味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

且つ人主は安危の繋る所なり。

2019-07-31 16:09:55 | ブログ
第3849号 01.08.01(木)

且つ人主は安危の繋る所なり。たやすく驕縦(きょうしょう)を為す可からず。朕若し情を肆(ほしいまま)にして驕縦せんと欲せば、但だ勅を出して、諌むる者有らば即ち斬らん、と云はば、必ず天下の士庶、敢て更に直言を発する無きを知る。故に己に克ち精を励まし、諌諍を容納す。卿等當に須く此の意を以て共に其れ談説すべし。不是の事有るを見る毎に、宜しく極言切諌し、裨益する所有らしむべきなり、と。『貞観政要』294

その上に人主というものは人民の安危がかかっているものである。だからたやすくおごり高ぶりかって気ままをなしてはならない。我がもし思うままにかってなふるまいをしようとすれば、ただ勅を出して、『諌める者があれば直ちに死刑にする』と言えば、必ず天下の人々は進んで直言を発する者がないことを知っている。だから私心を打ち払い精神を励まして、諌めを聞き入れているのである。公等はこの趣意をもって太子に説き聞かせるべきである。もし、太子に不是の事が有るのを見たならば、そのたびに遠慮せずに手きびしく諌めて太子の役に立つようにすべきである」と。295

 【コメント】人生に処するについて、驕り高ぶったり気ままをなしてはなりません。人間自分だけは思うままにしたいと思うものであります。

 ですが、一番いいことは全体の調和だと思います。その調和は、自分も人様も喜びあえるのでなければなりません。

 今日は参議員に当選した人たちが登院しました。思うに自分で歩けない人が立候補するのは国民を愚弄していることだと思います。そしてもう一人の伯父様は言葉も明確に発言出来ない人であります。

 この人は重傷患者だとは思いますが、一人で歩けない人が議員になることはおかしいと思います。

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朕、年十八、猶ほ人閒に在り

2019-07-31 09:33:50 | ブログ
第3848号 01.07.31(水)

朕、年十八、猶ほ人閒に在り、百姓の患難、諳練(あんれん)せざるは莫し。帝位に居るに及びて、毎(つね)に商量処置す。或は時に乖疏(かいそ)有り、人の諌諍を得て、方(まさ)に始めて覚悟す。若し忠諌する者為めに説くこと無くんば、何に由りて好事を行ひ得可けんや。況んや太子、深宮に生長し、百姓の艱難、都(すべ)て聞見(ぶんけん)せざるをや。『貞観政要』293

 我は十八歳のときまでは、まだ民間に居て、人民の苦難はよく熟知していた。帝位につくに及んで、常に人民のことを思いはかって処置した。しかし、時には理にそむき事情にうといこともあり、人の諌めを聞いてはじめて気づき悟ることがある。もし、誠意を尽くして諌める者が説いてくれることがなければ、どうして好い事を行うことができようや。まして太子は奥深い宮殿の中に生長し、人民の苦難を見聞きしていないのであるから、なおさらである。294

 【コメント】世に処して行くのに、人々の苦難を熟知すると同時に喜びも理解してあげたいものです。

 お互いが協力しあい切磋琢磨し人生に挑めば、より成果は得られると思います。努力を重ねている事象が仮に認められらなくても、人様の願いは聞き入れ良心を配分してあげる優しさ・ゆとりもあっていいのではないかと思います。

 現在私がブログで紹介している『貞観政要』にしても、私自身が読んで理解した後図書の恩恵を受けているということだと思います。

 今の日本国民は、平和と繁栄という安楽な言葉に酔いしれているという人がいますが、そういう状況下にあるようです。

 特にNHKをぶっ壊すという人が組織化するため人集めをしていますが、そのように提案する人の志向・人格が今のNHK以上の成果が得られるのでしょうか。

 私は森功著『悪だくみ』『官邸官僚』を読んでいますが、安倍さんのやり方にいろいろ問題があるとはいえ、立憲民主党等野党のやり方よりかはいい筈です。

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『善の研究』第281回

 しかしまた一方より考えれば、玉其物に斯の如き運動の力があればこそ玉は一定の方向に動くのである。玉其物の内面的力よりいえば、自己を実現する合目的作用とも見ることができる。更に進んで動植物に至ると、自己の内面的目的という者が明かになると共に、原因と目的とが区別せらるるようになる。動植物に起る現象は物理および化学の必然的法則に従うて起ると共に、全然無意義の現象ではない。生物全体の生存および発達を目的とした現象である。147

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『儒教と老荘』 「王道について」 第10回

 国家が武備を有するについても、厳正なる理想的根拠がなければならぬ。元来武備はそのなかにいかなる理念を抱くか。武の字を説文的に分析して考えると、そは戈(いくさ)を止めることを意味しておる。すなわち平和を実現するをもって本義とするものである。備は「そなえ」である。覚悟である。いかに生くべきかの、したがって、いかに死すべきかの決定的態度ともいうべきであろう。こういう真剣な態度は生活からあらゆる虚言虚動を一掃して敬虔ならしめる。
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 子供を扱う園で、いうことを聞かない幼児らに「死んでしまいなさい」とか「暴言があったという報道」がなされていますが、幼児は自宅で躾けるべきだと思います。私は十人兄弟ですが、母はそれはそれは厳しい人でした。いうことを聞かなければ、御飯を食べずに寝ていなさいという母でした。子供は親が育てなければならないのです。

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伏して願はくは、俯して

2019-07-29 17:03:26 | ブログ
第3847号 01.07.30(火)

伏して願はくは、俯して前躅(ぜんちょく)に循ひ、稍々(やや)下流を抑へ、遠大の規を弘(おおい)にし、師友の義を展(の)べんことを。則ち離徽克(りきよ)く茂(さかん)に、帝圖(ていと)(ここ)に廣からん。凡そ黎元に在るもの、孰れ慶頼せさざらん。太子、温良恭倹、聡明叡哲なるは、含霊の悉くす所なり。臣豈に知らざらんや。而も浅識勤勤として、愚忠をいたささんことを思ふは、滄溟、潤を益すし、日月、華(ひかり)を増さんことを願へばなり、と。太宗乃ち洎(き)をして岑文本、馬周等と與に、逓日に東宮に往来して、皇太子と談論せしむ。『貞観政要』292
 
 慎んでお願いいたしますには、前代のよい跡に従い、少しく父子の愛を抑え、遠大のはかりごとを大いにし、師友の義を広げますことを。そういたしますれば、皇太子の美徳は盛んとなり、天子の御はかりごとは大いに広くなりましょう。すべての人民は残らず喜んで頼りにいたします。太子のご性質が温良恭倹で、その智が聡明叡哲であることは、天下の人々が十分に知っております。私がどうしてそれを知らないことがありましょうや。それなのに、あさはかな考えの私が熱心に愚かな忠を尽くそうと思いますのは、大海にさらに潤いを増し、日月にさらに光を増そうということを願おうとするからでございます」と。そこで太宗は、劉洎に岑文本・馬周等と共に、更替に東宮に行き、皇太子と善事を談論させた。292 

 【コメント】我々凡人も性質を温良恭倹にして、その智が聡明叡哲であるようにと、自らを修養したいものです。

 何が大事かというに、表現することに真摯性があること、人を愚弄するようなお笑いを背景にするようなことをしてはならないと思います。とにかくまじめに勝るものはないと思います。今の吉本興業のやり方では駄目だという人の言をききましたがまさしくそのとおりだと思いました。
 
 最近、NHKをぶっ壊せという風があるやに伺いますが、あの真面目なNHKをぶっ殺し解体したら世の中どうなると思いますか。

 そして令和しんせんぐみなるものが、寝たっきりの人を引きずり込んで話題をさらっていますが、今の国会はそういう人を除け者にしているのではありません。

 動けない人が、健常者同様、言論だけを巧みにし、行動が伴わないとしたら、後々批判が殺到するでしょう。今でもそういう対象の人であっても、警察を始め多くの人々は過ぎる位大事にしているのです。

 昨日、飛行機に荷物を出し入れする青年たちの仕事ぶりを映像で拝見しました。今の世にこういう真面目な人たちがいるのかと眼を疑いたくなるような光景でした。それはそれは真面目であり、吸い込まれる思いでした。

 少なくとも私が勤務した電電時代の若者たちとは天と地ほどの差でした。電電時代の若者たちはヤクザの下請けの愚連隊同様でした。

 能力の無い私は、ただ誠心誠意一筋に真面目に働いたと思っています。大根占電話局時代の局長は、「あなた見たいに、気違いみたいに真面目に働いた人を今まで見た事がなかった」と言ってくれました。

 そして、あなたは一円の不正もしませんよネと言いました。前人が備品を買うといって、その金で飲み食いしたことを知っていたのでした。

 その飲み食いをしたという前任は、喧嘩早い人でした。そのたたりが晩年の哀れな姿でした。40歳を過ぎたばかりの男は動くのもやっとという状態でした。
 
 思うに、ずるいことをしてはならない、人を殴り倒してはならない、人をだましてはならない、物を盗んではならない、ということです。ただ、ひたすら真面目でなければなりません。すべては天が観ており、不正を働いた人には必ず制裁があるのです。
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 『儒教と老荘』 「王道について」  第9回

 しかるに不孝にもその国家理想実現の努力が、今日いずれの方面においても頽蕩しつつあるが上に、かくのごとき国家における道の生活を侮辱し、嘲弄し、否認する風が特に青年子弟の間に蔓延しつつあることは、実に国家の堕落不安この上もないと共に、武備、政治、教育の衝に当る人々の深甚な反省を要する問題でなければならぬ。
 なかんずく武備の弛緩に至っては、慨嘆すべきものがある。
 およそ人格を有する者に無意味の行為は許されない。

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古の太子、安を問ひて退くは、

2019-07-28 17:11:53 | ブログ
第3846号 01.07.29(月)

古の太子、安を問ひて退くは、敬を君父に廣くする所以なり。宮を異にして處るは、別を嫌疑に分つ所以なり。今、太子、一たび天闈(てんい)に侍し、動(やや)もすれば旬朔を移す。師傳(しふ)已下、接見するに由無し。假令、供奉(ぐぶ)、隙有り、暫く東朝に還るとも、拝謁既に疎に、且つ欣仰を事とす。規諫の道、固に未だ暇あらざる所なり。陛下、以て親しく教ふ可からず、宮寀、因って以て言を進むる無し。具寮有りと雖も、竟に將た何をか補はん。『貞観政要』291

昔の太子が朝夕に君父の安否を問うて退くのは、君を敬し父を愛することにつとめるからであります。天子と宮殿を異にして居るのは、疑わしいことを避け分かとうとするためであります。今、太子は一度禁中に参内すると、ややもすると十日から一か月にもなります。それゆえ師傅以下の者が、太子にお目にかかることができません。たとい天子に奉仕の暇があって、しばらく東宮に帰りましても、平素拝謁することが疎遠でございますから、ただごきげんを取ることだけに勤めて、正し諌めるという道には、暇がございません。陛下が親しく太子をお教えすることはできませず、太子の属僚も進言する方法がございません。太子の属官は備わってはおりましても、結局、太子の教導には少しも補いがございません。291

 【コメント】我々一般人が「君を敬し父母を愛する」ことはいいことだと思います。尤も父母だけでなく、人を愛する、仕事を愛する、勤勉さを愛することも大切だと思います。

 昨日は宇都伸一師範から電話があり元気あふるる声を拝聴することができました。体調は今少しとのことでした。お互い元気でありたいものです。

 只今、29日、午前10時35分、昨昨日、東京で21歳の青年が道路を歩いていた52歳の男性を撥ねて死亡させたとのこと、男性をひいた所は追い越し禁止の所であったとのことです。

 今、病気でなくても、一寸したことで死亡事件を起こすということは、病気を患っていることと同様だと思います。ですから、我々も細心の注意をして運転をしたいものです。

 特に自宅から車で降りて行く時は、市営住宅の若いお姉さん方が速度を減速させず、迫ってくるので怖くて仕方ないです。

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『儒教と老荘』 「王道について」 第8回

 夷の国とは何ぞ。これすなわち、徒に富国強兵を事とし、弱肉強食の動物的生活を快しとする、侵略的権力的国家に外ならない。
 華の国とは、これいうまでもなく夷国に反して、道を修めて文化を発揮し、人道的精神をもって自国より国際社会を光被せんとするものである。
 国家の経済生活は、単なる国家的生理である。そは人間の衣食住私経済と同じく、いかほど整えばとて、それだけでは決して満足することはできない。

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竊かに以ふに、良娣の選、

2019-07-28 09:21:24 | ブログ
第3845号 01.07.28(日)

(ひそ)かに以(おも)ふに、良娣(りょうてい)の選、中国に遍(あまね)し。仰ぎて聖旨(せいし)を惟みるに、本、内助を求む。微を防ぎ遠きを慎むの慮(おもんばかり)、固(もと)より群下の議する所に非ざるなり。人物を徴簡(ちょうかん)するに曁(およ)びては、則ち聘納(へいのう)と相違ふ。監撫(かんぶ)すること二周なれども、未だ一士をも延かず。愚謂(ぐおも)へらく内既に彼が如し、外も亦宜しく然るべし、と。不(しからざ)れば、恐らくは物議を招き、将に陛下は外を軽んじて内を重んずと謂はんとす。『貞観政要』290

 慎んで思いまするに、太子の良娣をお選びになるには、あまねく中国じゅうに求められました。陛下のご意志を考えてみまするに、もともと太子の内助をお求めになるものでございます。さように慎重にお選びになるのは微かな動きを防ぎ遠い将来のことを慎むお考えから出たもので、もとより私ども臣下が意見を述べるところではございません。しかしながら、役に立つ優れた人を召し出し選ぶことにつきましては、妻を迎える場合の慎重さとは違っております。太子が国政に携わることが萬二か年になりますが、まだ一人の士もお招きになりません。私が考えまするに、内の良娣を選ぶことがあのように慎重なのですから、外の士を選ぶこともまたそのようであるべきでございます。もしそうでございませんならば、恐らく世間の人々の論議を招き、陛下は外を軽んじて内を重んじると言うでございましょう。

 【コメント】良娣は女官のことであり、太子の妾ということですが、良娣から后妃となることもあるという。現代的には、要は外も内も軽んじることなく、鄭重に対応したいものです。

 人間の一生で大事なことは、どういう相手であれ、人に差別なく真摯に対応することだと思います。然しその親切さを裏切って恩を仇で返すような人は、最初からその人物を見抜く眼力がなければりなません。

 先般、吉本興行のチンプレーで社長が記者会見をしましたが、あのような無様な会見をする人は最初から見ぬかなければなりません。

 一方的に威張り怒った後で、それはジョークだったと自分の非を隠すような人は人の上に立つ資格はないと思います。

  お笑いにしても、そこに品位がなければならないのです。品位最低のものは反社会勢力と何らかわるものはないと思います。そういうお笑いの質が落ちるのはテレビ局の問題でもあると思います。

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『儒教と老荘』 「王道について」7

 これに対して我々は、実に近代日本の生活のいかに昏濁し、枉屈し、欺瞞せるかを思うて、そごろに恥じざるを得ない。いな、我々---我々の子弟---国家の将来を想うて、慄然たらざるを得ない。人に君子、小人の別あるがごとく、国にも華夷を弁じなければならぬことは、あるいは山鹿素行により、あるいは吉田松陰により、幾度か国民が胆に銘じて教えられたことである。

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