味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

『南洲翁遺訓』の紹介。「兼て気象を以て克ち居れよと也。」

2010-11-30 11:39:08 | ブログ

タイトル----『南洲翁遺訓』の紹介。「兼て気象を以て克ち居れと也。」 第673号 22.11.30(火)

 己れに克つに、事事物物(じじぶつぶつ)時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気象を以て克ち居れよと也。『南洲翁遺訓』(第22章)

 己に克つとは、いろいろな事柄が発生したその時やその場において勝とうとしても実現出来ないものである。かねがね強固な信念のもとに研鑽し、自分に勝つことを心掛けなければならない。

 荘内南洲会・小野寺理事長は次のように訓戒する。

 克己とは

 人間には大小強弱の差はあるが誰にも自分なりの欲望がある。それが身を修する時の大きな障害となり易いので、古来より修行の中で一番大事なことは己に負けない心を持つこととされて来た。山中の賊は破るに易く、心中の賊は破るに難しと言われて居る通り自己心中の邪心ほど手強い相手が無いのである。克己とは、己の良心、良識を弱めておる自己に内臓されておる邪心を押さえることである。それが修行であり修業であった。(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)

………

 人が競いあって生きる社会では、人の道を遵守して生きれば円満・円滑に事が処理できるのであるが、得てして我田引水が横行しがちであります。そこに人間の学問・修養の不足、人格的諸問題を感じている人も少なくないと思います。

 卑近な例が、私の生涯のテーマである青少年の問題があります。空手道を通じて人間学を学び、かつ教えだしてから、30年が経過しました。青少年問題を考えるに、事象発生後、教育評論家と称される人々が、いろいろ助言めいたことを発言していますが、何らの効果もないと言ったら、お叱りを受けるであろうが、その処方箋は効果の兆しがないと言えるのではないでしょうか。

 然るに円心会道場では、先ずは足腰を強くするための「漢籍」の書きとりをするようにしたのです。子どもたちには難解であろうが、訳が分からずとも書き進めて行く内に、必ず功を奏すると確信しています。

 学校でそのようなことをしようものなら、分別なき教育ママが余計なことだ、言わないまでもないのです。だから私塾である空手道場で実践して見せるのです。頭がいいに越したことはないが、腹中に修める学問なくして何の人間が出来るでしょう。そして世の強風に耐える人間づくりでないと、長い一生での真の喜びは望めないだろうと思い、書きとりを続けて行きたいと思料している次第です。

 日本空手道少林流円心会・保護者の方々の、深いご理解とご協力を賜りたいと存じます。人生の大先輩、幸田露伴、中村天風師、本多静六を学びましょう。


日々、元気で「働楽学慶」の思想を構築しましょう。

2010-11-27 13:38:59 | ブログ

タイトル----日々、元気で「働楽学慶」の思想を構築しましょう。第669号 22.11.27(土)

 日々、元気で「働楽学慶」の思想を構築しよう!

 国内的にも、国際的にも多くの難問が立ちはだかり、危機一髪の感なしとしません。それでも人々は生き抜かなければなりません。

 人は楽しい日もあれば、悲しく寂しい日もあります。楽しい時はいいとして、悲しいとか心配事が出てきた時、どのように克服すればいいのでしょう。

 私は20年前、文献等で中村天風師と出合いました。爾来、口述著書を読み、それを自分で録音し、100回以上聞いて来ました。併せて、素晴らしいと形容していい数多の書籍と出合い、読んで来ました。勉強が出来ず、勉強嫌いの私が、勉強好きのきちがいみたいになってきました。兎に角、終日勉強していると言っても過言ではありません。

 それは、私の空手道場に来てくれる子供たちに、人生の慶びと健康で長生きする方法を教えてあげたいという思いがあるからです。本を読み、勉強すれば、知らない事を教えられ喜びでワクワクしてくるのです。

 標題の「働楽学慶」は、「楽しんで働き、慶んで学ぶ」という私の造語なのです。この言葉は、10分前ブログを書こうと思ってパソコンの前に向かって出てきた言葉です。

 私は、終日、働楽学慶の思想で過ごしているから自信をもって紹介できるのです。

 天風師の言葉に、私の案を少しく交え次の言葉を創りました。

 今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず、正直、親切、愉快に、力と、勇気と、信念とをもって、一所懸命勉強します。

 そしてまた、元気よく遊び、自分には厳しく、人にはやさしくし、育ててくれた両親に心から感謝の誠を捧げます。

 天風師によると、プラス思考の考え方で日々に生きることが、宇宙の法則に適応し、健康促進にもよいと教えています。71年生きて来た私もそのように思います。そして、してはならない事、考えてならない事はマイナス思考の言葉であります。これは科学技術が進んだ現在では常識であります。

 私が今回提唱する「働楽学慶」はまさしく健康維持にもいいわけです。何があっても、楽しんで働き、慶んで学ぶことが肝要だと思います。これは「よいのだ」と敢えて断言したいのです。

 私は少し前、拙著『礼節のすすめ』を出版しました。それを読んだ松田勝美先生が、拙宅を訪ねてくれました。その松田先生は、日航OBなのです。過去、私が歩いて来た道と同じような事をしていたのです。松田先生は、中村天風氏が創設した天風会にも入会し、全ての行事にも参加していたそうです。承るお話は、「事実は小説よりも奇なり」という言葉を思い出す不可思議とも思えることが多いのです。

 それは松田先生が、『南洲翁遺訓』にいう人の道をまっしぐらに歩いて来たからだと思います。頭脳明晰で、精神穏やかで、事を忠実に行う現代稀にみる人格者なのです。こういう素晴らしい先生との出会いに衷心から感謝している次第です。ご令室様も、とってもお心豊かな人柄で、人の羨望を一身に集めているようです。


礼節いろはことば「す」

2010-11-26 14:59:28 | インポート

タイトル----礼節いろはことば「す」 第668号 22.11.26(金)

 「す」 崇高に 生きる努力に 涯はなし---至楽は楽しみ無く、至誉は 『荘子』

 崇高とは、気高く偉大なこと、ということです。『荘子』は、〈至楽は楽しみ無く、至誉(しよ)は〉誉(ほま)れ無し〉、「この上もない楽しみというものは、人々がいう楽しみを超越したところにあり、最高の名誉というものは、人々が考える名誉を超越したところにある」と訓えていますが、そういう域に達したとき、崇高に生きる努力をしていると言えるでしょう。

『淮南子』は、〈疾(と)く呼ぶも百歩に聞こゆるに過ぎざれども、志の在る所は千里を逾(こ)ゆ〉、「大声で叫んでも百歩先くらいまでしか聞こえないが、超然独歩した志は千里を超えて響くし、かつ後々まで語り草となる」というのです。

 人の生涯は禍福いろいろある訳だが、人の行為が教育性、社会性があり、称賛に値することは崇高な生き方だと評価していいと思います。

 今の世相は、政治家、官僚には甘く、一般の人々には過酷極まりない部分もあるようです。そこには、権力者の人々の精神性の問題もあるでしょう。

 安岡正篤師は、《役人の仕組むことはみな虚政である》(『新編経世瑣言』)と言っていますが、事にあたる当事者は、崇高な精神性に立脚して所要の措置をして貰いたいものです。

  


昨晩は南洲会勉強会でした。

2010-11-25 12:56:56 | ブログ

タイトル----昨晩は、南洲会勉強会でした。第667号 22.11.25(木)

 昨晩は、南洲神社奥座敷での南洲会勉強会でした。私が最初伺ったのが昭和50年7月、38歳のときでした。あれから35年が経過しました。『南洲翁遺訓』を35年間学び続けて来てよかったとしみじみ思う次第です。当時若年の私が、今は長老となりました。

 さて昨晩は第31章から第35章まで学びました。南洲神社・鶴田正義(故人)先生執筆の書を何時も学んでいます。そして頭山立雲先生のコメントも拝読しました。何回読んでもいいなあと思うことでした。

 その後、いじめ問題についていろいろ話ました。終わり頃、Hさんが遅れて入ってきました。Hさんに一言どうぞ、と言ったら彼の人生論のいじめ問題を長々と話してくれました。話がどうどうめぐりで、ポイントを掴むのに閉口しました。それこそ長い長い、堂々めぐりの話でした。

 要は、子供は親が言うようにはしない、親がするように真似をする。だから親はしゃんとしないといけない。世の中、唯物論が先行し、俺が俺がという時代になっている。人間は、一原子で出来でいるのだから、謙虚でなければならない。----こういう論旨でした。こういう高等な論理展開ならば聞いている人は理解しやすいのだが、昨夜の話は大変わかりにくく自己満足・満悦であったと思う次第でした。

 人間、出来れば自分だけは、自分の家族だけは、いい思いをしたい、と考えていると思います。そこをホンの少し、損をしない範囲で他の人々へもおすそ分けをしたいものです。そしてみんなが幸せに生きられるように。

 実はそうした方がいいということを哲人・中村天風師は口述図書の中で言及しているのです。私も同感です。本多静六もそのように言っています。

 それを第一に実行して戴きたい方々は権力者の人々です。特別会計にはまだまだ無駄がある筈です。これを一割カットし、若い人々を救ってください。そして名古屋市議会の議員の人達の横暴です。あえて横暴と書きます。これは全国の議員にも言えることなのです。自ら給与カットをし、人々を救ってくださるようお願いします。

 でないと北朝鮮みたいに暴発する人が出てくるかもしれないからです。その時、一番迷惑を被るのは治安維持にあたる警察官の方々なのです。弱者の声は届かないかも知れませんがよろしくお願い致します。


偉人の紹介「杉浦重剛」。

2010-11-24 12:33:18 | ブログ

タイトル---偉人の紹介「杉浦重剛。第666号 22.11.24(水)

 杉浦重剛(すぎうらしげたけ)

 安政二年近江膳所に生る。国粋主義の教育家として活躍。晩年、今上陛下並に皇后陛下に倫理を御進講申上げて、誠忠無双と称せられる。大正十三年死す。

 愛は倦(あ)くこと無し。

 私立日本中学校が、麹町區山元町にあった頃であった。隣家の主人が、学校へ来て、一つの苦情を提出した。

『学校の生徒が、ボール投げをするのはよいが、よく手前共の庭へ入りこみます。すると塀を乗越して来て、植木を折ったり、芝を踏んだり甚だ迷惑をするので、何とか方法を考えて見てくれぬか』こういうわけだった。その結果、学校当局は職員会議の結果、塀に忍返(しのびがえ)しをつけることに一決した。【忍返しとは、塀を乗り越えて忍び込めないように、塀の上にとがった木、鉄などを並べて取り付けたもの】

 依って校長たる杉浦重剛の手元へ此の案を差出すと、『これは賛成出来ない』と、即座に否定した。

『忍返しは、生徒の反抗心を起させるに過ぎない。又、忍返しが出来たくらいで、すぐに閉口するような意気地なしを養成しても困る。しかし隣へ迷惑をかけてはよろしくないので、職員の者が、面倒でも立番をしていて、もしボールを取りにいこうとして生徒が塀をのりこす場合は、懇懇と意見を加えて欲しい』教職員は当惑した。

『しかし、先生、それは大変なことです』

『勿論、大変なことは分かって居る。だが、あなた方に、ほんとうに、生徒を愛する心持があったなら、出来ることです。愛は無倦(むけん)です、圧迫して一時に片付けようと云うような気短なことをせずして、面倒でも、効果のあがるまで、毎日毎日説き聞かせる為、立ち番をして欲しいのです』

 杉浦校長の意中は、職員にもよくのみこめた。成る程、『愛は倦くこと無し』の要領でかかれば、効果があがるであろうと、、その通りに実行した。

………

 上の件は、一種のいたずらでもある。これが相手が子供同士であれば、今時の「いじめ」として問題化することでしょう。昨日のブログで私は「いじめ」に関することを書きました。

 私がここで強調したいことは《忍返しが出来たくらいで、すぐに閉口するような意気地なしを養成しても困る》というくだりです。

 これを表現を変えて《キモイとか、ウザイ、食事を一緒にしない》等々の理由で、子どもたちが自殺をする《意気地なし》のことであります。私は双子であることで、子供の頃《フタゴ、フタゴ》とからかわれたことも、殴られたこともありました。それでも生き抜きました。今では、同級生で私ほど元気な者はいないと自負しています。

 そして連日、終日かけてブログ書く、執筆原稿を書く、そして漢籍を読むなどして、極めて生きがいある日々を過ごしています。そして一日おきにラバウル行軍と称して、片足2キロまたは4キロ、背中に10キロくらいの鉄下駄を入れたバッグを背負い歩いています。

 昨日は、夕刻、薄暗くなってから健康スポーツランドの階段を昇り降りしました。その際、平成6年に自分で本を録音した中村天風師のテープを聞きながら歩いているのです。

 今朝の朝スバで自殺のことに関して調査し、専門家と言われる女史が、現象として出ていないが、まだまだあるちという発言をしました。これらは「いじめ」ではなく「いじわる」なのです。こういう一寸した意地悪に負ける意気地なしをどうして量産したのでしょう。その原因究明こそが問題視すべきであると私は思うのです。

 だから私の空手道場では、強く正しく、優しくたくましく育つようにと、漢籍の言葉の書きとりをさせるなどしているのです。それは腹中に信念を入れ込むためなのです。

 門下生に、君たちが大好きです。一生、道を誤らない人生を歩いて戴きたい思いで指導しています。真面目にしなかったり、ふざけたりしたらたまには頬を叩いていいですか、と問うと子供たちは一人残らず、叩いていいという挙手をするのです。そのことを保護者は私に託しているのです。

 意気地なしでなく、強く正しく、人を思いやる優しい人間、人の道を踏み外さない人間を今こそ養成しなければならないと思うのです。その為には、指導者自らが真剣に学ばなければならないのです。その辺の空手道場の看板に迷わされ、子供を入門させると、そのツケは十年後返ってくるのです。

 この考え方指導が、暴論か、暴挙か、暴走か、正論か、コメント等意見をお寄せください。