味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

凡そ禮の大體は、天地に體り、

2018-12-31 10:52:19 | ブログ
第3643号 30.12.31(月)

凡そ禮の大體は、天地に體(かたど)り、四時(しいじ)に法(のっと)り、人情に順(したが)ふ。故に之を禮と謂ふ。『礼記』954

 およそ礼というものは、天地、四時、陰陽、および人情の諸原理を体して物ごとの交際が円滑平和であるように定められている。ゆえに礼という。すなわち礼は体なのである。

 【コメント】本日で平成30年が終る事になります。来年は新天皇が即位することになります。来年は80歳を迎える訳ですが、道場に集ってくれる子供たちのために、老体に鞭打って空手道の指導と『南洲翁遺訓』普及のために微力ながら相努めたいと存じます。

 平和と繁栄は大変良いことですが、そこに日本の伝統文化を基調とした「礼節」が欲しいものです。お互いが交わす言葉の中に、人間の心のぬくもりがみられる精神を構築したいものです。そこには厳しい躾け教育がなくてはなりません。

  折角この世に生を享けるのですから、健康には充分注意をして日々に臨みたいものです。そして二度とない人生を共どもに味わいたいものです。少なくとも非違行為をしてはなりません。

 こういう素晴らしい日本で日々に臨めるということは、最高に幸せだと思います。空手道を初めて70年、『南洲翁遺訓』と出会って50年、日本舞踊花柳流をおけいこして30年、月刊誌20冊を30年間講読して、それらを読み書き写しして30年、そして人様の倍になるであろう仕事と格闘をしてきました。

 貧乏所帯の長男でありましたので命懸けで諸々に打ち込んできました。これが健康の秘訣だと思っています。

 御指導戴いた荘内南洲会の先生方、お付き合いいただいた空手道の仲間たちに衷心より満腔の御礼を申し上げます。本当に有り難う存じました。

 人それぞれに好きなことを見付けて日々に挑んでいるでしょうが、およろしかったら『南洲翁遺訓』を繙く、そして漢籍との日々のお付き合いをして欲しいものです。これほど楽しい世界はありません。
 テレビ局が企画しているワイワイガヤガヤは何の効果もないと私は観ています。

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氣、白虹の如きは天なり。

2018-12-30 12:58:40 | ブログ
第3642号 30.12.30(日)

氣、白虹(はっこう)の如きは天なり。精神山川に見(あらわ)るるは、地なり。詩に云ふ、言(ここ)に君子を念ふ、温にして其れ玉の如しと。故に君子は之を貴ぶなりと。『礼記』952 

 玉の発する白虹のような光氣は、天の性を表し、玉の精気が山川に現出するのは、地の性を示している。圭璋の玉に何も添えずに主人に贈るのは、玉には充分の徳が備っているからである。こうしたわけで、天下に玉を尊ばぬ者のないのは、自然の道理である。詩経に、『われ君子を思う。温かみのある人柄は、あたかも玉のようである』とある。こういうわけで君子は玉を尊ぶのである」。

 【コメント】我々凡人も、『-----温かみのある人柄だ』と言われる存在になりたいものです。只今、30日、午後1時半、荘内南洲会の水野先生が糯米をご恵贈くださったものですから、餅づくりをしています。水野先生、誠に有り難うございました。とってもきれいなお餅が出来ました。

 昨夜は、本部空手道場の最後のおけいこを致しました。途中、『南洲翁遺訓』と漢詩『外政政直に示す』を発表しました。空手道の苦手な傳田琢朗さんも大きな声で発表してくださいました。山口優李さんも空手道も、『南洲翁遺訓』も頑張ってくださいました。

 セゴドンの大河ドラマに『南洲翁遺訓』が出て来なかったのは残念でした。勉強して頭が好くなることも大事なのですが、今日の『礼記』が教えている「あたたかみのある人柄づくり」が大事だと思います。

 皆さん、ケントギルバート氏『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』を読んでください。今の日本人みたいに平和と繁栄に浮かれていると、日本の国は消滅するかも知れません。80歳の私はまもなくいなくなるのですけど、老体に鞭打って子供たちに、『南洲翁遺訓』等々を通じて、勤勉にして、勤労精神豊かにして、人に思いやりの情を与えてあげられる人間になって欲しいと念じ、空手道に精出しているのです。

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勇敢強有力にして、之を禮義戦勝に用ひずして、

2018-12-29 11:47:55 | ブログ
第3641号 30.12.29(土)

勇敢強有力にして、之を禮義戦勝に用ひずして、之を争闘に用ふれば、則ち之を亂人と謂ふ。刑罰國に行はるれば、誅する所の者は亂人なり。此の如くなれば則ち民順治にして國安し。『礼記』951

 古代の聖王は勇敢で身心強力の人物を大いに尊重する。こうした人物を礼儀や正当な戦争に用いずに、私利私欲の争闘に用いる者、これを乱人と称する。刑罰が公正に行われる国であれば、乱人は必ず誅罰されるであろう。そのようにして、人民は従順で好く治まり、国は安泰なのである。

 【コメント】まことに仰せのとおりであります。80年生きていると、当該人間の性が、全て万全ではなくても、大体読めるようになってきます。

 私の同窓生にも乱人と言っていい人間がいたものです。尤も当該人間は好くても、その保護者であった人が、精神的に成就していないため、子供を不幸にした例も知っています。

 何れにしても、世間知を熟知すること、我を出さず、漢籍等の文献を繙き、人生の参考とすることに尽きるのではないかと考えます。

 世の中、自分一人だけではないので、多くの人に親切にしながら、そういう人々をも健康で長生きすべくそれとなく導くことも大事ではないかと思う次第です。

 その為には『南洲翁遺訓』を毎日読み続けることも大事だと思います。セゴドンの総集編があるらしいけど、それを見るよりか『南洲翁遺訓』を読む方がはるかに有益なのです。

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『善の研究』第116回

 因果律の正当なる意義はヒュームのいったように、或現象の起るには必ずこれに先だつ一定の現象があるというまでであって、現象以上の物の存在を要求するのではない。一現象より他の現象を生ずるというのは、一現象が現象の中に含まれておったのでもなく、またどこか外に潜んでおったのが引き出されるのでもない。ただ充分なる約束即ち原因が具備した時は必ず或現象即ち結果が生ずるというのである。約束がまだ完備しない時これに伴うべき或現象即ち結果なる者はどこにもない。たとえば石を打って火を発する以前に、火はどこにもないのである。

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『菜根譚』132

 青天白日的の節義は、暗室屋漏中より培い来たる。施乾転坤的の経綸は、臨深履薄の処より繰り出だす。

 〔訳〕晴れわたった青空のように明らかに輝く節義も、もとは人めにつかない場所で人知れず慎独の修業を積んで培い育てられたものである。また、天地を一新するような国家の施策も、もとは深いふちに臨み薄い氷を踏むような、細心の注意と慎重な計画の中から考え出されたものである。

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 今年最後のスポーツランドに行ってきました。
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勇敢強有力の者は、天下事無ければ

2018-12-27 15:04:22 | ブログ
第3640号 30.12.28(金)

勇敢強有力の者は、天下事無ければ、則ち之を禮義に用ひ、天下事有れば、則ち之を戦勝に用ふ。之を戦勝に用ふければ則ち敵無く、之を禮義に用ふれば則ち順治なり。外、敵無く、内、順治なる、此を之れ盛徳と謂ふ。故に聖王の勇敢強有力貴ぶこと此の如きなり。『礼記』951

 勇敢で強健の人は、天下に事がなくて平和であれば、その強い実行力を礼儀に用いる。またもし天下に事があり、戦乱の世であれば、その力を戦争に用いる。そして勝てば敵は無くなる。そしてその力を礼儀に用いれば、人民は従順で好く治まる。外には敵が無く、内は好く治まる。これを「国君成徳の賜物である」と言う。こうした次第であるから、古代の聖王は勇敢で身心強力の人物を大いに尊重する。

 【コメント】凡人の我々もいざという時は、勇気を以て事に臨みたいものです。西郷さんを顕彰する館で『南洲翁遺訓』を改竄しょうとする人間は、真の勇気はなく、今まで人の褌で相撲をとっていた男であるといえましょう。
 鹿児島で西郷を論じさせたら、イトさんの子孫に当たられる吉村松玄先生の右に出る人はいないと思います。今日のブログは長々と書いて投稿したのですが、私の操作ミスなのでしょうか、原稿が消えてしまいました。

 昨夜の空手道第二道場は小学生3人、中学生1人が参加してくれました。

 子供たちには、仲間が、友達が、やがて車でドライブをしようと言っても、軽々に直ぐ行かない事、両親にその旨お話し、了解を得てから行くようにしてくださいとお話しました。

 大人になったら皆、車の免許を取るわけですが、初めてハンドルを握り、嬉しさと興奮のあまり、スピードを出しがちになります。

 事故をしたこともない子供たちは、ただ楽しくて走るだけのことになるので、家族や周囲の了解を得てから、運転をするように心掛けてくださいとお話しました。

 二日前、軽自動車二台に分乗していてトラックと衝突して死に急いだ大学生の真似は絶対にしないようにしてくださいとお願いしました。

 大学生で幾ら頭が良いといっても、所詮は社会経験の無い世間知らずの子供たちなのです。80歳の私から見たら、怖くて、危なくて仕方ありません。
 文明が進むのもよいが、それによって命を無くすることほど悲しいことはないでありましょう。
 交通事故を減らすため、速度を10キロへらすことにしたら、如何ですか、安倍さんへ。

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勇敢に貴ぶ所の者は、其の能く以て

2018-12-27 09:31:14 | ブログ
第3639号 30.12.27(木)

勇敢に貴ぶ所の者は、其の能く以て義を立つるを貴ぶなり。義を立つるに貴ぶ所の者は、其の行ひ有るを貴ぶなり。行有るを貴ぶ所の者は、其の禮を行ふを貴ぶなり。故に勇敢に貴ぶ所の者は、其の敢て禮儀を行ふを貴ぶなり。『礼記』950

 勇敢を尊ぶのは、それが節義を貫く力であることを尊ぶのであり、そのことを尊ぶのは、それが一つの価値ある行為を遂行することになるのを尊ぶのであり、そうなるのを尊ぶのは、重大な礼儀を成し遂げることを尊ぶのである。それゆえ、人が勇敢を尊ぶのは、それが礼儀を成し遂げるのを、尊ぶのである。

 【コメント】「人が勇敢を尊ぶのは、それが礼儀を成し遂げるのを、尊ぶのである」とあるように、そこに人々の共感を得る尊さがなくてはならないと思います。

 昨日は同じ大学に所属する学生たち8名が、二台の軽自動車に4人ずつ乗り、トラックと衝突し一人が死亡、一人が腕を損壊する交通事故を起こしたとのこと、これらは無謀運転が原因ではないのでしょうか。他の6人もそれぞれ負傷したと思われます。なぜ、このように死に急ぐのでしょうか。

 二度とない人生をもっと大事に生きて欲しいものです。80歳を目前にした老体の私は、昨作日枕崎まで解体したお墓の確認のため、行ってきました。途中、自動車学校の教官みたいに、声かけ運転をしてきたのでした。
 そして健康スポーツランドに週に2回程度行っているのですが、下り坂では、ブレーキ、ブレーキと声を出しブレーキとアクセルを踏み間違うことがないよう、老人の私に言い聞かせています。

 そして労働組合の団体交渉における、分捕り合戦交渉も考え直さなければならないと思います。労働組合が強硬に出て、経営者側が損失を被り、倒産するようなことがあってはなりません。会社員たちは要求して勝ち取ればいいのです。これは子供が家庭で母親に小遣いをせびる姿と何等変わりないと思います。

 私が入社した電電公社では、中年のいい年をした男たちが、賃上げで勝ち取ったとヌカ喜びをしている姿を何回もみたものです。その男たちは、本を読むということは全くなかったのでした。

 時間を持てあましている大学生へ教えます。藤原正彦先生が最近出版した国家と教養を書き写してみたら如何でしょう。勉強をして損をすることはないのです。私は今でも書き写しをしています。

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『善の研究』第115回

 次に意識現象を以て唯一の実在となすについて解釈に苦むのは、我々の意識現象は固定せる物ではなく、始終変化する出来事の連続であって見れば、これらの現象は何処より起り、何処に去るかの問題である。しかしこの問題もつまり物には必ず原因結果がなければならぬという因果律の要求より起るのであるから、この問題を考うる前に、先ず因果律の要求とは如何なる者であるかを攻究せねばならぬ。普通には因果律は直ちに現象の背後における固定せる物其者の存在を要求するように考えているが、そは誤りである。

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 『菜根譚』130

 群疑に因りて独見を阻むことなかれ。己が意に任せて人の言を廃することなかれ。小恵を私して大体を傷ることなかれ。公論を借りて以て私情を快くすることなかれ。

 〔訳〕たとい大ぜいの人が疑いをもつからとて、自分が正しいと信ずる意見をやめてはならない。さりとて、自分の意見だけを信じて、人の正しい発言を採り上げないようではならない。また、小さな恩恵を施しこれに私情をさしはさんで、大局を見そこなうことがあってはならない。世論の力を借り人をきめつけて、腹いせをするようなことがあってはならない。
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 先程は、錦江台小学校で教鞭を採っている中島先生が半年ぶりくらいにやって来ました。ご令室様も復職したとのことでした。中島先生は少しくお痩せになっていましたが、元気あふるる顔でした。毎日、『南洲翁遺訓』を拝読しているとのことでした。
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 日々の生き方について、天から罰を受けるようなことをしてはならないと考えます。

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