味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

學ぶ者は先ず須らく語、孟を読むべし。

2017-12-31 11:02:42 | ブログ
第3288号 29.12.31(日)

學ぶ者は先ず須らく語・孟を読むべし。語・孟を窮め得ば、自ら要約の處有り。此を以て他の経を観(み)ば、甚だ力を省く。語・孟は丈尺権衡(じょうしゃくけんこう)と相似たり。此を以て去(ゆ)いて事物を量度(りょうたく)せば、自然に長短軽重を見得(みう)。『近思録』188

 勉強するものは、論語・孟子を読むことがまず必要だ。論語・孟子を窮めると、筋が自然に出てくる。それでほかの経書を読むと、楽に読める。論語・孟子はものさしやはかりのようなもので、これで事物を計れば、長短軽重が自然にわかる。189

 【コメント】四書五経を手にしたのが30年位前になります。『南洲翁遺訓』に『論語』という書名が紹介されていましたので、『論語』を購入したくて近くの本屋さんへ行きましたが『論語』はなくて鎌田茂雄著『禅とは何か』がありました。そこで禅とは何かを購入したら99冊の古典が紹介されていました。そこでまとめて注文したら、70冊の古典の書を購入することが出来ました。

 その古典の書を訳が分からないまま、読み書き写し、更にテープに録音し学んできました。そういう諸々を空手道教室で子どもたちへお話し古典の世界への誘いとしています。

 今日の読売新聞に警察官不祥事の事が紹介されています。こういう方々も古典の世界を従容されたら、非違行為の減少につながるのではないかと考えます。

 それにしても事件が多すぎることと、テレビのくだらない報道にどうにかならないものかと、何時も考えています。 

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『不動心』(第151回)

 人の命は麦の穂のごとく

 「ものごとの成り行きに心を悩ませるな。ものごとのほうでは、そんな悩みなど全然気にかけていない。」
 「麦の穂のごとく人の命は刈り取られる。あるものは残され、あるものは切り落とされる」
 「正義と幸運は、われと共にある」
 
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「日本の婦道」--第9回

 人性の、特に女性の本質が愛になければならぬとは恐らく何人も聞きふるしたことであろう。然るにこの愛の意味も亦厳正に自覚して置く必要がある。愛は凡て自他融合の作用である。狭苦しく卑しい物我を脱して、より大いなる人格世界に生きようとする理想の発動である。故に愛は常に其の人を無我にする。どんなに慾の深い女でも、恋人の為には知らず識らず持っているものを捧げてしまう。302
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初学のものの徳に入る門は、

2017-12-30 10:23:22 | ブログ
第3287号 29.12.30(土)

初学のものの徳に入る門は、大学に如(し)くは無し。其の他は語・孟に如くは莫(な)し。『近思録』188

 初学者が徳に進むときの入り口は、大学に越したものはなく、その他の書物では、論語と孟子が第一だ。188

 【コメント】この『近思録』が漢籍の学び始めは大学であり、そして論語と孟子を学びなさいと教えています。

 私は30年前からそのようにしてきました。漢籍との付き合いは楽しくて楽しくてたまりません。ギャンブルに興ずるよりか、漢籍と仲良くなって欲しいものです。

 昨日は年末のお墓詣りに行ってきました。年末で車両も多く感じられましたが、安全運転に徹して無事故で帰宅しました。帰りついたら、すっかり疲れて寝床に潜り込んでしまいました。

 木曜日仲間の或る方が訪ねてきました。職場で偉くなるためにいろいろ問題があるらしいのですが、本人は学問の世界を従容したいと申しました。

 会社の役職は60歳位までなのです。自習は100歳まで出来るのです。ですから、100歳を目標に頑張れば、長生きにも資することが出来るのです。

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『不動心』(第150回)

 心にとって恥さらしなこと

 「よいことをして悪くいわれるのが王子の宿命だ」。顔が心の命ずるままに従ってさまざまな装いをするように、心自身もその命ずる装いを拒むことはできない。

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「日本の婦道」---第8回
 
 今後の婦人は是非とも先ず今の様な知識の衒耀(げんよう)から解脱しなければならぬ。知識は決して本質的価値あるものでは無い。真に尊いものは創造的な人格活動である。愛である。そして女子は昔からこの創造的なるものの-----愛の優しい権化ではないか。真の知識は実は愛でなければならぬ。英語やフランス語が出来ても、哲学者や文芸家の名前や事績をいくら識っててたも、そんなことは何等人格価値を増すものではない。要はそれ等を通じて人格活動が如何に深く広くなるかに在る。小説などを読みかじって人生問題を喋々する娘より、黙して娘の着物を縫って居る母親の方が遥かに深い人生の知識がある。302
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詩 経 上

 關 雎(かんしょ)

 關關たる雎鳩(しょきゅう)は  河の洲に在り
 窈窕(ようちょう)たる淑女は  君子の好逑(こうきゅう)

 詩経300種を書こうとしましたが、漢字が出てこないので、これで止めることにします。

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先程、公益財団法人 荘内南洲会『敬天』第80号が多量届きました。荘内南洲会様ご送付していただきまして、誠に有り難うございました。

 荘内の先生方、良き新春をお迎え頂きますようお祈り申し上げます。

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凡そ文字を看るに、七年・必世・

2017-12-29 09:58:45 | ブログ
第3286号 29.12.29(金)

(およ)そ文字を看(み)るに、七年・必世(ひっせい)・百年の事の如き、皆當(まさ)に其の如何に作為(さくい)さるるかを思ふべし。乃(すなわ)ち益有らん。『近思録』186

 凡そ書物を読む際に、例えば、七問・三〇年・百年の事業など、いずれもどのように実行されるか、それを考える゛きで、そうすれば役に立とう。186

 【コメント】七年とは、『論語』子路篇に「善人、民を教ふること七年ならば、亦以て戎に即(つ)かしむ可し。」とあり、「戎に即かしむ」とは戦争に行かせること。七年間で効果の上ることをいっている。必世は「如し王者有らば、必ず世にして而る後に仁ならん」とある。三〇年かかって教化がいきわたることをいう。百年は「善人、邦を為むること百年ならば、亦以て残に勝ち殺を去る可し」とある。「残に勝つ」とは、残虐な人を感化して、悪事をしないようにすること。「殺を去る」とは、民が上の感化を受けて立派になり、刑殺を用いずともすむようにすること。百年かかってその効果のあらわれることをいう、とあります。

 『近思録』のこの解説は、大なり小なり現今に通用するような気が致します。とにかく、時間をかけて世を正常化すべしということでありましょう。

 今話題の相撲協会の小競り合いは昨日、判定が下ったようです。解任された元お相撲さんは、意とする所はよいとしても、何故紛糾させるようなことをするのでしょうか。寡黙だけが正しいことではないのです。

 穏やかに話をすれば現理事長は、そんなわからずやではないと思います。クレームをつけている元お相撲さんは、過去の栄光が目の前にチラツイテいるのでしょうか。

 これは被害者と親方とは別個に考えなければならないでしょう。会議で糾弾されたように、一人のために全体が大変な事態になったのですから。

 暴力行為は絶対に是認すべきではないが、思い上がった言動は慎むべきなのです。そこから大事件に発展するのです。私は空手道教室で、頭が良くても、成績の悪い人を見下げてはならないと力説して教えています。どんな人にも名誉を与えて譲歩させる大人の智恵がなければならないでしょう。

 昨夜は今年最後の空手道教室でした。超優等生がインフルエンザとかでお休みしました。御稽古中、幼女・カナコ様が親指と中指を接触させ、いい音色を出してくれました。私もその真似を踊りながらしたものですから、カナコさまが捧腹絶倒しました。大変楽しい空手道教室でした。

 二度とない人生なのですから、楽しく、愉快に、意義あらしむべく日々を邁進したいものです。

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 今から枕崎まで行ってきます。また後でかきます。
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今の人は書を讀むを會ず。

2017-12-28 09:41:43 | ブログ
第3285号 29.12.28(木)

今の人は書を讀むを會ず。詩三百を誦(しょう)するも、之に授くるに政(まつりごと)を以てして、達せず、四方に使して、専対する能(あた)わず、多しと雖(いえど)も亦奚(なん)ぞ以て為さんというが如し。須らく是れ未だ詩を読まざる時には、政に達せず、専対する能わざるも、既に詩を読みし後には、便(すなわ)ち政に達し、能(よ)く四方に専対すべくして、始めて是れ詩を讀みしなり。『近思録』184

 今の人は書物が読めない。例えば、「詩経の三百篇を読んだにしても、政治をとらせた場合、うまくいかず、また四方の国々に使いに行った場合、ひとりで応対できないようならば、読んだ詩の数が多くとも、何の役に立とうぞ。」といったようなものである。詩経を読まないうちならば、政治がうまくいかず、ひとりで応対できないこともあろうが、詩経を読んだ以上、政治に通達し、四方に使いに行ってひとりで応対できるはずで、それでこそ詩経を読んだことになる。185

 【コメント】西郷隆盛が荘内の菅先生に、『書経』『詩経』を学びなさいと勧めたとあります。ですから私は先月荘内に行った際、致道館で『書経』を拝読したのでした。

 致道館で姿勢を正し書経を拝読する時の心境は、今まで味わったことのない緊張した最高の時間でした。その時の様が未だに記憶に残っており、大変有難く存じています。

 このブログは今日で3285回であります。これは娘が勧めてくれたのでした。することが無いと早く呆け、あの世に行くからと慮って娘が配慮してくれたのでした。一年365日、大体10年ということです。
 訳が分からないまま、読み続け書き続けてきてよかったと思っています。歳を重ねたらすることが無いという人がいますが、歳を重ね、人生の何たるかを知った老境こそ漢籍を学ぶべきだと思います。

 そして若い人々が非違行為に走る傾向が強いのは何に起因しているのでしょうか。これは平和教育に起因していると私は思っています。長年労働運動に身を置いてきたからこそ言えるのです。

 私は貧乏家庭で育ち、自分で働きながら夜間高校で学んできたから言えるのです。戦争をしてはなりませんが、戦争で負けたからといって国家は消滅しない。国家の衰亡は国民が働かなくなった時に現象として出てくるのだとはトインビー博士の遺訓であります。

 ですから立憲民主党は社会党の二の舞はしないで欲しいと思っています。子供たちを甘やかせ、厳しく育てもしなければ、世の中悪くなるのは当然です。
 私の父はギャンブルのプロでした。そして選挙の神様と言われたものです。枕崎市議会議員に、電電の仲間が立候補したことがあります。職場では票みをしたのです。

 電電出身の男の表をたしか324票と私は記入したやに記憶しています。そうしたら、執行委員会でみんなに文句を言われたのでした。ところが開票結果と同じ票数だったのです。そして一番からビリの人まで順位と数を当てたのでした。
 電話局にいて窓口に来たお客様に選挙はよろしくお願いしますといった時「ハイ」と言えば、そういう人は投票してくれると思いこんでいるのです。全く世の中を知らないのです。

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『不動心』(第149回)

 偉大な精神にとっての人間の一生

 「偉大な精神を持ち、時間と実体にまつわるあらゆることを考察しうるほど広い視野を持った人間にとって、人間の一生などそれほど重要に映るものかね」
 「そんなことはないでしょう」
 「それなら彼にとって、死は恐れるに足りずということになるね」
 「まったくそのとおりです」(プラトン『国家』より)

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「日本の婦道」---第7回

 一體啓蒙時代の人間に免れ難い現象であるが現代人は今迄の盲目的被教育生活から放たれて、自己の悟性で一通り外物を認識し理解することに大なる愕きと誇りとを持つ。そして自然科学的法則に依って論理を操る器械となることを最高の生活の様に考へ、事物を分析し綜合して単なる知識を得ては得々として居る。彼等には空虚な概念的知識あって、深く実在の意味を掬む思想がない。更に言へば人格の陶冶が無い。随って物の皮相を小賢しく識っても、物の生命を体得する純粋な行為も直感も無いのである。301 
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玄孫が巡る-----西郷隆盛

 奄美大島・庄内・鹿児島---
 写真家・津田 直さんがか高祖父の足跡深き地へ/font>

 写真家・津田 直さん、41歳。21歳まで、西郷隆直でした。女子教育の先駆者、津田梅子に連なる母方の祖父と養子縁組するまでは。
それでも、生まれて四十数年、高祖父・西郷隆盛のことをよきにつけ、悪しきにつけ忘れたことはないといいます。
2018年は、明治維新150周年、大河ドラマ「西郷どん」が放送されます。「約30年前、隆盛が登場する大河ドラマ「翔ぶが如く」のときと同じようにどうしょうもなく気持ちがざわつく」という津田さんが、あらためて隆盛に向き合いました。隆盛は魅力的とされながらも、歴史家も悪戦苦闘する謎の多い人物。
玄孫・津田さんが足跡を訪ね、レンズを向け、その人物を繙いています。『家庭画報』2018.2月号より転載。
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 写真家・津田さんが円心会第二道場においでくださったのかひと月半前のことでした。鹿児島で郷中教育めいたことをしているところがあったら、現場を見せて欲しいと言われておいで頂きました。
 その時、津田さまといろいろお話しました。話を承って大変感動しました。

 その昔、西郷隆盛と藤田東湖と会った時、西郷さんが感動したという時と同じ位の感動を覚えました。西郷さんの末裔にはいろいろな人がおられますが、飛び切り秀でた方であったと思っています。
 津田様、この度は誠にありがとう存じました。

 先程お礼の電話をしましたが、電話対応がなく、ご不在のようでした。

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聖人の言は、恐らく浅近を以て

2017-12-27 09:53:41 | ブログ
第3284号 29.12.27(水)

或るひと曰く、聖人の言は、恐らく浅近(せんきん)を以て他(かれ)を看(み)る可からざらん、と。曰く、聖人の言は自ら近き處有り、自ら深遠なる處有り。近き處の如き、いかんぞうがちて深遠ならしむることを強(し)ひ要(もと)め得ん。揚子曰く、聖人の言は遠きこと天の如く、賢人の言は近きこと地の如し、と。願輿(いため)に之を改めて曰はん、聖人の言は、其の遠きこと天の如く、其の近きこと地の如し、と。『近思録』179

 ある人が「聖人の教えは、浅い立場から見ることができないと思いますが。」と言った。「聖人の教えには浅いところもあるし、深いところもある。浅いところなど、むりやり深める必要がどうしてあろう。揚子が『聖人の教えは天のように遠く、賢人の教えは地のように近い。』と言っている。わたしはこの言葉をこう改めてあげよう。『聖人教えは、天のように遠く、地のように近い。』」180

 【コメント】我々凡人から見たら、聖人も賢人も手の届かない高邁な所を論じるのだと思います。それでも我々は愚直にして只管学び続けたらいいのではないかと考えます。

 そういう日々の謙虚な学ぶ姿勢が、年輪を重ねるごとに難解な問題でも理解できるようになるのではないかと考えます。とにかくどんな偉いとされる人も同じ人間なのですから、あきらめずやり続けることが大事ではないでしょうか。

 長年私はわからないにもかかわらず、決してあきらめず同じことを繰り返しています。それでもとっても楽しいのです。

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『不動心』(第148回)

 砂上の名声

 名声について。それを追い求める連中がどんな精神を持っているか、何を志し、何を忌み嫌っているのか、とくと見てやるがいい。さらに、堆積した砂の層の上にはすぐ別の層がかぶさってくるように、この人生においても、今日あるものはあっという間に、明日来るものの下に埋没してしまうことを考えてみるがいい。

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「日本の婦道」---第6回

 けれども其の為に日本古来の婦人に正しい生活がまるで無かった様に軽蔑し、日本の男児に婦人に対する道心が全く欠けて居た様に罵ることは我れを忘れた逆上沙汰と云ふ外は無い。殊に武士道に対する漫罵は今や公然社会に行われて居る。私は殆ど其の無批判的な態度を怪しまざるを得ない。古来婦人が如何なる道徳思想を有し、如何に振る舞ったかに就いては、決して今日の様な浅浮な戯論を許さぬ深い意義がある。武士道は女を奴隷視したのではなく、却って婦人に徹底した人格的要求を試みたと観ることが出来る。其の點から観て私は此処に現代婦人の道徳的自覚を深刻に刺激する二三の根本問題を説こうと思う。
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生涯を決定づけた薩摩の士風----第27回

 五月、藩当局は、人心の動揺をおさえて批判をかわすため、士踊りを再興して人々を熱狂させることにした。踊りの当日は男女挙げて見物したが、郡方書役助の西郷だけは、ただ一人出動執務したと伝えられている。
 
 西郷は、安政元年七月頃、藩主斉彬の重病と世子虎寿丸の夭死を、由羅の呪詛毒殺の陰謀であると信じ、その暗殺を計画するほどであった。西郷は、その全生涯を通じて由羅の子久光とは反りが合わなかった。完

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