雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

上高地2

2009年08月18日 | 長野散策
上高地の2回目
(あくまで上高地の写真、記事との差異は無視してください)

     

前回まではエベレストの標高について書いた
今回はその歴史について

        

      

エベレストは正確な測量で世界最高峰の山であるとの認識が得られるまでも
標高の高い山である事は知られていた
当初、ピークBと名付けられた山
その後測量を行なう基点としてピーク15と名前が改められ
前回記したように
測量の結果、世界最高峰ということが証明され
測量局の偉大な長官の名前を冠して
エベレストと名付けられた

      

山はまた
登山家の戦いの場所でもある

        

エベレストを登頂しよう
そう最初に思い立った人物が
東アジアの勇将、フランシス・ヤングハズバンドと
グルカ連隊の准将、チャールズ・グランヴィル・ブルース
時は1893年の事
その後
1907年
英国山岳会の創立50周年記念行事として
エベレスト遠征隊の派遣が提案されている

 

それは北極点到達と南極点到達で
遅れをとった英国が国の威信をかけ
初登頂を計画したものだった

     

初めて登頂の遠征隊が組織されたのは1921年の事だった
尤もこの時の遠征は
登頂が目的ではなく、周辺地図の作成と登頂ルート選定が目的だった為
ノースコルと呼ばれる7,200m付近までの登山となっている

       

登頂を目差したのは
その翌年の遠征から
最終キャンプから
三度の登頂をかけたが
いづれも失敗
多くのシェルパの命を奪い
アタックは失意のうちに失敗に終わる

  

   

さて次回
エベレスト登頂の謎について
(これで良いのか上高地の記事は???)
コメント (22)
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