タイトル----『南洲翁遺訓』の紹介。「兼て気象を以て克ち居れと也。」 第673号 22.11.30(火)
己れに克つに、事事物物(じじぶつぶつ)時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気象を以て克ち居れよと也。『南洲翁遺訓』(第22章)
己に克つとは、いろいろな事柄が発生したその時やその場において勝とうとしても実現出来ないものである。かねがね強固な信念のもとに研鑽し、自分に勝つことを心掛けなければならない。
荘内南洲会・小野寺理事長は次のように訓戒する。
克己とは
人間には大小強弱の差はあるが誰にも自分なりの欲望がある。それが身を修する時の大きな障害となり易いので、古来より修行の中で一番大事なことは己に負けない心を持つこととされて来た。山中の賊は破るに易く、心中の賊は破るに難しと言われて居る通り自己心中の邪心ほど手強い相手が無いのである。克己とは、己の良心、良識を弱めておる自己に内臓されておる邪心を押さえることである。それが修行であり修業であった。(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)
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人が競いあって生きる社会では、人の道を遵守して生きれば円満・円滑に事が処理できるのであるが、得てして我田引水が横行しがちであります。そこに人間の学問・修養の不足、人格的諸問題を感じている人も少なくないと思います。
卑近な例が、私の生涯のテーマである青少年の問題があります。空手道を通じて人間学を学び、かつ教えだしてから、30年が経過しました。青少年問題を考えるに、事象発生後、教育評論家と称される人々が、いろいろ助言めいたことを発言していますが、何らの効果もないと言ったら、お叱りを受けるであろうが、その処方箋は効果の兆しがないと言えるのではないでしょうか。
然るに円心会道場では、先ずは足腰を強くするための「漢籍」の書きとりをするようにしたのです。子どもたちには難解であろうが、訳が分からずとも書き進めて行く内に、必ず功を奏すると確信しています。
学校でそのようなことをしようものなら、分別なき教育ママが余計なことだ、言わないまでもないのです。だから私塾である空手道場で実践して見せるのです。頭がいいに越したことはないが、腹中に修める学問なくして何の人間が出来るでしょう。そして世の強風に耐える人間づくりでないと、長い一生での真の喜びは望めないだろうと思い、書きとりを続けて行きたいと思料している次第です。
日本空手道少林流円心会・保護者の方々の、深いご理解とご協力を賜りたいと存じます。人生の大先輩、幸田露伴、中村天風師、本多静六を学びましょう。