く處にこそ、始めて士的生活に燦たる光明を発するのである。吉田松陰の士気七則の中にも「死而後止の四字、言簡にして義廣し。堅忍果決、確固として抜くべからざるもの、是を舎いて術無きなり」とあるが、農士道といふも、この一生懸命の心を以て、道によって農生活を行じ抜くことに外ならないのである。此點に就いて私は大原幽学が其の門人に向って職業二重を厳禁し、人間が単なる目前の「利」によりて業を二にすることを戒めたことは確かに非凡なる見識だと思ふ。
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