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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

大徳は官せず。

2014-09-30 15:21:58 | ブログ
タイトル----大徳は官せず。第2105号 26.09.30(火)
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大徳は官せず。『礼記』
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 大徳、すなわち道徳の完成した者は、一つの官の仕事だけにとらわれるものではない。物事の根本を考え、根本のことにつとめるから応用は広い。
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【コメント】
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 大徳を構築すべく私どもも精進したいものです。人間に完成ということはあり得ないと思います。敢えて申し上げるならば、完成した人とは、連日私が紹介している西郷南洲翁、菅臥牛翁という英明なる人を言うのだと思います。
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『臥牛先生遺教抄』 (第44回)
.四十四、予小鳥を飼いて生餌雑魚の串を削りながら仁の心を悟りたり。予雑魚は大好きなり。然るに小鳥一羽も殺してならぬとの心入り強ければ、自分の口をも忘れて小鳥に与うるなり。然らば上に立つ者人民一人たりとも餓死させては済まぬとの心掛けあれば、色々の方法従って出すべきなり。学問するもその理にて、是非聖賢にならずは済まぬとの心掛けあれば、自然に何事も分別出来得るなり。その心掛けを次にしては、何程人に問い求むるも詮のなきものなり。仁も心掛くれば行わるるなり。然れども容易のものにあらずと見え、孔子も仁に至りては、たやすく人に許し給わぬなり。
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『論語』44
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 林放礼の本を問う。子曰はく、大なる哉問ひや。礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは寧ろ戚せよ。
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【訳】 林放が礼の根本義をおたづねした。
①孔子が言うには、これは大したお尋ねだ。冠婚の如き吉礼は、金をかけるよりも倹約ぐらいがよい。
②葬祭の如き凶礼は、行き届くよりも哀悼の気持ちが大切である。
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 穂積重遠氏は、明治末期から大正にかけてはバカバカしく大げさであり、今日では粗略過ぎると解説していますが、要は心の問題、如何に懇ろにするかという事が大事だと私は思います。
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短歌の紹介
吉凶のお祭りごとは真心が
       あること肝要趣旨大切に 6929 博庵語録

辞を以て人を尽くさず。

2014-09-29 12:47:26 | ブログ
タイトル---辞を以て人を尽くさず。第2104号 26.09.28(月)
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辞(ことば)を以て人を尽くさず。『礼記』
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 相手のいうことばを聞いただけで、その人の全体を見つくすことは出来ない。
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【コメント】
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 先日25日の夜、北海道南洲会の先生方との懇親会をした時、北海道で政治家として名声を博している「先生」は文章はうまいが人物とは対照的だという発言がありました。
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 同様のことは私も先のデログで書きました。語り・喋りが上手い、文章が上手いと言っても、人格とは別です、と書きました。出来れば、喋りと文章と人格とが整合性があるように修養をしたいものです。
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『臥牛先生遺教抄』 (第43回)
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 学問は先ず仁徳に心掛くべし。近く譬えを取るに、総て隣家は近き故却って種々の事より仲悪しくなる事あり。その仲悪しき隣家にて若しも不幸又は不都合の事あらんには、甚だ気の毒に思うは仁の心なり。是れに反してその禍を喜ぶというは不仁なり。仁の心なき者は決して学び得られぬものなり。次に義なり。一旦人の事を引き受けたる上は必死に心力を尽くすは義なり。又師に教えを受くるに「不敏と雖も請う斯の語を事とせん」という心入り肝要なり。予め心得置くべきなり。
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『論語』43
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子曰はく、人にして不仁ならば礼をいかん。人にして不仁ならば楽をいかん。
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〔訳〕 孔子が言うには、
①仁は心の徳で礼楽の根本である。
②人がもし不仁で心の徳がないならば、敬が欠けて礼の根本が亡びるから、いかに言葉や作法が巧みでも、何の役にも立たぬのである。
③人がもし不仁で心の徳がないならば、和が欠けて楽の根本が亡びるから、いかに声や様子が美しくても何の役にも立たぬのである。
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 また穂積重遠氏は、次のように言う。
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 孔子が言うには、不仁不徳の人が礼を行ったとて何になるか。不仁不徳の人が楽を奏したとて何になるか。礼楽が泣こうぞ。
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 思うに、言行一致でなければならないということでしょう。
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短歌の紹介
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行いは人が見ている天見てる
    清き心で臨む肝要 6928 博庵語録 

言は倫に中り、行いは慮に中る。

2014-09-28 15:53:57 | ブログ
タイトル----言は倫に中り、行いは慮に中る。第2103号 26.09.28(日)
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言は倫に中り、行いは慮に中る。『論語』
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そのいうところは筋道をはずれず、その行いは深慮してあやまちがない。
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【コメント】
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上の『論語』が訓えるように、人の世を円満にかつ有意義に生きるためかくありたいものです。
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『臥牛先生遺教抄』
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四二、凡そ志ある者は決して翻る事のなきものなり。奮発するかと思えば日ならずして屈し、憤悱(ひんぴ)するかと思えば忽ち撓(たゆみ)などするは、是れ皆志の立たざる故なり。志ある者は必ず求めある筈にして、終始益ある事を問うものぞ。而して必ずゆったりとしたるものなり。志なき者はせわしくてせわしくてのたもう。暫くありて志は第一なり、是非聖賢に則るべし。則るの方は先ず聖賢の書を読みてこれを吾が身に体し、先覚に就いてひたすら益を求むるに在りとのたもう。
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『論語』
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四二、三家は雍を以て徹す。子曰はく、「『相(たす)くるに維れ辟公あり。天子穆穆たり』と。奚ぞ三家の堂に取らん。」
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魯の家老の三家が、
①自分の家の祖先の祭りで供物を捧げて祭器をとりさげる時に、雍の詩を歌わせた。
②孔子がこれを非難して次のように言った。雍の詩の句に、「祭りを助けるは天下の諸侯、天子は穆穆と威厳を具えて上品にひかえておられる」とある。
③この詩の意味でもわかるように、雍の歌は天子の祭りにだけ用いられるものであるのに、こられをなんで三家の廟の堂上へ持って来て歌うことができよう。とんでもない僭越非礼の行いである。

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OCNからGooへ引っ越し書き方が異なり大変です。慣れるのに当分時間がかかると思います。

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短歌の紹介
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無難なる人生おくる気があれば
       控えめなるが輝きも増す 6927 博庵語録



寛なれば則ち衆を得。

2014-09-27 15:22:33 | ブログ
タイトル----寛なれば則ち衆を得。第2102号 26.09.27(土)
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寛なれば則ち衆を得。
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寛大な人は、多くの人の心をとらえることができる。
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【コメント】
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 多くの人の心を捉えられなくても、寛大でありたいものです。寛大でありながら、緻密さもなければならないのです。木曜日は第二道場での空手道指導の予定であり、若手師範に面倒を見てくださいとお願いしてありましたが、電話がないものですから、お休みにさせて戴きました。頼まれて、ハイやります、と言ったら何がなんでもやりどける責任感を持ちたいものです。私は若い頃から一貫して参りました。
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『蝸牛先生遺教抄』 (第41回)
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四十一、
小子書道を好み、その心掛けを請問せしに、字を書くに先ず心を正しくし、精進斎戒し神仏に祈り而して筆を揮えば、その精神必ず字に顕わるるものと思う。是れ書の以て面白き所なり。書家の中にて独り北島雪山は、その趣を得たるかと思うとのたまえり。


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『論語』41
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八佾第三
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孔子季氏を謂ふ。八佾庭に舞はす。「是をも忍ぶ可くんば、孰れか忍ぶ可からざらん。
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〔訳〕魯の大夫の季氏が八列でする舞楽を己の家の庭で奏した。八列でする舞楽は天子でなければ奏されないのである。季子は諸侯の大夫でありながら、天子のするようなことをするから、孔子がこれを謗って「こんな僭越なことを平気でするようでは、どんなことでもなすに忍びないことはなかろう」と謂った。
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学校は礼義相先んずるの地にして、

2014-09-26 10:01:34 | ブログ
タイトル----学校は礼義相先んずるの地にして。第2100号 26.09.26(金)
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学校は礼義相先んずるの地にして、月々に之れをして争わしむるは、殊に教養の道に非ず。
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学校は礼儀を先として教える場所である。しかるに、学校において、毎月成績の良し悪しを争わしめるという試験制度は、本来の目的とは違っており、教養の正しい道とは言えない。
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【コメント】
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 昨夜は大変有意義な懇親会を行いました。北海道南洲会の方々お二人と、鹿児島市議会議員三名の方々といろいろお話することができました。過去に見られなかった極めて有意義な懇親会でした。社会論、政治論、武道論、教育論等々あらゆる分野に言及しました。
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 昨日からブログをOCNからGOOに変更し書いていまかすが、文字を大きくする箇所、更新するなどのやり方が今までと異なるため、四苦八苦しています。書いたら消えを繰り返しています。老人になるといけないなと思いますけど、自らに挑戦し続けます。



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『臥牛先生遺教抄』(第40回) 
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四十、志は譬えば家を建つる時の礎の如し。この礎に深く念を入るべし。若し礎を忽せにすれば、数年ならずして傾斜生ずるものなれば、念に念を入るべきなり。造作の如きは、人々の好みにてよしと仰せられき。
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『論語』40
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子曰はく、其の鬼に非ずして之を祭るのは、諂うなり。義を見て為さざるは、勇なきなり。
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〔訳〕孔子が言うには、
①祖先の霊というような当然祭るべき以外を祀るのは、鬼神に諂うような心である。
②人として為さねばならぬ正しいことと知りながら、これをなそうとしないのは、真の勇気がないのと同じである。
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短歌の紹介

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新しき手順を習いくりかえす
      老いの我が身と格闘しつつ 6926 博庵語録