味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

「ララシャンス ベルアミー」様での、華燭の典に出席しました。

2011-04-30 12:04:47 | ブログ

タイトル----「ララシャンス ベルアミー」様での華燭の典に出席しました。第829号 23.04.30(土)

 昨日は、日本空手道少林流円心会で以前空手道修行をしていた櫟尾拓也さんと吉原真理絵さんの結婚式に出席しました。場所は鳥栖市にある「ララシャンス ベルアミー」様でした。

 鹿児島中央駅7時27分発、新幹線で大坪師範と二人で行きました。10時から人前結婚式が厳かに執り行われました。普通の結婚式、披露宴と少しく趣をかえての華燭の典でした。

 ララシャンス ベルアミー様の、職員のマナーは天下一品でした。余程訓練をしているのだな、と拝察しました。お客に対する丁寧な挨拶に始まり、誘導する技術、人生の門出を祝福するに相応しい職員の方々の行き届いた態度は、案内される側も、それに応じた振舞をいやが上にもせざるを得ない格調高いものでした。その雰囲気に心を洗われる思いでした。有難う存じました。

 72年間に、空手道・柔道・剣道・日本舞踊・詩吟道・社交ダンスの最高技術を求めお稽古ごとをしてきた私の眼から見ても、何らの遜色もない、抜群の対応技術でした。いわゆる、ララシシャンス ベルアミー様のお客様を大事にする、最高の経営センスがそこにありました。

 新郎の拓也さんが入門したのは平成10年6月20日でした。13年前のことです。私が59歳の時でした。鹿児島国際大学在学中に友人に誘われ入門したのでした。あれから13年経過しましたが、72歳の現在、私の情熱は少しも衰えていません。

 拓也さんを指導して、彼の素直さ・実直さ・勤勉さ・空手道修行に対する熱情に、遠い将来の明るさをみて取りました。大学卒業後は鹿児島を離れ、いろいろな仕事を体験したとビデオで紹介されました。

 一年位前、真理絵さんを連れて道場に来てくださいました。この人と結婚するのかな、しっかりした素晴らしいお嬢さんみたいだ、結ばれたらいいな、とは思っても言葉としては言えませんでした。

 ところが結婚することになりました。結婚式に来てくれませんか、という案内の電話を戴き、我がことのように慶びました。思うに、空手道指導の際、真剣に、技術及び人間のありよう、処世の要諦等々も話したつもりです。私は幼児であっても絶対に手を抜くことはありません。幼児はわけが分からないながらも鋭い観察眼を持っているのです。

 十年前のことです。大社はるなという女児が入門しました。彼女が帰ってから母親に言うには、味園先生は、私たちに「ハイ」という返事をしますよ、学校の先生でそういう先生はいないよ、と母親に告げたとお母様から聞きました。思うに、これを「人権」と言うのです。大人も子供と人権は同じなのです。尤も躾は厳しくしなければなりませんが。大人の世界で言う人権は、セクト主義が内面に隠された、いびつな、我のある人権のような気がしてならないのです。それでは世の中上手く行く筈がありません。

 私たちが会社務めをしている頃と違い、世の中社会情勢が大きく変化してきました。仕事も終身雇用が崩れ、実力がものを言う時代になったと思います。拓也さんはそういう時代に敢然と立ち向かって行く度量・度胸・能力のある青年だと確信しています。

 要求、要求に明け暮れる、甘い公務員生活を送る人と、実力で人生に立ち向かう人と、真の生きがいはどちらにあるでしょう。天はどちらに味方するでしょう。

 心身統一法を創建した中村天風師の口述図書を自分で70時間録音し、15年間聞いて来ました。その内容と筑波大学教授・村上和雄著『生命の暗号』とが符合することが確認されました。

 「高い志をもち続けて努力することでサムシング・グレート(偉大なる何者か)が喜んでくれる。よい遺伝子をONにする。---そういう生き方が出来れば、私たちはふつうにしている以上の力がだせる」(『生命の暗号』)と解説しています。これは世界の医科学者が認めていることなのです。

 私が敢えてここで書いたのは、櫟尾拓也的人材がこれからは夢を実現する時代が来るということです。それは仕事に情熱を傾注しながら、学び続ける勤勉性・真摯さがなければならないと言うことです。

 この度の結婚式でヒロインとなった櫟尾拓也さんはそういう輝かしい未来を持って、第二の人生に向けスタートしました。参列した皆で祝福すると同時に、それそれが意義ある人生に挑みたいものだと思い、感想を綴った次第です。

 櫟尾拓也さん、真理絵さんの更なるご努力を願い、お幸せをお二人の力で勝ち取ることを希望します。この度はおめでとうございました。

 ララシャンス ベルアミーの皆様、素晴らしい演出を拝見させて戴きまして有難うございました。テナーサキソフォン演奏の渡辺様、ピアノ演奏の池上様の名演奏、有難う存じました。

 素晴らしい、素晴らしい結婚式でした。


義を為すは---『墨子』。

2011-04-27 13:09:18 | ブログ

タイトル---義を為すは---『墨子』。第827号 23.04.27(水)

 義を為すは毀(き)を避け誉に就くに非ず。『墨子』(耕柱)

 「人が道義を行うのは、他人からそしりを受けないように避けるとか、名誉を得ようとかのためではない、人間として当然のことを行うためのものである」というのです。

 ところが義を為すどころか、著札権を侵害してまで自分の我欲・私欲を通そうという不逞の人間がいるのです。西郷南洲翁の教えを心底理解・共鳴した菅臥牛翁が中心となって刊行した『南洲翁遺訓』を改編するというのです。

 これは130年前の事なのです。一世紀以上も前の出来事を、西郷隆盛にあったこともない人間が『南洲翁遺訓』を改編する心意気は是とするも、そこには節義・道義・清廉・真摯さがなければ西郷隆盛がびっくりするでしょう。

 少なくとも『南洲翁遺訓』を真摯に読めば、そういう心境にはならないのです。これは「人の道「に反することなのです。


平生の為す所、『十八史略』

2011-04-26 19:45:32 | ブログ

タイトル----平生の為す所、『十八史略』。第826号 23.04.26(火)

 平生の為す所、未だ嘗て人に対して言うべからざる者あらず。(宋 哲宗)

 自分は人よりすぐれたところはなにもないが、ふだんの行いはすべて公明だから、他人に話せないようなことはなに一つない。(司馬温公のことば)

 この言葉は『南洲翁遺訓』第三十二章に出て来る言葉でもあります。私がこの言葉を最初知ったのが、二十二年前のことです。諸橋鐵次著『古典の叡智』でした。

 私は穢れのない青少年と何時も対話している関係上、利害がないのです。だから冒頭の言葉は今の老境で子供たちと遊んでいる私のことをいってくれているみたいです。

 福岡在住の円心会師範が何時も言う言葉です。「どうしてそんなに裸になれるのですか」と。私は人様に誇れるものは何もないから、隠す必要はないのです、と応えることにしています。

 水が低きにあるように私も低いところにあるから、至って健康です。先程健康ランドを今日は歩いて参りました。

 中村天風師の論を医科学的に解説した著書に出合いました。天風師の真理を探求するための修行は本物であったということです。健康で長生きしたい方は大いに天風論を学ぶべきだと思いました。


安岡正篤先生、万全健康法とは。

2011-04-25 15:10:47 | ブログ

タイトル----安岡正篤先生、万全健康法とは。第825号 23.04.25(月)

 昭和の碩学としてご高名を馳せている安岡正篤先生の「万全健康法」というのが、ある本に掲載されていました。ご紹介します。

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1.日常飲食は質量ともに適正であるか。

2.毎夜眠の具合はどうか。安眠・熟睡をしているか。

3.自分に適当な運動をしているか。

4.自分の心身に影響する悪習はないか。

5.自分は生活の諸問題に一喜一憂し易くないか。何かあっても平常通り執務できるか。

6.自分の仕事にどれだけ自信と希望があるか。

7.自分は有益な内面生活を有するか。

8.自分は誠の親友・良友を持っているか。

9.自分は日常座右を離さぬ良書をもっているか。

10.自分は独自の信念・箴規・信仰の類を内具しているか。   以上です。

 その他に私は付け加えています。

11.朝晩、ご先祖様に礼拝をしているか。

12.生かされていることへの感謝の誠を奉げているか。

13.今日一日、有意義な一日であったか。

14.人様に親切にしたか。

15.道路等のゴミ拾いをしたか、等々、毎日星取表に記録しています。街美化パトロール隊としてのMBPの一員に入っているものですから。

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 因みに健康ランドは昨日で470回でした。昨日は、天風師の「成功の実現」を聞きながら階段のところをスタスタ走りました。歩いて1時間のところをジョギングで27分かかりました。階段を駆け上がる時、天風師の話は元気を与えてくださいます。天風先生、有難うございます、と大きな声で叫びました。


身を修するに克己を以て終始せよ。『南洲翁遺訓』

2011-04-24 12:10:13 | ブログ

タイトル----身を修するに克己を以て終始せよ。『南洲翁遺訓』。第823号 23.04.24(日)

 昨日の空手道修行稽古風景は緊張感に包まれながら、素晴らしい内容でした。初めに正座禅で東北地方で地震等によって被災された方々への黙祷を行いました。五歳の西川さくらちゃんの正座の姿勢は見事なものでした。背筋をピーンと伸ばしている姿、200点だと私は絶賛しました。他の子どもたちも大方素晴らしいのですが、さくらちゃんが私の目の前であったため特に目立ったのです。修行によってこうも変貌してくるものか、というのを実感しました。

 『南洲翁遺訓』の拝唱、第25章「人を相手にせず--」、第7章「事大小となく--」、第1章「廟堂にたちて--」は見事そのものでした。荘内南洲会・小野寺先生のお耳にも入ったかもしれません。子どもさんをつれて見学に来ていた父親の方が、感動しましたと言ってくれました。

 帯のランク毎、下の方から次々に型を演じて貰いました。空手の舞を稽古している海江田愛実さんの演武が一際目立った感じでした。

 そして黒帯に進級した大橋澪さん、愛さんの型は迫力満点でした。特に愛さんの最初の気合は過去聞いたことのない声でした。瞬間「気の爆発だ」と感じました。これを「浩然の気」と呼んでもいいなと思った次第です。この言葉は『孟子』にあるのです。一見やさしくおとなしい中学生のお譲さんに、修行の年輪が構築した「気の爆発・浩然の気」が培養されてきたのだ、と思い大変うれしくなりました。凄いお姉さま二人に続く弟君がニタニタ笑って型を演じたのでホッペタをピシャリやりました。

 私は今まで型が間違ったとかいうことで怒ったことはありません。稽古をすれば覚えてくるのです。でも、笑いながら演じるということは心に、精神に隙があると考えています。これは幼少から培わせなければならないのです。心の隙が、精神のゆるみが健康を害し、病気へも繋がるからです。

 その人のお爺さんが知覧峠でお茶屋さんを経営しています。私は数回伺ったのですが、お話ぶりに気の緩みがないのです。優しく穏やかに話しをしますが、内面に気が充満しているのです。これも経営の極意なのだな、と何時も感じています。今日に至る過去を拝聴しますに難儀苦労をして来たと伺いました。そういうプロセスを経て人物が出来ていくのだな、と観察しています。

 そしてお店で一緒に仕事をしている義妹の方の仕事ぶり、手さばきは並のものではありません。荘内の方々にお送りするお茶を注文するため伺った際の、見事な手さばきに圧倒されました。このことは以前のブログでも書きました。鹿児島市内にも多くのお店があります。72年間でこれほど見事な手さばきを見たことはありませんでした。そして作業にミスがないのです。これをプロフェッショナルと言うのだと拝見した次第でした。一見、ありふれた目に見えないようなことがお店の繁盛につながるのだと思った次第です。

 円心会道場は、小さな小さな空手道場です。が、そこでの修行内容は何処の空手道場にも絶対に遅れをとるものではないと自負しています。それは『南洲翁遺訓』他漢籍を学ぶ中から、歴史的偉人・哲人と言われる先人たちの生き様を学ぶと同時に、それらを空手道修行に活かしているのです。ただ、大会で入賞するための空手道の稽古とは次元が異なるのです。

 いわゆる人物を創る養成機関だと私は位置付け、子どもたちにもジョークを飛ばしながらも、たまには厳しくしつけているのです。空手道と学問という文武両道で、能力を高め、精神を練り鍛え、確固たる自分を自分の力で創造すべく、昨日も修行を展開した次第です。

 今回の東北地震とそれに対応する政府の姿勢について、文芸春秋に識者の方々の声が掲載されています。中でも作家・曽野綾子氏の提言こそは、見逃してはならない貴重な声だと考えます。曰く、日本人程、贅沢をしている国民はいない、と。そして甘えが過ぎる、と。

 地球は生きています。動いています。だから、何時、大変な天災が起こるか分からないのです。だから、敬虔な心で、人の道を踏み外すことのないよう精進したいと考えています。

 前向きに、前向きに参りましょう。

 ご父兄の方々の深いご理解に深甚の敬意を表します。