味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

偉人の紹介「瀬山陽」

2010-10-30 10:29:37 | ブログ

タイトル----偉人の紹介「瀬山陽」。第637号 22.10.30(土)

 勤王倒幕の導火線となった『日本外史』の著者。広島の人、安政九年生。外史は二十三歳の頃起稿し、四十九歳の時完成。天保三年死去。明治二十四年特に正四位を贈らる。

…‥‥‥

 男児学ばざれば、則(すなわ)ち已(や)む。学ばば当(まさ)に群を超ゆべし。(いづく) んぞ奮発して志を立て、以て国恩に答へ、以て父母を顕(あらわ)さざるべけんや。

 瀬山陽は通称を久太郎と云った。寛政三年の四月、久太郎は五経の一つである易経を読み終った。時に年十二歳であった。そうして、これから文章を作る事にも力を注ごうと決心した。

………

『私も学問をするからには並々の学者で終わりたくない。昔の聖人賢人にしろ英雄豪傑にしろ、私と同じ人間であったのだ。私も、もう十二歳だし、学問を始めてから六年になる。発奮して努力勉励しなければ、唯の平凡な学者として一生を終わる事になってしまうであろう。愚図愚図してはいられない。大いに勉強して、一世を導くような人物となり、国恩に答え父母の名を顕し、忠孝の道を成遂げなければならない。そうだ、私は今はじめて文章を作ろうとしているのだ。これを書こう。此の私の決心を書こう』

………

 久太郎は、この決意を以て筆を執った。そうして書き上げたのが立志論であって、冒頭に掲げたのは、その一節である。久太郎は生まれつき聡明鋭敏であったには違いないが、然し、非常な勉強家であった。

『汝(なんじ)草木と同じく朽ちんと欲するか』

 久太郎は、こういう文句を紙片に書いて書籍の間に挟んでおいた。読書に厭(あ)きると此の紙片を取りだし、之を叩いて更に勉強を続けた。こういう猛烈な勉強は、何の為であったか。云うまでもなく、立志論がその明白な答えである。

 然し、瀬山陽の刻苦勉励は少年時代だけの事ではなかった。五十三年の生涯を通じて非常に努力したのである。だからこそ、日本外史や日本政記などを著して、勤王の精神を鼓吹 (こすい)し以て国恩に答え、その名を天下後世に留めて父母を顕すことができたのである。

『余を才子であるという者は未だ余を知れる者ではない。余を目して刻苦勉励の後、一人前の男となったのだと云う者があるならば、その人は真に余を知れる者である』

 之は、瀬山陽が天下に名をなすに至った後、常に人に向かって云った言葉である。

 浅見絅齊という学者は、志すという字に解釈して、

『雁は腐りて蛆(うじ)となるも蛆はなお北に飛ぶ』と云った。志を立てるというのは、唯こうしようと思うだけの事ではない。しようと思うと同時に実行することである。

 瀬山陽は十二歳にして自ら自分の運命を決定したのであった。立志論は、その宣言であった。稽古に作った文章では無かったのである。

………

 日本空手道少林流円心会では、永年、『南洲翁遺訓』はじめ漢籍の言葉等々を、子供たちに教えてきました。先週から、稽古の日、道場に来た順番に短い漢籍の言葉を入れた文章を書かせるようにしました。

 幼児期にこんな難しい言葉を、と言われる保護者もおられるでしょう。保護者が知らなくても実際に書いた子供は頭にインプットしているのです。それが十年後、二十年後、彷彿と顕現してくるのです。

 その一寸した言葉が、頭の栄養となり、やがて強固な精神を培養する媒体となるのです。物事を冷静に判断し、ここだ、と思う時は果敢に挑戦する、そういう気概が健康保持と長生きに繋がるのです。これらは今時云うサプリメント以上の効果があると存じます。

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礼節いろは言葉 「こ」

2010-10-29 09:26:43 | ブログ

タイトル----礼節いろは言葉 「こ」。 第636号 22.10.29(金)

 「こ」 功と謀 用いるなかれ 人の道---剛毅木訥は、仁に近し『論語』

『荘子』、〈功を以て人に勝つこと無(なか)れ、謀を以て人に勝つこと無れ〉、「知力、謀略などをめぐらして、人に勝とうとするな。そんなことは、真に人に勝つことではない。心の中に誠をおさめ、自然に逆らわぬようにするのが、人に勝つ方法である」と訓えています。

『論語』は、〈剛毅木訥(ごうきぼくとつ)は、仁に近し〉といい、「物欲に動かされず、純朴でことば数は少なく、かつ決断力に富んでいる人は、大体において仁者に近い人である」というのです。

 なお、『小学』は、〈鵠(こく)(こく)して、成らざるも尚鶩(ぼく)に類する者なり〉、「鵠(白鳥の類)の形を刻んでできなくても、鶩(あひる)に似たものができる。謹直な人を学んで、同等に謹直な人にはなれなくても、それに近い人物にはなれる」というのです。純朴でそして謹直な人を学び、人の道に反しない人間になりたいものです。

 そして、『宋名臣言行録』がいう〈事の是非如何を顧みるのみ。成敗に至りては天なり〉、「事を遂行するにあたり、それが是であるか、非であるかということが大切で、成功するか失敗するかは運命である」。

 だから人の道に反する、功と謀を用いることは賢明ではないと思います。

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『西郷南洲語録』、まえがきの紹介--2.

2010-10-28 10:45:58 | ブログ

タイトル---『西郷南洲語録』、まえがきの紹介---2。 第635号 22.10.28(木)

 第633号に続きます。

 西郷はグレート・マン(偉人)というよりヒーロー(英雄)というほうがピッタリとくる。同じ英雄でも、ナポレオンや豊臣秀吉や毛沢東などに負けないような功業をなしとげた上に、人間としての品格の偉大さをもって後世の人びとに影響を与え続けていることが、彼の特徴である。

 中でも、彼が階層をこえてあらゆる人びとに好かれるのは、自分を捨てて大きな義侠を貫いたその生きかたの美しさが、心を打つからである。このいさぎよい生涯が桜の花に似ているからだ。

 西郷は口舌の人ではなく、行動の人である。しかし、彼が残した詩・文・言は思いのほか多い。名文筆家といっていい。書くという行為は、考える、選ぶ、まとめるという表現能力を必要とするが、彼が維新革命活動の怱忙の間に、これほどのものを書いていたとは、一つの驚異である。不明のものを入れると、千通にのほるだろうと推定されている。

 本書は、西郷の語録を選集し、解説することによって、このように高潔な人格を形成する諸要素、そのなしとげた仕事(行動)の意味、それと現代の私たちの生き方との関係などを説いた、一種の歴史的読み物でもあり、人生の参考書でもある。

 異常な体験によってみがかれた西郷の言葉は、時代と場所を超越して、生きがい(人間の生存価値)を探求する人びとの胸に響き続けるものと信ずる。

           昭和52年4月                鮫島志芽太

 鮫島先生は文筆活動を開始してから、西郷隆盛だけを書き続けた人であります。世に物書きという人は数多おりますが、一人の人物だけを書き続けたということは、それこそ「驚異」であります。それだけ西郷隆盛という人が、人にペンを握らせ書かせるということなのて゜しょう。それほど魅力のある人なのだと思って、私どもは『南洲翁遺訓』を学び続けているのです。

 道場に集う小学1.2年生が、暗唱している『南洲翁遺訓』第一章を、一人で、何も見ないで発表できるのをどうご覧になりますか。これこそ人間教育なのでございます。

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『西郷南洲語録』、まえがきの紹介。

2010-10-26 15:12:32 | ブログ

タイトル----『西郷南洲語録』、まえがきの紹介。第633号 22.10.26(火)

 鮫島志芽太著を購入したのが出版した翌年の昭和53年でした。『南洲翁遺訓』と出合った頃であったので何回も何回も読みました。「まえがき」を紹介します。著者の先生はご他界されたし、あれから30数年経過しているので、絶版になっていると思います。

 まえがき------自己改革の語録

 西郷隆盛という人物は、変革の時代と酷烈な環境がつくりあげた、人間の芸術品のような人格美を持った男である。しかし、その人間形成の基調をなしている第一義のものは、彼自身の強烈な意志である。使命感---西郷の言葉によれば天命感----といってもよい。このような志があったからこそ、どんな困難に出あっても----その苦しさがどんなに長くても----彼はくじけなかったのだ。

 西郷ほど異常な体験をした人間も珍しい。が、また彼ほどに、その異常な、ある意味ではマイナスの体験を、プラスに生かし切った人間も珍しい。まことに、自己改革の名人芸である。これだけでもも、偉大な精神の持ち主であったといえる。

 新渡戸稲造は西郷のことを、「リンカーンに劣らない偉人である」と、外国人に紹介している。リンカーンも強力な意志を持って逆境を乗り越え、見事な人格をつくりあげて信望を得た。両者とも困苦・欠乏の中で、自己の生きがい----存在哲学----をつかみ、同じような人道主義の思想をもって弱い者の立場を尊重し、最後は非業の死をとげた。結局、彼らにとって、困難は人生開眼の機会だったのだ。----続きます。

 

 

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礼節いろは言葉 「ふ」

2010-10-25 17:45:23 | ブログ

タイトル----礼節いろは言葉 「ふ」 第632号 22.10.25(月)

 「ふ」 布帛より 煖かなりし 善言を---舟覆りて、乃ち善く  『淮南子』

 『荀子』は、〈善言を与うるは、布帛(ふはく)よりも煖かなり〉、「人に善い言葉を与えるのは、身体を包む布とか絹とかを与える以上に、めぐみが大きい」と訓えています。時代が進むということは、善きことだと人々は思っているでしょう。

 ところが今日の世相はどうでしょう。極端でないまでも弱肉強食の感、ひとしおのような気が致します。『老子』は、〈天の道は、有余を損じて、不足を補う〉と訓えています。「天は、すべて余ったものを減らして足りないものを補う」と云うのですが、人間界は余っている方にはますます力を入れて、足りないものをますますこれを減らそうとするように思えてなりません。それが高じた場合、争乱が起きるというのは歴史が証明しています。

『淮南子』は、〈舟覆りて、乃ち善く游ぐを見る〉、「舟が転覆して、初めてその中の人のよく游ぐことがわかる。能ある者が艱難の場合に現われてくる」と云うように、布帛よりも煖かい善言を与えると同時に、善く游ぐを見る、いわゆる能力ある人が現れ、人々を救済して欲しいものだと思います。ここで大事なのは、遊び呆ける人を更に教育したいということです。

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