上高地の6回目
前回まではエベレストを語る上でどうしても避けることができない
マロリーのドラマを語った
今回は世界初登頂について
マロリーがエベレストで行方不明になり
第三次遠征隊が不成功に終わった後
9年間は遠征隊は組織されていない
一つには第三次遠征隊が立ち入り禁止とされていたロンシャール谷に入ったこと
二つには第三次遠征隊が記録していたチベット人の映る映像が正しくなかった事を
ダライラマが咎めた為と云われている
第四次遠征隊は1933年だった
1934年、1935年、1936年、1938年と相次いで遠征隊が組織されているが
何れもエベレストの厳しい自然に登頂は遮られている
その後幾度もの遠征隊を退けてきた
世界初登頂が成功したのは初挑戦から32年後のことだった
1953年
ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)が
世界最高峰を落としている
酸素ボンベ技術はマロリーが使用したものから格段に改良され
登攀技術の躍進と共に
イギリス隊の意気込みはかなりのものだったそうだ
それというのもこの回の遠征が不発に終われば
次回の遠征は数年後を余儀なくされる事が決まっており
万が一登頂を逃せば
その後に続く各国の遠征隊がもしかしたら登頂に成功するかもしれないという焦りもあった
遠征隊隊長は
第60ライフル連隊のジョン・ハント大佐
災厄に見舞われること無く
隊は最終キャンプ設営に成功
ここから2隊のアタックが行なわれた
第1次アタックは
5月26日、チャールズ・エバンスとトム・ボーディロンが行なった
南陵は征したものの
携行する酸素ボンベの残量不足で登頂を断念
5月29日
エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが第2次アタック
午前11時30分
ついに世界最高峰は人類に登頂を許したのである
選ばれた者だけに許される
世界最高の絶景
あのマロリーは見たのだろうか
エベレストの話しはこの辺で一度終わりにしよう
前回まではエベレストを語る上でどうしても避けることができない
マロリーのドラマを語った
今回は世界初登頂について
マロリーがエベレストで行方不明になり
第三次遠征隊が不成功に終わった後
9年間は遠征隊は組織されていない
一つには第三次遠征隊が立ち入り禁止とされていたロンシャール谷に入ったこと
二つには第三次遠征隊が記録していたチベット人の映る映像が正しくなかった事を
ダライラマが咎めた為と云われている
第四次遠征隊は1933年だった
1934年、1935年、1936年、1938年と相次いで遠征隊が組織されているが
何れもエベレストの厳しい自然に登頂は遮られている
その後幾度もの遠征隊を退けてきた
世界初登頂が成功したのは初挑戦から32年後のことだった
1953年
ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)が
世界最高峰を落としている
酸素ボンベ技術はマロリーが使用したものから格段に改良され
登攀技術の躍進と共に
イギリス隊の意気込みはかなりのものだったそうだ
それというのもこの回の遠征が不発に終われば
次回の遠征は数年後を余儀なくされる事が決まっており
万が一登頂を逃せば
その後に続く各国の遠征隊がもしかしたら登頂に成功するかもしれないという焦りもあった
遠征隊隊長は
第60ライフル連隊のジョン・ハント大佐
災厄に見舞われること無く
隊は最終キャンプ設営に成功
ここから2隊のアタックが行なわれた
第1次アタックは
5月26日、チャールズ・エバンスとトム・ボーディロンが行なった
南陵は征したものの
携行する酸素ボンベの残量不足で登頂を断念
5月29日
エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイが第2次アタック
午前11時30分
ついに世界最高峰は人類に登頂を許したのである
選ばれた者だけに許される
世界最高の絶景
あのマロリーは見たのだろうか
エベレストの話しはこの辺で一度終わりにしよう