味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

矜高倨傲は、客気に非ざるはなし。

2016-08-31 10:03:48 | ブログ
第2801号 28.08.31(水)
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矜高倨傲(きょうこうきょごう)は、客気(かっき)に非ざるはなし。客気を降服し得て下し、而る後に正気伸ぶ。『菜根譚』
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 思いあがった、人を人とも思わない態度をとるのは、客気、すなわちから元気である。この客気を抑制しえて、はじめて人間の正しい気象が伸びる。563
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 【コメント】年若い時は、社会経験が乏しく、矜高倨傲的である場合があるようです。でも性格として矜高倨傲を形成している人間はどうすることも出来ないと思います。
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 先に強姦致傷の刑事事件を起こした青年は、若気の至りで前者に該当すると私は解釈したいのですが、それでもその代償は大きすぎるような気が致します。それを社会経験を踏まえた母が、大人が、教えなければならないと思うのです。
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 私の場合、大家族8人で育ちましたが、夕食の時、大きなテーブルを全員で囲んだ時、母が大きな声で一般論として話して聞かせてくれたものです。とにかく、いたずら盛りの私たち男の子へは厳しいでした。マイクがいらない程大きな声でした。
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 8月も今日で終わります。あの蒸し暑かった日々でしたが、短パンをはいていると、ヒンヤリ致します。10数年前、荘内へお伺いした際、小野寺先生たちが荘内の全域を案内してくださいました。
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 月山神社へ行った時、寒さで私がブルッと震えたら、小野寺先生が、「寒いですか」といったことが思い起こされます。薩摩と荘内では違うのですね。

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『臥牛菅実秀』(第336回)
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 武村にある西郷の家は柴垣にかこまれ、小さな門には西郷吉之助と書いた木札がかかっていた。門の右手は物置小屋で、そこには猟犬かつながれていた。左手は戸の口で土間になっており、別に玄関はなく、庭を廻って座敷に上るようになっていた。
 庭には、
  我が家の松籟 塵縁を洗う
  満耳の清風 身 僊ならんと欲す
  誤って京華名利の客と作り
  斯の声 聞かざること已に三年

と西郷が詠じた巨松が四、五本そびえており、そこからは鹿児島の屋並をへだてて、桜島の雄大な風光が一望された。
 座敷は、四方の壁にワシントン、ナポレオン、ペートル、ネルソンの銅版画がかけられているだけで、すこぶる簡素なものであった。この座敷で荘内の人たちは、それぞれの胸に、高く深い西郷の心の響きをシッカと刻みこんだのであった。

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『農士道』(第611回)
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 勿論今日かくの如き多種多様の指導機関の発生を見るに至ったことに就いては決して理由なしとせぬ。之を自然の現象に就いて見るも、春夏の侯、草木が生長し繁茂して行く時季に於ては必然の理法として「末」の作用ん゛強く働き、随って分裂的傾向が盛に行はれ、一より二、二より四と、農村関係の団体も「多」へ----「多」へと多きを加えて来たのであって、明治より大正にかけては正にかかる時勢にあったのである。農村に於ける最大の指導機関は何といっても学校と役場との二つであらう。
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哲を命じ、吉凶を命じ、暦年を命ず。

2016-08-30 10:02:50 | ブログ
第2800号 28.08.30(火)
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哲を命じ、吉凶を命じ、暦年を命ず。『書経』
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 天の神は、人間に道徳や知識を命じ授け、運命の吉凶を命じ授け、あるいはまた生命の長短をも命じ授ける。すべては天の心のうちにあるのだ。(成王のことば)214
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 【コメント】上の訓戒は西郷南洲翁も言っていると私は思っています。勉強不足の我々には真意はわかりませんが、天の神も絡んでいると思って、真面目にすることが要諦ではないかと思います。
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 今朝の読売新聞世論覧に、東京在住の高校生が、私は普通の人々より優秀でエリートなのだと主張しているのを拝見しました。そして別世界に生きるのだと捉えました。
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 誰がどんな考えを持とうが自由ですが、他人様に迷惑をかけず、しっかりと仕事をし、そして真摯に学問を積み重ねていけばいつか目的とする回答が出てくると思うことでした。
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 現在高校生の人間が理想論だけをふりまわした場合、上手くいかない場合心の病にかかることがあるのです。
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 台風10号が東北方面に向かっていますので、十分お気をつけて安全対策を施してください。
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 メディアでは強姦致傷を起した青年のことで、賛否両論ありますが、親は、先輩は、してはならないこと、万一事件化したら大変な騒ぎになり、一生が台無しになるということを噛んで含めて教えなければならないと思うのです。
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 加害者の青年は、とにかく我慢が出来ないということをテレビを通じて発していました。事件を起こした加害者として拘置所にいるであろう本人は、今でも我慢できない気分なのかを聞いてみたいものです。
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 その我慢できない気持ちを甘えというのです。それを親は教えなければならないということです。

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『臥牛菅実秀』(第335回)
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 そしてそれに続く歓談は、そばに控えていた人たちも『覚えず胸間爽朗として真情に帰る』思いをしたというが、南国の陽光のように、いささかのかげりもない心胸と心胸を吐露しあう西郷と実秀のありさまは、そばに居た人たちに深い感銘を与えたことであろう。
 このとき西郷は木綿の細縞の単衣に同じく木綿の袴をつけ、短い合口を脇差にしており、その体躯は普通の人の二倍ぐらいで、眉毛濃く目大きく、一見、尋常の人とは見えなかったと『薩摩紀行』にある。
 この日から一行が鹿児島を去るまでの二十日間、あるときは実秀ひとりで、あるときは数人打ちつれて、しばしば西郷の家を訪ねたのであった。

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『農士道』(第610回)
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    第三節 農 政 改 革
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 前二節に於て主として農家の実際生活に関して考究した次第であるが、更にこの「本」の原理を農政問題に適用して、
 一、指導機関の統制
 二、救農対策
 三、施設の恒常化
の三點について指南を求めることとする。

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    一、指導機関の統制
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 今日農村の指導機関が、雑多に乱立して、余りにも其の数多く、其の関係も亦分裂的にして、甚だしきに至っては往々排撃的ですらある状態に至りつつあることは、少しく農村に心ある者ならばひとしく認識する處で、之を何とかして統一せねばならぬといふことは痛感して止まぬ處であらう。
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無為の事に処り、不言の教えを行なう。

2016-08-29 09:58:32 | ブログ
第2799号 28.08.29(月)
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無為(むい)の事に処(お)り、不言の教えを行う。『老子』
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 聖人は、仕事にあたってはなにもしない、無為の状況にいる。また、教えをなすばあいにも言辞を用いない。
 この無為の政治、不言の教えが聖人の行う真の道である。318

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 【コメント】老子からみた聖人論を紹介していますが、そういう考え方もあるでしょうが、その考え方を支持する人は少ないと思います。それが総てではないでしょう。
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 手をとり足をとり教えるという言葉を遣うこともありますが、それとなく気づかせるというやり方もあるのです。また分らない人には手取り足取り教えなければならないのです。
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 それは相手の力量を考えてのことです。今、話題の強姦致傷のお兄ちゃんには、母親は何も教えず、無為の状況にしていたのでしょう。
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 今朝も芸能界のおじいさまが、事件を起こした青年に対して厳しく論難していました。それは当然でしょう。
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 一方、フジテレビの小倉氏は、外国ではこの種の犯罪でそんなに騒がないのに、日本では騒ぎ過ぎるといいました。小倉氏にいいたいです。事件が起ったのは日本という所なのです。
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 日本で起きた事件は、日本の法律で裁くのが当然です。そしてそれぞれの国の生活文化は異なるのです。とにかく、甘やかすことが最大の原因なのです。
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 空手道教室に来る子供たちに聞いてみました。生れて来て、何がいいのか悪いのかわかりませんよね。そのまま親も誰も教えなかった場合、大人になってから大変な事件を起こして、刑務所にはいるとします。それでいいですか。
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 悪いことをした場合、しようとした場合、怒られ顔を打たれたとします。その時は痛いでしょうが、血が出るとかいうことはありません。うたれた痛さはすぐなくなります。
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 そういうふうにして、ひとつひとつ覚えて行くのです。刑務所に入った方がいいか、厳しく叱られた方がいいですかと問えば、厳しく叱って教えてくださいと子供たち全員が回答するのです。
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 高畑おばさんみたいに、甘えさせた場合の代償の損失は計りなく大きいのです。厳しく叱る事は愛情の一貫なのです。ただし、学校でもでしょうが、憎しみを含んでの体罰はよくありません。
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 16歳の子どもたちが一人の子供をなぐり殺した事件が発生しましたが、このワルの子供たちは刑務所に収監されても悪いとは思わないものでしょうか。親はどんな育て方をしたのでしょうか。
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 いつも書いていますが、『南洲翁遺訓』を学ぶ、漢籍を繙くことほどいいことはないと思っています。

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『臥牛菅実秀』(第334回)
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 翌日、まづ実秀はひとりで西郷宅を訪問したが、折悪しく遠方に狩に行っていて、いつ帰るか今のところわからないとのことであった。これは後でわかったことであるが、西郷は政府から役人が来たのを避けて山に入っていたのであった。
 西郷不在と知って落胆した一同は、その帰宅の日を待ちつづけていると、五月二十二日の午後、宿の主人があわてふためいて、
「西郷様がおいでになりました。」
と告げに来たので、驚喜した一同は、あたりを取りかたづけて出迎えようとすると、西郷はもう二階の階段をのぼってくるところであった。
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 四年ぶりで会った西郷と実秀の互いに喜び会うさまは、これまでいかに深い心の交わりを結んでいたかが窺われたと石川は『薩摩紀行』に書いている。   

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『農士道』(第609回)
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 かかる點から見て、私は彼の荀子が其の楽論に於て「楽は人間自然の楽しむという心から発したもので、これをなすということは人情の免れざる處である。だから人間の自然の情として、楽しみを全然無くするということは出来ない。而して楽しめば必ず之を声音に発して音楽となり、動静に形(あらわ)して舞となるものであって、是が人の道である。だから音楽と舞楽とは人間の性情発現の変化が盡く存するものである。故に人間は楽しまないということは出来ず、楽しめば声音や舞跳に形れざるを得ない云々」と論じてゐるが、農家生活の本質から見て、かかる部面も亦十分考慮すべき處であると思ふ。
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 註 農村祭典の行事中には「禮」と相待って「樂」に関するものが随分多いが、それに就いては別巻に改めて詳述することとする。
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小児を教うるには、先ず安詳恭敬を要す。

2016-08-28 10:58:49 | ブログ
第2798号 28.08.28(日)
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小児を教うるには、先ず安詳恭敬(あんしょうきょうけい)を要す。『小学』
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 子どもには、安詳恭敬の四つの綱領を教えることが大事だ。
 「安」は、もの静かで落ち着きのあること。「詳」は、物事をゆるがせにせず、こまかに注意すること。「恭」は、おごそかで、みだらなふるまいをしないこと。「敬」とは、心に慎みを持つこと。308

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 【コメント】大変良い言葉ですが、「恭」は、人を大事にすると同時に、おごそかで、みだらなふるまいをしないこと、そしてやりだしたことは、「継続」しつづけることを追加したいと思います。
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 これは連日といっていいほど、子どもたちの心がすさんできている証として暴力事件など非違行為が発生していると思われるからです。
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 16歳の子どもが、知り合ったばかりの子どもたち数人から石で顔を殴られる場面を想像しただけでも、鳥肌が立つ思いです。人の心など関係なく、成績がよければいい。要求を勝ち取れさえすればそれでいい。義務など関係なく権利だけを主張すればいい、という戦後風潮の社会構造が産んだものだと私は思います。
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 そこでテレビ局もくだらない番組だけを放送せず、心が洗われるような良質の番組を報道して貰いたいものです。
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 私の学校時代の生徒たちの非違行為をこの処書いてきましたが、その男たちは結婚前のことですから、婦人たちは自分の旦那様には関係ないと思っておられる方が多いのです。
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 しかしこれらは、幼少時代からの親の育て方によって「性」(さが)として形成されているので、いつ爆発するかわからないと思います。そして行った非違行為に対しては、天は厳然と対処すると私は見ています。それにしても甘やかせて育て、強姦致傷という刑事事件に発展する事件を起こした母と子は、何と総括していることでしょう。
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 昨夜の空手道教室には、入会したばかりの高齢者の方もお見えになりました。64歳から再度始める方だけに、大変真面目な方だとお見受けしています。私の花柳流の舞姿をみて、そして蔵書をみて相当発憤した様子でした。とにかく、年齢に関係なく、やり続けることなのです。そして細かな世評など気にしないことが要諦だと思います。
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 今後の空手道修行に対する思いをお聞きしましたら、大変な情熱をお持ちの方でした。円心会のよい仲間になると信じています。
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 一方、小学2年生の新入会者は、先に入会した子どもたちが、『南洲翁遺訓』を暗記しているため、それに追いつきたいということなのでしょうか、それはそれは真面目に拝誦してくださいます。
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 こういう子どもたちは、女性を部屋に引きずり込んで、強姦致傷をすることは絶対しないのです。それは、加害者になった場合の人生の悲惨さ、折角の人生を自分で棄て去り、自分の非違行為が自分の首をしめる苦しさ・悲しさを存分におはなしするからなのです。
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 それと聖賢のお話をするからです。君たちも聖賢になれるのだよ、と具体的に説明しているのです。そのために『南洲翁遺訓』を徹底的に覚えてくださいとおはなししています。

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『臥牛菅実秀』(第333回)
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 この三太郎峠の中で最も高い佐敷太郎から望むと、正面に天草の島が浮び、左には目指す鹿児島の地がはるかに見えた。
 しかしここから鹿児島にたどりつくには、まだ四日の工程が必要であった。一行は五月なかばの急に暑さをました南国の日射しの中を歩きつづけた。
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     (四)
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 五月十七日の夕暮れ、一行はついに西郷隆盛を生み、西郷を育て、そしていま西郷が引きこもっている鹿児島に着いた。
 ここまで辿りつくには、東京滞在の期間を除いて五十日の日数を要したわけである。
 一行の宿は旧御客室跡である鵜飼清太郎旅館で、さきに忠宝と同行してドイツに行った川村純義のあっせんによるものであった。

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『農士道』(第608回)
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 一見すれば、梅や桃の花は、實を結ぶ為のものであるから、其の點だけを取って見れば、雌蕋一本以外のものは皆無駄だということになるであらうが、其の無駄と見ゆる花瓣や密が無ければ蝶も蜂も訪れず、随って實も結ばぬということになるであろう。同様に橋の巾は、如何なる断崖の上と雖も人間の足の巾たる三寸もあれば足りる、それ以外の巾は無駄だということになるであらうが、それでは渡る人が無いといふことになるであらう。荘子が「無用の用」ということを力説しているが、無駄必ずしも無駄ではない場合が随分ある。
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善を嘉して不能を矜む。

2016-08-27 09:47:32 | ブログ
第2797号 28.08.27(土)
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善を嘉(よみ)して不能を矜(あわれ)む。『論語』(子張)
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 君子は、能力のすぐれた人物の善い点をよろこんで大事にし、反面、平凡で能力のない人々をも、疎外することなく、その不能をあわれんでやる。91
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 【コメント】『南洲翁遺訓』第六章には、次のようにあります。「----世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、其の長所を取り之れを小職に用い、其の才芸を尽くさしむる也。---」
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 『論語』がいう「不能を矜む。」よりも、平凡で能力のない人間でも、その人にできる仕事がある筈だから、その能力を発揮させたいものだという『南洲翁遺訓』の訓戒は流石だと思います。
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 発達障害の人たちが生活している施設に侵入し、19人の人々を殺害した事件から昨日でひと月経ちました。親から見たらどんな子供さんであっても宝物だと思います。
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 どんなことがあっても人を殺害するということはあってはならないと思います。この処、中学生の子供たちを含む集団が、知り合ったばかりの子供を石で殴り殺し、土を掘って埋めたという事件が発生しました。
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 平和団体等が人権・人権と声高に叫んでいるのは、被害者となる人の人権ではなく、自分たちの人権のような気がしてならないのです。
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 昨日のブログでは教育現場での愛の鞭が、暴力か否かで議論が展開されたと書きました。将来の間違いを防止する上からも、徹底した躾(厳しい愛の鞭)が要求されると思うのですが、私の考えがおかしいでしょうか。事件が発生してからではどうすることも出来ないのです。
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 高畑淳子氏の息子・裕太氏は「ごめんなさい」と言っているそうですが、強姦致傷をした以上はごめんなさいも何もありません。育て方がなっていません。
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 刑に服する前に、それ相応の厳しい躾けがあれば、事件を起こしてはいないのです。
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 こういった諸々の事件は何時の時代でもあります。でも頻度が多すぎると思います。そして「いじめ」られて自殺する事件では、椅子を蹴られたということです。その是非は論じません。
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 ただ私は、空手道教室に来る子供たちに、実害がない以上、恐れるな・怖がるな、一つ二つなぐられても死にはしないのだから、と檄を飛ばしています。
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 そういうワルをする連中は必ず早死にをするから、事実は忘れず、でも怨まず、身を修める学問に没頭すると同時に体力強化にも取り組みなさいと話しています。
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 私の同窓生であったワルの連中は、それはそれは凄いいじめをしていました。殆ど死に絶えましたが。「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、ここに書くのが憚られます。
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 人生で何が一番よいかと問われれば、聖賢の訓戒を学び、かつ、実践することだと信じます。西郷隆盛、菅 実秀、菅原兵治先生方の教えと生き様を学ぶことだと思い、ブログで紹介しているのです。
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 ただし、刊行する著書では、西郷隆盛・菅実秀・菅原兵治と書き、敬称は略します。歴史的偉人には通常敬称はつけないものと承知しているからです。

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 民進党の代表戦が行われるやに報道されています。その代表者選に出る御仁が、「躾を厳しくしなさい、悪い子供たちには体罰をするべきだ」と発言すれば、世の人々は幾らか認める人も出てくるかも知れないと思うのですが。
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『臥牛菅実秀』(第332回)
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 このように、まるで先生に引率されて遠足にでかけた児童のように嬉々として一行は南に下っていった。 長崎からふたたび船に乗った一行は島原と天草の間を通過して五月十一日に肥後(熊本県)に上陸した。島原は実秀の先祖善左エ門が奮戦した土地であり、肥後は先祖の生れた土地であった。この肥(火)の国の男性的な風光と、まぶしく溢れかえる陽光は、陰気なじめじめしたことを、ひどくきらっていた実秀の性情に強く響き会うものがあったろうし、祖先の血を脈々と感じたことであろう。
 五月十三日、一行は名にし負う三太郎峠にさしかかった。この峠を二年後に怒りに燃えた鹿児島健児が、熊本鎮台に殺到していこうとは誰も予想もしなかったことであったろう。

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『農士道』(第607回)
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 かかる點から最後に一考を要したい一事がある。よく近来無駄を省けといふことを聴く。無駄は勿論省くべきである。然し其の為に、深く其のものの価値弁え得ずして、之を無駄と速断し、其の實、全体的生活に対して複雑微妙なる関係あることに気付かないことが往々にして有り、無駄と思って省いた處が、其の結果其のものが案外にも無駄では無かったことに驚くことが屡々あるものである。
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