沢山あるブログの中からtoshi&masaのブログにお越しいただき、本当にありがとうございます。
と、いつもとはちょっと違う文章で初めてみました。
実はこれ、ねむの木学園のホ-ムページを見たとき、初めに書かれていたものを自分のブログに当てはめてみたものです。
今日は、ねむの木学園に関する事を書かせていただきます。
前回11日の久し振りのブログで、すごく思ったことがあります。
それは、今までにない新しい喜びでした・・・。
このブログに書かれていたコメントは、私の二女からのもので、それを読んで思ったことがあるんです。
親のエゴで連れていったねむの木学園でしたが、娘達にはちゃんと心の中に、何かが、何かが残っていたんだ・・・。
このことは、親として本当に嬉しいこと。嬉しい発見でした。
ということで、もう一日、宮城まり子さんのことを・・・。
写真は、ねむの木学園で買ったタオルとCDです。
今はもうすっかり擦り切れて、鮮やかだった黄色も色あせてしまったこのタオル。今でも我が家では現役で活躍しています。
捨てられないんですよね、こういう思い出のあるものは・・・。
先日、改めてこのタオルを見て、普通だったら、もう雑巾になっているのに・・・って思いながら写真を撮りました。
何か心に残っている思い出の品って、古くなってもこういうところで輝いているんですね・・・。
星
私が、消えてしまう時
星になりたいと思います
だって、夜、淋しい時
空をみてくれたら
ありったけで、サインを、おくれますから
子どもたち、よくねむれると思います
あんまりいろんなことを、やりすぎて
つかれて、私が消えた後
小さな星になりたいです
いろんなことを、大いそぎでやることは
とても、大変なんだけれど
なにかを、しのこすのは
なくしたいのです
だから、とてもあせるんです
一日が短すぎますもの
宮城まり著「なにかが生まれる日」より
この本が発刊された1986年当時、宮城まり子さんは59歳。
私たちがねむの木学園を訪れた時は、67歳。
そして、今年で、宮城まり子さんの年齢は、83歳です。
宮城まり子さんが、ねむの木学園を創る決意をされたのが1960年、33歳の時でした。身体障害児の、家庭に恵まれない子どもの学校教育と生活の場が与えられておらず、まだ法律も制度もないことを知ってからの決意だったようです。
歌手でデビューされた宮城まり子さんが、これらの活動を始められるきっかけとなったのは、1957年、雑誌社の取材で知恵おくれの子どもたちを知ったことでした。まり子さんがちょうど30歳の時です。(ねむの木学園のホームページより)
http://www.nemunoki.or.jp/history.html
私は、今回、改めてこの履歴を見た時、宮城まり子さんという一人の女性の凄い、というか素晴らしい生き方に感動しました。
宮城まり子さんは、歌手・女優ではなく障害児教育の先駆者だ!
というイメージチェンジ・・・、でもないですね・・・。
その双方すべての持てる能力を100%生かし切った凄い女性!
上手く表現できないけど、本当に素晴らしい日本人ですね・・・。
今日、このブログを書きながら、ねむの木学園の子供たちが歌っているCDを何度も聴きました。このCD、時々聴いているのですが、いつ聴いても心に響く美しい歌声です。
特に今回は、特別な思いで聴いている自分がいましたね。
宮城まり子さんも、車椅子で新入社員の面接に・・・。
このことを知ったお陰で、母の車椅子生活を受け入れることができましたから・・・。
自分で歩けないことを除けば、今までと何ら変わっていない今の生活。やはり感謝ですよね。
ついてるついてるハッピーライフ!ですねぇ~。
サンキューベリマッチ・トミスケですねぇ~。
明日から、母は、入院していた病院の関連施設で、退院後初めてショートステイでお世話になります。この施設では、久し振りのお泊まりとなります。
車椅子のトミスケです。よろしくお願いいたしまぁ~す。
お読みいただき、ありがとうございます。 (toshi)
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