味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

其の人存すれば則ち其の政挙がる。

2014-08-31 13:00:33 | ブログ

タイトル----其の人存すれば則ち其の政挙がる。第2074号 26.08.31(日)

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 其の人存すれば則ち其の政(まつりごと)挙がり、其の人亡すれば則ち其の政息(や)む。『中庸』

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 しかるべき立派な人が位にいれば、政治は立派に成績が上がるが、しかるべき人が亡くなってしまうと、そのとき政治はだめになってしまう。

 政治のうまくいくか、いかないかは、一に人物の有無による。

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【コメント】

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 これは一人政治だけでなく、組織を動かす地位にある人を指しているものといえましょう。人を組織し動かすということは、そこに私心があってはならないと思います。先ずは金儲けです。

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 昭和の碩学と言われた安岡正篤師は、ある総理経験者を指して、退任後、親族に金を含む財産を残していなければ、名宰相として歴史にその名を輝かしているのだけど、残念だ、ということを書いています。同感です。

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 そういう処世の要諦を哲学として腹中に収めることが出来、そのとおり実践出来るか否か、かかって人物によるということです。そこに学問が要求されると思います。だから『南洲翁遺訓』他漢籍を繙かなければならないのです。

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 そういった意味で『南洲翁遺訓』を子供たちに教える仕事をしている私は果報者だと思っています。毎朝、道場の榊のお水を取り替え、礼拝の後、『南洲翁遺訓』を唱え、荘内南洲会の歴代の先生方へ誓いのご挨拶をしています。

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 万一私に大変な病がきた時は、私の行いがわるいからだと若い師範たちに申しているのです。

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 今朝のNHK報道で、「災害列島ニッポン 命を守るためには」が放映されました。識者と言われる人々がいろいろ意見提起した中で、〈日本人を強靭化すべきだ〉 という発言がありました。全く同感です。

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 災害に対しても、各人が日々の生活の中で万一に備えて考えなければならないのです。避難指示が出た、勧告が出たと言う以前に、それぞれが考えなければならないのです。何もかも人の所為にするのはよくないのです。交通事故だってそうでしょう。これは平和教育がもたらした主体性のない人間づくりの悪弊と言うべきでしょう。

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 台風銀座と言われた日本列島最南端の枕崎で育った私は、台風が近づいてきた時は、港に行き、防波堤に打ち付ける波しぶきを見に言ったものたものです。その時、大人の方々が空模様をみて解説をしてくれたものです。

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 現在、曽野綾子著『人間の基本』を読んでいますが次のくだりがあります。

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 〈戦後、日教組が「人間はみな平等」というおかしな平等意識を作りあげましたが、先生と生徒は決して平等ではありません。中にはおかしな先生がいるとしても、知識においては先生は子供より絶対的に卓越した存在ですから、平等ではありあり得ない。それと同じように、子供は小さい時は親に庇護される者であり、いつかは追い越して親の方が庇護される日が来るとしても、絶対に平等ではないのです。〉

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 『臥牛先生遺教抄』 (第14回)

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 十四、一家の内皆己を悪しと思う者集まればよく治まり、自ら善しとする者集まれば治まらぬなり。その故は若し不都合の事ある時、主人吾悪しき為かようになりたりと言えば、倅はさにあらずおのが悪しき為なりと。妻も嫁も二三男も同じようにおのが悪しき為なりという家は善く治まり、是れに反して主人吾は善けれども倅が悪し、倅は吾は善けれども親父が無理なり、又妻や娘や二三男も互いに非を人に負わする家は始終風波荒立ち、治まりかぬるものなりと聞く。近き譬えなり。味わうべし。

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『論語』 14

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 子いはく、君子は食飽くことを求むるなく、居安きを求むるなく、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正すを学を好むというべきのみ。

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〔訳〕 孔子が言うには、①学問修養に志す人は、飽食にして安楽な住居を求めようなどと思うてはならぬ。

②為さなければならないことは即実行し、無責任な言論は慎まなければならない。

③有徳の人をさがし求めて近づき親しんで、自分の誤りを正していけるような人であったら、本当の学問好きというべきであろう。

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 昨晩の道場風景

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 5歳児・悠佑君と小学3年・桑畑栄輝君に、昨晩黄色帯を贈呈しました。

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 強く正しく、広く深く、前向きに、辛抱づよく、そして人に優しい人間に育って欲しいと念じています。とにかく諦めないことなのです。

 そして人から何を言われても、出来るだけ気にしない、打たれ強いしぶとい人間になりましょう。

 何が悪いと言って、自ら命を絶つこと、これはよくないと思います。


天民なる者あり。

2014-08-30 16:11:30 | ブログ

タイトル----天民なる者あり。第2073号 26.08.30(土)

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 天民なる者あり。達して天下に行うべくして、而る後に之れを行う者なり。『孟子』

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 天民と呼ぶべき、天命を自覚している人がある。それは、栄達して、天下に仁政を行うことのできる境遇を得たならば、世に出てその道を行う人である。

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【コメント】

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 この所を読んで『菅臥牛先生だ!』と思わず口走ってしまいました。『南洲翁遺訓』との出会いのお蔭で荘内の先生方を存じ上げ、荘内南洲会会館にある本を戴き連日筆写し、またブログでもご紹介しています。

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 私が師事して来た竹下一雄先生もそういう人であったと思います。同時に詩吟を教わった、指宿の大師範も頷いていると思います。

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 竹下先生宅に30年通いながら、数多のことを教わって参りました。竹下先生は酒豪でした、私もですが。荘内の先生方はまだ酒豪ですが。

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 お互い盃を酌み交わしながら、竹下先生曰く、「味園さん、西郷さんもよかったどんな、あたや(私は)菅先生が上じゃっちおもどんなぁ」と何時も話してくれたものです。『南洲翁遺訓』は荘内の精神なんですよ、とも言っていました。

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 今日の学問館は867回目でした。西郷南洲翁の漢詩・失題を小学一年正田宗一郎君、妹3歳児・佳那子ちゃんも交えて、読み下し文を読みました。お兄ちゃんの宗一郎君は、自ら『南洲翁遺訓』を暗記してくるのです。とにかく凄い兄妹です。

 親から見たら、我が子ほどかわいい存在はないと思います。ならば何故、英邁な先生方を見習おうとしないのでしょう。円心会で修行する子どもたちと、メディアに踊らされる子どもたちと、50年後、どちらが幸福感を味わうことが出来るでしょう。

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 菅先生いはく、「堯・舜を以て手本とし、孔夫子を以て教師とせよと」と言った西郷先生を尊敬するようになったと言うではありませんか。

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 『臥牛先生遺教抄』 (第13回)

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 我が我がという者一人にても出ずれば、国は勿論一家と雖も忽ち破るるものなり。人々道を学び反省する時は、自ずから一和してよく治まるなり。故に学ぶこそ国家永続の基なれと、常々誡むる所なりと。

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 『論語』 13

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 有子曰はく、信、義に近づけば、言復むべし。恭、礼に近づけば、恥辱に遠ざかる。因ること其の親を失はざれば、亦宗とすべし。

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〔訳〕 有若が言うには、①「人と約束するときは、実行できるかどうかを考え、正しい道理に近づくようにしておけば、後々後悔することはない。

②人に恭敬を尽すとき、傲慢、卑屈を考慮し礼節に基づくようにしておけば、恥辱を受けるようなことはない。

③人つきあいもその親しむべき相手を得るならば、修身その人を信頼尊敬でき、全うすることができるものである。

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 『論語』などが何故三千年の間、読み継がれているのでしょう。処世の要諦を説いているからだとも云えましょう。

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 理子先生、お会いできる日が。一日一日近づいて参ります。その節は名曲を堪能させてくださいませ。


足ることを知れば辱しめられず。

2014-08-29 16:39:31 | ブログ

タイトル----足ることを知れば辱しめられず。第2072号 26.08.29(金)

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 足ることを知れば辱しめられず。『論語』

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 満足ということを知れば、決して過ちを犯すことなく、自然、世間から恥辱を受けることもなくなってくる。

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【コメント】

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 自らが満足するということは、他人様と相争うことではなく、他人様へも譲る気持ちになることでもあります。所が人間、自分のことしか考えず突っ走り争うことになります。若気のいたりというのもこの部類に入るでしょう。

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 だから私は他人様と競争せず、自分と競争することにしています。尤も根気比べで私に勝つ人は少ないでしょう。福岡の仲間の師範が私とつきあったら、三日で死んでしまうといったことがありました。とにかく寝なくてもいいのですから。

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 昨晩の空手道おけいこもにぎわいました。3歳児・かなこちゃんの『南洲翁遺訓』第一章発表には驚くばかりです。一部自信がない所があるみたいなので、小学一年の宗一郎君に自宅で指導してもらうようお願いしました。

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 それにしてもご両親から受け継いだDNAだとしても、日本一すばらしいと思います。政治家も経済人も経済、経済といっていますが、そんなに走り過ぎなくてもいいのではないかと私は思います。諸々の災害もその反動でくるのではないかと言う人もいますが、事実はどうなのでしょう。

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 『臥牛先生遺教抄』 (第12回)

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 毎日なれば最も善けれども、折々大奮発して昨日迄の我にては済まぬものと心の大掃除をなし、新たになりて学ぶこそ実に肝要なれと。

 (この私は毎日、毎日、そのようにしてきました。今もしています。)

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『論語』 12

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 有子いはく、礼の用は和を貴しとなす。先王の道、これを美となす。小大之に由れば、行はれざる所あり。和を知って和すとも、礼を以て之を節せざれば、亦行はるべからざるなり。

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〔訳〕 有若が言うには、①「礼は貴賤長幼等の秩序を定めて、その性質が厳格なものであるが、和すなわち和やかさが貴いのである。

②これが先王の道、いわゆる堯舜文武というような昔の帝王の道の美しさはそこにある。

③しかしまた、小事も大事も和の一点ばりではうまく行われないこともある。

④和の大切さを知って和らぐにつけても、礼の効用で折り目正しくしめくくりをつけないと、結局具合よく行かないのである。

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 短歌の紹介

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礼はもと貴賤長幼秩序なり

        厳しさ合わせ和やかさよし 6901 博庵語録


為さざるなり。能わざるに非ざるなり。

2014-08-28 15:47:46 | ブログ

タイトル----為さざるなり。能わざるに非ざるなり。第2071号 26.08.28(木)

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 為さざるなり。能わざるに非ざるなり。『孟子』

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 できないというのは、多くの場合やらないからである。何事もやろうと思えばできるはずである。

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【コメント】

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 出来ないというの、はやらないからだというのは正論です。私は他人様の三倍くらいの御稽古ごとをしてきました。それはそうしなければならない家庭事情があったからです。

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 父が残した借金を返済するために、御稽古ごとをし、マスターした後人さまへ教えてお金を戴く、それで借金を返すといやり方でした。

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 とにかくじっとしておれないのです。身体を動かし働かなければならないのです。それが習性化して今日に至っているのです。だから75歳の後期高齢者になっても実践しなければならない身体になってしまったのです。

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 健康で長生きしたい人は私の真似をしてください。労働組合がいう、仕事を減らせ、金は余計にやれというのは、天の理に反しているのです。

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 ですから、出来栄えの差はありますが、実践し続けることが成就への道だと思います。

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『臥牛先生遺教抄』 (第11回)

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十一、 或る時仰せらるるには、予学才に乏しく文盲も同然なり、されども世の学者先生万巻の書を読みても、身に行わぬ者より優れりと自ら誇れり。予は諸先生の教えを守り、何事も之を標準として行えり。某々の二子は才気も人に優れ学問もあり、平日は学者を以て自ら居れども、いざという時に会えば聖賢の格言を抛却して、自力を以て処置するなり。故に毎度戯れにその人に向かいて、予文盲と雖も足下に比せば学者なり。足下の学問は事ある時の用に立たず、予より見れば文盲なりと言い合えり。総じて自力を以て推し通す者を俗人見て力張りと思い、教えに依る者又は人に謀りて事を処置する者を無気力と思うは大なる間違いなり。

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 『論語』 11

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 子いはく、父在(い)ませば其の志を観(み)、父没すれば其の行ひを観る。三年父の道を改むるなきを、孝と謂ふべし。

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〔訳〕 孔子が言うには、

①「父の存命中はよく父の気持ちを察して其の心に違わぬように心掛けることが大事である。

②父の没後は其の行いを思い出して其の跡を踏もうと努めるべきであって、父のやり方に面白くないことがあっても、父が死んだからといってすぐさまやめてはならない。

③せめて喪中の三年ぐらいは父の道を改めるに忍びないという心があってこそ、親孝行というものである。

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親を親しむが故に祖を尊ぶ。

2014-08-27 18:09:36 | ブログ

タイトル----親を親しむが故に祖を尊ぶ。第2070号 26.08.27(水)

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 親を親しむが故に祖を尊ぶ。『礼記』

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 親は親として親しむ。その心を推し進めれば、当然祖先を尊ぶことになる。祖先を尊ぶ行為は、人情に遠いことではない。親を親しむところから起ってくる自然の情である。

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【コメント】

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 連日超多忙の日を送っています。この連日とは、半世紀の間です。24日、道場訪問をしてくださった吉村松玄先生も、年齢に偽りがないかというより、75歳にして空手道を指導しているその元気さが本物か、確認したのであろうと思います。初めてお会いした時、六十何歳ですか、とお聞きになりました。75歳です、と申したら、若い・元気だと言ってくださいました。

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 思うに私の元気さは、出し惜しみをしないからだと思います。母は私たちが幼少の頃、「難儀は買ってでもせよ」、と口癖に言ってくれたものです。だから電電公社・外線時代も気が狂っていると思われる位、働いたものです。ただ、白波の恩恵はあると思います。母は勉強をせよとは言わなかったような気がします。

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 人間は必ず死ぬのです。だから、死なないで生きている間は、死にもの狂いでしようというのが私の考えです。中村天風師も死なない内に死ぬ事を考えるな、と言っていますが、同感です。とにかく生きている今に挑戦し続けるのです。そしたら病気にはならないのです。

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 取り柄はありませんが、真面目さと、気一本、手を抜かないことです。五年前、慈眼寺団地町内会長を受けた時は、一円の不正もしない、仕事は24時間やると決めてとりくみました。当時、私みたいに働いた町内会長はいなかったと思います。ゴミ収集車の運転手がなぜ、そんなに働くのですか、と私に聞きました。働くことが元気につながるからです、と答えたものです。

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 その昔、会社の身体の大きい後輩の連中が、チビノクセニ、とか、いろいろ言ったものです。それでも知らぬふりをしていました。その連中は今はヨイヨイになっています。ヤクザの一歩手前のチンピラたちでした。本を読むなどは一切ありませんでした。

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 私が谷山の八色書店に本を注文して読むものだから、調査員の偉い人が、会社の仲間たちはみんな馬鹿に見えるでしょうね、といったことがありました。私は他人様のことをそのように見たことはありません。ひと月に40冊注文したことがありました。普通の人が読まない本ばかりでした。これが今日、最高の栄養になっているのです。

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 仕事が人間を創る、知力・能力を高めるのです。善き、意義ある人生を楽しめるのです。現在、終日私のやっていることをみれば、明日は棺桶なのに、何故そんなことをするのかと不可解に思うでしょう。私は連日、40年間に録音した『自助論』『運命を拓く』等々を聞き、そういう歴史的偉人・達人・聖賢の人々に負けてなるものかという意気込みで頑張っているのです。

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 テレビ等が紹介する「サプリメント」の類は一切口にしないのです。それらが一番身体に害があるとは識者・医者らの申すとおりです。だから白波があればいいのです。

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 そして大事な事は、天の道に反しないことだと思います。『臥牛先生遺教抄』もブログで紹介していますが、臥牛先生は南洲翁が言う「堯・舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよ」と言われ、西郷隆盛を尊敬するようになったと書いてあるではないですか。

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 『臥牛先生遺教抄』 (第10回)

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一〇、平生蒸発気さかのぼり日々新たになり、昨日の我にては済まぬとの元気を奮いて学べよと。

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 『論語』10

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 子禽子貢に問うて曰はく、「夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く。之を求むるか。抑(そもそも)之を与ふるか。」子貢曰はく、「夫子は温良恭倹譲以て之れを得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか。」

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〔訳〕 ①子禽が子貢に「先生は何処の国へ行かれても必ず政事向の相談にあづかられますが、先生の方から求められるのですか、それとも又先方から持ち掛けられるのですか。」と問うた。

②子貢が答えて言うには、「先生の温・良・恭・倹・譲の五徳を備えているからそのようなことになるのであって、先生は天下の政治をよくしようと思って諸国へ行かれるのだから、先生の方から求めるのだといえないこともないが、先生の求め方は世間の人の求めるのとは異なっています。」

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短歌の紹介

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人は皆人世のために生れ出ず

          道外れれば行く先地獄 6900 博庵語録