toshiです。いつもありがとうございます。
今日は8月15日。68回目の終戦の日ですね。
toshiは昭和24年7月生まれの64歳、終戦後4年目に生まれています。
終戦後4年・・・。
この4年という歳月を今の生活の中で考えてみると、ついこの前のことって思えます。
ということは、toshiが生まれた頃は、戦後を迎え世の中が激変して間もない時代で、さぞかし両親も大変だったろうな、ということが容易に想像されますね。
う~ん、やっぱり、感謝ですねぇ~。
お昼にNHKテレビで、全国戦没者追悼式の一部を中継していました。
toshiも、画面を観ながら正午の時報に合わせて、1分間の黙祷をさせていただきました。
戦争で亡くなった方は、民間人を合わせて実に310万人にも・・・。
戦後の日本の素晴らしい復興、豊かな生活を築くことができた背景には、このような多くの犠牲になられた方がおられることを決して忘れてはいけないですね。
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マッカーサーが擁護した日本戦争責任
日本は支那大陸に攻め込み、中華民国と戦闘を繰り広げた。そして、多くの中華民国の人々に被害を与えた。そのきっかけは満州国創立にある。
しかし、日本が支那大陸に満州国を造った点を侵略と呼ぶ事に対しても、パル判事は欧米列強と同じような侵略的手段で、権益を手に入れた、と記している。その権益には、自衛、自己保存の権利があるとも述べている。
今、この時代ではとても認められない手段が、大東亜戦争の時代は、強い国の常識だった。
国際的見地からパル判事は、公正な判断を下しているように思える。ロシアが共産党国家ソ連となって、領土的野心と共に思想的野心をもって、支那大陸北方にあった事も、日本の危機感の源だったと指摘する。
支那大陸でも中華民国の国家体制が揺らぎ、中国共産党が躍進しようとしていた事実をもとに、共産主義の攻勢から日本を守る必然性にも言及しているのだ。
日本の地政学的環境を「東京裁判」の後知ったのは、他ならぬ「東京裁判」の主幹者であったマッカーサー元帥その人であった。
マッカーサーは、中共が北朝鮮と共に突然韓国に攻め込んだ「朝鮮戦争」でも、最高司令官を務めた。
共産軍、つまり中共と北朝鮮の攻撃の前に、アメリカ、韓国軍は圧倒され、一気に朝鮮半島南端まで押し込まれ、敗亡の瀬戸際に立たされたのだ。
そのときマッカーサーは、日本にとっての朝鮮半島の意味を知ると同時に、満州という朝鮮半島と大陸との緩衝地帯の重要性を痛いほど思い知ったことだろう。
< 中 略 >
1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会で、マッカーサーはこう証言している。
「したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです(Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.)」
領土的野心からでもなく、侵略意志を持って大東亜戦争に入ったのでもない。
日本の地政学的な、そして時代的な背景からみれば、大東亜戦争は自衛的手段であった。
連合軍の最高司令官がそのように証言した事実はあまり知られていない。
不思議な事に今でも私たちの多くは、大東亜戦争の原因の全ては日本の侵略的野心からで、一方的に悪いのは日本だと信じている。
戦争を賛美する訳もない。支那大陸・アジア諸国の惨禍は心に刻むべきだ。ただ、私たちは、多くの犠牲の意味を、そして、未だに悪い国と指摘されると、自虐的に首を垂れ、戦争の意味を論じる事すら避る、今を変える責任がある。
東京裁判で裁かれ、6人の死刑者を出した。日本の罪、つまり侵略国家としての罪状は確定していると信じられている。しかし、そんな「東京裁判史観」の中核を未来のために今見直したいと考える。
戦争に反対し、自分たちの祖先の選択を批判することは簡単だろう。
しかし、忘れてならないのは、歴史をじっくり顧みて、過去に生きた日本人の必死さや、国の独立を守り被支配民族にならないように闘った人々の「思い」を知ることなのだ。
それは、私たちが彼らから受け取ったものの大きさを知る事にもつながる。
それを知ってこそ、私たちは、子孫に何を手渡していくべきかということに思い至るのではないだろうか。
S・Kワークス代表 佐藤芳直著
「日本はこうして世界から信頼される国となった」
株式会社プレジデント社刊より
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文中に出てくるパル判事とは、東京裁判の際、連合司令官マッカーサーにより任命された11名の裁判官判事の中で、唯一の国際法の権威者で、インド人です。
この本、少し前に長女が送ってくれたものです。なんと、お世話になっている会社の社長さんが全社員に支給された本です。
この本のサブタイトルは、「わが子へ伝えたい11の歴史」 となっています。
実は、著者の佐藤さんはとっても好きな方で、講演も聴いたことがあるんです。また、ちょうどこの本が発刊された今年の3月頃に、インタビューCDを購入していました。
そんな佐藤芳直さんの本が長女から送られてくる・・・。
まさにシンクロニシティ-ですねぇ~。
写真は、ベッドでの生活が始まった頃に写した父の写真です。
厳しかった父でしたが、ベッド上での生活になってからは、不平不満な言葉を聞いたことがありません。うん、そんな記憶です。驚くほど優しい父にヘンシ~ンしました。(笑)
この写真は、息子のtoshiにはそんな変身した父の優しさが感じられる、好きな写真です。
そんな父が68年前に満州で終戦を迎え、無事日本へ帰ってきて、今のtoshiがあります。
そんな父がまだ生きていて、孫から送られた佐藤芳直さんのこの本をもし手にしたら・・・。
ふと、そんなことを想像してしまいました。
今日の8月15日、よくよく考えたら、早いもので、定年退職して丸4年が経ちました。
やはりこの4年間も、アッ!と言う速さに思えます。
いろんな思いが浮かんできた、今日8月15日終戦の日でしたね・・・。
いろいろ考えれば考えるほど、今の幸せに感謝、感謝、感謝です。
いつもありがとうございま~す。toshiで~す。
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