味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

清明、躬に在れば、気志神の如し。

2015-07-25 12:04:32 | ブログ
第2400号 27.07.25(土)
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清明、躬に在れば、気志神の如し。『礼記』
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 身に、清らかで明らかな心を保っていれば、その志気は神のような働きをする。大いなる仕事をなすには、心をきれいにしなくてはならない。(孔子のことば)
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 【コメント】上の『礼記』の言葉はまさしくそのとおりだと思います。心をきれいにとは具体的にどういうことかと聞かれたら、『南洲翁遺訓』の精神のとおりですです、と答えればいいと思います。
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 昨夕は海江田愛実嬢がサッカーのし過ぎでしょうか、足と腰が痛い痛いというものですから、健康スポーツランドに温泉治療につれて行きました。私は左肩が痛くなった4年前、温泉治療で治癒したのでした。ただ、急によくなるというわけけではないので、ゆっくり治療をするようお勧めしました。
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 今朝の学問館は谷山小学校6年・竹之内君も来てくださいました。
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 学問館の教材は、
 1.幻の講話 第三巻 第二十五誥 特殊の才能を持つ女性に
 2.当下一念
 3.感性が理性を超克する瞬間
 4.立腰教育で日本の未来を照らす
 5.盛衰の原理
 6.立志照隅----等々でした。
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 〈石巻には港を見下ろす丘に大きな神社がある。その祭りを町を挙げて祝っていた。海を見晴らす丘に海神を祀るのはギリシャも日本も同じだが、ギリシャの神ははげ山の中の遺跡と化している。しかし、日本の神は豊かな鎮守の森に包まれて社に鎮座し、住民がこぞって祝っている。「古代ギリシャ文化はもはや死んでしまったが、古代日本文化はいまもまさに生きているのです。」
 この事実は何を物語るのか。ギリシャ神話は有名だが、神々の系譜は神話の中だけで完結、断絶し、いま繋がってない。これに対して日本は、天照大神の系譜に繋がる万世一系の天皇という具体的な存在を軸に、我われの先祖は目に見えないもの、人知を超えたものを畏敬し、尊崇する心を、二千年以上にわたって持ち続けてきた、ということである。
 目に見えないものへの畏敬、尊崇の念は、自らを律し、慎む心を育んでいく。
 「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らむ」という心的態度はこの国に住む人たちに共通した価値観となって定着した。言いかえれば、私たの先祖は「自反尽己」に生きたのだ。自反とは指を相手に向けるのではなく、自分に向ける。すべてを自分の責任と捉え、自分の全力を尽すことである。そういう精神風土を保ち続けたところに、この国の繁栄の因がある。〉「盛衰の原理」(2011-1 致知)
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『大学味講』(第237回)
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   第八節 善以て宝となす
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 楚書に曰く、楚国は以て宝と為す無し。惟善以て宝と為すと。
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 註 釈
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 善以て宝と為す=善人を以て宝という意味である。
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『論語』(第337)
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 子曰はく、邦道あれば、言を危(たか)くし行ひを危くす、邦道なければ、行ひを危くし言孫ふ。
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 孔子が言うには、「国が治まって道が行われている場合には、正しいと信ずる所を遠慮なく言い断固として行う。国が乱れて道が行われていない場合には、正しきを行うべきは少しも変りがないが、言葉は当たり障りがないよう注意せねばならぬ。」
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『農士道』(第216回)
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 遺伝の法則といふやうな模型的算式で之等を説明し尽したと誇り居る者は暫く措く。苟も之を自己直接の問題として深思する時、果して疑いなきを得るであろうか。我を何故にこの「境遇」の上に置きてこの世に送り出せしか、我に何故にこの天稟の「性質」を與へて此の世に生れ出でしめしか、そは思うことの切なれば切なるほど、誠に摩訶「不可思議」である。
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