味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

大上は徳を立つるあり。其の次は功を立つるあり。

2015-07-01 08:16:48 | ブログ
第2376号 27.07.01(水)
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大上は徳を立つるあり。其の次は功を立つるあり。其の次は言を立つるあり。『左伝』
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 人間の一生の仕事のうえで、最大の行ないは道徳を立てることであり、その次は大きな事業を興すことであり、その次は正しいことばを残すことである。259
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 【コメント】上に書いた左伝の言葉は大変善い訓戒だとは思いますが、〈大きな事業を興す〉ことが出来るのはホンの一部だと思います。大きくなくても、ささやかであっても世のため人のためにお役に立てればいいのではないでしょうか。要は『南洲翁遺訓』、漢籍を繙き修身・修養に心掛けることがいいのではないかと思って、ただひたすら繙いています。
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 急用ができたので今から湯之元までいってきます。1時間半かかります。帰宅が午後3時過ぎになると思います。午後2時半帰宅しました。
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『大学味講』(第213号)
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 (六) 治国平天下の根本原理になる「矩の道」だというから、どんなむずかしいことかと思ったら、何とこれが「矩の道」だというのであります。もしこれを観念論的に論述するならば、随分むずかしいものとなるでありましょう。
 試みにこれを孔子の言の中から探してみても、あるいは「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すなかれ---論語---」といい、あるいは忠恕道を違ること遠からず。これを己に施して願はざれば、亦人に施すなかれ---中庸---」といっている等がそれであります。
 いわんやこれを現代流の西洋論理的に論述するならば、随分むずかしいものとなるでありましょうが、それを、このように最も身近な実際的の事実を以て説く所に、私どもは「哲人の如く考えて、野叟の如く語る」を覚えるではありませんか。「道は須臾も離るべからず。離るべきは道に非るなり」と中庸の首章にありますが、本当の道というものは、こういうものでありましょう。

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『論語』(第313)
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 子曰はく、苟も我を用ふる者有らば、期月のみにして可なり。三年にして成ることあらん。
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 孔子がいうには、もし人があって我を用いて国政を授けるならば、十二ケ月だけで十分とはいかないが僅かばかりの成績をあげることができる。三年たてば、政治上の功績が完成するであろう。
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『農士道』(第192回)
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    第三節  老 農 的 態 度
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 以上諸種の態度に就いて大體思ふ處を述べて来たが、斯く考へて見れば、吾々は希くは文質彬彬たる矯蟻的態度を理想として修行すべきことを知り得るであらう。然し私共はこの彊義的態度が、更に一層洗練せられ、醇化せられて来ると、其処に「老農的態度」とも謂ふべき圓融無礙な----「義」だの「彊」だのといふ、そんな対立の生活を了凡して、「大極」「天御中主」の「一」の世界に悠々濶歩する眞に敬ふべく、又、懐かしむべき一種の態度に詣(いた)るべきことを知って置かねばならぬ。
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