雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

安土城(安土城天主 信長の館)

2009年08月06日 | 滋賀散策
安土城が建っていた安土山にほど近い地に
安土城考古博物館が建っている

   

ここの施設の一角に
安土城天主が再現されている

   

安土城は織田信長が居城としてた城
天正4年
織田信長はこの地に城を築く普請を発令する
城普請の総普請奉行は丹羽長秀だったと伝えられている

       

現在では干拓で琵琶湖は安土山から少し離れているが
当時は琵琶湖が安土山周辺まで広がっており
城を築くには最適だった事だろう
城普請は3年に及んだという

       

世界で最初の木造高層建築

「安土城天主 信長の館」では
この安土城天守のレプリカが展示してある
スペイン・セビリア万国博覧会が1992年に開催されたが
その日本館メイン展示に出展された天守を
安土町が譲り受けたそうだ

   

戦国時代に渡来した外国人宣教師
ルイス・フロイスが
その著
「日本史」で世界に紹介した安土城天守

   

壮大で絢爛豪華な天守だったと伝えられている
残念な事に安土城天守は
落成からわずか3年で焼失している

  

天正10年
本能寺の変の折
安土城は蒲生賢秀が留守居役として在城していた

      

織田信長が本能寺で謀反によって横死したとの報が安土に伝わると
留守居役の蒲生賢秀は
息子の氏郷と共に
彼の居城である日野城に
信長の妻子などを安土から退去させている

       

安土城へは
明智秀満が遠征している
山崎の戦いの後
明智光秀が敗れると
明智軍のはここを退却しているが
安土城はどうもその折にはまだ現存していたようだ

      

その後
原因不明のまま安土城天守は焼失
山崎の戦いの後も
織田信長の嫡孫
秀信が清洲会議の後入城するなど
居城としても使用されたが
豊臣秀次が近江八幡に八幡城を築城するに伴って
廃城となった
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする