味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

夫れ天地の常なるは、其の心の萬物に

2017-10-30 16:20:35 | ブログ
第3227号 29.10.31(火)

夫れ天地の常なるは、其の心の萬物に普くして心無きを以てなり。聖人の常なるは、其の情の萬事に順ひて情無きを以てなり。故に君子の學は、廣然として大公、物来りて順応するに若くは莫し。『近思録』66

 そもそも天地の道が不変なのは、その心が万物にあまねく行きわたり、私心がないためですし、聖人の道が不変なのは、聖人の情が万事に逆らわず、私情を立てないからです。故に君子の学問としては、心がひろびろとして公平であり、物が来たときそれに逆らわずに応じるといったことが第一です。66

 【コメント】大変良い教えだと思います。でも我々末端の者には迚も聖人の真似は出来ませんが、只管真面目に、欲を出すことなく日々堅実にありたいものです。

 只今31日午前9時35分、先程テレビでSNSでの金儲けできるというサギのことが紹介されました。いろいろな手口で騙すのでしょうが、そういうことをしたら長い人生では、天の制裁を受けることになるのです。ですから、人様を騙すなどということをしてはならないし、なおまた余計なものには手を出さないことです。

 私のこのブログは5年前娘が投稿できるようにしてくれたのでした。何もすることかがないと老人の父が呆けるか早死にしはしないかと慮って解説してくれたのでした。

 今回で3227号になりますが、漢籍等を中心としてブログ発信して至らない自分を正してくれるので有難いと思っています。

 安岡先生も申しているように、漢籍は一回読んだだけでは理解できません。何回も何回も、あれを読みこれを読みしていくうちに理解できるようになってきます。

 そして古の聖人と言われる人々の訓戒を真面目に聴くことによって、自分の人生に寄与できると信じています。とにかく邪心を抱かないことです。そんなに儲けなくていいじゃありませんか。

 美しい心で、健康で有り続けることが出来れば、それが最高の幸せだと思います。その為には『南洲翁遺訓』と漢籍を繙くことだと信じています。

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「西郷南洲の政治思想について」----第12回

 是の如き虚妄な生活に漂うて居る者より、内面的にはまだしも暴を以て暴に報いる様な侠客者流の方が真剣である。彼等は外面的に又功利的には随分害も有ろうが、彼等にはまだしも溌剌たる活力が存しておる。敵と戦はうという烈しい意志がある。この生気こそ化育の根本であって、この生気を失ってしまえば最早精神生活も何もあったものではない。けれども暴力的応報思想は確かにまだ幼稚と言はねばならぬ。眞の生活は暴に陥れずして、もっと有道ならしむるところにある。
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『不動心』(第94回)

 ものごとの内部を見抜く眼力
 ものごとの内部を見ること。その本質や本来の価値を見逃してはならない。
 人間を支配する理性は、自分自身がいかなる条件のもとで、どのような目的のために、何を材料に使って仕事をするかについて完全に理解しているのである。

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『臥牛先生遺教抄』(第52回)

 道にすなおならではならぬものなりと教えられ、譬えを引いて仰せらるるには、岡田某が本因坊に囲碁の教授を頼みたるに、傍らにある十五六歳と覚しき家の娘を顧みて、この者と打ち給えと言う。心の中にはかようなる小女かと不満に思いしが、やがて局に対して討ち始めたるに、奇手妙手とても更になく、極めて柔順なる手筋なれば愈々弱手ならんと思いしが、結局に至り却って幾目かの負けになりぬ。流石に名手の教えに学びしものと感服せりと語りき。少女元来技能あるにあらず、教えらるる法を型の如く守りたるのみ、これ即ち教えに柔順なる証なりと。
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聖人は則ち思はずして得、

2017-10-30 09:41:57 | ブログ
第3226号 29.10.30(月)

然れども聖人は則ち思わずして得、勉めずして中(あた)る。顔子は則ち必ず思ひて後に得、必ず勉めて後に中る。其の聖人と相去ること一息なり。未だ至らざる所の者は、之を守るなり。之に化するに非ざるなり。其の學を好む心を以てして、之に假すに年を以てせば、則ち日ならずして化せしならん。63『近思録』

 しかし聖人は、思わずとも道を会得し、努力せずとも道にかなうのだし、顔子は思ってから会得し、努力してからかなうのだから、聖人との距離は、あとひといきといったところだ。聖人の境地に達してないのは、道を守るだけで、道に同化してないからである。学問好きな心があることだから、もし長生きさせたら、そう時間もかからずに道に同化したことであろう。63

 【コメント】凡人の我々も長生きして道に同化し学問好きになりたいものです。ただ私の場合、日々漢籍を繙くことが楽しくてならないのです。それはまだまだ知らないことが多すぎるということでしょうか。

 出来るものなら西郷南洲翁が菅先生に『書経』『詩経』を学びなさいと言われた気持ちがわかりたいものですが、西郷先生の訓戒だとして真摯に耳を傾け更なる実践を積み量ねたいと思います。

 先程は今回の選挙で大敗した希望の党、民進党の人々が、前原代表につめよる場面が紹介されました。結果論ですが、小池氏、前原氏との了解事項を他の人々にも納得して貰う必要があったやに思われます。

 労働組合関係の仕事を長年経験した私に言わせると、今回敗北した野党の人びとの政策は、この日本のためにという天の声だったと思います。

 反戦・平和は大変大事なことなのですが、子供を若い大人をこれ以上甘えさせたら、人間の生きている価値、存在が亡くなると思うのです。

 全電通では全国を組合幹部がオルグを開催したものです。その中では、権利意識を中心にお話をするのです。命がけで仕事をしなさいとは言わないのです。

 私は父が倒産した後との尻拭いをするため、命がけで働いてきました。その私から観ると青年社員たちは仕事をしているのか、遊んでいるのかわからない位でした。

 それでいて賃金あげろというから、世の人々から見離され民営化せざるを得なくなったのです。社員に自分の名札をつけさせることでも多くは反対したものです。

 今言うリベラルというのは日本社会(破壊)党だという人がいますが、そのように思える部分もあるようです。

 兎に角、日本人と云うのは、その精神性において世界に誇る民族なのです。上司の言う事は素直に聞き、真面目に仕事をする気風が民族を作って来たのです。

 昨日は何でも言って委員会で、今回の選挙で安倍さんがいいと思って投票した人は殆どいなかったという数字が報国されました。謙虚に丁寧にといいますが、全く真逆です。人間正直でなければなりません。

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『日本精神の研究』より「西郷南洲の政治思想について」----第11回

 達道の師の偈を読んで澄んだ心持ちになる様なもので、好い心持には相違ないが、鍛錬の結果到達した誠の悟境とは全然違ふ。それでも我々の宗教心には相応の満足を與へずには置かない。それを誤って眞の悟境と解して、章疎の中より記持した智識で人を宗教に導こうとすれば、それはとんだ僭上である。今の平和主義者や無抵抗主義者に少なからずかういう虚妄の存することは如何しても否めない。243
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『不動心』(第93回)

 自分が正しいと信じたことは断じてこれをなせ
 正しいことを行うにあたっては、凍えそうなほど寒かろうと、あるいは火傷しそうなほど熱かろうと、そんなことは気にかけなさるな。睡魔に襲われていようが、十分に睡眠をとってスッキリした気分でいようが、人からののしられようがほめられようが、気にしなさるな。たとえ死にかけていたって、仕事の最中だって気にすることはない。

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『臥牛先生遺教抄』(第51回)

 詩書・論語の講義を聴き給いし後、毎度諸生に語げらるるは、講義を聞く前に習読するはよけれども、ややもすれば己が見る所心に横たわり先生の講義心に入らぬ事あり。講義終わりて後静かに反覆玩味すれば、段々融解して限りなく風味を覚ゆるなり。予尚書を聴けば常に頭上より物を覆いかぼせらるる如く、終には睡気を催すに至る。毛詩を聴けば横臥して人情世態の物語を聴くが如く、尚書のように苦しき感はあらぬなり。総じて聖経の義は広大深遠なれば、絶えず心を潜むるにあらずして、只一席の講義を聴くのみにては解し得らるるものにあらずと仰せられ、ご会読後は日々一二章ずつ反覆玩味、身に体し心に験し給うかと仰望しぬ。
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学ぶ道は、必ず先ず諸を心に明らかにし、

2017-10-28 14:57:22 | ブログ
第3225号 29.10.29(日)

然れども、学ぶ道は、必ず先ず諸(これ)を心に明かにし、往く所を知り、然る後に力行して以て至るを求む。謂ふ所の明かなるによりて誠なるなり。之を誠にする道は、道を信ずること篤きに在り。道を信ずること篤くんば、則ち之を行ふこと果なり。之を行ふこと果ならば、則ち之を守ること固し。仁義忠信は心を離れず、造次も必ず是に於てし、顚沛も必ず是に於てし、出処語黙も必ず是に於てす。『近思録』61

 しかし、学問の道としては、まず道理を心得て、行き先を知ることが肝要だ。それから力行して目的への到達を求めることである。これがいわゆる明かになることによって誠になることである。心を誠にする方法は、道を信じることが篤い点にある。道を信じることが篤ければ、実践は果断になるし、実践が果断になると、道の守り方が堅くなる。そして仁義忠信の徳は心から離れず、あわただしいときにも必ず道に従い、とっさの場合も必ず道に従い、進退語黙についても必ず道に従う。61

 【コメント】<道を信じることが篤ければ、実践は果断になるし、実践が果断になると道の守り方が堅くなる」>というのは正論だと思います。

 孟子告子上篇に「仁義忠信、善を楽しみて倦まざるは、此れ天爵なり。」とありますが、忠はまごころ、信はまことであります。
 こういう教えを日常化すれば、高速道路であおり運転をするなどというバカゲタことは極めてナンセンスということが自然と分かる筈です。

 相手の人とトラブルを起こして相手に不快な思いをさせるのがいいか、仲よくして信頼関係の和を固くすることがいいかを熟考すれば、解決策は自ら出て来る筈です。

 こういう問題を円満に処理解決できないようでは真っ当な大人とは言えないでしょう。そして、トラブルを起こした後々、人生に不幸が出てくるということを教えているのは、天風師獨りだけでなく、多くの漢籍も訓戒しているところです。

 人間人様との協調が図られ、日々を上手く生きられればこれ以上の幸せはないと思います。


 昨夜の本部空手道教室も賑わいました。新しく入門した2年生・荻迫栄笑くんもみんなと楽しく和気藹々しながら、御稽古をしました。

 空手道の中身は全国何処にも負けないと思っていますので、子供たちともども修行を重ねて行きたいと思っています。ただ、突き合う、型をするだけでなく、遠い将来へ向けて、空手道修行をしてよかったといえるように指導して参りたいと念じています。

 その為には『南洲翁遺訓』と漢籍の学問に触れさせ、人格を創るための修行をすることこそ、最高の取り組みだと思います。

 今朝の読売新聞に全国の子供たちちの"いじめ"問題に言及し、些細なことでも報告するよう提起していますが、思うに、強く正しく生き抜く術をこそ教えるべきです。

 すこしぐらいのジャレアイは社会訓練の一つなのです。私の空手道教室は私が面白いことを言う物ですから子供たちはゲラゲラ笑いながら楽しんでいます。その中で人生の要諦を教えるのです。

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「西郷南洲の政治思想について」----第10回

 更に怯懦で狡猾な輩は悪と知っても、其の悪の力強しとみれば、障らぬ神に祟りなしで、当らず障らずの逃避的態度を取る。これ所謂義を見て為さざる勇無き輩である。何れも生活の真実義より観て排斥すべき心術であるが、しかも此等の者が其の良心を偽瞞する為に、おのづから平和主義無抵抗主義等の美名を以て其の卑屈な心術を粉飾することがある。彼等は依って以て良心を偽瞞するとは固より思ふまい。然しながら其の主義は行路難を踏破することなしに語られぬ。語れば要するに机上の空論に堕する。
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『不動心』(第92回)

 自分の力、人の価値に応じた人助けを
 
 そこに困っている人がいる。あなたには助力の余裕もある。彼も助けを受けるにふさわしい----こうであれば援助してあげなさい。ただ、その人の失敗が道徳的なものでなければ、そりは大した傷ではない。
 どんなに孤独に追いやられたときも、私は運に恵まれた人間であった。運命から立派な気質と正しい感情と善行を授けられる人間こそが、ほんとうの意味で、運に恵まれているといえるのだ。

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『臥牛先生遺教抄』(第50回)

 善く物を味わうるは即ち力なり。古人の行跡を書籍に見、この事はかくこそあらめ、かかる困難の地に立たば進路谷(きわ)まりしならんと、我が身に引き付けてつくづく玩味すれば覚えず涙流るるなり。又師の教えを常に考え、彼の言を実地にあつればかくなるぞと味わうれば、深く感じて涙流るるなり。目前の困る時は誰もよく味わうるも、平生書籍なり教えなりをよく味わえて、感涙流るる程にならざれば、機に応じ差し支えなく処分は出来ぬなり。時勢を味わえ天下国家を味わえて涙を流す英雄豪傑皆然り。畢竟天下国家に深切なる心より生ずるなり。 
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聖人は学びて至る可きか、と。

2017-10-27 17:01:17 | ブログ
第3224号 29.10.28(土)

聖人は学びて至る可きか、と。曰く、然り、と。学ぶ道如何、と。曰く、天地精を儲くるとき、五行の秀を得し者を人と為す。其の本や、眞にして静。其の未だ発せざるや、五性具わる。仁・義・礼・智・信を曰ふ。『近思録』60

  「聖人の境地は、学んで到達できるものであろうか。」「できる。」「学ぶ方法はどうだろうか。」「天地が物を作るとき、五行のうちの優秀なものを受けたのが人になる。根本は、真実で静かであり、外に現れてないところでは、五性が満足な姿で備わる。五性とは仁・義・礼・智・信である。60

 【コメント】我々凡人には聖人になれるかとは難解この上もありませんが、真面目に実践してみる必要があると思います。「五行のうちの優秀なものが人になる」とありますが、高速道路であおり運転をし、車を止めて人を死においやるのは人ではないということになりそうです。

 今朝の読売新聞世論覧には、件の25歳青年の刑罰は厳しくすべしと書いてありますが、同感だ、という人は数多存在すると思います。

 先にも書きましたが、この青年は五性を培うということは出来ないと思います。多分刑務所を出たり入ったりすることになるでしょう。

 人の世に生れてきて、何と可哀想な損失多き人生を生きるのでしょう。これらはただ一つ、心掛けひとつなのです。人間自分がかわいいわけですが、自分を思う気持ちで人様に対応することなのです。

 普通、子供の時は事件性が疑われる場合でも、年齢が少ないということで、世の中も、本人も罪にはならないのだと思っていますが、そういうことはないのです。

 年齢に関係なく、天はこの人間だ、ということは認識しているのです。それが長い人生で累積されて天の制裁があるのだとは天風師の論です。私もそう思います。

 78年生きてきてみて、ワルと言われる人間はワルを重ねてきているのです。
 そういう自分を改革するために『南洲翁遺訓』外漢籍を繙くことをお勧め致します。そして古の聖人の教えに真摯に向き合うべきだと思います。

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「西郷南洲の政治思想について」---第9回

 然し一度白日の下盡大地上に立つ時我々の行路は実に多難である。我々は内的にも外的にも性命の理によって悪に克たねばならぬ。あらゆる方面に於て悪との戦いは人間の義務であり、之を逃避して真実の人生は有り得ない。然るに多くの可憐な人間は悪の力の強い時之に屈し之に服して了ふ。彼等は未だ善悪を明確に自覚するまでに至らない。唯渾沌として力に率いられる。
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『不動心』(第91回)

 自分の魂を解放するということ

 そのことが私の罪でもなく、私の罪から引き起こされたのでもなければ、そして社会がそのために台無しになっのでなければ、いつまでも関わり続けるのはやめよう。およそ、そのために社会が被害を受けるなんてことがあり得ようか。
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『臥牛先生遺教抄』(第49回)

 或る時教えらるるには、賢人と思い教えを受くる以上は、深く信じて疑わぬものなり。譬えば今海に落ちて死ねよと言わるれば、訳をも問わず直ぐ落ちる程ならでは信ずと言われぬものぞ。かくの如く一言の下に飛び込む程の英気なくては役に立たぬものなり。予諸先生の教えを深く信ぜし故諸先生より過分に取られしなり。西郷先生を信ぜし事も決して人に劣るまじと思うなり。予過失あらば先生馳せ来たり教えらるるならんと自信せり。先生天下の政を執られなば、第一予を呼ばれなん。その次は源也ならん。汝の失は篤信に乏しく、たとい孔子今にいまして直接教えを受くるとも、一より十まで悉く信ずる事は出来ません。是れ甚だよからぬ事なり。深く心を用いよと教え給えり。
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聖人の門、其の徒三千なるに、

2017-10-26 14:52:33 | ブログ
第3223号 29.10.27(金)

或る人問ふ、聖人の門、其の徒三千なるに、獨り顔子を称して学を好むと為す。夫の詩書六芸は、三千子習ひて痛ぜざるには非ず。然らば則ち顔子の獨り好む所は、何の学ぞや、と。伊川先生曰く、学びて以て聖人に至る道なり、と。『近思録』59

 聖人のところには、三千人の弟子がいたのに、孔子は顔子だけを学問好きと褒められた。あの詩書などの経書について、三千の門人は、すべて学習してよくわかっていたはずである。とすると、顔子だけが好んだのはどういう学問であろうか。」と、ある人が伊川先生に問うたところ、先生はこう申された。「勉強して聖人の境地に到達する道である。」59

 【コメント】解説では顔子だけが聖人の境地に到達する道、とありますが、一人顔子だけでなく、他にも多くおいでになると思われます。

 最初は何がなんだかわからずとも、実践して行くうちに少しずつ理解し熟達度は上って行くことでしょう。何れにしてもやり続けることが大事だと思います。

 連日、漢籍を繙き知らないことだらけの私にいろいろと教えてくださるので有難いと感謝する毎日です。

 昨夜の空手道教室も賑わいました。来週の木曜日、薩摩の郷中教育の流れを取材したいとして東さおりという方が取材においでになるとのことです。それを子供たちに説明し、少しく緊張した思いで御稽古を致しました。

 最後の南洲翁遺訓発表では誰の声が一番聞き取れるかと思い元気を出して貰いました。佳那子様の声が澄み切っていて非常に張りがありすばらしいと思いました。

 今朝のテレビでも衆議院選挙のことが話題提供されました。何事にせよ、生きて行く上においてはお互い様ですので、決して驕り高ぶることなく、謙虚でありたいと思っています。

 人間には順調のときもあれば、思ったとおり行かないことも多々あるものです。何れにしても、只管真面目に、手を抜かないで、世の為人の為つくしたいものです。そういう自分像を構築・形成するためにも、『南洲翁遺訓』とか漢籍を繙くことを日常化したいものです。

 まかりまちがってもギャンブルなどはしないことです。近くにパチンコ店がありますが、若いお姉さんたちが血相かえて入店していく姿を見て、気の毒に想えてなりません。

 門下生で伊織さんは医者になる、というし、恵士さんは警察官になりたいと申していますので、絶対に驕らない、人を見下げない人になってくださいとお話しています。

 枕崎で38歳の医者の方が早死にしたこともお話しました。この方は連日、人々を見下げ罵倒していたそうです。


 緑の党から選挙に出馬していて落選した若狭勝さんが政界から引退するとのことです。若狭さんの『参謀力』を拝読し、思っていたとおりの人柄にふれて御苦労様といいたいです。

 小池さんの頑張りも素的ですが、事を進める上においては、周囲の人々とよくお話合いをして欲しいものです。

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「西郷南洲の政治思想について」--第8回

 痛烈、実に師家の熱喝を浴びた様に感ぜられるではないか。今は平和主義無抵抗主義等の流行する世の中である。試みに新聞雑誌や講習でこの種名家の説に接すると、実際如何なる聖賢君子輩出の世かと思はれるが、一度事に臨めば、椿西八郎ならずとも、文化者流何ぞ事を解せん。我は齊東野人にて足れりと呟きたくなるであろう。一体人間に学問が発達して以来、殊に近代哲学科学文芸等の普及以来我々の生活は知らず敷らず空虚になり易い。理論の技巧を弄して概念の建築を事とする学匠や末梢神経を動かして幻覚の世界を作る文人の影響で、何人もつい着実な工夫を忘れ勝ちである。そして虚妄を真実とし、屑屑として主義とか運動とかに狂奔する。
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『不動心』(第90回)

 人間が神と共通する二つの点

 着実に道を歩みたまえ。考えたり行動したりするときにはわき道へはずれないよう、真直ぐ進みたまえ。そうすれば日々の生活も円滑に進んでいく。あらゆる理性的動物の魂と同じように、人間にも神の魂と共通する点が二つある。一つは、魂は外界から邪魔されないということ。もう一つは、魂にとって態度や行動が正義にかなっていれば善であり、どんな願望でも正義にかなってさえいれば善として認められるということだ。

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『臥牛先生遺教抄』(第47回)

 信玄・謙信数年の間互に一生懸命に戦争せり。さて戦い終る毎に謙信は信玄ならばかかる粗暴なる戦いは為さざるべしと嘆じ、信玄は亦謙信の如き果敢なる決戦は我が及ばざる所なりと言えりと聞く。人は自ら長短あるものなれば、道を学ぶ者もかくの如く己が長短を知り居らねばならぬものぞ。しかし直ぐにその短を補えというには非ず、只知りおれば善きなり。
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